事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

韓国政府が慰安婦財団の解散:日韓合意の履行放棄か

慰安婦財団解散、大使館前少女像

韓国政府が慰安婦財団の解散を発表しました。

慰安婦問題に関する日韓合意の履行を事実上放棄する動きでしょう。

日韓慰安婦合意の内容

平成27年12月28日の日韓外相会談において「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行う」として日本からは10億円が拠出されていました。

また、韓国側にも努力義務が課せられており、その内容は以下です。

尹(ユン)外交部長官 共同記者発表

イ 韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。

在韓日本大使館前の虚偽の少女像は、未だに撤去されていません。

この状況は、外交関係に関するウィーン条約に反しています。

第二十二条 省略
2 接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する。

虚偽の事実に基づく少女像の設置状態は「公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害」に該当するでしょう。

慰安婦財団の解散と日韓合意

慰安婦財団の解散は日韓合意の精神にそぐわないと河野大臣が言いますが、日本から拠出された10億円が適切に使われていたのか疑問です。

この解散と虚偽の少女像の扱いの関係は不明です。

イ・スフン駐日大使は「韓国として日韓合意を破棄することはなく、再交渉を求めることもない」としています。

しかし、ムンジェイン大統領は慰安婦問題を「外交で解決される問題ではない」と主張していたことから、その扱いを有耶無耶にする目的があるのではないかという疑念が拭いきれません。

日韓合意と条約法に関するウィーン条約

日本も韓国も、条約法に関するウィーン条約(条約法条約)の締約国です。

第二十六条では、「合意は守られなければならない」と規定されています。

しかし、第二条1項には以下の文言があります。

『この条約の適用上、 (a)「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう。』

日韓合意は、文書の形式によって締結されたものではありません。

したがって、条約法条約の適用対象ではありません。

条約法条約は「文書の形式」だが

しかし、「合意を守らなければならない」というのは当たり前のことであって、条約法条約の適用が無いから合意を守らなくても良い、ということにはなりません。

条約法条約が「文書の形式」に法的拘束力を認めているのは、公式文書がその内容の事実を示す「証拠」として確立した地位を得ていたからです。

本質的に考えると、証拠として機能しさえすればよいのですから「動画」でも良い。

そうすると、日韓合意を共同記者会見という形式で世界に発信した以上、日韓双方に合意を順守する法的義務が発生していると言えます。

韓国は合意を守らない

「徴用工」問題(今般問題になっている者は単なる応募者)では、文書の形式での合意であったにもかかわらず合意を守らないという態度を見せています。

そんな国家が日韓合意を守ると思うのはあまりに楽観的だと思います。

以上

南京大虐殺の捏造と真実:日中歴史共同研究と政府見解

 

「1937年の南京大虐殺を日本政府が公式に認めた」

これは嘘です。

日中歴史共同研究の報告書と、日本政府の見解を誤解させて伝えようとする者がいますので、ここで確認します。

そして、南京事件についての考え方を整理し、有益な文献を紹介します。

この話題については夥しい書物が出版されていますが、論点整理として最適なのが日中歴史共同研究の報告書です。

日中歴史共同研究と日本政府の見解

日中歴史共同研究」というものがあります。

2005年4月の日中外相会談で提案され、2010年に報告書が発表されているものです。

報告書の構成は以下のようになっています。外務省HPでは一部省略されています。

  1. 日本語論文
  2. 中国語論文
  3. 1,2双方の日英中訳

日本語論文と中国語論文は、対象としているテーマは同じですが、執筆者も参考文献も導かれている結論や考察もまったく異なるものです。

そして、これは日本政府の公式見解ではありません

第189回国会文教科学委員会第1号平成二十七年十二月十一日
○政府参考人(石兼公博君) -省略ー

なお、この日中歴史共同研究報告書に収められた論文は学術研究の結果として執筆者個人の責任に基づき作成されたものでございまして、政府として個々の論文の具体的記述についてコメントはしないとの立場でございます。

したがって、日中歴史共同研究の報告書の内容をもって、「日本政府の見解」であると言うのはデマであるということです。

なお、日本語版と中国語版の両方が収録されている書籍が出版されています。

日中歴史共同研究報告書の内容

日中歴史共同研究

日中歴史共同研究古代・中近世史第 2 章 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄 庄司潤一郎

中国語論文は30万人説を提唱していますが、日本語論文を確認します。

日本軍の侵略と中国の抗戦 (4)南京攻略と南京虐殺事件

日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では 30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している

日本語論文では不法殺害の人数を断定しておらず「諸説ある」と言うに留めています。

20万人を上限としていますが、下限は設定していません。

南京大虐殺についての日本政府の見解

平成十八年六月二十二日受領答弁第三三五号では、「千九百三十七年の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。」とあります。

