事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

日本国紀の評価・評判、問題点と読み方のすすめと「隠しテーマ」

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何かと話題の百田尚樹の日本国紀。

形式面での批判が相次いでいることは承知していますが、作者の評価から離れた本書の「価値」と「攻撃力」について感想を述べていきます。

百田尚樹の日本国紀の目的:通説への異論を積極的に示す

本書はいきなり継体天皇の皇位簒奪説の見解を示します。
私は皇位簒奪説は違うと思っていますが「そういう推論がなされているのだな」と勉強になりました。

これには面喰った者も多かったようで、アレルギー反応を示す者が多発しました。

ただ、SNSを概観すると、それは本書が「保守の立場に貫かれて書かれているハズだ」という期待の元に読み進めた結果のように見受けられます。

本書は「一般に流通している見解に臆することなく疑問を呈する書」です。

通説と異なる学説の紹介、通説と異なる自説の見解を述べる箇所が所々に存在します。

たとえば関東大震災時の朝鮮人殺傷人数として司法省の「刑事事犯調査書」における233人という数字を示して6000人説に疑義を呈しているように、一般の歴史本・歴史教科書の記述に対しても積極的に否定している箇所があります。

多くの歴史本では、233人というベースとなる数字が示されていません。
※ただ、最近の中高の歴史教科書では「多くの人が殺された」という表現になっているものもある

その見解自体の信憑性はともかく、一般人が当たり前だと思っているであろうことや確定的事実であると思いこまれていた事柄に対して、百田尚樹が突っ込みを入れていく。

それを受けて調べる読者が出てくるという効果も期待しているのだろうと思います。
なお、皇室に対して如何なる批評も許さないという態度はこちらの記事のような建設的な主張をも封殺することになり、むしろ弊害が大きいと言えます。

歴史学界隈への攻撃:日本人の歴史を取り戻す

日本国紀には参考文献が無いから信用できない!

こう噴き上がる者が居ますが、歴史教科書には参考文献の記載は無いですし、一般の歴史本でも記載が無いか、主要参考文献の提示にとどまるものがそれなりにあります。

百田尚樹の新刊「日本国紀」に参考文献が載っていない件について - 事実を整える

通史の「正当な」歴史書ですら「事実のみを記載している」 ということはありません。

事実のみでは中学校の教科書のように「〇〇年、△△がありました」という出来事の羅列になってしまいます(それでも教科書には推論や評価は含まれている)。

参考文献が膨大に示されている通史の「正当な」歴史書においても、参考文献が示されていない文章中で、なぜそのような推論になるのか不明な箇所はいくらでもあります。

特に、朝鮮関係の記述においては日本が「悪者」であるかのような記述ぶりになっているなどその傾向が顕著です。

上記の関東大震災について言えば、数千人説を肯定する者は朝鮮人被殺者数においては証言を絶対的な根拠にし、朝鮮人による犯罪者数においてはただちに証言は信用できないとするダブルスタンダードがあります。 

そのような非合理的な推論が通説となっているということは多いのです。

歴史学界の問題点

「 韓国の徴用工問題の背後に広がる深い闇 ネット媒体も駆使して実態を伝えたい 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト

西岡氏は語る。
「60年代に日本の朝鮮統治は犯罪だったという研究が始まっているのです。その典型が『朝鮮人強制連行の記録』という朝鮮大学校の教員だった朴慶植氏が書いた本です。彼の弟子だった人が、いま東京大学の先生になったりしています」

歴史学界には、明らかに日本国の立場に立たない者が跋扈しており、世の歴史本にはそのような者による視点が多分に取り入れられているという現実があります。

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東京書籍 小学校社会科教科書 参照:http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7302.html

「朝鮮の人々のほこりが深く傷つけられました」

こんな評価はいったい誰の視点なのでしょうか?

当時の朝鮮は清の属国状態だったものを日清戦争の結果独立し、その後併合せざるを得ない状況になったのです。

そりゃあ朝鮮人の視点からすれば自主独立ができなくなったのですから悔しいだろうし、反骨心を持っていたとしても自然でしょう。

しかし、日本としてはそれが最善だと思って韓国を併合したのであって、そこに人道的不道徳があったかのような記述があるのは異常です。

歴史的「事実」についての説がどうであるか、ということ以外にも、このように「冷静な視点」を装いながら意味不明かつ歴史教育に不必要な「評価」があるのが歴史学界、歴史教育の現状です。

日本国紀自体では紙幅の関係で詳細な検討はできません。

しかし、本書によって初めて通説以外の考え方を知ることができた者が、通説に疑問を持ち、別の見解を調べ、自分で調査するということもあるかもしれません。

歴史学界の体たらくによって日本人の手から離れた日本の歴史を取り戻す。

日本国紀にはそのような行動を喚起する攻撃力があります。

歴史教科書、歴史学界の問題点の具体例

『最近「元寇」「蒙古襲来」という言葉は否定的なニュアンスがあるからモンゴルや中国に配慮して使わない流れになっている』という旨が日本国紀で触れられています。

「蒙古」については近代以降、日本国がモンゴルに配慮して公的には使用しないという選択を行ってきた経緯がありますが、文永・弘安の役当時の呼称はそうであったのであって、歴史用語として使用する分には正当です。
参考:百田尚樹『日本国紀』に書かれた「蒙古」 : モンゴル情報クローズアップ!

それを言うなら「倭寇」「倭国」という言葉も侮蔑の意味合いが含まれているので使用するべきではない、という話になるはずなのですが、そういう動きはありません。

こうした歴史用語に関するダブルスタンダードも日本国紀には書いてあります。 

日本通史をとにかく読ませる

日本国紀の記述ぶりは意外にもあっさりしています。

本書の構成は、日本通史を最初から最後まで「読ませる」ためにこのような書きぶりになっているのではないかと思います。

1ページあたりの文字数は学術的な書籍に比べれば少ないです。

文字を大きくしているためですが、「文量に圧倒される」ということがありません。

読者がどんどん読み進めようと思うことを企図していると感じました。

学校の教科書以外で日本通史を概観する機会を持っている人は希少でしょう。

書店での日本通史を扱っている書籍を探しても岩波・山川など多くは自虐的な視点での評価が入り混じっているものしかありませんから、こういう構成の本は貴重なのです。

また、世の「通史本」は通説や編著者の自説を軸に書かれているものがほとんどです。

通説に対して異論を唱えるためには本来、それなりの文量を割く必要がありますが、そうすると特定の主題を扱う書籍や限定された時代を扱う書籍にならざるを得ません。

教科書のように無味乾燥且つ日本ではない視点に立った記述があることによって、読み進めることや繰り返し読むことが苦痛なものではなく、一種の爽やかさを覚えながら読み進めることができます。

「自分に都合のよい見解しか知りたくない者が読むんだろう」

という声が聞こえてきますが、既に述べているように日本国が嫌いな者の見解が跋扈している状況下において、評価の違いでしかないもので嫌な気分になる書籍とそうでない書籍とどっちが読みたいですか?という話です。

また「内容が薄っぺらい」という評価をする者も居ますが、歴史書籍の価値を「情報量の多さ」でのみ測ろうとする狭量な視点に過ぎません。

通史を見渡すことで感得するものを伝える

SNSを見ると「歴史通」の人たちが細かい記述について「この記述が無い」「この説明は間違っている」とあげつらっていますが、その多くは『ぼくがかんがえたさいきょうのれきしほん」と違う!』という態度に過ぎません。 

枝葉末節に引っかかって読み進められないという人は読み方を変えるべきです。

ここで「通読すると何が見えるのか?」を明言することは本来控えるべきものですが、私が感得したものの一部は実は既に述べています。

歴史学界の闇の部分。

なぜそうなのかを示唆する記述が日本国紀の中に存在します。

それは12章「敗戦と占領」以降で明示的に言及されていますが、実は全編に渡ってちりばめられて書かれていることでもあります。

12章以降を読めば、それまでの内容がどうしてそうなっていたのかが氷解する。

そのあたりに本書の「一貫性」や「軸」「筋」を感じ取ることができるのです。

安能務韓非子との比較にみる日本国紀の評価

日本国紀の記述と歴史的事実との整合性について多くの者が検証をしています。

一部は正当な行為も含まれますが、多くは「作品の愉しみ方」を一面でしか捉えていないものが見受けられます。

たとえば、『百田の魏志倭人伝解説は「日本人は盗みをしない」と書いているが、原文は「日本人は盗みが少ない」という意味だ!間違っている!』というものです。

確かにその通りなんですがそういう読み方しかできないのって不幸じゃないですかね?

