事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

元朝日新聞植村隆の慰安婦捏造記事裁判:櫻井よしこ氏の全面勝訴と植村裁判を支える市民の会の発狂ぶり

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平成30年(2018年)11月9日、元朝日新聞記者慰安婦報道に関わった植村隆氏が、記事を「造」と書かれ名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と原稿を掲載した出版社3社(新潮社、ダイヤモンド社、ワック)を提訴した事件の判決がありました。

結果は、原告の植村の全面敗訴です。ザマァみろ。

概要をまとめます。

裁判所の認定と櫻井氏の意見陳述は必読です。

※追記:西岡氏への訴訟でも植村敗訴となりました
植村隆の従軍慰安婦捏造記事:西岡力・文春への訴訟も敗訴

札幌地裁は植村の記事を「事実と異なる本件記事」と認定

植村隆、慰安婦捏造記事裁判

https://sasaerukai.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html?spref=tw

上記は「植村裁判を支える市民の会」のウェブページに掲載された判決要旨の一部です。魚拓はこちら。

発端となったのは、原告の植村隆が朝日新聞社の記者として「従軍慰安婦」に関する記事を執筆して平成 3 年 8 月 1 1 日の朝日新聞に掲載した記事(「思い出すと今も涙 韓国の団体聞き取り」というタイトルの記事です。

これについて、裁判所が『事実と異なる』旨を認定しています。

この訴訟の争点は、植村が敢えてこの記事を訂正せず放置していたために、櫻井氏が「植村は記事を捏造した」と言及したことが名誉毀損になるかどうかです。

前提となる植村の「従軍慰安婦の記事」の内容については、「事実と異なる」というのは確定しているということです。

櫻井よしこ氏の記事が問題視された

被告の櫻井氏は、 ワック社が発行する雑誌「W i L L 」2014年4月号、新潮社が発行する「週刊新潮」、ダイヤモンド社が発行する「週刊ダイヤモンド」に、植村の記事について「捏造とみられてもしかたがない」旨の論評をした論文を寄稿しました。

これが植村にとって気に食わなかったのでしょう、訴訟の対象となりました。

【慰安婦をめぐる損賠訴訟】櫻井よしこ氏記者会見要旨(1)(1/4ページ) - 産経ニュース

「櫻井よしこの捏造!」の意味

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産経新聞2018年6月4日朝刊

ネット上では植村擁護派が「櫻井の記事が捏造だ!」と指摘しているものがあります。

実態は、櫻井氏の論文において金学順が日本政府を相手どり訴えた訴訟に触れた際、実際は訴状にないことを、訴状からの引用として紹介した、ということでした。

櫻井氏は裁判で、論文の該当部分の誤りを認めて訂正しました。

これだけです。

植村隆の行為について、何ら影響を与えませんね。

これを強調して「不当判決だ!」と騒ぎ立てているのは、印象操作に過ぎません。

櫻井氏の意見陳述は日本人必見

【慰安婦をめぐる損賠訴訟】「植村氏の記事への評価、変えない」 櫻井氏の意見陳述の主な内容 - 産経ニュース

この意見陳述は、植村が如何にずさんな取材で事実と異なった記事を書き、それを意図的に放置してきたのかが端的にまとめられています。

また、それとは別に、以下の内容は注目に値します。

今日、この法廷に立って、感慨深いものがあります。私はかつて「慰安婦は強制連行ではない」と発言して糾弾されました。20年ほど前の私の発言は、今になってみれば真実であると多くの人々が納得しています。しかし、当時はすさまじい攻撃の嵐にさらされました。仕事場には無数のファクスが、紙がなくなるまで送りつけられました。抗議のはがきも、仕事ができなくなるほどの抗議の電話もありました。当時ネットはありませんでしたが、ネットがあれば、炎上していたかもしれません。

 その無数の抗議の中でひと際目立っていたのが北海道発のものでした。主として北海道教職員組合の方々から、ほぼ同じ文言の抗議が、多数届いたのです。

北海道教職員組合から無数の抗議があった。

こういう人間が子どもの教育をしているという現実に恐怖を覚えます。

植村裁判を支える市民の会の発狂ぶり

植村裁判を支える市民の会

植村氏支援を通じて市民が示したことは、二つに集約される。一つは市民の健全な良識だ。日本軍は戦時中、朝鮮などの女性たちを慰安婦にして繰り返し凌辱する、非人道的な行為を行った。この歴史的事実を直視し、日本がまずなすべきことは被害者に届く謝罪ではないか、という人間としての良識に立つ正義感である。歴史的事実をゆがめようとする櫻井よしこ氏らの歴史修正主義が、実際は誤った事実認識にもとづくものであることを市民は明確に認識し、「ノー」をつきつけていたのだ。歴史教科書から慰安婦記述を除外し、「あるものをなかったこと」にしようとする昨今の流れに対する憤りが渦巻いていた。

いま一つは、民主主義への希求である。正確な事実の報道と、それに基づいた人々の健全な判断があってこそ民主主義はよりよく機能する。事実を伝えてきた報道を…

省略

裁判所が「事実と異なる」 と認定しているのに、「事実を伝えてきた報道を…」と言う発狂ぶり。

こういう人間が日本人の名誉を貶めてきたということですね。

植村裁判を支える市民の会共同代表と代理人弁護士

市民の会に記載のある名前は以下です。

共同代表    
上田文雄(前札幌市長、弁護士)     
小野有五(北海道大学名誉教授)     
神沼公三郎(北海道大学名誉教授)     
香山リカ(精神科医、立教大学教授)
北岡和義(ジャーナリスト)      
崔善愛(ピアニスト)          
結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授) 

