事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

安倍晋三の改憲議論が憲法違反という主張に対する完全撃退マニュアル

安倍改憲、憲法尊重擁護義務

改憲議論すらしたくないという似非憲法論

総理には憲法尊重擁護義務があるから改憲議論はダメ?

2017年の憲法記念日における安倍晋三自民党総裁の改憲の呼びかけについて、珍妙な説があります。

彼らのトンデモ理論によれば 

総理には憲法尊重擁護義務(憲法99条)があるから改憲議論をしてはいけない。それは違憲である。

ということです。 

もちろん、これはおかしな論理です。

ただ相当数の識者と思われる者がこの見解を持っているため一般人が騙されています。

今回の日記では、この超理論が成り立たないことを指摘していきます。 

結論:憲法96条自体が憲法改正を予定している、以上

最初に結論を言います。

  • 憲法96条には改正要件が規定されています。
  • したがって、憲法自体が憲法改正を予定しています。
  • よって、大臣が改憲を呼びかけることは、違憲ではない。

これで90%の人は理解します。

以下、10%の理解できない人や、こじらせた人を改心させるために、論破の手ごわさに応じた反論を記載します。 

なお、憲法96条という、明確な具体的条文が存在しているので 

憲法自体が改正を予定している

ということが原則になります。

原則ということは、これと反対の意見の者に主張立証責任があるということです

よって、反対意見の者(違憲だと主張したい者)が一生懸命説明する義務を負うことになります。

こちらが無理をして証明しなければならない、という関係にはないのです。

※追記:日本国憲法96条、99条の条文

憲法96条

第一項 
 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

第二項
 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

憲法99条

 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 

前提としての注意点:論破しようとしないこと

相手を論破しようとしないことです。 

後述しますが、この手の相手にも一分の理がある主張があります。

このような相手に対して、「間違いだ」と言うことは間違いになることがあります。

よって、相手の主張のおかしな点を指摘して

「あなたの論理によれば、これこれこうなりますが、どうなんですか?」

このようにしていきましょう。 

Level1:憲法尊重擁護義務(憲法99条)一点張りの主張

対処方法:憲法96条を指摘+擁護する対象を明確にさせる

  1. 「憲法の何を尊重擁護するんですか?」
  2. 「尊重擁護するのであれば、96条を擁護するってことですよね?」
  3. 「明文と反することを言うのであれば相当の根拠が必要ですよ」

 上記ツイートで、相手の論理矛盾が露呈していることがわかると思いますが

「96条は改憲を予定しているのではなく、改憲に足かせをかけるもの」

 という屁理屈を出してきたときには、どうしたものかと思いましが、以下のように指摘すれば足りるでしょう。

  • ❶99条によって改憲できないのであれば、なぜ「発議3分の2と国民投票の過半数」という要件をわざわざ定めたのか?96条が無い方が改憲できないという意味が強いため疑問である。
  • ❷法文の理解として、前の条文を優先適用する解釈が一般的だがなぜ96条より99条を優先するのか? 

これ以上屁理屈を言うような輩は、論理で物事を考えているのではなく単に「総理大臣は改憲議論をしてはいけない」と思い込んでいるだけなので、つきあう必要はないでしょう。多分、こういう人は論破できません。しかし、それでいいのです。

Level2:「憲法は国家権力を縛るもの、権力側が改憲主張はダメ」という主張

「憲法は国家権力を縛るものであるから、権力側が改憲を主張することは許されない」という主張があります。

対処法:やはり96条を基本に不合理な論理的帰結を指摘

  1. 国家が憲法に縛られるのなら、96条に縛られることに
  2. よって、国家は憲法改正ができることを前提としなければならないことに
  3. そもそも日本国憲法は、憲法は国家を縛るものという理解を徹底していない
  4. 99条には国家の側である国会議員も含まれるが、あなたの見解だと国会議員も改憲の議論ができないことになり、改憲の議論をするためには、いちいち辞職する必要が出てくるが、おかしいですよね?

この改憲禁止の議論の前提として、どうも、「憲法は国家の側を縛るもの」という言葉が独り歩きしており、これを徹底しなければダメなんだ!という思い込みがあるということに気づきます。  

「憲法は国家の側を縛るもの」という言説は、基本的にはその通りなのですが、憲法というものを法律と区別できず勘違いする者が多いから、法律との区別をわかりやすくするため枝葉末節を捨象した表現であるに過ぎません。 

この言葉が独り歩きして、「国民は全く憲法に拘束されないんだ!」という意味に理解する人がいますが、これは完全に誤りです。

国民に義務を課すことが明記されている具体的規定として

  • 12条=権利濫用の禁止
  • 27条=勤労の義務
  • 30条=納税の義務
  • 33条=逮捕の要件(現行犯以外の勝手な逮捕の禁止)