ここで、韓非子〈上〉 (文春文庫) 安能務を例にとります。

韓非子とは古代中国の思想家であり、彼の著作が「韓非子」とそのまま呼ばれています。これまでに夥しい数の韓非子本が出版されてきました。

ただ、安能氏の韓非子は、通常の韓非子本とは異なります。

原文+書き下し文+現代語訳+注釈のオーソドックスな構成ではなく、安能氏のストーリーに合わせて原文の一部の記述を抜き出し、独自の解釈を加えていくものです。

普通「本書はこういう意図で書かれており…」ということがまえがき等で触れられるハズですが、そういうものは一切なく、いきなり安能ワールドに引きずり込まれます。

一例を上げるとすると、下巻の最終節には、以下のように書かれています。

抱法処勢治
法を抱いて体制に処すれば、国は治まる
王も法を守らなければならない。法は王の上にある。

「抱法処勢治」の現代日本語訳が「法を抱いて体制に処すれば、国は治まる」ですが、「法は王の上にある」という部分は「膨らませて」いるというのが分かります。

こんな文章は通常の韓非子本にはありません。

「法は王の上にある」という思想は、韓非子の原文の理解からはかなり外れています。

さて、これを「そんなことは原文に書いていない!、安能はホラ吹きだ!」という読者が居るでしょうか?(笑)

百田尚樹氏の日本国紀に対しても、そのような性質の論評を加えている者が居ます。

「いや、百田自身が事実しか書いてないと言っていた!宣伝文句も日本通史の決定版と言っているのだからそういう読み方はしない!」と言う人が居るでしょうが、きっと真面目な人なんでしょう、と思う事にします。
ある程度は百田氏自身が撒いた種ですが

「隠しテーマ」

ここで言う隠しテーマは要は「ある外国・民族との付き合い方」です。

歴史上の失敗から示唆される日本国のあるべき方針が黙示的に示されています。

特にある国や地域、民族について言及しているという事は一読すれば分かるでしょう。

私は、この「隠しテーマ」はこれまで述べたものほど重要ではないと思いますが。

まとめ:評判に惑わされない日本国紀の読み方のすすめ

  1. 日本国紀は議論紛糾する話題に異論を示すことを厭わない
  2. 歴史学界の態度に対して分かりやすい形で問題点を指摘している
  3. とかく退屈になりがちな日本通史を読ませる事に力点がある
  4. 通史を見渡すことで感得できるものを伝えたい
  5. 日本国紀は12章以降からが本番(ただしそれまでの記述が重要)
  6. 書籍の愉しみ方は複数存在する
  7. 隠しテーマはとある外国・民族との付き合い方だがそんなに重要ではない

逐条的に一つ一つの記述の正確性や妥当性を検討する読み方も「アリ」です。

ただ、せっかく日本の歴史を古代から現代まで貫いて書かれた書籍なのですから、全体を俯瞰した読み込み方をすることをおすすめします。

これまで、歴史教科書等では退屈でそうした読み方ができなかった方も、日本国紀であればその「読ませる」記述ぶりによって俯瞰した読み方を体験できるでしょう。

そういう意味でも本書の価値は素晴らしいものがあると、私は思います。

以上

漫画キングダムにみる法の支配と法治主義

キングダム488話法治国家

キングダム 原泰久 集英社 45巻 488話

法治国家

ヤングジャンプで連載中の漫画「キングダム」において秦王嬴政(エイセイ)が中華統一後の統治形態について言い表した言葉です。

古代の秦国において、史実ではどのような「法治」が行われてきたのか?

法の支配・法治主義の意味も踏まえて紹介し、中華統一後のキングダム世界の描写について予想していきます。

法の支配と法治主義

法の支配」="Rule of Law"は「自然法」を観念します。

自然法とは何かと一言で言い表せるものではありませんが、ハイエクの言葉を借りれば成文化・慣習化されたルール以前に存在する「人間的行為の結果ではあるが人間的設計の結果でないもの」です。合理的設計の産物ではなく、(人間的行為が関わる)自然的淘汰の産物です。

実定法の最高規範たる憲法は、この自然法を淵源とすると考えられています。

他方、「法治主義」とは「法治国家」="Rechtsstaat"の根幹を支える精神です。

19世紀ドイツの形式的法治主義では法実証主義の立場でした。悪法もまた法であるという立場でしたが、戦後、法の内容の正しさも要するという実質的法治主義に変化しました。

法実証主義とは、人為的に制定された成文法や現実に規範として認識され実行されている慣習法などのみを法学の対象と考えるものです。上記のような意味での「自然法」を観念しません。法を意図的な構築物とみなしています。

法の支配と(実質的法治主義も含めた)法治主義の一応の区分けとしては、上記のような意味での「自然法」を観念するかどうかであると言えるでしょう。

より詳細については以下でまとめています。

秦の始皇帝と同時代の韓非子の法治主義

キングダムにも名前が出ている法家として「韓非子」が居ます。

冨谷至の韓非子―不信と打算の現実主義 (中公新書)分析によると、韓非子の考えていた「法」ないし「法治主義」の性質は以下のようになるでしょう。

  1. 性悪説を前提とした世界観、人間の理性を信じず、本能的打算を人の性と見る
  2. 法は君主による統治のための道具
  3. 法は凡人の君主であっても統治を行うことができるようにするためのもの
  4. 韓非子の法治主義は自然法を観念しない法実証主義の要素がある
  5. 法文による事前抑制ではなく、刑罰による威嚇をもって予防する
    ⇒実定法、成文法でもって法を記述するという思想であるにもかかわらず、罪刑法定主義の思想はみられない
  6. 集団としての民を扱っており、個人としての民を見ていないため、応報刑論は観念していない。一般予防のみを目的としている。

韓非子の法ないし法治主義は、近代以降の法の支配や法治主義とはまったく異なる側面を有していたと言えるでしょう。

これに対して、儒家は性善説に基づく「徳治主義」を唱えていました。

詳細については以下で触れていますが、史実でも韓非子は抹殺されたように、秦国の法治がどれだけ韓非子の思想通りに行われたのかは未知数です。

秦王嬴政(始皇帝)の法治国家「王も法の下にある」

キングダム法治国家法の下の平等

キングダム 原泰久 集英社 45巻 488話

キングダムの秦王嬴政の法治主義は、「王も法の下にある」というものです。

また、嬴政は人の本質は「光」であるという信念を持っています。

これは「人の本性は悪である」という前提で善に向かわせようとする韓非子の根本思想とも対立しています。

どちらかといえば、人の本性は善であり、君主の仁徳によって国を治めるべきだとする徳治主義を説く儒者の思想に近いです。これは秦滅亡後に中華を統べた漢の思想的支柱です(秦時代に作られた律令を用いた統治という手法がなくなったわけではないが)。

したがって、嬴政の法治主義は、一般的な韓非子の法治主義とはかけ離れたものであると言えます。安能務の韓非子(文春文庫)には「法は王の上にある」とする一節がありますが、原文から飛躍した解釈を行う安能ワールドを楽しむ書籍での一節です。

ところで、「王が法の下に在る」という中には「皇帝」も含まれているのでしょうか?