いつもの面々、といった感じですね。

大学教授が主導して慰安婦記事の内容は事実である、と言っているのですから、教職員組合が抗議することに繋がっているということが伺えますね。

また、弁護団に170名が名を連ねていますが、弁護団長中山武敏、副団長小林節、海渡雄一、事務局長神原元らの名まえもあります。

香ばしいメンバーですね。

まとめ:元朝日新聞植村隆の慰安婦記事は事実に反する

世の中では事実に反するという認識が広まっていましたが、改めて裁判所が植村の記事を「事実に反する」旨を認定したという事実は重いものです。

なお、この裁判は原告が植村隆なので、櫻井側は相手の請求が立たなければそれで「勝ち」なのです。積極的に植村が「捏造をした」ことを証明する義務は、櫻井側にはありません。

一部で「植村隆が捏造をしていないと認定された」と評価する者が居ますが、まったく事実に反します。

ただしくは、『櫻井が、植村が書いた記事が捏造であると信じたことに相当性が認められた』です。

被告となった櫻井氏が勝訴したこの裁判ですが、あらゆる面において「アチラ側」の異常さが浮き彫りになった争訟になりましたね。

以上

防弾少年団(BTS)の原爆Tシャツはなぜダメなのか?韓国の光復節の意味

防弾少年団BTS、原爆Tシャツ、光復節

韓国のアイドルグループ防弾少年団(BTS)のメンバーが「原爆Tシャツ」を着ていた件が問題となり、ミュージックステーションの出演中止にまで至っています。

ただ、この件について何が問題かを正確に理解させない動きが見られたので整理していきます。

※追記:事務所が「謝罪文」を出しましたが、むしろアウトでしょう。

防弾少年団(BTS)のTシャツのデザイナーの「暴露」

「防弾少年団」の原爆Tシャツ問題で、デザイナーが謝罪 「Mステ出演取消し、申し訳ない…反日助長の意図はない」│韓国音楽K-POP│韓国ドラマ・韓流ドラマ 韓国芸能ならワウコリア

イ代表は、問題となった原爆の写真について「その部分は、日本をばかにするような気持ちはなかった。原爆が投下され、日本が無条件降伏したために、韓国は解放されたという歴史の順序を表現するものだった」と伝えた。

暴露しましたね。

デザイナーは「歴史の順序を表現」と言ってますが、どう見てもそうではありません。

むしろ、日本統治と絡めた政治的メッセージを含むものだということを自白しています。

Tシャツの文字にはPATRIOTISM(愛国心)、OURHISTORY(我々の歴史)、LIBERATION(解放)とあるように、どう見ても政治的メッセージが含まれています。

「反日ではない」と言いたいのでしょうが、このTシャツの何が問題なのか、まったくわかっていませんね。

原爆モチーフ自体ではなく光復節との関係が問題

原爆モチーフ自体ではなくて、Tシャツの画像左下にある韓国の光復節の写真と併せて【朝鮮独立を導いた吉事】として民間人大虐殺の原爆投下を喜んでることが問題なんですよ。

米国人すら【誇れない歴史】と捉えてるのに

日本人とか関係無しに人類の尊厳に対する攻撃だから怒ってるんですよ。

原爆の犠牲者の中には朝鮮人も多数居たと言うことを知らないのでしょうか?

「光復節」とは朝鮮半島が独立したことを祝う韓国の「祝日」を指すものです。

よって、そこには「吉事である」という含意があります。

「独立を祝うものだから問題ない」という擁護者が居ますが、それこそが大問題だということに気付かないのでしょうか?

民間人虐殺を祝う人たちって何なんでしょう? 

防弾少年団(BTS)のアクロバティック擁護者

魚拓:http://archive.is/jX4RF

魚拓:http://archive.is/jyDsM

いや、「政治評論家ではない」はBTSに対して言って下さいよ。

だったらわざわざTシャツ着るな。

魚拓:http://archive.is/iw2Pt

原爆モチーフそのものが問題ではないのですよ。 

魚拓:http://archive.is/jSsEl

「そんなこと書いてない」厨が出ましたね。

自国の独立が吉事ではないというならそれこそ異常です。

バンザイしてる写真が「喜んでいない」と理解するのが通常だという社会に私たちは生きてません。

「自国の歴史」って原爆投下は現在の韓国ではない日本国にされたものなんですが。

魚拓:http://archive.is/mxtll

現在のアメリカ人は原爆投下の歴史を決して誇ることはない。70年前の出来事を振り返りの視点で非難することと、現在進行形の出来事を非難することは質的に異なる。一方をやって他方はやってないからダブルスタンダードだということにはならない。

もしかして、と思ったら、やっぱり社会学者(人類学)でしたよ。

まとめ:東京ドーム公演はどうするのだろう?

「反日じゃないからOKでしょ?」という態度は、明らかに日本での仕事欲しさからきているでしょうね。

人類の敵であることを公言して営業活動をする者に、公共施設を使わせていいのでしょうか?