これが日本政府の見解です。

「南京大虐殺を日本政府が認めた」というのがデマだということが明白でしょう。

「南京大虐殺」の意味内容

そもそも、「南京大虐殺」という言葉は、その内容に「非戦闘員を含む30万人を日本軍が軍事目的で組織的に殺戮した」という含みをもって使われ始めました。

この言葉の意味内容を分解すると以下の性質に分けられます。

  1. 非戦闘員を含む数の問題
  2. 組織的に不法殺害を行ったか否かの問題

日本政府や民間研究では2番は認めたとは言えない情況です。

1番目の数の問題も、諸説ある中で民間研究では30万人は無いだろうという説が優勢です。

さて、「虐殺」という言葉は曖昧なものです。

殺害の仕方が残虐なものであれば「虐殺」であると言う人も言えば、それなりの規模をもった殺害事象でない限り「虐殺」ではないと言う人もいます。

英語では"Terror","Massacre","Genocide","Atrocity"という語が使われます。
南京に関しては"Atrocity","Terror","Massacre"が多い。また、"Rape"は広義の暴行の意味もある

したがって、「虐殺」があったのか『「大」虐殺』だったのか、という論点設定は、不毛な議論に終わります。定義がないのですから。

「南京大虐殺」肯定派も否定派も、お互いの定義する「南京大虐殺」の有無を論証しているだけで、有益な議論になっていないことが多いです。

「南京事件」の参考文献

世の中の「南京事件本」の多くは、上記のような定義問題を引き起こすだけなので、読む価値はありません。

日中共同歴史研究の日本語訳の参考文献に挙げられたものでは以下が重要でしょう。

南京事件増補版 「虐殺」の構造 (中公新書) [ 秦郁彦 ]

南京戦史・南京戦史資料集 1・2セット【中古】

秦郁彦の『南京事件』は、増補版を読むべきでしょう。初版から数年経ったあと、どのように南京事件の研究に進展があったのか、これからの研究はどうなるのか?についても触れています。

不法殺害の中身が、投降兵なのか、捕虜なのか、便衣兵なのか、民兵なのか、ということをしっかりと考察しています。「非戦闘員」の中身の問題でもあります。

不法殺害の人数についても、各論者の説として何人の立場なのかをまとめており、0人から数千人~4万人の説があるということも紹介しています。

また、秦郁彦氏の『南京事件』も、主な参考文献は「南京戦史資料集」です。

これは当時南京に駐留した日本軍兵士らの日記の内容が収録されており、生々しい実態が書かれています。

南京の状況について一例を挙げれば、中島今朝吾中将の日記において、司令部と表札を掲げている建物なのに侵入されて物品が奪われたり、陶器などの展示物がある建物は錠をかけてようやく盗難が治まった、という状態だったということが書かれています。

もう一つの南京事件

南京大虐殺の嘘の言い訳の嘘 - 学校長報 - 坂東学校

南京雨花台の、虐殺記念館がある烈士陵園には、「人民英雄碑」と言われる石碑が立っていて、ここには毛沢東の揮毫とともに「南京虐殺は国民党によるものであった」という碑文がある

これは「1927年」の南京事件についての記述です。

蒋介石が日本を含む外国の居留民を襲撃した事件のことです。

一般に言われる南京大虐殺は「1937年」の出来事ですから、別物です。

しかし、毛沢東は1927年についての碑文を建てたにも関わらず、なぜか1937年の「南京大虐殺」については何ら言及していないのです。 

「南京大虐殺」は中国共産党のプロパガンダに過ぎないということが伺えます。

まとめ:南京大虐殺の捏造と真実

  1. 日中共同歴史研究の報告書は、日本政府の見解ではない
  2. 日本政府の見解は「非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できない」
  3. 「虐殺」「大虐殺」の定義問題になる議論は不毛
  4. 「南京大虐殺」は中国共産党のプロパガンダの側面がある

このテーマは不法殺害の人数の問題以外にも、南京における様々な犯罪行為についても問題になります。

少なくとも日本軍の無謬性に基づいてしまうと、事実と齟齬が生じることになってしまうのでおススメできません。

以上

『日本国紀がWikipedia等のコピペで著作権違反疑惑』について:歴史的事実と剽窃

日本国紀、Wikipediaコピペ

「百田尚樹の日本国紀が他人の文章のコピペであり著作権侵害である」

このような指摘がなされていますが、だがちょっと待ってほしい。

歴史的事実についての記述という側面を忘れていないでしょうか?

