事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

野党国会議員が政府に「法の支配を守れ」と言うことのコレジャナイ感

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平成31年3月6日の参議院予算委員会で、立憲民主党の小西洋之議員が質疑の中で安倍総理に「法の支配」の対義語は「人の支配」だ、という主張をしました。

この話の是非は過去に記事化しているのでそちらを見て頂ければと思いますが、ここでは【国会議員が政府にだけ法の支配を守れと言うこと】のおかしさを指摘します。

法の支配と専断的権力の抑制

法の支配」とは"Rule of Law"の訳語です。

その意味内容の中核は専断的権力(arbitrary power)とくに政府の広汎な裁量権の支配に対立する正規な法(regular law)の優越の意味です。

ただ、この意味内容は各国で微妙に異なります。

田中耕太郎によれば、以下のように分析されています。

イギリスの場合、正規法の絶対優位は政府の専断、特権、広汎な自由裁量権の排除によって確立されています。念頭にあるのは国王大権の抑制であり、議会と裁判所は協力関係にあります。そのため、裁判所には議会の制定法が憲法に違反しているのかを審査する「違憲立法審査権」がありません。

一方アメリカの場合、それは裁判所の違憲審査権によって確立しています。議会(立法)と政府(行政)に対する抑制的機能が念頭にあります

こうしてみると「法の支配」はそれぞれの国家に固有の歴史や政治的事情と密接に結びついて構成されていると言えるでしょう。

また、特にイギリスでは顕著ですが、判例法(コモンロー)が法の根源であり、特定の時代の者が人為的に設計した法律ではなく、歴史を通じて認められ醸成されてきたルール、つまり自然法が法の淵源であるとする考え方を持っています。

日本における法の支配

日本国憲法の前身である大日本帝国憲法はドイツ帝国憲法を元に作られましたが、現憲法が拠って立つ基盤は「法の支配」であると言われています。

元最高裁判所裁判官の伊藤正巳の「法の支配」という著作には以下書かれています。

はしがき

この原理的な意味での「法の支配」は、日本国憲法の根底に脈打っており、わが憲法は、この原理が、日本国民の信念と化することを期待しているといってもよい。司法権に対して払われる尊敬と信頼、基本的人権の絶対的ともいえるまでの保障、憲法の最高法規性の強調のごときは、その具体的なあらわれであろう。人の支配、権力の優越を否定する法の優位の思想が、日本国民の血肉と化したときこそ、この憲法の真に実現されたときであり、それが理想とする立憲民主政の完成したときといってよい。

アメリカ側の関与によって作られた日本国憲法ということもあり、日本の裁判所には違憲立法審査権があります。裁判所(司法権)は議会(立法権) と政府(行政権)と互いに牽制しあう関係にあります。

前項のアメリカにおける法の支配が裁判所は議会と政府に対する抑制機能があるということと合致すると言えるでしょう。

つまり、【法の支配に服するのは政府のみならず、議会も含まれる】ということです。

より強調して言えば

「議会」には【野党議員も含まれる】のであって、彼等もまた法の支配に服するということです。

野党議員(議会)と法の支配

行政権を執行する立場の政府に対して法の支配に服する事を要求するのは当然です。

しかし同時に、野党議員も法の支配に服しているのですから、やたらと野党議員が政府に対して「法の支配」を要求して「人の支配だ」と評するのは、なんだか話がずれていると思いませんか?

そもそもあなたたち、「法」を破ってたでしょ?

別に自分たちが出した法案の審議を予告も無くボイコットしたことや、速記録を妨害したことが起訴されて有罪になったわけではありませんけど、国会のルールを破っている者から「法の支配を守れ」と言われても説得力がありません。

まとめ:「法の支配を守れ」⇒オマエモナ―

国家権力の抑制の観点からの法の支配に国会議員は服します。

同時に、国会議員を含む全ての人や国家機関は、実力行使の抑止の観点(実力の支配に対するアンチテーゼ)からも法の支配に服します。

したがって、専ら政府に対してのみ「法の支配を守れ」などと言うことはおこがましいにも程があるのであって、「オマエモナー」以外の何物でもありません。

以上

法の支配の対義語の人の支配を安倍総理は回答できず⇒ブーメランでした

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法の支配の対義語は人の支配であり、安倍総理は回答できなかった」