以上

「北朝鮮人は2019年12月22日までに強制送還」について:国連安全保障理事会決議第2397号

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国連安保理決議で北朝鮮人は2019年12月22日までに強制送還される

このような言説がありますが、ちゃんと理解しないと実態と異なることになります。

調べた結果をまとめます。

国連安全保障理事会決議第2397号(UNSCR2397)

国際連合安全保障理事会決議第2397号 和訳(外務省告示第7号(平成30年1月18日発行))として、文書が公開されています。魚拓はこちら

この件で関係するのは以下の部分です。

8.決議第2375号(2017年)17の規定の採択にもかかわらず、北朝鮮国民が、北朝鮮の禁止されている核及び弾道ミサイル計画を支援するために北朝鮮が使用する対外輸出収入を生み出す目的で、他国で引き続き働いていることに懸念を表明し、加盟国が、当該北朝鮮国民が当該加盟国の自国民である、又は、適用可能な国内法及び国際法(国際難民法、国際人権法、国際連合本部協定並びに国際連合の特権及び免除に関する条約を含む。)に従って送還が禁止されていると認定する場合を除くほか、加盟国が、直ちに、ただし、この決議の採択の日から24か月以内に、当該加盟国の管轄権内において収入を得ている全ての北朝鮮国民及び海外の北朝鮮労働者を監視する全ての北朝鮮政府の安全監督員を北朝鮮に送還することを決定するとともに、さらに、全ての加盟国が、この決議の採択の日から15か月以内に、この決議の採択の日から12か月間に送還された、当該加盟国の管轄権内において収入を得ていた全ての北朝鮮国民に関する中間報告(該当する場合には、なぜそのような北朝鮮国民の半数に満たない数しか当該12か月の期間終了までに送還されなかったのかについての理由の説明を含む。)を提出すること、及び、全ての加盟国が、この決議の採択の日から27か月以内に、最終報告を提出することを決定する。

「収入を得ている」という限定つきで北朝鮮国民は送還対象であり、北朝鮮政府の安全監督員も送還対象であるということです。

これだけを見ると、たとえばJリーグのプロサッカー選手として各チームに在籍している北朝鮮籍の選手もこの決議による送還の対象となることになります。

ただし

適用可能な国内法及び国際法(国際難民法、国際人権法、国際連合本部協定並びに国際連合の特権及び免除に関する条約を含む。)に従って送還が禁止されていると認定する場合を除くほか

このような扱いを受ける北朝鮮人が居るのか否かは定かではありません。

なお、「この決議の採択の日」は原文を読むと2017年12月22日です。

「北朝鮮籍」と「朝鮮籍」、「韓国籍」

ところで、「北朝鮮籍」と「朝鮮籍」は異なるということは確認するべきでしょう。

「朝鮮籍」は、1910年の韓国併合により朝鮮が日本の領土となったことに伴って日本国籍とされていた朝鮮人のうち、朝鮮の独立後も引きつづき日本に居住している朝鮮人及びその子孫について、1947年以降日本の外国人登録制度の対象になったことに伴い韓国籍を始めとしたいずれの国籍が確認できない者が登録されることになった便宜上の籍です。

この前提知識が無いと、安保理決議の内容を早合点してしまいます。

いわゆる「在日」と言われている者のほとんどを占める特別永住者の中には「朝鮮籍」と「韓国籍」はあるが、「北朝鮮籍」はありません(その他数十の国籍と無国籍者の区分がある)。

したがって、国連安保理決議は特別永住権者を対象にしていません。
(ただし、脱法的重国籍者は分かりません)

北朝鮮国籍者は原則入国禁止

外務省は【国連安全保障理事会決議第2397号の我が国における実施に関する同理事会への報告】において、

イ 決議第2397号で北朝鮮労働者等の送還が決定されたが、日本は、以前から北朝鮮籍者の入国をその目的にかかわらず原則禁止している

としています。

日本政府は平成28年2月から、北朝鮮籍の人間の入国を原則禁止しています。

北朝鮮籍の者は原則入国禁止なのですから、不法入国の実態が把握できれば即、退去強制の対象になっています。

そのため、ここでは入国禁止措置の前から適法に入国し、引き続き日本国内に在留している北朝鮮人がどれほど居るのか、という話になります。

「朝鮮籍」の在留資格者数

2017年の政府統計によると、「朝鮮籍」のうち、在留資格別でみると永住者が452名、日本人の配偶者等が44名、永住者の配偶者等が7名、特別永住者30243名、定住者112名、経営・管理が1名となっています。

出入国の統計上、「朝鮮籍」は北朝鮮籍も含みます。

国籍別出入国者数の政府統計上では、かつては「(北朝鮮)」という表記があり、「(朝鮮)」という表記がなかったのですが、現在は「(朝鮮)」に統一されています。これは表記の変更のみであり、中身は北朝鮮籍と朝鮮籍が混ざっていることは変わりありません。

なお、国籍別【新規】入国者数の統計では、「(北朝鮮)」となっています。

新規入国者に「朝鮮籍」が居ることはありえませんので、これはそのままの表記となっています。

これらを合わせ読むと「(朝鮮)」の内訳の多くは北朝鮮人ではなく、戦後便宜的に作られた籍たる「朝鮮籍」の人たちであると言えます。

「北朝鮮人は強制送還」の国連安保理決議の法的拘束力

ところで、国連安保理決議があったとして、加盟国に対して法的拘束力はあるのか?