実は、著作権侵害ではないかとよく争われるのが歴史的事実に関する記述なのです。

そしてその多くは侵害が否定される傾向にあります。

なお、問題となる部分について権利者に個別の許諾を得て条件に従っているならば、全く問題ありません。

 

著作物の定義と表現

著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう(著作権法2条1項1号)

著作物とは以下の要素が必要ということです。

  1. 思想又は感情を表現したもの
  2. 創作的に表現したもの
  3. 文芸等の範囲

ここで「表現したもの」とされるかどうかについては、「歴史上の事実」であるか否かが重要になってきます。

まさに、日本国紀が扱っているテーマです。

歴史上の事実と著作権

月刊パテント2013年11月号著作権法の守備範囲:高部眞規子判事の説明から引用します。

よく争われるものが歴史上の事実です。ー中略ーけれども,歴史上の事実というものは著作権法の保護を受けないわけですが,仮に対象とした事実が同一であっても,著作権法上,侵害とはいえないということで,これも幾つかの裁判例がございます。歴史的な事実が記述された場合,その事実を,創作的な表現形式を変えた上で,素材として利用することについてまで,著作者が独占できるということは妥当ではないといわれています。歴史的な事実や,日常的な事実を描く場合に,他の人の先行の著作物で記述された事実と内容において共通する事実を採り上げたとしても,その事実自体は素材として利用することを広く許容されているということも,裁判例で明らかにされています。

ー中略ー歴史的な事実に関する著述でありましても,基礎資料からどのような事実を取捨選択するのか,どのような観点,どのような視点や表現を選択するかについて,いろいろな方法があり得るわけですので,事実の選択や配列,あるいは歴史上の位置付け等が,本質的な特徴を基礎付ける場合もあり得るところでございます。

歴史上の事実それ自体は著作権の保護対象にはならない=著作物にはならない」

ということが第一に説明されています。

次に、歴史上の事実の記述であっても、記述全体の中でのその事実の位置づけや構成等によっては、そのような記述全体が著作権の保護対象になり得るとしています。

歴史はこれから何千年何万年と続いていくものです。

その中で記述の一部が同じであるというだけで著作権侵害だとして歴史的事実を取り上げることが出来なくなるというのは「創作活動を保護奨励しつつ著作物の公正な利用を促進することで文化の発展を目指す」という著作権法の目的(著作権法第1条参照)にそぐわないでしょう。

著作権法は記述の一部の一致をあげつらって非難するための道具ではないということ。

特に歴史上の事実や歴史上の人物をコンパクトにまとめた説明文は、通り一遍のものになりやすいという性質があります。文献が少ない事象や人物の場合には、ある程度似通った文章になることは避けられないでしょう。

また、歴史に関する記述は基本的に時系列に沿った説明になるため、記述の順序も共通することが多いということが一般的に言えます。

歴史的事実の記述に関する以上のような傾向を鑑みれば、記述の一部の一致だけをもって著作権侵害であるとするのは避けるべきであるという価値判断は正当だと思います。

では、歴史上の事実そのものに過ぎない、というのはどの程度のものなのか?

具体的にみていきましょう。

ウィキペディアの記載の具体的事実

f:id:Nathannate:20181119214351j:plain

出典:「プロのための著作権研究所」柿沼太一弁護士:http://copyrights-lab.com/182.html

これは応仁の乱の記述を例にしたものです。

上記のようなボリュームの引用であれば、それは歴史上の事実それ自体のみと評価されるだろうという柿沼弁護士の説明です。ウィキペディアのページはこちらです。

ただし、ウィキペディアは項目分けが為されており、その順序や説明の仕方など、ある程度のボリュームを持った全体を見ると、それは歴史上の事実を記述したものであっても創作的な表現として著作権法上保護されると指摘しています。

では、日本国紀との関係で問題となっている例はどうか?

恐らく最も文字が多く共通してるであろう柴五郎に関する記述について見ていきます。

日本国紀におけるWikipediaコピペ疑惑の例

こちらはWikipediaの柴五郎の説明文です。
※誰でも編集できるものなので、現時点での魚拓リンクを貼っています。
※画像のキャプションは生のリンクです。

f:id:Nathannate:20181120081204j:plain

出典:柴五郎:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E4%BA%94%E9%83%8E

柴五郎

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E4%BA%94%E9%83%8E

下線を引いた部分が日本国紀311-312頁の義和団の乱のコラムと共通している部分です。オレンジ色は、新聞からの引用なので緑色と分けています。文量としては柿沼弁護士が例として取り上げた応仁の乱の説明の2倍以上です。

これらのうち、緑色の部分はほぼ全てが歴史上の事実の記述です。

「広く知られる最初の日本人であった」「同盟締結の強力な推進者」「実質的司令官であった」という部分が執筆者の評価が混じっていると見ることもできなくもないですが、この記述部分全体について言えば、歴史上の事実そのものでしょう。

項目建てもなく、まっさらな文章の連続なので、緑色下線の記述の中に創作的に表現したとみられる部分はないでしょう。

オレンジ色の新聞社説の和訳部分は日本国紀のコラムも一言一句同じものなのですが、これは当該英文記事ではなく和訳文が著作物として保護されるかが問題でしょう。

この和訳文が「歴史上そのような和訳文があったという事実」として扱われるのであれば、著作物として保護対象にはなりません。

仮に和訳文が歴史上の事実ではない場合には、著作物として保護の対象になるでしょう(歌詞の場合と比べてみれば、この文量は保護対象になるのではないでしょうか?)。和訳文は著作物であるというのは通常の理解です。