平成31年3月6日の参議院予算委員会の質疑に関しこのようなデマが流れています。

詳細は以下で既に論じてますが、質疑の流れに焦点を当てていきます。

小西洋之議員の質疑の流れ

小西議員は、最初は厚労省の統計関係についての質疑をしていました。

次に、安倍総理の平成31年1月28日の施政方針演説についての話題になりました。

小西議員はわざわざ「統計の皆さんには後で聞くかもしれませんが、退席していただいて結構です」と言っています。統計についての話題から別の話題に切り替わっているのです。

その後、安倍総理が施政方針演説で明治天皇が詠んだ詩を引用したことが戦争賛美であるなどという認識のもとで質問をしました。

途中で国会の監督権の話になりましたが(内閣法制局長官が越権行為をして発言を撤回したのもこの場面)、その後に安倍総理の戦後70年談話について引用して読み上げました。

その中で「法の支配」について触れていたために取り上げたという流れがありました。

安倍総理の戦後70年談話:力の行使ではなく法の支配を尊重

戦後70年談話(平成27年8月14日内閣総理大臣談話)

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

ー中略ー

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

安倍総理が戦後70年談話で「法の支配」に触れた文脈は、日本国が主体である国際関係における事柄についてです。(小西議員が読み上げた法の支配関連の個所は最初の方の一部です)

そこにおいては「力の行使」が対置されています。

小西洋之議員は「総理は法の支配と言いますが~」と総理の発言を前提にしています。

安倍総理が法の支配という言葉を持ち出すのは国際関係の場面においてです。

国際関係における「法の支配」と 「力の支配」

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国際社会における「法」観念の多元性*一一地球大の「法の支配」の基盤をめぐる一試論一一粛藤民徒

国際社会における「法」観念の多元性*一一地球大の「法の支配」の基盤をめぐる一試論一一粛藤民徒ではしばしば法の支配は「力の支配」と対置されるとあります。

これは当然です。

国家vs国家の場面では、「為政者が誰か」という話にはならないからです。

国連は【国際法の諸原則に合致する法規範に依拠した統治の原則】を「法の支配」としています。国家の行為が問題になる以上、主体は国家であって、決して「人」ではありません。

したがって、国際関係の場面で『法の支配の対義語は人の支配なんだ!』と言うのは明確に間違いです。

安倍総理は力による現状変更と答えていた

実際安倍総理は、こう答えています。

アジア太平洋の海を繁栄の海としていく、インド太平洋を繁栄の海としていく上においては、法の支配、国際法の支配の中においてルールを守るということが大切であると。いわば力による現状変更ということは認めないということでございまして

安倍総理はちゃんと「力による現状変更」と答えています。

それに気づかず小西議員は質疑を続けていたということです。

さらに、後日ツイート等で安倍総理をバカにする発言をしていますが、どう見ても恥の上塗りです。

 

ブーメラン王だった「クイズ王」小西洋之

たしかに芦部憲法などで法の支配と対概念であるものが「専断的な国家権力の支配」であり、それが人の支配であると説明されていることはあります。

しかし、それは一国内における法の支配の説明の仕方の一つに過ぎません。

国際関係における場面では成り立ちません。

維新以外の野党議員はブーメラン使いで名を馳せていると思ってましたが

甘かったです。

ブーメランが刺さっていたことにも気づかずグイグイ自分の傷口に押し込んでいるとは。

 

しかもこの件は憲法学の教授や弁護士などが芋づる式にひっかかっており、有能な発見器の役割を発揮してしまっています。

ここで紹介して差し上げるのもいいですが、その必要もないでしょう。

法の支配と周辺概念の違いについてより詳しく(といっても概説ですが)は以下でまとめてあります。

以上

放送法改正でPCスマホのネット環境があればNHK受信料支払義務はデマなのか?

