事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します

POP TEAM EPIC歌詞制作者視点考察:ポプテピピックOP最終回前考察

アニメポプテピピックの主題歌「POP TEAM EPIC」の考察をしていきます。最終回で何らかのネタバレがあるのではと言われていますので、その前に考えを披歴したいと思います。

まずは考察の前提を規定していきたいと思います。
※この考察は、他の角度・視点からの考察を否定するものではありません。あくまでも見方の一つを提示するものです。

アニメの主題歌というもの

アニメの主題歌の性質には複数の種類がありますが、歌詞が言及している対象という視点からは以下の3つに大別されると考えられます。

  1. 専らアニメ内部の事柄について言及するもの
    例:ガッチャマンなど昔のアニメや、CHA-LA HEAD-CHA-LAなどファンタジー作品の場合
  2. アニメについて言及しているが、現実世界をも意識したもの
    例:おジャ魔女どれみのおジャ魔女カーニバルなど基本的な世界観が現実世界の日常であるもの
  3. アニメとは無関係に作られた楽曲をOPとして採用したもの
    例:るろ剣のそばかす、エウレカの少年ハートやDAYSなど

ポプテピピックOPはどれでしょう?

"POP TEM EPIC"というタイトルと歌手が声優の上坂すみれであることからは、アニメ(原作)を意識していることは明らかです。

ただし、「打ち切り」という単語が気になります。これは物語作品の連載を打ち切るという半ば業界用語化した言葉であり、ポプテピピック原作が、まんがライフWINで打ち切られる度に復活している事を意識していると言えます。

そもそもポプテピピック原作自体が現実世界の時事問題の風刺等も含んだネタで満載ですので、現実世界との繋がりを絶って理解することはもったいない気がします。

よって、POP TEAM EPICは上記の枠で捉えるなら2番目の種類と言えるでしょう。

歌手:上坂すみれ 歌詞・楽曲:吟(BUSTED ROSE)
レーベル: キングレコード

POP TEAM EPIC 【初回限定盤】CD+DVD

歌詞の主体は誰か?

なぜこのような類型分けをしたのか?それは考察範囲を特定するためです。

POP TEAM EPICをアニメについて叙述したものと考え、いわゆる「ループ物」の物語の伏線を張っているとする解釈が多くみられます。それはそれで大変面白い考察で、最終回までの展開でその予想が当たっているのかどうかは興味があります。

ただ、せっかく現実世界と関係を深く持ってしまった作品なので、歌詞の内容は「アニメだけにとどまらない意味づけがなされている」と考えるのも一つの愉しみ方ではないでしょうか?

すると、主体は誰か?(歌っているのは誰か?)という事になります。現実世界での主体として第一に考えられるのは、アニメを見ている者自身、つまり「視聴者」という事になるんじゃないでしょうか。その観点からの考察も一部見られ、深い考察を見てみたいという思いはあります。しかし、仮にそうだとしても、私は単なる無属性の視聴者ではないと考える方が面白いと思います。

なぜか?やはりサビにある「打ち切り」という単語の異質さが際立つので、ここをベースにした方が良いのではと思うのです。

そこで、私はPOP TEAM EPICの主体は「作り手」という観点から考察していきます。ポプテピピックのアニメは既に見てきたとおり、各コーナーの制作者が誰かが冒頭に表示されており、ネット上でも制作者の過去作の発掘がなされるなどしているので、言及することには何らおかしい事は無いと思います。

念頭に置くのは「マンガやアニメの制作者」ですが、世の中全般における「作り手の立場に置かれる人たち」をも含むものと考えています。

 

根本テーマ『作り手による「世界」のリメイク』

 

POP TEAM EPICの歌詞の終盤を見ると以下のフレーズがあります。

キラキラの鏡ぶち壊して

新世界へ!

這い上がれ!