和訳文が著作物である場合には、日本国紀はまったく同じ文言となっているので「複製権」の侵害が問題となります。

その場合にはこの和訳文に依拠して日本国紀の記述が書かれたのか、それとも日本国紀は元の英文から翻訳した結果、同一のものとなったのかが検討されることになるでしょう(この場合に複製ではない場合というのは物凄い偶然、ということになりますが)。
※複製権侵害の基準は不明ですが、翻案権侵害の最高裁判例基準とパラレルに考える見解があるようです。

現時点の予測としては、柴五郎を評するロンドンタイムスの社説の和訳文は多くの媒体で「使いまわされてきた」ものであって、歴史上の事実として扱われるものではないかと思います。

そうすると、Wikipediaの記述としての著作権としても、参照元の著作物の著作権としても認められないのではないかと思います。

ただし、仮に著作権違反ではないとしても、剽窃、コピペ疑惑ではないかという点が残ります。それについてはWikipediaというものの性質を考えなければなりません。
※なお、既存の文章に著作権があると認められた場合にはそれを利用した新たな文章は著作権侵害であるか、という検討が必要ですが、お勉強的な法的理解が絡み、文量が膨大になるため割愛します。

Wikipediaという媒体の性質

上記の画像だけを見ると「画像の大半を占める部分がコピペされている」と思ってしまいますが、Wikipediaは、のべつまくなしに網羅的に事物についての説明が書き込まれているものです。

歴史的事実については下手をすれば最も詳細な歴史書よりも詳細に書かれています。

歴史関係の記述は夥しい数の出典元と関連書籍をもとに編集されています。

そのような性質なので、歴史上の事実や人物を端的に紹介しようとするとWikipediaの記述と被ってしまう、ということが往々にして起きてしまうと言えるでしょう。

もちろん、何も参照しないでWikipediaの記述と被るのはほぼあり得ないので、Wikiの側も何らかの書籍の一節を継ぎはぎしたものであって、参照した書籍が同じであったという可能性を考えるべきでしょう。

Wikipediaの上記図の部分には出典が書かれていませんが、柴五郎のWikipediaには出典以外に関連書籍として10程度が挙げられていますから、この中の記述からまとめたものと推測されます。

歴史書籍における歴史的事実の記述の扱いと剽窃

さて、歴史的事実は、その事実自体は素材として利用することを広く許容されているということは裁判例にもなっています。

ここで思い出されるのが、世の中の「歴史本」の類には参考文献の記載がないものが多いということです。

私は調べた結果「ではなぜ、歴史本の類では参考文献の記載がないものが多いのだろうか?」と思いましたが、歴史的事実についての裁判例の扱いから、ある程度予測がつくのではないかと思います。

つまり、歴史的事実の記述はある種の「公共財産」 であるという観念が歴史を扱う者の中にあるのではないか?と思うのです。

たしかに、学術的な立場にある者や、学術論文を意識した書籍の場合には参考文献がつけられています。

しかし、それは正確性を期すためであるに加え、先行研究者へのリスペクト、フェアーな論文発表のためであるという、アカデミックな作法の文脈の転用です。

たとえば出典が限られている歴史的事実を広く国民と共有しようとする場合にまで歴史的事実のある記述に著作権があると安易に決めてしまうとするならば、他の場面においても膨大な出典明記を余儀なくされ、公共財産である歴史的事実の流通が阻害されてしまいます。

歴史学習の便宜のためにも、歴史的事実に関する記述について著作権を認めるには慎重になるべきであり、それが国民の利益にもなる。

このように考えられてきたからこそ、本来は出典が夥しい数になるはずの歴史本において、参考文献が記載されなかったり主要参考文献で済まされたりしているのではないでしょうか?

もちろん、出典をすべて記載した方がベターであることは間違いないですし、書き手にとっても自己の身を守ることにもなります。

ただ、それを歴史書籍の文脈においてすべての場合に要求するのは酷であると思いますし、業界の慣行的にもそのような意識があるのだろうと思います。

そう考えれば、ある書籍の一節の記述から引っ張ってきたと思われる部分が含まれているとしても、それが歴史的事実である限り、「剽窃」と評価すべきものではなく、作家としての技量の評価の問題なのだろうと思います。

百田尚樹の日本国紀における「義和団の乱」 の記述

日本国紀の記述に目を向けてみると、義和団の乱のコラムの中でWikipediaの記述と被っている部分は全体の3分の1程度です。

この項目を見ると、柴五郎の事跡について端的にまとめたものになっており、文学的修辞を使ったり、情緒的な記述になったりしているということはありません。

「作家」の百田尚樹氏の著作にしてはタンパクな印象です。

日本国紀は全体を通してあっさりとした口調で記述されており、同様にタンパクな記述のコラムも見られます。

こうなっている理由は、日本国紀は「日本史を通読させることで初めて理解できるものを伝えよう」という意図が、目的の一つとして据えられた書籍だからではないでしょうか?実際に百田氏はツイッターで最初から読み進めるように薦めていました。

本書の全体を通して感得し得る「何か」を伝えたかったのかもしれません。

そう考えると、作家の百田氏が表現をいじることなく参考書籍から引っ張ってきたような一節が複数含まれている理由が見えてくるような気がします。

それをどう評価するかは読者次第でしょう。

※追記:11月20日の虎ノ門ニュースで百田尚樹氏自身が「ウィキペディアから拝借した部分はある。それは歴史的事実だから問題ない」という旨の発言をしています。

これだけ堂々と言うということは、権利関係はクリアしているのではないでしょうか?