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平成31年3月5日、放送法改正案が閣議決定されました。

そこで「ネット環境があればNHK受信料支払い義務」という噂が飛び交っています。

結論から言うと「それはデマ」ということになります。

ただ、情報が錯そうしている原因があるので、その点を詳述します。

放送法改正で「常時同時配信」が可能に

まず、NHKオンデマンドなど「ネット配信」は既に行われています。

今回はテレビジョン放送を同時にネット配信可能になったのが改正法の中核です。

これが常時同時配信と言われているものです。

同時配信の具体例は2018年のサッカーワールドカップで一部の試合がNHKの特設HPにおいてTV放送と同時に視聴可能であったことです。

これが常時可能になります。

放送法改正案における常時同時配信の該当部分

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放送法20条2項2号の改正部分が常時同時配信が可能になったことを指します。

現行では「協会のテレビジョン放送による国内基幹放送の全ての放送番組を当該国内基幹放送と同時に一般の利用に供することを除く」という文言がありますが、改正法では削除されます。(上側が改正案)

この常時同時配信にNHKの受信料が別途かかるのではないか?と言われています。

受信料の規定(放送法64条)関係は変更なし

放送法

(受信契約及び受信料)
第六十四条 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ー以下略ー

「放送」とは放送法2条1号において電気通信事業者法2条1号の電気通信の送信を指すとされ、インターネット配信も含まれます

この点は今回も変更はありません。

つまり、常時同時配信が可能になった結果、法律の抽象的な可能性としては、それに対して受信料を取ることが可能になりました

では、ネット環境があればそれだけで受信料徴収が可能であるという意味なのでしょうか?

ネット環境と受信設備の設置

「受信設備」を「設置」した場合に受信契約義務が発生します。

では、「受信設備」の「設置」とは、どういう基準で判断されるのでしょうか?

平成27年(ワ)第26582号 受信料等請求反訴事件 平成28年7 月20日

 放送法及び本件規約が受信設備の「設置」という外形的事実を基準として,これに当てはまる者に放送受信契約の締結を義務付け,その者が原告の放送を実際に視聴するか否かにかかわらず,等しく受信料の支払義務を負担させるものとしていることに照らすと,本件規約9条が定める同契約の解約の要件に当たるか否かについても,同様の外形的事実を基準として判断すべきものと解するのが相当である。

「受信設備」であることが明らかなTVに「イラネッチケー」を通常の方法で取り付けた場合の裁判例ですが、この場合はまずTVがあることで「設置」され、イラネッチケーを取り付けても取り外せば「視聴可能」だから「廃止」にはならないとされました。

他方、東京高裁は受信料とは「視聴可能性の対価」とも言っています。

東京高等裁判所 平成23年(ツ)第221号 放送受信料請求上告事件 平成24年2月29日

受信料債権は、現行法上、私人間の契約に基づく債権と構成されておりー中略ー受信料とは文字どおり受信(視聴可能性)の対価であり、受信と受信料に対価性があることは明白である。

つまり、視聴可能性のあるものが「受信設備」であると言えます。

では、私たちのPCやスマホは、単にネット環境にあるというだけで「受信設備」であると言えるのでしょうか?

実は、ここはグレーゾーンなのです。

NHKの運用次第ではネット環境=受信料支払い義務

NHKが2018年のサッカーワールドカップのように、日本国内であればだれでも自由にネットで視聴可能な環境にした場合、それはネットに繋がるPCやスマホを持っているだけで視聴可能性があるということになります。

よって、この場合にはネットに繋がるPC・スマホを持っているだけで受信契約の義務が発生するということに「理屈上はなり得る」ということです。
※理屈上そうなるというわけではない。あくまで理屈上の「可能性」の話。

ただし、実際にはこのような運用は目指されていません。

NHKで検討された運用方針から外れますし、現時点での運用方針とも異なります。

 

過去に検討されたNHK受信料負担の運用方針

平成29年2月27日付け諮問第1号「常時同時配信の負担のあり方について」答申

受信料型の場合の費用負担者としては、PCやスマートフォン、タブレット等はさまざまな用途を持つ汎用端末であることを考慮すると、PC等のインターネット接続端末を所持・設置したうえで、常時同時配信を利用するために何らかのアクション若しくは手続きをとり視聴可能な環境をつくった者(視聴環境設定者)を費用負担者とすることが適当である(先述のように、放送受信契約者を除く。)

有料対価型の費用負担者としては、一般の取引と同様に常時同時配信を利用する契約を結んだ者とすることが適当である。

これは過去に検討された運用方針であり、決定事項ではないということに注意です。

この答申では受信料型の方針を取ることが目指されています。

では、受信料型の仕組みはどうなるのでしょうか?