興味深い研究論文があったのでそちらを参考にすると

①当該安保理決議を含む関連決議中において国連憲章 39 条の「平和に対する脅威」(“threat to the peace”)等の事実認定がなされた上で、②「国連憲章第七章に基づいて行動し」(“Acting under Chapter VII of the Charter of the United Nations”)という文言が当該安保理決議の前文に置かれ51、③本文において「決定する」(“decides”)という 文言に加え「する(しなければならない)」(“shall”)という文言が用いられている場合、当該文言を含む本文の該当項が「法的拘束力」を有するという安保理の意思表示と推定することができよう。これはほぼ確立された解釈方法であると言える。

これらの要件のうち、①②③の全てが先述の安保理決議第2397号8項に存在していることが原文で確認できます。

したがって、国連安全保障理事会としては法的拘束力を有するという意思を持っているということは確定しています。

では、日本国はこの決議に100%拘束されるのでしょうか?

イ 決議第2397号で北朝鮮労働者等の送還が決定されたが、日本は、以前から北朝鮮籍者の入国をその目的にかかわらず原則禁止している

この説明からは日本政府の態度は判然としません。

北朝鮮人Jリーガーの例からも分かるように、北朝鮮籍で適法に入国している者がいることは明らかであり、「入国希望者」ではなく「在留者」の扱いが問題になっているにもかかわらず、このようなお茶を濁した対応であるということは、送還されない者が一定数居るのだろうと思われます。

「北朝鮮人は2019年12月22日までに強制送還」の国連決議の内実

  1. 国連安保理決議は「北朝鮮人」の一部を対象
  2. 北朝鮮人は平成28年2月以降、原則として入国禁止となっている
  3. 在日=特別永住権者に「北朝鮮国籍」は存在しない
    (脱法的重国籍者は分かりません)
  4. したがって、この決議に基づく強制送還の対象となる者は極めて限定される
  5. 国連安保理は当該決議に法的拘束力を付す趣旨
  6. 日本国が決議の内容を100%実施するかは未知数

平成28年2月以前に適法に入国した者で未だに国内に留まり収入を得ている北朝鮮籍の者は、単に在留資格の更新が認められなくなるということになるでしょう。

対象者が「強制送還」の形式になるかは、北朝鮮人の態度次第ということになります。

収入を得ていても例外の対象になる者がどれほどになるのかは、分かりません。

ただ、国連安保理決議によって、なにやら膨大な数の「在日」の人たちが新たに強制送還されるかのように騒ぐ界隈がありますが、そういうことにはなりません

以上

元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明の誤魔化し

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元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明】と題する声明文が弁護士有志らによって発表されました。魚拓はこちら

この声明文は誤魔化しが多いので指摘していきます。

該当企業の社員・役員・株主の方は、この誘導に騙されないでいただきたい。

「元徴用工」には韓国政府が補償すれば良い話

声明文は以下主張します。

日本政府は、新日鉄住金をはじめとする企業の任意かつ自発的な解決に向けての取り組みに対して、日韓請求権協定を持ち出してそれを抑制するのではなく、むしろ自らの責任をも自覚したうえで、真の解決に向けた取り組みを支援すべきである。 

いや、それ韓国政府に言いなさいよ。

山本晴太弁護士などは日韓協定の「解釈」をぐちぐち言いますが、日韓両政府が協定にどのような効果があると認めてきていたのか?という「事実」こそが大切であることは過去記事でも書きました。

専ら「人権問題」であるのは韓国国内の話

声明文は「1 元徴用工問題の本質は人権問題である」と題して立論していますが、日韓両政府がこの問題はそれぞれの国内の問題にするとしているのですから、韓国の元朝鮮半島出身労働者(「徴用工」)の請求の話を我が日本国「側」において「人権問題」と強弁することは誘導に過ぎません。

もちろん、企業が自発的に補償することについて法的拘束力が働いているとは言えないので、その限りで「人権問題」と言い得ることになります。しかし、あらゆる観点から「人権問題」であるかのような理解をするのは誤っています。

この問題は、【日韓両政府がどのように合意を形成してきたのか?という問題】に収斂します。『「人権問題」だから政府の合意は無視できる』という印象を持たせようとするのは詭弁に過ぎません。

「個人の請求権が残っているから…」という弁護士有志声明の誤魔化し

致命的な立論の間違いがこの声明文があります。

それは、「個人の請求権は国家間の合意では放棄できず残っているから」うんぬん、という立論になっていることです。

個人の請求権が残っているということは、日本政府の一貫した態度です。

声明文は4つの項で立論されていますが、これだけで個人の請求権が残っているということから日本政府を論難している1~3の項は意味を成しません。

声明文は『安倍総理の「完全かつ最終的に」という発言が~~であるとするならば』と仮定した上で論難していますが、妄想に過ぎません。「完全かつ最終的に」は日韓協定の文言ですから、現在の内閣総理大臣であるに過ぎない安倍総理の発言を取り上げるのは意味不明です。

どうも、「個人の請求権が残っているから仕方ないな…」と誤解する「ちょっとアタマのイイ」一般国民を多く作り出したいのだろうと思われます。

個人請求権の消滅と訴権の消滅と外交保護権の消滅については過去記事で解説しています。

韓国大法院判決は請求権は消えないという立論ではない

韓国大法院の判決要旨を読めば分かることですが、韓国大法院の理屈は、『「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれていない』というものです。