史実では列国の「王」制度は滅されて秦国は郡県制により数十の県に分割され、各郡県の長には皇帝が任命した官吏が就任しましたから、「郡県のトップが法の下にある」という意味なのでしょうか?

私は、嬴政のこれまでの言動からは「皇帝」も含まれていると思います。

下僕の信とも仲がいいですし、「皇帝は含まれませ~ん」と屁理屈をこねる嬴政なんて見たくありませんからね(笑)

李斯「法とは願い」とキングダムの法治主義

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キングダム 原泰久 集英社 46巻 494話

次に、李斯は「法とは国家の願い」と言っています。

この言葉がそのまま嬴政の法治国家の思想ならば、それは皇帝たる嬴政の理想を含むものですから、国王大権に対抗するための原理であった19世紀ドイツの法治主義とも異なります。

法の支配も「法とは国家の願い」ということからは当てはまらない気がしますが、嬴政や李斯が自然法を観念しているのかは現時点では判然としません。

むしろ、この言葉だけ見ると韓非子の「君主による統治のための道具」の思想に近いかもしれません。キングダムにおいて李斯の理想と嬴政の理想が異なるということでしょうか?

この辺りは、今後の展開で明らかにされていくのではないでしょうか。 

史実で中華統一後の秦国が行った法治主義

秦国には「秦律」という法体系がありました。

これは今でいうところの刑法、民法、行政法、訴訟法、軍事法などの法律群の総体を指すものです。

ただ、皇帝権力はこれらの法よりも上位のものとされていましたので、現代でいうところの法の支配が徹底されていたかというと、この時代はまだそこまでではなかったということでしょう。

秦律等については以下の書籍を参考にして説明します。

秦律の構造

秦律には「」「」「」「法律答問」「」の5つの形式で計400条以上の条文が存在していました。刑法だけで60条程度ありました。

」とは、秦律の主体であり、18種類存在しました。

たとえば「田律」があり、水害、干ばつ、虫害で田畑に被害が出た場合には地方官はすぐに報告することとされていたり、春の2月には山林の木材は伐採してはならない、などという内容です。

「行書律」では「すべての急いで処理すべきものは、その日のうちに処理せよ」など、かなり事務的な内容まで規定されていました。

現代日本でいう法律、政令、省令、訓令が混ざったようなイメージですね。

ただ、行書律のように具体的な事項まで法的に定められてしまうと、それに反した場合のペナルティが怖いので、現実を曲げて運用するということが横行してそうです。

「この案件は今日来たが、とても処理できないので別の日に来たことにしよう」

このような「現場の調整」があったのではないか?と思ってしまいます。

」とは、皇帝が日頃公布する詔令のことで、律の重要な補足をするものです。

「焚書令」が代表的な令の一つです。

大日本帝国憲法でいうところの天皇の勅令のようなものでしょうか。

昭和の戦争期には天皇の勅令という名目で軍部が政策を決定している例がありましたが、古代の秦のような国家においてはどうだったのでしょうか?幼い皇帝の傀儡政権の場合には、まさに詔令が悪用されていたのだろうと推測されます。

」とは、律以外の単独の条文です。

たとえば「任人法」では、役人の審査不合格だったはずの者を役人に採用したら処罰されなければならない、などという内容が定められていました。

律との関係がよく分かりませんが、体系立った内容がある律と比較するとそうではないもの、と言えそうです。

法律答問

法律答問」とは、役人が法律を執行する過程の解釈について、Q&Aの形式で書かれたものです。現代日本でもガイドラインやガイドラインのQ&Aがある場合がありますが、法律答問は同時に法律として通用力を持っていたようです。

たとえば、「Q:盗人が人を殺傷したときに周囲の人間が助けなかったが、処罰を受けるべきか?」「A:135メートル以内の者は処罰せよ」などといった感じで具体的な基準を示していたようです(もちろん距離の単位は当時の言葉で書かれている)。

一度決定された具体的な事項が法律としての通用力を持つということで、かなり慎重に決めなければならないはずですが、おそらく不具合が続出したのだろうと思います。

上記の例で言えば、川を挟んだ向かい側や崖の上と下の場合など、一律に距離だけの基準を設けてしまうと不当な結果になることは明らかです。

そのような場合には処罰権限者の裁量判断だったのでしょうが、柔軟な判断をすること自体が法律答問に反するとしてその者自身が処刑されてしまうおそれがあります。

よく、国会で成立した法律について「曖昧な内容があるため危険だ」と評価されることがありますが、法律のレベルであまりに具体的な内容を決めてしまうことは逆に危険な場合もあり、どの程度の抽象度をもって規定するかは本来評価が分かれるものでしょう。

」とは、法律を執行するときに参照する各種の判例、裁判の格式や書式などを指します。

犯人の尋問をするときは、まず犯人の陳述を聞いて記録しなければならない。途中で問い詰めてはならない。拷問にかけるときは書式に則って原因を書かなければならない、などといった内容です。

現代で言う所の裁判所の判例や各種の訴訟法のイメージに近いでしょうか?

裁判の書式も含まれていることからは、かなり具体的な実務的内容も記述しているということですから、民事訴訟規則、民事訴訟費用に関する法律、最高裁判所規則などをイメージしてしまいます。

この頃から「手続法」のような考え方があったということは、驚きです。

法体系を整えるだけではダメ

以上のような構造的な法体系を作ったところで、民衆がすぐに従うとはいえません。

むしろ、それまでその地で通用していたルールと異なることになり混乱するでしょう。

キングダムで李斯が「各国では文化形成が違うため、単純に人が増えたという認識でいると失敗する」と指摘していたように、史実上でもそのような問題が発生したのだろうと思います。

場所と時代が違いますが、たとえば近代日本では、日韓併合後に土地の所有権関係を明確にしようと日本と同様或いは類似の制度を敷いた結果、所有権が立証できない者が多発し、その土地を官吏の側が所有することになり、小作人となったことに不満を持つ者が発生したということがあります。

また、そもそもルールを伝達する際の「基準」が異なっていたら、文言としてはルールを伝えていたとしても、実行される行為はルールに反しているという状況が発生します。

史実上の統一後の秦でも「度量衡」(長さ・体積・重さ)の規格の統一が行われましたが、それ以外にも全中華的な統一化が進められました。

秦の始皇帝が行った全国の統一化

法治国家を建設する過程で必要になるものとして「規格の統一化」が挙げられます。

秦律を全中華に行き渡らせ、人々の暮らしを豊かにするには、バラバラになっていた各国の地におけるルールを全国的に統一する必要がありました。

  1. 度量衡の統一
  2. 統一貨幣
  3. 規範文字の普及
  4. 車軌の統一

主要なものでは、これらが挙げられると思います。 

ここでも以下の書籍を参考にします。

統一貨幣

当時、他国間では貨幣の形や重さだけでなく、計算単位すら不統一でした。

これによってしばしば取引上の問題が生じ、商品流通の阻害要因となっていました。

そこで、秦の始皇帝は貨幣を2等級に分け、規格を統一したのです。

上級の貨幣は黄金で作られ、「鎰」という単位で計算されました。

1鎰は20両の価値があるとされています。

他方、一般流通における日常取引で使用される通貨としては銅銭が用いられました。

「半両」という単位で計算されたことから「半両銭」と呼ばれています。

キングダムでも史実でも豪商の呂不韋が一時権力を掌握していましたから、貨幣の統一という発想に至るのは自然なことだと思います。

キングダムでは法の番人の李斯が呂不韋の配下でしたから、李斯が貨幣の統一を具体化するのでしょう。それとも、「呂不韋再登場」となるのでしょうか?一部で史実と異なる展開をもいとわないキングダムですから、可能性としては在り得ると思います。