平成29年2月27日付け諮問第1号「常時同時配信の負担のあり方について」答申

なお、ここでいう「視聴可能な環境の設定」としては、たとえば常時同時配信を視聴しうるアプリケーションのダウンロードやIDの取得等が現時点では考えられるが、その具体的な方法については、今後さらに検討していくことが必要である。 

要するに、利用者が何らかのアクションを取らなければ、視聴可能性が生まれないようにすることで、受信契約義務が自動発生しないような仕組みが検討されていたということです。

詳しくは以下を見てください。

さて、「現在のところは」この方針も「実行はされず」、ネット視聴者からは、受信契約者であっても受信契約者ではなくとも取らないようになると言われています。

現時点のNHKの受信料負担の運用方針

このことは他の報道機関も報じています。

NHKのネット同時配信、受信料「PC・スマホからも請求」は間違い - 弁護士ドットコム

テレビがなくてもNHKの受信料を払うの?「ネット同時配信」について聞いた(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

 

「受信料を支払っている世帯の人であれば、ネット視聴のための追加負担は求めない」という説明は「二重取りをしない」という趣旨であって、受信契約者ではない者に対しては徴収するということを意味しているのではないということです。

上記以外のメディアで、「ネット環境設定をしさえすれば受信料を徴収される」と書いているところがありますが、それはNHKの運用に左右される事柄なのであり、現実からは乖離した報道です。

今後のNHK受信料支払い義務

ただし、あくまでも「現在のところは」ネット環境設定+視聴環境設定が確認できれば受信料徴収をする方針は「実行はされない」というだけの話です。

今後、上述のような検討方針が実行される方向に動く可能性は残ります。

まとめ:現時点ではPC・スマホからの徴収は無い

  1. 法律の規定上、NHKの運用いかんによってネット環境設定によって即受信契約義務が発生し得ることになっている
  2. NHKの過去の検討方針では「ネット環境即受信契約義務発生」ではなく、「ネット環境設定+受信環境設定」によってPC・スマホからの徴収が検討されていた。
  3. 現時点ではそれすらなく、PC・スマホからの徴収は実行されない。
  4. ただし、今後は「ネット環境設定+受信環境設定」によってPC・スマホからの徴収がなされるかもしれない

この話は法律の抽象的な可能性と現実の運用方針がごちゃごちゃに伝わっているので誤解が生じています。

「ひとまずは現状と変わりない」という認識にとどめるのが正しい態度でしょう。

以上

安倍総理は法の支配の「対義語」を回答していた!小西洋之の「人の支配」デマ

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クイズ王・小西洋之議員が参議院で「法の支配の対義語を答えよ」と質問しました。

これに安倍総理が回答できなかったというデマが本人によってばらまかれています。

この場合の法の支配の「対概念」は人の支配ではありません。

法の支配とは

法の支配」とは"Rule of Law"の訳語です。

イギリスのダイシー教授の憲法論が代表的です。

その中で触れられているH,de.ブラクトン(~1268)の「国王は、いかなる人の下にもあるべきではない。しかし、神と法の下で統治すべきである」「何故ならば、法が国王をつくるのであるから」という言葉がありますが、これが「法の支配」の中心的な内容であることは間違いありません。

専断的権力(arbitrary power)、とくに政府の広汎な裁量権の支配に対立する正規な法(regular law)が優越するというのが法の支配の核心的部分です。

伝統的な「法の支配」は各国で異なる

法の支配と裁判 (1960年) [Jan 01, 1960] 田中 耕太郎を参考にします。

実は、「法の支配」の意味内容は国によって異なります。

日本国の法体系が属すると言われる英米法系の国であるイギリスとアメリカについて言うと、両者とも「正規法の絶対優位」は執行権の優越に対する個人の権利自由の擁護として発展したものですが、その存立基盤が異なります。

イギリスの場合、正規法の絶対優位は政府の専断、特権、広汎な自由裁量権の排除によって確立されています。念頭にあるのは国王大権の抑制であり、議会と裁判所は協力関係にあります。