まとめ

  1. 「創作活動を保護奨励しつつ著作物の公正な利用を促進することで文化の発展を目指す」のが著作権法の目的
  2. 歴史上の事実に関する記述にそもそも著作権が認められる場合は限られている
  3. 義和団の乱のコラムにおける「柴五郎」の記述については著作権違反とは言い難いのではないか
  4. 文章の文言が多数一致している点については、歴史的事実の説明という性質とWikipediaという媒体の性質を考慮して考える必要がある
  5. 文章が一致している点の評価は作家としての技量の評価として見るべきではないか
  6. 日本国紀は敢えてタンパクな記述に徹した可能性があるのではないか
  7. なお、問題となる部分について権利者に個別の許諾を得て条件に従っているならば、全く問題ない
  8. ※追記:百田尚樹氏自身が「ウィキペディアから拝借した部分はある。それは歴史的事実だから問題ない」という旨の発言をしている

ネット上には逐条的に歴史的事実との整合性を検証するグループが居ますが、それはそれとして頑張って頂ければと思います。

また、他の記述についての著作権侵害の可能性は検討していませんが、安易にその可能性を示唆する事は、私自身は避けようと思います。

私は、本書の魅力・攻撃力に注目していきたいと思います。

以上

 

『百田尚樹の日本国紀がWikipediaのクリエイティブコモンズライセンス違反で著作権フリー』というデマ

クリエイティブコモンズライセンス

『百田尚樹の日本国紀はWikipediaが採用しているクリエイティブコモンズライセンス:CC BY-SA 3.0に違反しているから著作権フリーだ』

このような怪情報がツイッターとはてなブックマークを中心に流れています。

これは明確にデマですのでお気を付け下さい。

法律の解釈はほとんど関係ありません。

単純にクリエイティブコモンズライセンスについて理解してないことが原因です。

クリエイティブコモンズライセンスとは

クリエイティブコモンズライセンス

出典:クリエイティブコモンズライセンスジャパン:https://creativecommons.jp/licenses/

クリエイティブコモンズライセンス(CCライセンス)とは、インターネット時代のための新しい著作権ルールで、作品を公開する作者が「この条件を守れば私の作品を自由に使って構いません。」という意思表示をするためのツールです。

要するに、「使用許可の条件を事前に明示したツール」です。

これは、著作権を作者に残したままで、利用者がいちいち作者に許可のための連絡を取らなくとも、予め定められた方法に基づいた利用であれば、誰でも自由に著作物を利用することができるために作られた規格です。

これによって、著作物の流通を促すとともに、著作権者の意に反する利用が少なくなるようにすることが意図されています。

WikipediaのCCライセンスはCC BY-SA

Wikipediaは、CC BY-SAでの利用が可能です

BY-SAとは、「表示」と「継承」のデュアルライセンスでの公開が許可されているという意味です。

つまり『Wikipediaの内容を使うのであれば、作品のクレジットを表示し、且つ、BY-SAのCCライセンスで公開すれば、許可が与えられたことになります』という意味です。

注意すべきは、「非営利」のライセンスが付いていないため、正しい使用方法に準拠していれば、営利目的でも利用可能であるということです。

なお、CCライセンスを付与したものが直ちにパブリックドメインになるとは限りません。CCライセンスのパブリック・ドメインとして公開したいのなら、「CC0」ライセンスを付与する必要があります

ちなみに、このブログの記述の一部はCCライセンスジャパンのウェブの記述を「引用」の範囲内で利用しており、CCライセンスに基づく利用をしているわけではありません。

CCライセンスの法的効力と違反の効果は?

CCライセンスは各国毎の著作権法のルールに準拠するという決まりになっています。

日本の場合は、日本の著作権法に準拠することになっており、CCライセンスの法的効力が認められています

さて、CCライセンスに違反した場合にはどういう効果があるのか?