規範文字の普及

列国の文字は、同じ内容を表す内容について別々の文字が使われていたり、同じ文字なのに国によっては意味が異なる内容になっていたりしていました。

そのため、皇帝の詔令が地方の役人に届けられても、その者は内容を正しく理解することができず、政策が徹底されなかったということがあったようです。

そこで、統一された中華としての秦国全体において、使用する文字を統一しました。

文字の不統一とは性質が異なる話ですが、日本で「たぬき」と「むじな」の呼称の理解の仕方が国と猟師とで異なっていたために、むじなを銃殺した猟師が狩猟法違反で起訴された事件がありました(結局無罪)。

この事件のような悲劇が、古代では多く発生していたんだろうと思います。

車軌の統一

当時、既に車輪を馬に曳かせる馬車が存在していました。

現代のように道が全面舗装されているわけではありませんから、轍(わだち)に車輪を沿わせて動かした方が移動時の揺れが少なくて済みます。これが別々の車幅だったら、轍の形が歪なものとなって、でこぼこ道が出来てしまいます。

都市部においても、車輪が通る場所として石畳を敷くのとそうでない場所とで、車軸の幅が統一されていた方が都合が良いでしょう。

また、馬車がすれ違うことができるように道路設計する際も基準があれば予測ができます。

そこで、車輪の幅(車軌)は6尺(1.4メートル)と統一することにしたのです。 

法治国家と実効性

具体的なレベルで言えば、上記のように統一された基準に従って人々が行動するのが法の支配を普及させるために必要であった、ということが言えると思います。

しかし、ルールを決めて規格を統一しようとしても、実効性がなければいけません。

そこにキングダムの嬴政が「武力」による中華統一を目指した理由があるように思われます。

実力の支配と法の支配

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キングダム 原泰久 集英社 40巻 427話

国家であればその機能として法を制定し、法を自ら実現するに十分な『実力』を持っていなければなりません。

法の支配と裁判 田中耕太郎 267頁
法と実力とは一方当為と存在とのアンチテーゼの関係にある。それらは他方目的と手段との関係にある。法がその目的を達成するために自ら実力を用いるのは、一個人や団体の実力行使とその意味をことにしている。
実力はそれ自体として中性的である。この実力は裸の実力である場合と、法によって包装された場合とがある。

本来、法は「実力」が無い者でも正義を実現できるためのものです。

それは近代法においても、韓非子の皇帝による統治のための法においても同様です。

しかし、相手の持つ「実力」を上回るものがなければ実効性がありませんから、法による正義を実現するためには逆説的ながら『実力』が必要だということです。ただし、その意味での『実力』は法によって認められるものでなければならない。

したがって、法の支配ないし法治国家を実現するためには、国内的には警察権力が、対国外勢力に対しては軍隊が必然的なものになってくるのです。
※したがって、「法は実力が無い者が正義(権利)を実現するためのもの」というのは誤りです。

キングダムでは嬴政と呂不韋の国家統治の理念について問答がありました。

呂不韋は「貨幣」つまり金の力による豊かさで民心を掌握して統治すると言いました。

対して嬴政は「武力」による中華統一を実行すると断言しました。

これは、中華統一後の法治国家建設をも睨んだ信念ではないかと思います。

形の上では中華統一をし、ルールと規格を統一しても、官吏や民衆がそれを守らなければ意味がありません。反体制勢力が武力蜂起でもして勝ってしまったら、絵に描いた餅です。

戦争がなくなった世の中であっても、ルールに実効性を持たせるためには、やはり実力(武力)が必要なのです。

秦国はなぜ崩壊するのか?

原泰久 「キングダム」インタビュー/コミックナタリー

いろいろ調べたり詳しい方に聞くと、今の研究だと逆で、始皇帝はすごい先を見ていて、新しすぎて失敗したっていうことになってきているらしいですよ。そこはおいおい描けると思うんで、今温めてるところです。

 「中華統一した後も、物語は続きます」

原泰久先生は、中華統一後もエピローグ的に描くとしていますが、その中で「法治国家」という理想の失敗も必然的に描かれるでしょう。

では、なぜ失敗するのか?

現在までに出ている登場人物の発言から、その理由を予測してみます。 

許し難きこと

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キングダム 原泰久 集英社 45巻 491話

キングダムでは中華統一後の統治について不穏な描写があります。

斉王王建の問いかけ「明日よりこれらすべてを明日から趙の米、趙の肉、趙の野菜と言わねばならぬとしたら」に対して給仕が「許し難きことです」と答えたシーン。

現代でこそ移動手段が多様化して遠方にも容易に移住できるようになりましたが、古代の人々の「生まれ育った土地」に対する愛着心は想像だにしないものがあったことでしょう。

記憶に新しいところでは、平成の大合併では多くの市町村において、元の市町村の漢字を残すか否かで争われました。元の地名に無い語句や、ひらがな表記になった地方都市も少なくありませんが、禍根を残している所もあります。それくらい「名称」というものは大切にされているのです。

中華統一後の秦においても、あらゆる土地・物・風物の名称が禁止されたのでしょうか?上記のシーンは非常に意味深ですね。

もてあました武力?

キングダムでは数十万、数百万の軍勢がしのぎを削り合いますが、統一後、その軍勢はどこへ行くのでしょうか?

その力は更なる外敵(匈奴など)への警戒と国内の警察権力に割かれることになりますが、農民兵は農作業に戻るとして、王宮直属の兵士や職業としての傭兵は数が余るという事になりそうです。

桓騎兵のような荒くれ者集団が中華統一後は不法者となってしまい、治安が悪化するということは在り得る予測ではないでしょうか。

早過ぎた統一化?

現代日本ですら、西日本と東日本とで電気の周波数が異なったり、各地で「一畳」の面積が異なっていたり、「敷金」を家賃の1か月分にする地域もあれば6か月分がデフォの地域もあるなど、完璧な統一は達成されていませんが、むしろそれが良かったのかもしれません。

中華統一後の秦国では、そのような生活の細部に直結するルールまでも統一しようとし、しかも短期間のうちの適合を求めた結果、現実にそぐわない結果になり、反発を招いたのではないかと思います。

原先生には、ぜひともこの辺りも描いて欲しいと思います。

まとめ:大将軍李信は法治国家建設にどう向き合うか

キングダムは戦争・戦闘シーンの迫力が醍醐味ですが、それと同じくらいに面白いのが王宮の政治的駆け引き、文官たちの「戦い」です。

物語に緩急をつける効果もある上に、国家統治というものをトータルで描いている点が唯一無二の作品だと思います。

嬴政の法治国家の建設はどう描写されていくのか?

六国を滅ぼす過程において、それは後に大将軍となる飛信隊の信の戦争・戦闘に影響するでしょう。

戦の勝利だけでなく、その先も見据えた高く広い視点に立って戦略・戦術を考える。

黒羊戦でその伏線が張られていたハズなので、そういう信の姿を見てみたいですね。

「非戦闘員は殺してはいけない」など、近代以降になってルール化したものを飛信隊は既に持っています。そうした「法の支配」を広めることができるのか?