一方アメリカの場合、それは裁判所の違憲審査権によって確立しています。議会(立法)と政府(行政)に対する抑制的機能が念頭にあります。

こうしてみると「法の支配」はそれぞれの国家に固有の歴史や政治的事情と密接に結びついて構成されていると言えるでしょう。

「法の支配」の「法」を完全に定義することは困難であると田中耕太郎は言います。

なお、「法治主義」とも異なりますが、一応の区分けとしては自然法を観念するか否かと言うことができるでしょう。

より詳しくは以下にまとめてあります。

人の支配と法の支配との関係の一般論

法の支配の「対概念」は「人の支配」と言われます(芦部憲法も一言だけ触れてる)。

その意味内容は「正規法の絶対優位」ではない状態ですが、既述のように各国毎に法の支配の内容が異なるために、意味内容の確定は難しいでしょう。一般的には「為政者が裁量でルールを無視できる」のような状態を指すのでしょう。

ただ、法の支配の「対義語」が人の支配だという説明を私は見たことがありません

対義語とは何ぞやという話になってきますが、今回はそういう話にはしません。

それよりも、安倍総理はどのような意味で法の支配と言い答弁したか?が重要です。

安倍総理の言う法の支配は国際関係における意味

○小西洋之君 -省略ー

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争、いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、日露戦争は朝鮮半島の、中国の植民地の権益の戦いでございました、全ての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければなりません。植民地支配を日本は行いました。さきの戦争への深い悔悟の念とともに、我が国はそう誓いました。自由で民主的な国をつくり上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年に及ぶ平和国家としての歩みに私たちは静かな誇りを抱きながら、この不動の方針をこれからも貫いてまいります。
 このような総理談話から、なぜ日露戦争の戦意発揚の歌をもって、これからの時代、国民の皆さん、共に切り開いていこうではありませんかというようなことが言えるのか、私には到底理解できないわけでございます。
 安倍総理、一つだけちょっと今気付いたので、安倍総理、よく法の支配という言葉をおっしゃいますが、端的に質問に答えてください。法の支配の対義語は何ですか。法の支配の反対の意味の言葉は何ですか。法の支配の反対の意味の言葉は何でしょうか。

小西洋之議員は「総理は法の支配と言いますが~」と総理の発言を前提にしています。

安倍総理が法の支配という言葉を持ち出すのは国際関係の場面においてです。

一国内における「法の支配」とは異なる場面であるということに気づきます。

実際安倍総理は、こう答えています。

第198回国会 参議院 予算委員会 第5号 平成31年3月6日

○内閣総理大臣(安倍晋三君) 言わば、私が申し上げているのは、私が申し上げている法の支配というのは、まさにこの反対語というよりも、法の支配ということを申し上げているのは、言わばこの海、繁栄の海、アジア太平洋の海を繁栄の海としていく、インド太平洋を繁栄の海としていく、地域としていく上においては、法の支配、国際法の支配の中においてルールを守るということが大切であると、言わば力による現状変更ということは認めないということでございまして、そういう意味におきまして、まさに法の支配による、ルールによるこの国際秩序を維持をし、そして平和な海を守っていくことがそれぞれの国の繁栄につながっていくという考え方を示しているところでございます。

安倍総理はちゃんと「力による現状変更」と答えています。

国際関係における「法の支配」と 「力の支配」

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国際社会における「法」観念の多元性*一一地球大の「法の支配」の基盤をめぐる一試論一一粛藤民徒

国際社会における「法」観念の多元性*一一地球大の「法の支配」の基盤をめぐる一試論一一粛藤民徒ではしばしば「力の支配」と対置されるとあります。

これは当然です。

国家vs国家の場面では、「為政者が誰か」という話にはならないからです。

国連は【国際法の諸原則に合致する法規範に依拠した統治の原則】を「法の支配」としています。国家の行為が問題になる以上、主体は国家であって、決して「人」ではありません。

小西議員の質問の前も、安倍談話において国際社会における日本の役割に言及していたのであって、客観的に明らかに文脈は国際関係上のものです(小西議員の主観はどうでもいい)。

したがって、国際関係の場面で『法の支配の対義語は人の支配なんだ!』と言うのは明確に間違いです。

その他の資料としては国際社会における法の支配 柳井俊二などがあります。

「人治主義」と「人の支配」という比喩語

○小西洋之君 -省略ー

安倍総理が認識している、自衛隊を違憲だという違憲論をお持ちの憲法学者の学説の概要でいいですから、こういう考え方で、九条をこういうふうに解釈して違憲と言っている学者さんがいらっしゃるという学説を二つほど御紹介していただけますか。どういう考え方で違憲になっているか。