CCライセンスは「使用許可の条件を事前に明示したツール」でした。

ということは、CCライセンス違反は許可をしていないのに著作物を利用したのと同じです。

クリエイティブコモンズライセンスジャパンFAQ よくある質問と回答

もし、許可されていない方法での利用を無断で行った場合、その利用行為は、CCライセンスに基づく利用許諾が及ばない行為ですから、著作権侵害の責任を問われることがあります(差止請求、損害賠償請求、刑事罰の適用等)。

要するに著作権侵害の話になります。

著作者と使用者の二者間で解決すべき話です。

決して、無許可著作物を含む使用者の作品が著作権フリーになるわけではありません。

CCライセンスに違反している作品は「本来CCライセンスとして扱うべきもの」という状態ですが、それは自動的にそのような効果が違反作品に生じるということではありません。

なお、他人の著作物を含む作品であっても、編集著作物として著作権を認められる余地があります。

編集著作物とは「編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。その素材の選択又は配列によつて創作性を有するもの」であり、著作物として保護の対象になります(著作権法12 条1項)。

細かい説明は省きますが、ありきたりな表現が続く文章であっても、その構成の仕方によってはそのような構成の文章全体が著作物として認められる余地があるということです。

百田尚樹氏の日本国紀が著作権侵害かどうかはともかく、著作権侵害をしている作品に著作権が無いとは直ちに言えません。

「著作権侵害をしている本だからスキャンしてネットにばら撒いてもお咎めなし」などということにはなりません。

以下では補足的にCCライセンスと関連する事項について触れていきます。

CCライセンスの理念

デジタル時代の著作権 (ちくま新書) 野口 祐子 223-224頁

作品が人の目に触れてからユーザーが権利処理をする、という後追いの権利処理ではなく、作品を公表する段階で、権利者が自発的に、事前の許諾を与えておく仕組みを作ろう、というライセンス運動です。これが二〇〇二年十二月に米国でスタートしたクリエイティブ・コモンズ(以下「CC」と言います)です。

CCライセンスの性質は、権利者が事前に「こういう場合は許可します」と意思表示するというものです。許可条件に違反した場合にどうするか、ということまでは決めていません。

デジタル時代の著作権 (ちくま新書) 野口 祐子 224頁

フリー・ソフトウェア運動は、ソフトウェア・プログラムのソースコードをGNU Public License(GPL)等のライセンスのもとで公開して、その改変や複製、販売等の利用を積極的に許しつつ、このライセンス条件をそこから派生したプログラムにも継承させることによって、ソフトウェアの利用やプログラミングの自由を最大限確保しようとする運動です。
CCの創始者であるハーヴァード・ロー・スクールのローレンス・レッシグ教授によれば、CCは、このフリーソフトウェアの動きにヒントを得て、その精神をソフトウェア以外の分野にも広げる形でスタートさせたということです。

CCライセンスは著作物の利用の自由を促進する方向を理念とする規格だということがわかります。

つまり、CCライセンスは違反者を取り締まる事で利用を制限するという立てつけにはなっていないということであり、それは設立の経緯からも導かれるということです。

上記で出てきた「GPL」についても指摘していきます。

「GPL汚染」の話とは無関係

 魚拓:http://archive.is/YefuM

「日本国紀が著作権フリー」の情報に関連してこのようなツイートがあるため信じてしまう人が居るようですが、間違いです。

GPL汚染」とは、プログラムのソースコードの中にGPLでライセンスされたものがたった一行でも存在していると、そのプログラムもGPLでライセンスされたと扱うべきものになる、ということです。

GPLも一つのライセンスの規格です。"General Public License"とも言います。

しかし、GPL規格は「著作権侵害者の汚名を被りたくければGPL規格に準拠しろ」というものであって、違法行為をしている者と見られたくない企業等の心理面に働きかけるものです。

「GPL規格に準拠しない方法を用いたときに強制的にGPL規格が適用される法的効果が発生する」というものではありません。

「GPL汚染」の事例を見ても、「ソースコードの公開を余儀なくされた」と書かれていることが多いですが、それは「GPL規格違反の法的効果」ではなく、「著作権侵害状態を回避したい企業がGPLに準拠した行動を取らざるを得ないという事実上の効果」によるものです。

CCライセンスも同様の効果を企図しています。

ですから、仮に日本国紀がCCライセンス違反だとしても、日本国紀の権利者が違法状態を解消するためにCCライセンスに準拠した扱いをしない限り、第三者が日本国紀をCC BY-SAのライセンス条件の下で利用できるということにはなりません。

「ウィキのCCライセンス違反で著作権法違反」はデマ

CCライセンス違反と、日本国紀に著作権があるかは別問題です。

そもそも、Wikipediaのライセンスの許可を取った場合でも「表示」「承継」のライセンスが付与されているのです。

それが「CCライセンス違反の作品は著作権フリー」だと考えるのは意味不明です。

仮にそうだとすると、一人の使用者を「かませて」許可条件違反にして著作権フリーにしてしまえば、真の使用者が著作物を無制限に使用できるようになってしまいます。

おかしいということが明らかですよね?

ということで、冒頭の画像の記述があるブログの出典の魚拓を以下に示します。

百田尚樹の日本国紀は著作権侵害なのか?