今後もその点に注目して読み進めていこうと思います。

以上

韓国徴用工:日韓請求権協定の個人の請求権に関する河野太郎外務大臣の解説の解説

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衆議院議員河野太郎公式サイト:https://www.taro.org/

河野太郎外務大臣が、日韓請求権協定において「個人の請求権は消滅していない」ということの意味を詳細にかつ端的に説明しました。

ただ、この話は一般国民、特に韓国側から「要求」される可能性のある企業の従業員・役員・株主の方々の認識が重要であるため、より詳細に説明しようと思います。

説明の説明なのでくどいと思われますが、これくらい念入りにやらないと親北勢力や弁護士連中に誘導されてしまいますからね。

「徴用工」という用語法も一種の誘導になってしまいます。

正しくは「朝鮮人戦時労働者」(当時日本国民であったことも考えると「朝鮮半島出身戦時労働者」が良い)です。

韓国「徴用工」判決についての河野太郎外務大臣の解説

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衆議院議員河野太郎公式サイト 日韓請求権・経済協力協定 2018.11.21

衆議院議員河野太郎公式サイト 日韓請求権・経済協力協定 2018.11.21では、上図のように説明されていますが、各用語の概念が同じものを同じ色で表しました。

まず、赤色の「日韓間の財産・請求権」というのが「全て」だと思って下さい。

その中で橙色「財産権」「個人の財産」「権利及び利益」と表記されている「実体的権利」があります。

そして、もう一つ緑色の「個人の請求権」=「クレームを提起する地位」があります。

河野大臣の説明では言及は無いですが、実は国家の「外交保護権も「日韓間の財産・請求権」に含まれており、これは相互放棄されています。

 

日韓請求権協定「個人の請求権は消滅していない」の意味

日韓請求権協定の個人の請求権と実体的権利

日韓請求権協定でそれぞれの権利がどのように扱われたかの図式が上図です。

財産権措置法とは河野大臣の説明にもあるように【財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律】のことです。

では、「財産的価値が認められる実体的権利」とそうではない「請求権」とはどういう意味内容なのでしょうか?

日韓請求権協定における「請求権」「実体的権利」の意味

これは重要なことですが、ここでの説明は日韓請求権協定における請求権」「実体的権利」の用語法の話であるということです。

一般的な法律用語の使用場面で「請求権」「実体的権利」と言う場合とは異なる意味で使われています。過去の政府答弁を確認しましょう。

126 衆議院 予算委員会 26号 平成05年05月26日

○宇都宮委員 次に、この協定第二条第一項の「財産、権利及び利益」と「請求権」との関係についてお聞きしたいと思うんです。
 それはどうしてかといいますと、この当時の合意議事録によりますと、ここで言う「「財産、権利及び利益」とは、法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいうことが了解された。」というふうに書かれております。そしてまた、今までの外務委員会とか予算委員会での議事録を見ますと、「財産、権利及び利益」というのは法律上の根拠のある請求権である、そして「請求権」というのは法律上の根拠のない請求権であるというふうな説明がなされております。このような両方の説明からしますと、ほとんどの権利は「財産、権利及び利益」の中に入って、いわゆる何というか全く根拠のない、言いがかりをつけるようなものだけが「請求権」の中に入るというふうな感じにちょっと感じられるのです。
 そこで、もう少しわかりやすく、「財産、権利及び利益」の中にはどういう権利が入って、「請求権」の中にはどういう権利が入るのか、具体例を挙げて、かつ簡単に御説明いただきたいと思うのですけれども。

○丹波政府委員 いわゆる財産、権利、利益と請求権との区別でございますけれども、「財産、権利及び利益」という言葉につきましては、日韓請求権協定の合意議事録の中で、ここで言いますところの「財産、権利及び利益」というのは、合意議事録の2の(a)ございますけれども、「法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利」を意味するということになっておりまして、他方、先生御自身今おっしゃいましたとおり、この協定に言いますところの「請求権」といいますのは、このような「財産、権利及び利益」に該当しないような、法律的根拠の有無自体が問題になっているというクレームを提起する地位を意味するということになろうかと思います。

省略

例えばAとBとの間に争いがあって、AがBに殴られた、したがってAがBに対して賠償しろと言っている、そういう間は、それはAのBに対する請求権であろうと思うのです。しかし、いよいよ裁判所に行って、裁判所の判決として、やはりBはAに対して債務を持っておるという確定判決が出たときに、その請求権は初めて実体的な権利になる、こういう関係でございます。

河野外務大臣の説明にあった「法律的根拠の有無自体が問題になっているというクレームを提起する地位」というのはここからきています。

質疑をしている宇都宮真由美議員は弁護士ですので、それでも疑問に思っていたというのが分かります。

一般的な法律用語としての「請求権」

  • 所有権に基づく目的物返還請求権
  • 消費貸借契約に基づく貸金返還請求権
  • 不法行為に基づく損害賠償請求権

一般的にはこれらのような意味の請求権を導く私権(物権や債権)が「実体法上の権利」と言われます。

法律上の根拠があるものとして一応は扱われるものです。財産的価値もあると考えられる場面があります。

「実体法上の権利」は「実体的権利」という言い方をする場合もあるので紛らわしいのですが、日韓請求権協定における「実体的権利」とはまったく種類が異なるものです。場面が異なります。

一般的な法律用語としての実体法上の権利(実体的権利)は、裁判を起こす前でも、自らが権利者であると主張する根拠となる権利のことです。デフォルメして言えば、未だ世の中的には裁判を通した正式なものとは認められていない権利です。

そのような権利を裁判所に認めてもらおうとするのが「法律的根拠の有無自体が問題になっているというクレームを提起する地位」という意味です。

これは訴訟提起がなされない限り(物権のように物理的な存在が確認できるものや契約書が残っている債権でない限り)目に見えるものではない場合が多く含まれます。

日韓請求権協定の文脈においては、このような意味で「個人の請求権」という用語が使われているのです。

実体法上の権利の満足を得るためには裁判を起こさなくても相手方の任意履行を求める方法もあります。権利があるのですから、よほどのことが無い限りは履行を求める行為は恐喝にはなりません。

相手方が任意に履行しない場合に自力で強制すると犯罪になるので、裁判という訴訟手続きを踏みます。

この実体法上の権利が裁判で存在すると確定すれば、それは「債務名義」となって強制力を伴って執行可能な権利になります。

日韓請求権協定における「実体的権利」とは、(債務名義そのものではないですが)債務名義のように権利の存在が証明でき、執行可能な権利のことを指しているのです。

裁判所もそのような権利であることを判断しています。

名古屋地方裁判所 平成11年(ワ)第764号、平成12年(ワ)第5341号、平成16年(ワ)第282号  平成17年2月24日

上記認定の本件協定締結に至るまでの経緯等に照らして考えると,財産権措置法1項1号に規定されている,韓国又はその国民の我が国又はその国民に対する債権であって本件協定2条3項の財産,権利及び利益に該当するものとは,本件協定の署名の日である昭和40年6月22日当時,日韓両国において,事実関係を立証することが容易であり,その事実関係に基づく法律関係が明らかであると判断し得るものとされた債権をいうものと解するのが相当である。

これは一般的な法律用語から外れた用語法なので混乱が生じるのも無理はありません。

※なお、憲法上の概念の性質を表す用語法としても「請求権」が使われることがありますがここでは関係ないので触れません。 

個人の請求権は残り、訴訟提起は一応可能だが救済が受けられない

衆議院議員河野太郎公式サイト 日韓請求権・経済協力協定 2018.11.21

日韓請求権・経済協力協定により、一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずるべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅し、その結果、救済は拒否されます。つまり、こうした請求権は権利としては消滅させられてはいないものの、救済されることはないものとなりました。

訴訟を提起できても、救済が拒否される。

このことが「訴権の消滅」や「裁判上の訴求権能の喪失」と呼ばれたりします。

ただ、一般的には「訴権」というと「裁判を受けるための権利」というニュアンスで使われています。「救済可能性がある」というのは当たり前なので、「訴権の消滅」と言った場合には訴訟提起そのものができなくなるという印象になってしまいますが、日韓請求権協定の文脈においては、「訴訟提起は一応可能だが救済が受けられない」という意味になります。

弁護士らは一般人に焦点を当てている

北朝鮮と韓国の肩を持つような弁護士らが強調しているのは「個人の請求権が残っているのだから、企業が任意に補償に応じることは禁止されていない」という点です。

この事自体はその通りで、日韓請求権協定や財産権特措法によっても「任意履行」まで禁止することはできません。

しかし、そのような任意履行がどれだけ日本人の名誉や日本国の地位を貶めることになるのか、分かっているのでしょうか?