わかりやすいものだけでもこれだけ存在します。もちろん、直ちに国民に法的義務を課すものではないものもありますが。 

国家と国民を一応分けることには憲法の理解を助けますが、これを全ての場面において徹底することの害悪がここにはあります。

国家は国民が作るものです。だからこそ国家を構成しうる国民も、一定程度の縛りを憲法によってなされる。

例えば憲法改正の国民投票で、全員一致でないと憲法改正できない、と言うこと自体は自由であり、違憲ではありませんが、現実に国民投票を行うときに、「全会一致でないから無効だ!」といって投票が無効になるわけではありません。

このような意味で、国民も憲法の拘束下にあります。一般国民も、憲法の縛りを受けているということに、何ら誤りは含まれない。

Level3:「憲法の個別の条文ではなく立憲主義から来る要請である」との主張

「憲法上の個別の条文の効果ではなく立憲主義から来る要請である」との主張があります。

対処法:法解釈の作法+外国の憲法を参照することの無意味さを指摘

  1. 法解釈の作法は、条文の文言⇒条文の趣旨⇒法文全体の趣旨⇒立法の経緯
  2. 具体的な条文を踏まえ、それに反する見解ならば相当の根拠を示せ
  3. 「立憲主義」という公約数的な理解を日本国憲法はとっているのか?

1番と2番は、法学部出身者など、法解釈学を学んだ者であれば当然身に着けているべき態度です。 

憲法の条文を無視し、いきなり外国の近代憲法の成立経緯などという曖昧かつ無関係なものを持ってくる議論の仕方は、法解釈の作法を身に着けていないということを暴露しています。 

3番について、「立憲主義」「近代立憲主義」という言葉があいまいなので何とも言えませんが、少なくとも現行の日本国憲法の成立経緯からある種の理論が導かれるべきです。

「欧州では~」「〇〇国では~」 

という主張は、全く無関係なことを無理やり関連付けるという反日オカルトの手法なので、お察しください

※追記:立憲主義の沿革・意味内容・用語法の視点からの分析

立憲主義とは、国の統治を憲法に基づいて行い、憲法を国家権力を制限するものとして扱う政治体制のこと、というのが公約数的な定義です。 

日本国憲法が公約数的な定義そのものにあたるものなのかは、既に記述したように、国民の義務を定めた規定があることから違うと言えます。

また、立憲主義の出自は君主制(これ自体もかなり誤解されていますが)であったヨーロッパであり、我が日本国とは歴史的背景が全く異なります。

一応ドイツ(プロイセン)の憲法を参考にして大日本国憲法を制定しましたが、近代憲法の体裁をとり、幾分かはいわゆる立憲主義を採用したものの、背後に流れる精神は異なります。他国に比べ、国家と国民が乖離しているような歴史ではなかったと言えます。

欧州の立憲主義をスタンダードとし、それに合わせなければならないという者は、歴史を無視しています。なんでヨーロッパなんかの低レベルなスタンダードに、2677年の歴史を持つ日本が合わせなければならないんですかね?

そもそも現行の日本国憲法がいわゆる立憲主義の公約数的立場そのものを採用しているのかを判断するためには、まずは成文化された憲法を読み込むことから始められます。条文を無視し、いわゆる立憲主義を金科玉条のように崇め奉るのは勝手ですが、そのこと自体に疑問があります。

Level4:「三権分立違反だ」という主張の一応の合理性と誤りについて

さて、この見解が、最もありうる反対意見です。

この見解の持ち主に対しては、良心的な方が多くいらっしゃいます。

ただ、三権分立の観点から大臣の改憲発言を危険視する者の中でも、下に示すように「改憲議論を呼びかけるのは絶対に許されず、その見解でない者は完全に間違いだ!」などという過激な意見があります。

彼らの論理は基本的にこうです

  • 内閣は行政府に属する(憲法65条)
  • 行政府は、現行法の下での事務を執行する立場
  • よって、立法権とは緊張関係に立つ
    ※緊張関係:現行法体系を変更するのは立法権だから、行政府の側がそのような態度を示すことは権限の干渉になりかねないため慎むべき、ということを表す表現。
  • 大臣は行政府の側だから、そのような者が改憲を呼びかけることは立法権に対する干渉となるおそれがある。
  • よって、首相の改憲発言は違憲である。

対処法:議院内閣制と大臣の表現の自由を指摘すればよい

  1. 内閣の国務大臣の過半数は国会議員から選ばれるが(憲法68条)、内閣の構成員たる国会議員に対し、立法府の構成員としての権限を排除、制限する規定は存在しない
  2. つまり、議院内閣制を採用している日本では、三権分立を一応は目指してはいるが、それを徹底することは憲法レベルで行われていない
  3. 反対派の論理によれば、内閣の構成員たる国会議員は国会での投票権が無いことになるが、これを排除する規定は存在しない。
  4. 現実にも内閣の構成員たる国会議員による投票が行われている。
  5. 大臣にも表現の自由が保障されているが、改憲の議論を呼びかけることが許されないというのは、その者の表現の自由を侵害しており、正当化できない。*1*2
  6. よって、違憲ではない。