要するに『「日本政府の植民地支配による…反人道的不法行為」による慰謝料請求権は協定の対象外』という主張です。

「個人の請求権は国家間の合意では消えないから…」という論法ではありません。

「そもそも合意の枠に入っていない」という論法です。

この論法だと、たとえば日本人の側が韓国政府や韓国企業に対して「在韓資産が協定で放棄されたが、それを返せ」と言うことはできないという事になります。

なぜなら、「日本政府の植民地支配による」反人道的不法行為が請求権の根拠なのですから、日本側には請求権が残っているという話にはなり得ないからです。

弁護士有志声明は韓国大法院の理屈を紹介しているにもかかわらずこの論理を無視し、「個人の請求権は残っているから…」「人権問題だから…」をゴリ押しする論法です。

同様に、賛同人弁護士の一員である北海道弁護士会の猪野亨弁護士の立論も雑で誤っていることになります。

放棄された在韓資産という「財産権」も人権です。

この点に触れようとすると、「人権問題」と銘打ったことが仇になるということに気付いているのでしょう。

ようするに、この声明文は政府を説得させようとするためのものではなく、「ちょっとこの話を聞きかじった人」を騙して誘導するための粗雑な文であるということです。

ご丁寧に声明文の末尾にリンクが貼られており、韓国(北朝鮮)側の主張を代弁するウェブページに飛ぶようになっています。

『「国際人権法」が個人救済を重視』という誘導

声明文は【3 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である】の項目において、イタリアの最高裁破棄院の判断を持ち出して「国際人権法は個人救済を重視する方向である」と印象付けようとしています。

しかし、この件についてドイツがICJ(国際司法裁判所)に提訴した事案の判決文には、以下が書かれています。

104. In coming to this conclusion, the Court is not unaware that the immunity from jurisdiction of Germany in accordance with international law may preclude judicial redress for the Italian nationals concerned.
It considers however that the claims arising from the treatment of the Italian military internees referred to in paragraph 99, together with other claims of Italian nationals which have allegedly not been settled — and which formed the basis for the Italian proceedings — could be the subject of further negotiation involving the two States concerned, with a view to resolving the issue.

104. この結論に至る過程において、裁判所は国際法によるドイツの裁判権からの免除が、関係するイタリア国民に対する法的補償を不可能にする可能性があることを認識しなかった訳ではない。
しかしながら、イタリアにおける司法手続の根拠となった、第99項で述べたイタリア軍人収容者とその他の未補償を訴えるイタリア国民の請求は、この問題の解決の見地から行われる今後の2国間交渉における問題となるであろう。

104項にて、ICJはイタリア国民に対する法的保障は不可能ではないかと考えていたとしています。ただし、それは2国間交渉で決めよ、ということだとしています。

108. It is, therefore, unnecessary for the Court to consider a number of questions which were discussed at some length by the Parties. In particular, the Court need not rule on whether, as Italy contends, international law confers upon the individual victim of a violation of the law of armed conflict a directly enforceable right to claim compensation. Nor need it rule on whether, as Germany maintains, Article 77, paragraph 4, of the Treaty of Peace or the provisions of the 1961 Agreements amounted to a binding waiver of the claims which are the subject of the Italian proceedings. That is not to say, of course, that these are unimportant questions, only that they are not ones which fall for decision within the limits of the present case. The question whether Germany still has a responsibility towards Italy, or individual Italians, in respect of war crimes and crimes against humanity committed by it during the Second World War does not affect Germany’s entitlement to immunity. Similarly, the Court’s ruling on the issue of immunity can have no effect on whatever responsibility Germany may have.

 108. したがって、当事者間で非常に詳細に争われたいくつかの論点については裁判所は判断する必要がない。特に、「国際法は、武力紛争法違反の被害者である個人に直接補償を請求する権利を与えている」というイタリアの主張の当否について裁判所は判断する必要がない。また、平和条約第77条第4項及び1960年協定の条項は、イタリアにおける司法手続の対象になっている拘束力ある請求権放棄条項であるというドイツの主張の当否についても判断する必要がない。これは、もちろん、これらは重要な問題ではないという趣旨ではなく、本件の限りにおいて判断の範囲に含まれないというに過ぎない。ドイツは第二次大戦中の戦争犯罪と人道に反する罪についてイタリアやイタリア国民個人に対して今でも責任を負っているのかという問題はドイツの免除資格に影響を与えない。同じように、免除の問題に関する裁判所の判断はドイツが責任を負うか否かの問題について影響を与えない。

そして、ドイツ国家に対するイタリア国民個人による直接補償請求については、『判断していない』と明確に判示しています。

弁護士有志の声明文が「国際人権法」を根拠であるかのように主張しているケースは、むしろ国際人権法上は無理筋であると目されているケースだったということです(もちろん、判断はしていないから、無理であるというのが国際人権法であるということでもないが)。単にイタリア国内の裁判所が認定したものを「国際法人権法の趨勢」と評価しているという、トンデモ論です。

そもそも、この事案はドイツ国家に対してイタリア国民個人が請求している事案です。

日韓請求権協定の事案は、国家とは異なる日本企業(私人)に対して韓国民個人が請求している事案です。

まったく別の事案ですから、これとパラレルに考えられる可能性はありません。

韓国大法院も、この判例のケースではないと考えているのでしょう。

弁護士有志の声明文は、比較できない事案を持ち出し、さらにその内容の理解を誤らせるように誘導していることが明らかです。

このことからも、弁護士有志の声明文は、「ICJの判決文を読み、事案の比較をする気力は無いが、ちょっとアタマがイイ気になっている者或いはちょっと知っている風に装いたい者」に対して向けられたものであることが明らかです。