「Wikipediaの記述と同じ文言を使っているから著作権侵害だ」

直ちにこのように考えるのは非常に拙速であり、幼稚もいいところです。

実は歴史的事実や歴史上の人物についての記述は、最も著作権侵害かどうかが問題になってきたのですが、著作権侵害が認められるケースは少ないです。

それについては後日まとめますが、クリエイティブコモンズライセンスについて沿革も含めて弁護士の立場から説明したものがありましたので以下に紹介しておきます。

以上

日本国紀:関東大震災における朝鮮人被殺者数233人について

日本国紀で関東大震災の朝鮮人被殺者数に関する記述があります。

日本国紀 349頁

司法省の記録には、自警団に殺された朝鮮人犠牲者は二百三十三人とある

否定的見解がありますが、この記述の意義について触れます。

詳細は以下の記事で書き尽くしていますが、ここでは抜粋したものを提示します。

233人の根拠:司法省の「刑事事犯調査書」

f:id:Nathannate:20181114135450j:plain

現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人 みすず書房

朝鮮人被殺者数については、司法省刑事局が『震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書』(以下、刑事事犯調査書)でまとめています。

現代史資料(6)の中に掲載されています。

233人という数字は、「起訴事件になったものの中で、殺人の被害者となった朝鮮人の数」です。

この資料自体の信憑性が疑問視されているということがありますが、とにかく233人という数字がベースとなるものであるという事実は重要です。

関東大震災6000人虐殺説の嘘

数千人以上の報告をする調査は複数ありますが、以下が指摘できます。

  • 「屍体を発見できなかった同胞」数を算入しているが、本来行方不明者として扱うべきものである
  • 「屍体を発見した」とされる人数も、殺害されたのか震災による死体なのかの判断は極めて困難
  • 最後の遺体処理が行われた後に追加で被殺者数が増えており、なぜこれらが「殺害」と判断できたのか非常に疑わしい
  • 数え方が「500人」、「100人」など大雑把なものや、「87人または320人」など、まともに調査した跡が伺えない報告がある
  • 人口動態から、数千人が殺害されたと仮定すると「全滅」となり現実と矛盾する
  • 司法省の刑事事犯調査書の信用性に対する学者の評価が的外れ

詳細は前掲:関東大震災時の朝鮮人殺傷人数:6000人虐殺説の嘘 - 事実を整える

曖昧な「証言」を絶対的根拠にする愚

中には住民の「証言」の中に何百人も殺害されたというものがあるから、もっと朝鮮人被殺者数は多いはずだ、という見解があります。

たしかに、住民の証言でそのようなものはたくさんあります。

しかし、その人数は正確なのでしょうか?

そもそも、その証言は実在の事件を言っているのでしょうか?

正確さを確かめることができるのが遺体調査であるはずです。

当時の混乱の中で、「朝鮮人」と特定した上で被殺者数を正確に数えられたという前提に立つと、おかしなことになります。

証言の存在を持って何千人も殺害されたと結論づける者は、同様に「朝鮮人によるテロ行為」も大量の証言があるという事実を無視しています。

朝鮮人被殺者数においては証言を絶対的な根拠にし、朝鮮人による犯罪者数においてはただちに証言は信用できないとするダブルスタンダード。

関東大震災の研究者においても(しかもアカデミックな論文の体裁のものの文中でも)同じようなダブルスタンダードの姿勢のものが多数存在しています。

そのような証言をもって「証拠」と断定する者は、誘導以外の何物でもありません。

朝日新聞調査では432人、朝鮮総督府は832人

f:id:Nathannate:20181114140833j:plain

朝日新聞社史

当時、朝鮮人被害者の民間調査は複数行われていました。

しかし、なぜか「朝日新聞調査」が挙げられることはありません。

朝日新聞調査によれば「刑事事件になったかは関係なく殺された者」が432人であるとしています。

また、朝鮮総督府は【震災によって死亡した者+何者かに殺害された者+行方不明者であって、それぞれ身元(遺族の所在)が明らかになった者】が832名としています。そして、朝鮮総督官房外事課は、この中で殺害された者は3割を超えることはないと推定しています。

こちらも詳細は前掲記事に書いてあります。

日本国紀における朝鮮人被殺者数233人の提示の意義

多くの書籍では何らの断りもなく「6000人虐殺説」が記述されています。

その一方で、ベースとなるべき233人の提示がなされることはほぼ無いと言っていいでしょう。

それはフェアな言論状況ではないと思います。

百田尚樹氏も、日本国紀の中で提示した233人の数字がそのまま被殺者数であるとは言い切っていません。

あくまでも6000人説に対して合理的疑問を差し挟むことを促しているに過ぎません。

そういう意味で、百田氏が日本国紀の中で233人を提示したこと自体をあげつらって非難している者は、いったい何が言いたいのだろうか?と思います。

また、「虐殺があったのかなかったのか」という議論は、「虐殺」の定義が日本語においても英語の”genocide”や”massacre”においても意味内容が様々なので、不毛です。

日本国紀をきっかけに、通説に疑問が出た人が、いろいろと調べていけばいいと思います。

以上

日本語訳:防弾少年団(BTS)所属事務所が原爆Tシャツとナチス帽で「謝罪」

f:id:Nathannate:20181114094814j:plain

原爆Tシャツ着用とナチスファッションをしたことについて、ユダヤ系団体の"SimonWiesenthalCntr”(サイモン・ウィーゼンタールセンター)が非難していました。