彼らはICJ(国際司法裁判所)で裁判になれば必ず敗訴するということが分かっているからこそ、主張の力点を「任意履行」に持って行っています。だからこそ新日鉄の本社に韓国からわざわざ弁護団がやってくるなどというパフォーマンスをしているのです。

そうした韓国弁護士のパフォーマンスや日本の弁護士有志声明の名宛人は日本政府ではありません。

訴訟提起の可能性がある全ての企業の従業員・役員・株主です。

彼らに対して「人道的に…」「可哀想だから…」と思わせて任意履行させるために行動しているのです。

まとめ

  1. 日韓請求権協定の文脈における用語法は、一般的な法律用語の用語法とは異なる
  2. 日韓請求権協定や財産権特措法があっても「個人の請求権」は残っているが、一応提訴可能であっても救済されないものとして合意されている。
  3. 弁護士らは一般人の意識を変えることに焦点をあて、任意履行を目指している

企業人に限らず、一般の日本国民の認識がしっかりしていないと、該当企業の社員、役員、株主が変な気を起こして「補償してもいっか」となってしまいます。

そうさせないためにも、日本政府としては『提訴も辞さない構え』を見せなければならないと思います。

以上

韓国政府が慰安婦財団の解散:日韓合意の履行放棄か

慰安婦財団解散、大使館前少女像

韓国政府が慰安婦財団の解散を発表しました。

慰安婦問題に関する日韓合意の履行を事実上放棄する動きでしょう。

日韓慰安婦合意の内容

平成27年12月28日の日韓外相会談において「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行う」として日本からは10億円が拠出されていました。

また、韓国側にも努力義務が課せられており、その内容は以下です。

尹(ユン)外交部長官 共同記者発表

イ 韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。

在韓日本大使館前の虚偽の少女像は、未だに撤去されていません。

この状況は、外交関係に関するウィーン条約に反しています。

第二十二条 省略
2 接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する。

虚偽の事実に基づく少女像の設置状態は「公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害」に該当するでしょう。

慰安婦財団の解散と日韓合意

慰安婦財団の解散は日韓合意の精神にそぐわないと河野大臣が言いますが、日本から拠出された10億円が適切に使われていたのか疑問です。

この解散と虚偽の少女像の扱いの関係は不明です。

イ・スフン駐日大使は「韓国として日韓合意を破棄することはなく、再交渉を求めることもない」としています。

しかし、ムンジェイン大統領は慰安婦問題を「外交で解決される問題ではない」と主張していたことから、その扱いを有耶無耶にする目的があるのではないかという疑念が拭いきれません。

日韓合意と条約法に関するウィーン条約

日本も韓国も、条約法に関するウィーン条約(条約法条約)の締約国です。

第二十六条では、「合意は守られなければならない」と規定されています。

しかし、第二条1項には以下の文言があります。

『この条約の適用上、 (a)「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう。』

日韓合意は、文書の形式によって締結されたものではありません。

したがって、条約法条約の適用対象ではありません。

条約法条約は「文書の形式」だが

しかし、「合意を守らなければならない」というのは当たり前のことであって、条約法条約の適用が無いから合意を守らなくても良い、ということにはなりません。

条約法条約が「文書の形式」に法的拘束力を認めているのは、公式文書がその内容の事実を示す「証拠」として確立した地位を得ていたからです。

本質的に考えると、証拠として機能しさえすればよいのですから「動画」でも良い。

そうすると、日韓合意を共同記者会見という形式で世界に発信した以上、日韓双方に合意を順守する法的義務が発生していると言えます。

韓国は合意を守らない

「徴用工」問題(今般問題になっている者は単なる応募者)では、文書の形式での合意であったにもかかわらず合意を守らないという態度を見せています。

そんな国家が日韓合意を守ると思うのはあまりに楽観的だと思います。

以上

南京大虐殺の捏造と真実:日中歴史共同研究と政府見解

 

「1937年の南京大虐殺を日本政府が公式に認めた」

これは嘘です。

日中歴史共同研究の報告書と、日本政府の見解を誤解させて伝えようとする者がいますので、ここで確認します。

そして、南京事件についての考え方を整理し、有益な文献を紹介します。

この話題については夥しい書物が出版されていますが、論点整理として最適なのが日中歴史共同研究の報告書です。

日中歴史共同研究と日本政府の見解

日中歴史共同研究」というものがあります。

2005年4月の日中外相会談で提案され、2010年に報告書が発表されているものです。

報告書の構成は以下のようになっています。外務省HPでは一部省略されています。

  1. 日本語論文
  2. 中国語論文
  3. 1,2双方の日英中訳

日本語論文と中国語論文は、対象としているテーマは同じですが、執筆者も参考文献も導かれている結論や考察もまったく異なるものです。

そして、これは日本政府の公式見解ではありません

第189回国会文教科学委員会第1号平成二十七年十二月十一日
○政府参考人(石兼公博君) -省略ー

なお、この日中歴史共同研究報告書に収められた論文は学術研究の結果として執筆者個人の責任に基づき作成されたものでございまして、政府として個々の論文の具体的記述についてコメントはしないとの立場でございます。

したがって、日中歴史共同研究の報告書の内容をもって、「日本政府の見解」であると言うのはデマであるということです。

なお、日本語版と中国語版の両方が収録されている書籍が出版されています。

日中歴史共同研究報告書の内容

日中歴史共同研究

日中歴史共同研究古代・中近世史第 2 章 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄 庄司潤一郎

中国語論文は30万人説を提唱していますが、日本語論文を確認します。

日本軍の侵略と中国の抗戦 (4)南京攻略と南京虐殺事件

日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では 30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している

日本語論文では不法殺害の人数を断定しておらず「諸説ある」と言うに留めています。

20万人を上限としていますが、下限は設定していません。

南京大虐殺についての日本政府の見解

平成十八年六月二十二日受領答弁第三三五号では、「千九百三十七年の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。」とあります。

これが日本政府の見解です。

「南京大虐殺を日本政府が認めた」というのがデマだということが明白でしょう。

「南京大虐殺」の意味内容

そもそも、「南京大虐殺」という言葉は、その内容に「非戦闘員を含む30万人を日本軍が軍事目的で組織的に殺戮した」という含みをもって使われ始めました。

この言葉の意味内容を分解すると以下の性質に分けられます。

  1. 非戦闘員を含む数の問題
  2. 組織的に不法殺害を行ったか否かの問題

日本政府や民間研究では2番は認めたとは言えない情況です。

1番目の数の問題も、諸説ある中で民間研究では30万人は無いだろうという説が優勢です。

さて、「虐殺」という言葉は曖昧なものです。

殺害の仕方が残虐なものであれば「虐殺」であると言う人も言えば、それなりの規模をもった殺害事象でない限り「虐殺」ではないと言う人もいます。

英語では"Terror","Massacre","Genocide","Atrocity"という語が使われます。
南京に関しては"Atrocity","Terror","Massacre"が多い。また、"Rape"は広義の暴行の意味もある