こんなもので日本政府は騙されませんよ。

まとめ:今後は企業に対して圧力がかけられる

『企業が自発的に「元朝鮮半島出身労働者」に補償することは妨げられていない』

この点を弁護士らが強調していることから分かるように、今後はその論理に基づいて、企業に対してそのような行為をするよう圧力がかけられることになるでしょう(弁護士らが圧力をかける、という意味ではない)。

該当企業の社員、役員、株主らが正しい認識を持っていなければいけない、という話になっていくでしょう。

以上

NHKがアレフ(元オウム真理教)に住民の取材音声URLを誤送信:思い出されるTBSビデオ問題

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NHK:取材音声ファイル、アレフに誤送信 - 毎日新聞

信じがたい事件が起きました。

NHK札幌放送局のディレクターがアレフに対して、周辺住民のアレフに関するインタビュー音声ファイルが格納されたページのURLを誤送信していたというのです。

NHKがアレフに音声データURLを誤送信した経緯

  1. アレフ施設の周辺住民らに取材、音声データ録音
  2. ディレクターは1日午後5時ごろ、音声データの文字起こしを委託業者にメールで依頼
  3. その際、データをダウンロードできるサイトのURLを、同僚の職員にも同時にメール送信しようとした。
  4. しかし、この職員のメールアドレスと頭文字が一致していたアレフのアドレスが自動的に予測変換で出て、気づかず誤送信した
  5. これまでもディレクターはアレフ側とメールのやり取りをしたことがあった
  6. 本来はセキュリティーが高いNHK独自のファイル転送システムを使うことになっていたが、ディレクターは一般向けのシステムを使用していた
  7. メールの誤送信後、すぐに気づいて上司に報告したが、データのファイルを開けないように処理ができることを後で知ったため、2日午前10時ごろに処理をした

NHK側の行動には不可解なことばかりです。

NHKの不可解な行動

まず、委託業者にメールで依頼する際に、同僚の職員にも同時にメール送信する、という行為自体が、あまり考えられない行動です。Cc等の機能を使っていたということであれば分かりますが。

次に、アレフのアドレスが予測変換で出た、ということですが、こういうことが無いように業務用システムでは予測変換機能を切っているのが通常です。無料メールサービスですら、機能のON/OFFができるのですから、できないハズがありません。

また、本来使うはずのファイル転送システムではなく、一般向けのシステムをなぜこの場合に使用していたのか、理解に苦しみます。ましてや住民の取材音声データというセンシティブな情報なのですから、扱いは慎重になるのが通常のはずなのに。

そして、ファイルを開けないように処理できることを後に知って、日を跨いだ17時間後に処理をしたというのも変です。情報漏洩は緊急対応案件であるのが社会常識のはずですが、のんきに放置していました、ということでしょうか?俄かには信じがたい対応です。

音声データファイルのURLを送るとは?

たとえば、こちらのファイルを開いてみてください。URLはhttps://drive.google.com/open?id=1OR3e7fcDwI2apw9v82bJ4Y0Z877GaDv4

「在外邦人保護義務と憲法」という表題のPDFファイルが開けたはずです。

では、こちらのファイルを開いてみてください。URLはhttps://drive.google.com/open?id=1R_HAfUKNMqKjXlenAxFkV5ECi4ZTkPtV"

……

すみません、元のファイルからデータを削除しているので、見れないはずです。
なぜか、私は見れます。フォルダからデータ削除してるのに…
追記:ファイルをゴミ箱から完全に削除したら消えました。

このように、URLを誤送信したところで、いくらでも対処方法はあったはずです。

にもかかわらず、17時間経ってからアクセスできないようにする処理を行ったというのは、「杜撰」や「お粗末」などということ以上に、NHK札幌放送局とアレフ側の結託を疑ってしまいます。

TBSビデオ問題:オウム真理教の坂本弁護士一家殺害事件

TBSビデオ問題とは、1989年(平成元年)10月26日に、東京放送(TBS。現在のTBSテレビ)のワイドショー番組『3時にあいましょう』のスタッフが、弁護士の坂本堤がオウム真理教を批判するインタビュー映像を放送前にオウム真理教幹部に見せた事件です。

その9日後の11月4日に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件の発端となったとされており、現参議院議員の杉尾ひでやらによる社内検証番組が作られ放送、関係者の懲戒解雇、新社長による謝罪放送が行われるなど、社会問題にもなりました。

あれから30年、TBS問題と同様の事件が起きてしまうとは恐ろしいことです。

まとめ:NHK誤送信自作自演疑惑

アレフはもちろん、公安調査庁の調査対象団体です。

この「誤送信」の経緯はあまりにも不可解なので、NHK札幌放送局全体とアレフとの繋がりを調査(捜査もできるのでは?)しなければいけないのではないでしょうか?

今回、アレフ側はまったく関与していないとすればとばっちりですが、それにしても不可解です。

以上

政府の海外邦人保護義務は人権問題?:安田純平の自己責任論と国家の統治権

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「日本政府には海外邦人を保護する義務がある」

安田純平氏の例などにみられる不用意な行動が原因となったテロリストによる拉致拘束の事案において、ここでいうところの「義務」について、誤解が生じています。

結論から言えば、この場面では国家の統治権の話です。
人権を守るために邦人保護義務があるというわけではないということです。

おそらく、ほとんどの人が理解せずに無自覚に使っている言葉だと思います。

富井幸雄教授の【在外邦人保護義務と憲法―外交的保護と邦人救出―】をものさしにしながら私見を述べていきます。

ここでいう「義務」の意味は何か?