○内閣総理大臣(安倍晋三君) 先ほど、先ほどもとうとうと述べられたわけでございますが、まさにこの人治主義に陥ってはならないということは当然のことであろうと、こう申し上げているところでございまして、先ほど私が、法の支配ということにつきましては、言わばアジア太平洋地域、インド太平洋戦略の中におきまして法の支配を尊ぶべきであるということを、この考え方、そういう世界を実現していこうということで申し上げてきたわけでございまして、それは言わば人治主義ということだけではなくて、力によるこの現状変更等々もこれはあるわけでございます。
 そして同時に、今、学者の解釈論でございますが、学者の解釈論につきまして私がここにおいて論評する立場にはないということでございます。さらには、合憲だと言い切れる憲法学者は二割しかいないということについては、違憲であるということと合憲とは言えないという方等々も含めた調査の結果であるということは申し添えておきたいと思います。

○小西洋之君 秘書官から人治主義という言葉を教わって答弁するのはやめてください。

人治主義」 という言葉が「人の支配」とほぼ同義で使われていることがあります。

法の支配と法治主義は異なるということは触れましたが、人治主義がどういう関係にあるのかは不明です。

そもそも法治主義という言葉の定義はなく、法治国家の要素として叙述されています。

「人治国家」という言葉は定義としては存在せず、法治国家ではない国という揶揄の意味合いで用いられるわけですから、人治主義という内容が人の支配とどういう関係なのかというのは意味の無い話です。

やはり「国民の敵」であった小西洋之議員

自分で国際関係の文脈にしておいてこの始末。

そもそも一般的な意味での法の支配の対義語を聞いていると考えるのは、国会質疑という場面を考えると意味不明なので、それを聞いていると解釈することはできません。

しかも小西洋之議員自体が「安倍総理が言う法の支配」と限定しているのですから。

テレビがほとんど放送しないのは、あなたのデマが大拡散されるからですよ。

以上

東京新聞の望月衣塑子記者についてチェンジオルグで署名を集めた中2女子、誹謗中傷とハフポスの功罪

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https://www.huffingtonpost.jp/entry/isoko-mochizuki-signature-campaign_jp_5c7e9d3be4b0e62f69e6cc5b

東京新聞記者の望月衣塑子(もちづきいそこ)氏が菅官房長官記者会見で妨害を受けていると一部で言われている件について。

中学2年生女子を名乗る「山本あすか(仮名)」さんがチェンジオルグで望月記者への「いじめ」をやめるよう政府に嘆願する署名運動を行ったことについて、ハフポスが2回目の記事を当該生徒の母親へのインタビュー形式で報じました。

この件で生徒に対する誹謗中傷が行われていると言われているので話をまとめます。

東京新聞の望月衣塑子記者の行為

望月記者の記者会見での振る舞いは以下で全文書き起こしをしています。

生徒が問題視しているのはこの件に限りませんが、有名な例ですので。

 

「中2の内容としてはおかしい」 への反論

このツイートは母親の認識を共有していたものか、現在の視点から当時を振り返った際の感想である可能性が十分にあります。

それを『6歳で「富裕層」とはすごいなwww』と揶揄するのは拙速でしょう。

また、「業界事情について詳しくないと知らないことをツイートしているから中2ではない」と言う人が居ますが、これも短絡的です。

記者会幹事会社という存在があるということは、別に業界通でなくとも分かります。

このツイート以前に他の有名アカウントが呟いています。

なので、発想としてこのような意見を持つことは誰でも十分に可能です。

それに、彼女の母親がもともとその業界に居たということを考えれば、事前知識として持っていても何ら不思議ではありません。

こういう非合理的な非難があるせいで、「子どもはしゃべるなと言われている」と受け止められるのも仕方がないと思います。

「14歳だからこんなツイートをするはずがない」と言う人は、「14歳であることを売りにしていること」を非難できないはずです。

ある人の言語能力がその年齢の平均よりも秀でているということは在り得るのに、どうしてそれが想像できないのでしょうか。

「大人の発言をする子ども」は存在する

彼女は現在18歳ですが、この文章には「その通り」以外にありません。

是非読んでみてください。

年齢で言論に下駄をはかせることが本人にとっても有害な場合があります。

どうして無数の専門家の研鑽よりも一人の素人の中学生の意見を議論もなく優先せねばならないのか

チェンジオルグ「16歳未満は禁止」の規約違反?