したがって、「虐殺」があったのか『「大」虐殺』だったのか、という論点設定は、不毛な議論に終わります。定義がないのですから。

「南京大虐殺」肯定派も否定派も、お互いの定義する「南京大虐殺」の有無を論証しているだけで、有益な議論になっていないことが多いです。

「南京事件」の参考文献

世の中の「南京事件本」の多くは、上記のような定義問題を引き起こすだけなので、読む価値はありません。

日中共同歴史研究の日本語訳の参考文献に挙げられたものでは以下が重要でしょう。

南京事件増補版 「虐殺」の構造 (中公新書) [ 秦郁彦 ]

南京戦史・南京戦史資料集 1・2セット【中古】

秦郁彦の『南京事件』は、増補版を読むべきでしょう。初版から数年経ったあと、どのように南京事件の研究に進展があったのか、これからの研究はどうなるのか?についても触れています。

不法殺害の中身が、投降兵なのか、捕虜なのか、便衣兵なのか、民兵なのか、ということをしっかりと考察しています。「非戦闘員」の中身の問題でもあります。

不法殺害の人数についても、各論者の説として何人の立場なのかをまとめており、0人から数千人~4万人の説があるということも紹介しています。

また、秦郁彦氏の『南京事件』も、主な参考文献は「南京戦史資料集」です。

これは当時南京に駐留した日本軍兵士らの日記の内容が収録されており、生々しい実態が書かれています。

南京の状況について一例を挙げれば、中島今朝吾中将の日記において、司令部と表札を掲げている建物なのに侵入されて物品が奪われたり、陶器などの展示物がある建物は錠をかけてようやく盗難が治まった、という状態だったということが書かれています。

もう一つの南京事件

南京大虐殺の嘘の言い訳の嘘 - 学校長報 - 坂東学校

南京雨花台の、虐殺記念館がある烈士陵園には、「人民英雄碑」と言われる石碑が立っていて、ここには毛沢東の揮毫とともに「南京虐殺は国民党によるものであった」という碑文がある

これは「1927年」の南京事件についての記述です。

蒋介石が日本を含む外国の居留民を襲撃した事件のことです。

一般に言われる南京大虐殺は「1937年」の出来事ですから、別物です。

しかし、毛沢東は1927年についての碑文を建てたにも関わらず、なぜか1937年の「南京大虐殺」については何ら言及していないのです。 

「南京大虐殺」は中国共産党のプロパガンダに過ぎないということが伺えます。

まとめ:南京大虐殺の捏造と真実

  1. 日中共同歴史研究の報告書は、日本政府の見解ではない
  2. 日本政府の見解は「非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できない」
  3. 「虐殺」「大虐殺」の定義問題になる議論は不毛
  4. 「南京大虐殺」は中国共産党のプロパガンダの側面がある

このテーマは不法殺害の人数の問題以外にも、南京における様々な犯罪行為についても問題になります。

少なくとも日本軍の無謬性に基づいてしまうと、事実と齟齬が生じることになってしまうのでおススメできません。

以上

『日本国紀がWikipedia等のコピペで著作権違反疑惑』について:歴史的事実と剽窃

日本国紀、Wikipediaコピペ

「百田尚樹の日本国紀が他人の文章のコピペであり著作権侵害である」

このような指摘がなされていますが、だがちょっと待ってほしい。

歴史的事実についての記述という側面を忘れていないでしょうか?

実は、著作権侵害ではないかとよく争われるのが歴史的事実に関する記述なのです。

そしてその多くは侵害が否定される傾向にあります。

なお、問題となる部分について権利者に個別の許諾を得て条件に従っているならば、全く問題ありません。

 

著作物の定義と表現

著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう(著作権法2条1項1号)

著作物とは以下の要素が必要ということです。

  1. 思想又は感情を表現したもの
  2. 創作的に表現したもの
  3. 文芸等の範囲

ここで「表現したもの」とされるかどうかについては、「歴史上の事実」であるか否かが重要になってきます。

まさに、日本国紀が扱っているテーマです。

歴史上の事実と著作権

月刊パテント2013年11月号著作権法の守備範囲:高部眞規子判事の説明から引用します。

よく争われるものが歴史上の事実です。ー中略ーけれども,歴史上の事実というものは著作権法の保護を受けないわけですが,仮に対象とした事実が同一であっても,著作権法上,侵害とはいえないということで,これも幾つかの裁判例がございます。歴史的な事実が記述された場合,その事実を,創作的な表現形式を変えた上で,素材として利用することについてまで,著作者が独占できるということは妥当ではないといわれています。歴史的な事実や,日常的な事実を描く場合に,他の人の先行の著作物で記述された事実と内容において共通する事実を採り上げたとしても,その事実自体は素材として利用することを広く許容されているということも,裁判例で明らかにされています。

ー中略ー歴史的な事実に関する著述でありましても,基礎資料からどのような事実を取捨選択するのか,どのような観点,どのような視点や表現を選択するかについて,いろいろな方法があり得るわけですので,事実の選択や配列,あるいは歴史上の位置付け等が,本質的な特徴を基礎付ける場合もあり得るところでございます。

歴史上の事実それ自体は著作権の保護対象にはならない=著作物にはならない」

ということが第一に説明されています。

次に、歴史上の事実の記述であっても、記述全体の中でのその事実の位置づけや構成等によっては、そのような記述全体が著作権の保護対象になり得るとしています。

歴史はこれから何千年何万年と続いていくものです。

その中で記述の一部が同じであるというだけで著作権侵害だとして歴史的事実を取り上げることが出来なくなるというのは「創作活動を保護奨励しつつ著作物の公正な利用を促進することで文化の発展を目指す」という著作権法の目的(著作権法第1条参照)にそぐわないでしょう。

著作権法は記述の一部の一致をあげつらって非難するための道具ではないということ。

特に歴史上の事実や歴史上の人物をコンパクトにまとめた説明文は、通り一遍のものになりやすいという性質があります。文献が少ない事象や人物の場合には、ある程度似通った文章になることは避けられないでしょう。

また、歴史に関する記述は基本的に時系列に沿った説明になるため、記述の順序も共通することが多いということが一般的に言えます。

歴史的事実の記述に関する以上のような傾向を鑑みれば、記述の一部の一致だけをもって著作権侵害であるとするのは避けるべきであるという価値判断は正当だと思います。

では、歴史上の事実そのものに過ぎない、というのはどの程度のものなのか?

具体的にみていきましょう。

ウィキペディアの記載の具体的事実

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出典:「プロのための著作権研究所」柿沼太一弁護士:http://copyrights-lab.com/182.html

これは応仁の乱の記述を例にしたものです。

上記のようなボリュームの引用であれば、それは歴史上の事実それ自体のみと評価されるだろうという柿沼弁護士の説明です。ウィキペディアのページはこちらです。

ただし、ウィキペディアは項目分けが為されており、その順序や説明の仕方など、ある程度のボリュームを持った全体を見ると、それは歴史上の事実を記述したものであっても創作的な表現として著作権法上保護されると指摘しています。

では、日本国紀との関係で問題となっている例はどうか?