私の結論は、ここでいう「義務」は、【国家が国家自身の存在を維持するために不可避的な行為・態度】という意味の「義務」だということ。

国家の三要素は、土地・人・主権です(この順番でなければならない)。

そのうちの「国家としての人」が侵害されたことが、ここでの問題です。

ですから安田事案で言えば、日本国と安田純平は親子関係ではなく、安田純平は国そのものと理解することになります。

たとえばアメリカの在外邦人救出のための軍隊の派遣のケースでの判例*1では「政府の偉大な目的と義務は、国外だろうと国内だろうと、政府を構成する人民の生命と自由と財産を保護することにあり」と指摘しているように、国民を国家の一部とみなすことはおかしな話ではありません。

「義務が無い」と「義務を果たさずとも問題無い」の差

「国そのものの人」なので、日本政府が安田氏を助けないという判断をしたとしても、裁判で敗訴するという意味での非難がされることはありません。国家の裁量・政治的判断にかかる話ということになります。

ここでの意味における「義務が無い」と「義務を果たさなくても問題ない」は異なります。

通常の「法的な義務」の場合、それは裁判上の救済を求める余地がある具体的権利義務の話です。この話で言えば、義務を果たさないということは、ただちに問題である、ということになります。

そうでなければ、単にその判断が道義的に非難されるか否か、という意味において問題視され得るという話に過ぎません。

安田純平事案における国家の保護義務と言うときには、具体的権利義務という意味での義務の話ではありません。

「国の保護義務」が、通常の意味(=具体的権利義務)での「義務」ではない以上、安田純平側が「国家に保護される権利」を主張することもできません。少なくともそのような具体的権利は無いということは多くの人は理解できることでしょう。
※ただし、法的に抽象的な義務である場合が在り得る。その場合には「法的根拠のある非難」が可能だとする見解があります。後述。

自衛権の話か?

これは違うのではないでしょうか?

個別的自衛権は外国勢力からの武力攻撃に対し、実力をもってこれを阻止・排除する権利です。そして、その行使要件は現在は以下のように閣議決定されています。

  1. 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
  2. これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
  3. 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

安田氏は拉致拘束されていましたが、「武力攻撃」があったと言えるか不明です。

自衛権の話にしてしまっては、海外で邦人が拉致拘束された全事案について「邦人保護義務は発生しない」ということになってしまい、不都合でしょう。

なお、国連憲章51条に言う自衛権も武力行使要件があるため、この意味における自衛権であるという理解もかなり疑問です。

もっとも、そのような限定の無い自衛権を観念することは可能だと思います。

外交的保護権について

ここで、安田純平事案は外交保護権(外交的保護権)の話では?と疑問が生じます。

外交保護権の定義は必ずしも明確なものではないです。

ただ、現代の国際社会で通用している公約数的な理解は【自国民が外国の領域において外国の国際法違反により受けた損害について、国が相手国の責任を追及する国際法上の権利】とされています。

「国際法上の権利」ということから、通常は裁判による救済が受けられるという前提があります。
外交保護権行使の要件などの細かい点には立ち入りません

注意すべきは、外交保護権は国民の権利ではなく「国が相手国に対して有する権利」だということです。当該個人は法的主体性がありません。

つまり、外交的保護権は国際法上は人権ではないと解されています。

このあたりは富井幸雄教授の【在外邦人保護義務と憲法―外交的保護と邦人救出―】に詳しく、しかし明快に書かれています。

安田純平の自己責任論は外交保護権の問題か?

さて、シリア国内の、政府と無関係な武装テロリストに拘束されている邦人を保護しようとするときに、「外交」が観念できるでしょうか?そういう相手に対して何か言ったところで、裁判上の救済が受けられるでしょうか?

テロリストとの交渉を「外交」と評する慣習があるとは思えません。

テロリストに対して裁判上の救済を求めることは不可能です。

こう考えると、安田純平事案は少なくとも上記のような意味での外交保護権とは異なる話であると言えます。外交保護権は韓国の「徴用工訴訟」(本当は募集した出稼ぎ人に過ぎないが)でもあらわれたように、請求権に関する救済も含みます。

ただ、広い意味での外交保護の話としての邦人救出であると言うことができます。これは富井教授も指摘しているところであり、原始的・伝統的な外交的保護権は以下のような観念です。

そもそも外交的保護という言葉は必ずしも厳密ではなく、外交官などに限定されず、軍その他政府機関による保護も含み、また外交の行為との境界は明確ではなく、したがって本国による邦人保護機能の全体とも観念し得る

以下ではそのような広い意味での外交保護=邦人救出の話として論じていきます。

邦人保護義務の根拠・作用は何か?