「憲法は国家を縛るものだー」

「だから大臣には表現の自由なんてないんだー」

なんて言うこと自体は自由ですが、そんなことは憲法の規定には書いてありませんし、判例通説によってもそのような見解は取られていません。  

あくまで在り得るのは、立法府と行政府との緊張関係から来る大臣の改憲、法改正の発言への制約の可能性です。それとて、議員内閣制の下ではかなり疑わしい見解です。

日本の議院内閣制(立法府に属する国会議員が、行政府に属することにもなること)は、立法府と行政府の協働を促すために制度設計されています。そのような制度の下では、基本的に大臣であっても改憲、法改正を呼びかけることが当たり前に可能であるという方向が正しいと思います。大臣であっても、国会議員であることには変わりないのですから。 

そして、国会議員は国民の付託によって選出されているのですから、多数派から内閣の構成員が選ばれるという現状において、内閣の大臣の発言権を制限することは、国民の意思を尊重しないことになります。そのような見解を憲法が採っているとは思えません。

ここまでの見解は【「憲法の争点」p32-33 憲法尊重擁護の義務 阪口正二郎】こちらを参考にしています。

その他の対処法:公権力の権限行使に関する三権分立との混同の指摘

三権分立、憲法

引用元:衆議院HP:www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kokkai/kokkai_sankenbunritsu.htm
  1. 三権分立とは、権限行使は司法立法行政に分けますということにすぎない
  2. 行政府の長の行政府の長としての発言が、全て権限行使になるわけではない
  3. 単に国会外で議論を呼びかけることは権限行使ではない

権力に属する者の言動が全て権限行使である、などということはありません。 

96条の「発議」とは、凡そ一般に「議論を始める」という意味ではありません。

例えば総理大臣が「改憲しましょう」と呼びかけるのは「発議」ではない。 

これは何らかの権限行使ではない。「発議」の手続は国会法に定めがあり、一定数の国会議員の賛成がないと「発議」できません。「発議」とは、国民投票の開始決定です。

その上で、「議論すらしてはいけない」というのは全く建設的ではないし、公務員や大臣にも表現の自由が保障されていることは判例通説です。

憲法を護れというのであれば、憲法改正の議論も大いに歓迎されるはずです。

これは個人の見解ではなく、憲法が定めていることから導かれる当然の帰結です。

「護憲」という言葉の意味の誤解から来る誤った認識

以上みてきたように、憲法96条で改正要件があるため、憲法自体が改正を予定しています。

したがって、「護憲」と言って、改憲をしてはいけないという者は、明確に憲法に反していることになります。

「護憲」は、元々は「立憲主義を護る」という意味です。 

それが憲法改正をさせたくないと考える輩によって、憲法を変えてはいけないという印象を与えるために積極的に誤用されてきたため、憲法を改正してはいけないという意味が流通してしまったというだけの話です。 

憲法改正の道筋:意外と知らない「憲法改正原案の発議」

与党内での憲法草案の議論⇒改正原案の発議⇒改正の発議⇒国民投票

この過程で、どれだけの期間が経過し、議論が成熟するか。

私ですらこの3日間程度で、改憲反対派の論理とその前提、論理的困難に気づき、こうして発信しています。 これだけ期間があれば、一般国民が考えるのに十分でしょう。マスメディアが報道しない自由を行使しても、識者たちが正しい情報を発信するでしょう。

まとめ:そもそも論としての自民党総裁としての改憲論議呼びかけという事実 

ご来場の皆さま、こんにちは。自由民主党総裁の安倍晋三です。

安倍晋三は、自由民主党総裁として、改憲議論を呼びかけました。

内閣総理大臣としてではありません。 

つまり、安倍晋三が立法府と行政府との緊張関係を意識しているかはわかりませんが、

「総理大臣としての発言だからダメだ」

という指摘は、この件には全く当てはまらないのです。 

では、なぜ私がこの点の指摘を最後に持ってきたのか? それは、別に安倍首相が総理大臣として改憲を呼びかけようとも、自民党の党首として改憲を主張しようとも、いずれの場合も表現の自由が当然に保障されているからです。

 「権限がないことを呼びかけることはダメだ!」

という人がいますが、そのようなことはいくらでもあります。立法府の側である議員が、行政の運用について「こうすべきである」ということは、国会の論議で何度も行われているではないですか。 

つまり、総理として発言したか、自民党総裁として発言したかは、あまり重要な点ではないのです。とはいえ、大臣が改憲議論を呼びかけることが憲法違反だと主張する者は、こうした事実誤認を前提にして議論を展開しているということを指摘する分には意味があります。

こうした前提の上で

今回の改憲内容でいいのか?

今回の改憲内容だとして、従来の解釈はどうなるのか?

他の改憲内容にするべきではないのか?

こうした議論が国民の間に広まることこそが、民主主義の本来の姿だと思います。

以上

*1:一般公務員は政治的中立義務があるが(国家公務員法102条)、特別職の国家公務員である大臣はそのような制限はない

*2:公務員にも表現の自由が認められている事は判例通説であり、大臣という個人の属性によって表現の自由に制限がかかるという論理は成り立たない