恐らく最も文字が多く共通してるであろう柴五郎に関する記述について見ていきます。

日本国紀におけるWikipediaコピペ疑惑の例

こちらはWikipediaの柴五郎の説明文です。
※誰でも編集できるものなので、現時点での魚拓リンクを貼っています。
※画像のキャプションは生のリンクです。

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出典:柴五郎:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E4%BA%94%E9%83%8E

柴五郎

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E4%BA%94%E9%83%8E

下線を引いた部分が日本国紀311-312頁の義和団の乱のコラムと共通している部分です。オレンジ色は、新聞からの引用なので緑色と分けています。文量としては柿沼弁護士が例として取り上げた応仁の乱の説明の2倍以上です。

これらのうち、緑色の部分はほぼ全てが歴史上の事実の記述です。

「広く知られる最初の日本人であった」「同盟締結の強力な推進者」「実質的司令官であった」という部分が執筆者の評価が混じっていると見ることもできなくもないですが、この記述部分全体について言えば、歴史上の事実そのものでしょう。

項目建てもなく、まっさらな文章の連続なので、緑色下線の記述の中に創作的に表現したとみられる部分はないでしょう。

オレンジ色の新聞社説の和訳部分は日本国紀のコラムも一言一句同じものなのですが、これは当該英文記事ではなく和訳文が著作物として保護されるかが問題でしょう。

この和訳文が「歴史上そのような和訳文があったという事実」として扱われるのであれば、著作物として保護対象にはなりません。

仮に和訳文が歴史上の事実ではない場合には、著作物として保護の対象になるでしょう(歌詞の場合と比べてみれば、この文量は保護対象になるのではないでしょうか?)。和訳文は著作物であるというのは通常の理解です。

和訳文が著作物である場合には、日本国紀はまったく同じ文言となっているので「複製権」の侵害が問題となります。

その場合にはこの和訳文に依拠して日本国紀の記述が書かれたのか、それとも日本国紀は元の英文から翻訳した結果、同一のものとなったのかが検討されることになるでしょう(この場合に複製ではない場合というのは物凄い偶然、ということになりますが)。
※複製権侵害の基準は不明ですが、翻案権侵害の最高裁判例基準とパラレルに考える見解があるようです。

現時点の予測としては、柴五郎を評するロンドンタイムスの社説の和訳文は多くの媒体で「使いまわされてきた」ものであって、歴史上の事実として扱われるものではないかと思います。

そうすると、Wikipediaの記述としての著作権としても、参照元の著作物の著作権としても認められないのではないかと思います。

ただし、仮に著作権違反ではないとしても、剽窃、コピペ疑惑ではないかという点が残ります。それについてはWikipediaというものの性質を考えなければなりません。
※なお、既存の文章に著作権があると認められた場合にはそれを利用した新たな文章は著作権侵害であるか、という検討が必要ですが、お勉強的な法的理解が絡み、文量が膨大になるため割愛します。

Wikipediaという媒体の性質

上記の画像だけを見ると「画像の大半を占める部分がコピペされている」と思ってしまいますが、Wikipediaは、のべつまくなしに網羅的に事物についての説明が書き込まれているものです。

歴史的事実については下手をすれば最も詳細な歴史書よりも詳細に書かれています。

歴史関係の記述は夥しい数の出典元と関連書籍をもとに編集されています。

そのような性質なので、歴史上の事実や人物を端的に紹介しようとするとWikipediaの記述と被ってしまう、ということが往々にして起きてしまうと言えるでしょう。

もちろん、何も参照しないでWikipediaの記述と被るのはほぼあり得ないので、Wikiの側も何らかの書籍の一節を継ぎはぎしたものであって、参照した書籍が同じであったという可能性を考えるべきでしょう。

Wikipediaの上記図の部分には出典が書かれていませんが、柴五郎のWikipediaには出典以外に関連書籍として10程度が挙げられていますから、この中の記述からまとめたものと推測されます。

歴史書籍における歴史的事実の記述の扱いと剽窃

さて、歴史的事実は、その事実自体は素材として利用することを広く許容されているということは裁判例にもなっています。

ここで思い出されるのが、世の中の「歴史本」の類には参考文献の記載がないものが多いということです。

私は調べた結果「ではなぜ、歴史本の類では参考文献の記載がないものが多いのだろうか?」と思いましたが、歴史的事実についての裁判例の扱いから、ある程度予測がつくのではないかと思います。

つまり、歴史的事実の記述はある種の「公共財産」 であるという観念が歴史を扱う者の中にあるのではないか?と思うのです。

たしかに、学術的な立場にある者や、学術論文を意識した書籍の場合には参考文献がつけられています。

しかし、それは正確性を期すためであるに加え、先行研究者へのリスペクト、フェアーな論文発表のためであるという、アカデミックな作法の文脈の転用です。

たとえば出典が限られている歴史的事実を広く国民と共有しようとする場合にまで歴史的事実のある記述に著作権があると安易に決めてしまうとするならば、他の場面においても膨大な出典明記を余儀なくされ、公共財産である歴史的事実の流通が阻害されてしまいます。

歴史学習の便宜のためにも、歴史的事実に関する記述について著作権を認めるには慎重になるべきであり、それが国民の利益にもなる。

このように考えられてきたからこそ、本来は出典が夥しい数になるはずの歴史本において、参考文献が記載されなかったり主要参考文献で済まされたりしているのではないでしょうか?

もちろん、出典をすべて記載した方がベターであることは間違いないですし、書き手にとっても自己の身を守ることにもなります。

ただ、それを歴史書籍の文脈においてすべての場合に要求するのは酷であると思いますし、業界の慣行的にもそのような意識があるのだろうと思います。

そう考えれば、ある書籍の一節の記述から引っ張ってきたと思われる部分が含まれているとしても、それが歴史的事実である限り、「剽窃」と評価すべきものではなく、作家としての技量の評価の問題なのだろうと思います。

百田尚樹の日本国紀における「義和団の乱」 の記述

日本国紀の記述に目を向けてみると、義和団の乱のコラムの中でWikipediaの記述と被っている部分は全体の3分の1程度です。

この項目を見ると、柴五郎の事跡について端的にまとめたものになっており、文学的修辞を使ったり、情緒的な記述になったりしているということはありません。

「作家」の百田尚樹氏の著作にしてはタンパクな印象です。

日本国紀は全体を通してあっさりとした口調で記述されており、同様にタンパクな記述のコラムも見られます。

こうなっている理由は、日本国紀は「日本史を通読させることで初めて理解できるものを伝えよう」という意図が、目的の一つとして据えられた書籍だからではないでしょうか?実際に百田氏はツイッターで最初から読み進めるように薦めていました。

本書の全体を通して感得し得る「何か」を伝えたかったのかもしれません。

そう考えると、作家の百田氏が表現をいじることなく参考書籍から引っ張ってきたような一節が複数含まれている理由が見えてくるような気がします。

それをどう評価するかは読者次第でしょう。

※追記:11月20日の虎ノ門ニュースで百田尚樹氏自身が「ウィキペディアから拝借した部分はある。それは歴史的事実だから問題ない」という旨の発言をしています。

これだけ堂々と言うということは、権利関係はクリアしているのではないでしょうか?

まとめ

  1. 「創作活動を保護奨励しつつ著作物の公正な利用を促進することで文化の発展を目指す」のが著作権法の目的
  2. 歴史上の事実に関する記述にそもそも著作権が認められる場合は限られている
  3. 義和団の乱のコラムにおける「柴五郎」の記述については著作権違反とは言い難いのではないか
  4. 文章の文言が多数一致している点については、歴史的事実の説明という性質とWikipediaという媒体の性質を考慮して考える必要がある
  5. 文章が一致している点の評価は作家としての技量の評価として見るべきではないか
  6. 日本国紀は敢えてタンパクな記述に徹した可能性があるのではないか
  7. なお、問題となる部分について権利者に個別の許諾を得て条件に従っているならば、全く問題ない
  8. ※追記:百田尚樹氏自身が「ウィキペディアから拝借した部分はある。それは歴史的事実だから問題ない」という旨の発言をしている

ネット上には逐条的に歴史的事実との整合性を検証するグループが居ますが、それはそれとして頑張って頂ければと思います。

また、他の記述についての著作権侵害の可能性は検討していませんが、安易にその可能性を示唆する事は、私自身は避けようと思います。

私は、本書の魅力・攻撃力に注目していきたいと思います。

以上