思い描くスピログラフ

一義的ではない用語を使って普遍的なテーマを叙述するというのは歌にはよくあることで、上に示したようなフレーズからは、なんとなく「現状を打破して次のステージに進む」というようなイメージがありますね。

それを「作り手」の文脈としてどう捉えればよいのか?というのがここでの課題です。

ここで、マンガ家は自分の思い通りの「世界」を自由自在に構築し得る存在であることが思い浮かびます。アニメ制作陣も原作の縛りはあれども、ポプテピピックはもはや原作無視でも成り立ってしまう勢いなので(笑)、アニメ制作陣も思い通りの「世界」を作れる存在と言えます。これはとてつもない力です。

『作り手による「世界」のリメイク』

これがPOP TEAM EPICの根本テーマであると決めつけていきます。

実はプロモの中に、そのプロモ自身のドラフトと思われるスケッチが一瞬だけ写っている場面があります。メタな描写がある=作り手を意識させている。そのようなプロモであることは間違いありません。

監視されている「君」は誰?

作り手が世界を作るとき、それは妄想だけに頼っていてはいけません。ファンタジー世界を描く漫画家でさえ、現実世界にあるモノに対する真摯な観察によって、その画風やストーリーを形作っていきます。

「見慣れた景色に潜むイデア」

何気ない物、風景、感覚、会話、音、社会情勢。見逃してしまいがちな「景色」から作品を生み出す要素を抽出する。これが作り手が行っている行為であると考えられます。すると、監視されている「君」は世の中のすべての事象ということになります。プロモーションムービーでも、冒頭に映るのは自然現象、動物、造形物などの森羅万象です。

しかし!作り手は果たして見るだけの存在なのでしょうか?

pixivで投稿しているアマチュア作家でさえ、作品を作って1人で満足している人なんていないのではないでしょうか?そこでは必ず「他者からの目線」を意識し、より面白い漫画、より共感が得られる画風、画力、構図、コマ割り、ストーリーを研究しているはず。

「他者からの目線」は商業的な作品を作る立場であればなおさら意識しなければならず、会社であれば更に同僚や上司、取引先などの目線が加わることになります。

作り手は監視する者でもあり、監視される者でもある

このような状況が、歌詞において苦悩を表す下敷きとなっているのだと思います。プロモでも、上坂すみれが目を動かす場面、PCに映る目、警備員に照らされる場面など、「見る」と「見られる」が同居している様が描かれています。歯磨きをする場面では自分を見ていることになります(一般的に歯磨きはどこでするものでしょうか?)

 

 「世界をリメイク」「隙間の無い狭苦しいお庭」

 

監視されているということは、自分を律する効用がある一方で、自由が利かないということも意味します。Aサビではスピログラフを「思い描く」のですが、直後では「隙間の無い狭苦しいお庭」とあるように、窮屈さがある中での作業のような気がしてなりません。

Aサビはまるで出版社に読み切りを持っていくも受賞できなかったり、連載を勝ち取っても打ち切られてしまうマンガ家が、それでもまた題材を仕入れて(パラレルワールド旅して)新しい作品を生み出して(世界をリメイク)いく姿を想像させます。

パラレルワールドとは、マンガの世界と現実世界という意味でもあり、過去の作品と新しい作品という意味でもあるように思います。打ち切られなければ描き、表現できたであろう作者の願い。それを表現できる日を夢見て新作を作る。そんな心象風景が浮かび上がってくるようです。

打ち切り漫画というとこちらのシリーズが面白いので貼っておきます。

 

世界をリメイクする力がありながら「隙間の無い狭苦しいお庭」というのは、表現者ならだれもが通る道である、「マンネリ化」「陳腐化」の暗喩ではないでしょうか。

既に先駆者達が試行錯誤し尽くした表現方法。それを超える表現や新しい表現を生み出さなければいけないという思いと外部からの要請。それに失敗すれば「つまらない作品」として読者に飽きられるだけ。

ディストピアを越える。ディストピアとは、過剰に管理された窮屈な社会を言い表す語です。読者の評価、編集の介入、そういうものに打ち勝てず、好きな作品を描ききれない。打ち切られた。またお別れね。次の作品で読者に読んでもらうために頑張るから。