この組織の影響力がどれくらいかというと、高須クリニックの高須克弥院長が米国の学会から除名された原因がウィーゼンタールセンターにおける高須院長に対する非難だったというくらいのものです。

これを受けて先日、防弾少年団(BTS)の所属事務所"Big Hit Entertainment"が「謝罪文」を掲載しました。

しかし、これは日本では「真摯な謝罪」とはみなされないでしょう。

何やら「BTSが謝罪したからもういいでしょう」という空気がマスメディア界隈で見られますが、勘違いもいいところです。

関連する情報をまとめます。

防弾少年団(BTS)公式の日本語での「謝罪文」ソース

日本ファンクラブのページで所属事務所"Big Hit Entertainment"の声明があります。

魚拓:http://archive.is/D6ELb

魚拓:http://archive.is/PPbuC

ツイッターではハングル、フェイスブックでは英語、日本語訳も掲載されています。

所属事務所"Big Hit Entertainment"の文章

最近、BTSに提起された問題に対するBig Hit Entertainmentの立場

Big Hitは、原爆のイメージの入った衣装の着用に関連し、上記に明らかにしたように一切の意図はなく、衣装自体が原爆被害者の方を傷つける目的で製作されたものではないことが確認されたにも関わらず、当社が事前に十分な監修ができず、当社のアーティストが着用するに至ったことにより、原爆被害者の方を意図せずとも傷つけ得ることになった点はもちろん、原爆のイメージを連想させる当社アーティストの姿によって不快な思いを感じ得た点について心よりお詫び申し上げます。

ちょっと日本語がおかしい点は置いといても、謝罪の内容が的外れですね。

「原爆のイメージを連想させたこと」ではなく「原爆投下という民間人虐殺を悦ぶかのような表現」が問題でしょう。

「連想」ではなく、もろに原爆の写真を用いてるんですよ。

まるで「Tシャツを見た側」の方の受け止めの問題であるかのように話をすり替えてるということですよ。

いったい、どこの国が「自分の国の領土とは無関係の土地の出来事で」「自分の国が行ったことではない事で」「民間人大虐殺をした原爆投下」が独立を導いたとして喜ぶのでしょうか?

「原爆による独立」を悦んでいるそのこと自体が問題です。

原爆Tシャツとナチス帽、ハーケンクロイツへの態度

Big Hit Entertainmentは、さらに続いて以下述べます

しかし、上記の事案に対する責任はアーティストの所属事務所として細部にわたる支援ができなかったBig Hitにあり、当社所属のアーティストは、数々の日程と現場の状況等を考慮するに、上記の事案の責任において関連がない点を明らかにいたします。

社会的事実としてBTSメンバーが意図していたかは不明です。

事務所としてアーティストを守る姿勢なんでしょう。

しかし、【アーティストはどう考えているのか?

ここが重要であって、通常の日本社会においてはこんなものは「謝罪が済んだ」とはみなされないでしょう。

http://archive.is/FTfId

大リーグ投手の謝罪事例。

これは私的な活動領域での話であるにもかかわらず、大会を主催する読売新聞グループも公式に謝罪しています。

BTS公式の考え方であれば、読売新聞グループは謝罪する必要はないということになります。

しかし、これが日本社会の常識です。

「BTSのメンバーは無関係です」なんていうものは通用しません。

東京ドームでのBTSの「謝罪」

BTS沈黙破る「ご心配を」原爆Tシャツ騒動言及 - 韓国エンタメ : 日刊スポーツ

「このような状況になってアーミー(ファンの総称)の皆さんだけでなく、全世界の多くの皆さんが驚かれ、ご心配されたと思います。僕たちは、これからも会える機会がたくさんあると信じています」。

これはファンに向けたものでしかありません。

これでもってBTSが謝罪した、などというのは意味不明でしょう。

韓国政府が文化勲章を授与決定

これは原爆Tシャツやナチスファッションが問題視された後にBTSが謝罪する前のタイミングで決定されたものですから、明らかに韓国政府が「正当化」しようとしていますね。

日韓「併合」と日本統治

日本は日清戦争で勝利し、その後の交渉において朝鮮の独立を清国に認めさせました。

その結果、大韓帝国が誕生しました。

ソウル市内の「独立門」は、このとき「清からの独立」を記念して建てられました。

その後、日本は大韓帝国の真の独立を促していましたが、独立派の伊藤博文が勘違いをした安重根に暗殺されました。

もはや朝鮮の自律的統治は不可能と見た大韓帝国の皇帝と日本政府が調印を交わして合法的に「併合」しました。

当時の国際社会からも承認を得ています。

6億本の植樹をし、鉄道網を敷き、農地開拓をして人口を二倍にして平均寿命を24歳から42歳にした。

形式においても実質においても「不法な植民地支配」ではありませんでした。

この歴史を歪曲しながら日本を貶め、さらには人類全体が忌避している民間人虐殺を悦ぶような行動を、あのような文面・態度のみで許していいのでしょうか?

以上