国家の対外国に対する関係での話と、日本国内における国家対国民との関係の話に分けていきます。

日本国の外国勢力に対する関係での邦人保護義務の性質:統治権の発露

結局のところ、安田純平事案にみられる海外法人保護義務は、それが広い意味での外交的保護権であるか否かはともかく、国家の統治権に基づくものと言わざるを得ません。

「国家の邦人保護義務」と言う際、その「義務」は「人は自分の身体を大切にしなければならない」等の姿勢・態度と同じ意味に過ぎません。つまり国家自身の問題です。

以上に述べたことからは、邦人保護「義務」は不可避的なものですから、どんな場合にも発生していると理解することになります。

国vs国民という図式で表されるような他者に対する関係での「義務」ではない以上、「義務」違反でも問題ない場合があるということになります。それは国家の政治判断・裁量の領域の話だからです。

安田純平事案の場合には、ただ単に「その者が非難を受けるかどうか」の話と、国家の保護義務が(自己責任等により)なくなるか否かの話は分けた上で、国家の保護義務は無くなりはしない、ということになります。

国民が国家に保護を求める権利があるのか?

富井教授は「国民は国家に庇護や保護を求める権利があるかが明確にされなければならない」という問題意識(つまり、日本国内における国家vs国民との関係の話)から、以下のように主張します。

在外邦人保護義務と憲法―外交的保護と邦人救出―

小括

外交的保護権は国際法上国籍国の自国民保護義務に対応するものであって、憲法上は政府の一般的な義務といえる。しかし、憲法に国民の具体的な請求権を読むことはできず、また、具体的な行政法の規定もないから、法義務としてその行使を請求できる権利と認められるまで構成することはできない。不作為の違憲、あるいは違法確認の訴訟も認められない。ただ、抽象的な義務は認められ、憲法13条を根拠に、政府の不合理な不作為は処断することはできる。邦人救出も同様に考えられる。しかし、どちらとも日本の政策や措置は外交にかかわる高度に政治的な判断を要するものなので、不作為も含めて司法的に糾弾する事は難しい

「政府の不合理な不作為は処断することはできる」という言い回しに込められた意味は、定かではありません。ただ、何か裁判で訴えることはできないし、個人に請求権があるわけではないけれども、法的な背景を持つ非難が可能であるという意味、先に述べた「法的根拠のある非難」と同じ意味だろうと思われます。 

私は、このような憲法13条を根拠にした抽象的な義務を観念することに意義があるのか疑問ですが、一応は在り得る見解でしょう。

安田純平と一緒に人質になった渡辺修孝の訴訟

イラク人質事件で安田純平氏と一緒に人質になった渡辺修孝氏は、国を相手取って「自衛隊を撤退しなかったこと」を理由に人格権侵害で国を訴えていました。

渡辺氏は大要、「憲法前文、9条、13条に基づく平和的生存権が自衛隊をイラクから撤退しなかったことで脅かされた」と主張していました。

しかし、裁判所は否定しました。

東京地方裁判所 平成16年(ワ)第12130号、平成17年(ワ)第7343号

しかしながら,憲法前文は,憲法の基本的精神及び理念を表明したものであって,憲法前文第2段のいわゆる平和的生存権は,理念ないし目的としての抽象的概念であって,それ自体具体的な意味内容を有するものではなく,しかも,それを確保する手段及び方法も転変する複雑な国際情勢に応じて多岐多様にわたって明確にすることができないように,その内包は不明瞭で,その外延はあいまいであって,個々の国民の権利ないし法的利益としての具体的内容を有するものではない(最高裁平成元年6月20日第三小法廷判決・民集43巻6号385頁参照)。
また,憲法9条も,国家の統治機構ないし統治活動についての規範を定めたものであって,国民の私法上の権利を直接保障したものということはできず,同条を根拠として個々人の具体的な権利が保障されているということはできない
さらに,憲法は,13条において,憲法上明示的に列挙されていない利益を新しい人権として保障する根拠となる一般的包括的権利を規定するが,その利益が具体的人権として保障されるには,少なくとも,個人の人格的生存に不可欠な具体的利益を内容とするものでなければならない。そして,原告が「権利」ないし法的利益として主張するところは,前記の点を除けば,結局のところ上記のことをいうにすぎず,個人の人格的生存に不可欠な特定の具体的利益をいうものではない。

このように、邦人救出の場面で、国民から日本国に対して何か具体的権利利益を有するものではないということは確定しています。

※この時期は全国で市民らが同様の裁判を起こしていましたが、すべて敗訴しています。

まとめ:自己責任論では邦人保護「義務」は消えない

  1. 国家の邦人保護義務は通常の法的義務ではない
  2. 自衛権と解すことは日本国憲法上も国連憲章上も難しい
  3. 狭義の外交的保護権ではない
  4. 広義の外交的保護権であると言うことは可能
  5. 広義の外交的保護権であっても、それは国家の権利であって、その国民の権利ではない
  6. 人権問題ではなく、国家の統治権の問題である
  7. 国家の邦人保護義務は常に存在する
  8. 義務を果たさなくてもそれは国家の政治的判断・裁量の領域であり、法的な非難はできない

安田純平事案で「自己責任論」がまるで国家の邦人保護義務を免除する機能があるかのように論じられてしまうのは、この辺りの議論がまったくメディアや法律界隈でなされないからではないでしょうか?

だから「義務があれば助けなければならない」「義務が無いから助けなくて良い」という論調が多くなされ、無駄な議論が展開されていると思います。

そういう発想になるのは、国家による海外邦人保護の問題を「人権問題」であるという理解が大勢を占めているからだと思います。

私は、それは違うと思います。

国家自身である邦人を助けるのかどうなのかという、国家の統治権に基づく裁量的判断の領域なのです。

以上

*1:Durand v. Hollins, 8 F. Cas 111(Y.N.D.S. Cir. 1860