打ち切られた漫画なんて読者は覚えていない。私が作った作品の世界観、キャラクターたちも忘れ去られるだけ、思い出もなくなる。それでも私は懲りもせずライトの下で筆を振り、或いはマウスを走らせる。

「またお別れね」の部分のメロディはとても悲しい音になっています。しかし、その次の瞬間には再び力強い音で再始動するかのうように「次の世界で待ってるから」。諦めない精神を象徴するかのようであり、作者の宿命を綴った場面のように思います。Bサビはメロディは力強いですが、歌詞は郷愁すら感じられるものになっています。

「壊さなきゃ」「ミラーシステム」

後半部分からメロディが変調し、変化を予感させます。

自分の殻を破り、観賞用のフラワーアレンジメントと化した自分(或いは作品)を脱する。読者などの外部の評価を過剰に意識し過ぎたあまり、作品に力がなくなってはいないだろうか?予定調和を目指して安定するのではなく、これまでの枠を超える新世界へ! 

こちらの隠しネタ考察でも説明しましたが、ミラーシステムとは、「他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすること」です。8話でピピがレモンをすすったポプと同じようによだれを垂らすような状態もミラーシステムの一つです。

ただ、このままだと作り手の文脈では不適当ですね。意味が通らなくなります。ここでは「他者の期待を認識して同調すること。その結果、期待や予想に沿う作品を作るよう無意識に妥協してしまう」というような意味だと思います。他者に「監視」されている事の弊害の例ですね。

実際にものを見せてあげるまで、本当のところ、何が欲しいのかが消費者自身にもわからないことが多いんだ

スティーブ・ジョブズ

自由に作っているつもりが、「既存の枠にはめられた期待」によって「作らされている」のではないか?(ハムスターの回し車のように)ミラーシステムは作り手を窮屈な表現手法に縛ることになり、そのような状態に陥っていては、良い作品は作れない。鏡はキラキラしていて居心地はいいけれど、それに安住してはいけない。壊さなきゃ。バイバイ、シャバイパラダイス。

(版権元の権利問題でパロディが出来ない?許可とれ!ギリギリを攻めよう!)

世界をリメイク

これ以降、作者はパラダイムシフトを起こして独自の世界を真に自由な状態で作り出していく。このような意味と捉えるならば、CサビはAサビと同じ言葉を用いているのに、「一周回った」「乗り越えた」者が持ちうる力強さ、希望が感じられます。

ここでの「世界をリメイク」は、作品の世界観を設定し直すという意味であったものから、自分の立ち位置や作品の制作姿勢を作り直すという意味にも取れます。また、自分の作品が世の中の評価基準を変える、文字通り創作物をとりまく世界(業界)をリメイクするという意気込みすら感じられます。

もちろん、「完全な自由」はむしろ迷いを生じさせるためそのような状態ではないでしょう。一定の「縛り」や「規律」の中で試行錯誤、もがき苦しんできた末に壁を破った者こそが持ちうる「真の自由」。その強さを手に入れた作り手には、打ち切り後もまた別の作品であったり、別の形で作品に出会えるでしょう。前作は読み手の記憶に残り続ける。

アニメ・ポプテピピックという作品:最終回前の考察

私はこの作品を見て、初めてアニメーションの制作者に注目したと思います。

声優や音楽担当者は興味を持たれても、制作者はエンドロールで見向きもされない。しかし、ポプテピピックでは各コーナーの制作担当が明確になっており、冒頭に制作者名が表示されます。それによってポプテピピック以外に作られた制作者の作品にも出会うことができました。

素晴らしいサブカル制作者たちによる壮大なクソアニメをきっかけに、新たにクリエイターの道を目指す人も出てくるんじゃないでしょうか?

POP TEAM EPICは終わらない。

to_be_continued. POP_TEAM_EPICは終わらない.