それってそんなに叩くほど悪いことですか?

規約違反か否かは以下で考察しています。

いずれにしても、親の関与があるものについて、些末な違反を攻撃することには賛同できません。チェンジオルグ運営の裁量の範疇のことですからね。

14歳と名乗ったことの目的は何か

「14歳であることを注目されるために利用している」と言う人が居ます。

それはハフィントンポストや周りの大人などが年齢を取り上げているのはそういう目的であるのでしょうが、キャンペーン上で14歳と名乗ったことは別の意味も考えられます。

「同年代・同属性の人にも関心を持ってもらいたい」という趣旨である可能性や、ただ単に実際の年齢を書いただけである可能性。

ツイート内容からは「同属性に~」という気持ちは読み取れませんが、完全に否定できるものでもないでしょう。

これについての評価は普段の発信内容に対して行われるものであって、それは山本あすかさんが受け止めるべき事だと思います。

中2女子は署名運動をしていた

「署名運動を中2女子がしていた」ということは事実として良いでしょう。

「母親が手伝っていたのだから14歳の子の行為とは言えない」という人が居ます。

しかし、我々大人の仕事というのは、ほとんどの人は振り返ってみれば他人の助けを借りているでしょう。なぜ大人が大人の手を借りていることは無視して、子どもが大人の手を借りていると本人の行為ではなくなるのでしょう?

疑ってる人はTwitterの活動履歴とリンクさせている事が原因かもしれません。

「ツイッターアカウントの主体」と「署名運動の主体」

 この二つを分けて考えてみてください。

「署名運動を自主的に行った中2女子」の存在は、ツイッターアカウントの活動からは否定できないはずです。

ただ、ツイッターアカウントの発信の評価については話が変わります。

それは、中2女子の言動にも一定の責任があります。

疑われるのは山本あすかさん側の責任でもある

魚拓:http://archive.is/57bam

厳しいことを言うと、疑われる原因は山本あすかさん側(母親含む)にもあります。

ツイッター上では何度もこのような発信をしてきました。

1回目のハフポスの記事でも、自分の思考を言葉にしていたハズです。

なのに2回目のハフポスの記事で、山本あすかさんの発言は以下しかありません。

東京新聞の望月衣塑子記者を支援する署名をネットで集めた中2、誹謗中傷に「子どもが何か意見しちゃいけないんだと感じた」 | ハフポスト

──署名活動をめぐり、Twitterなどでは批判的なコメントが相次いでいます。

生徒 ネットでひどいことを言われて悔しいです。根拠がないネットの言葉を信じ込んでしまう人が多いんだな、と思いました。
ー省略ー

──あなたが実は存在しないとか、お母さんがなりすましているなど、疑う人も多いです。

生徒 ちゃんといます。信じてくれない人がたくさんいて悲しいです。子どもが何か意見しちゃいけないんだという偏見が(日本には)すごくあると感じました。

普段ツイートで見せているような知性の持ち主から、「──望月記者の質問の仕方にそもそも問題がある、という声もあります。」「──集めた署名は内閣記者会にも提出するとのことですが、報道機関に対して思うところはありますか。」という記者の質問に対して応えて欲しかったと思いますが、残念です。

2回目の記事はほとんどが母親の意見で構成されており、山本あすかさんの思考に多大な影響を与えているのでは?という疑問を生じさせかねないことになってしまっています。

もっとも、本人性を疑う具体的な指摘に対して本人が反論しても、バカにされたり逆に「疑惑は深まった」とかの謎認定をされかねないので、下手に反論していないというのは正しい行動だと思います。特にツイッター上においては。

実際、ネット上には非合理的な推論過程を経て「ツイートは中2ではない」とする例があったのは既述の通りです。

ハフポスの報道は山本あすかさんの思いを無視している?

キャンペーンは早期に1万人に達し、2月初旬には「フリーの記者の処遇改善」についても追記していました。その後署名は1万7000人を超えており、この観点は無視できないはずです。

にもかかわらずハフィントンポストの記事は2回に渡ってこの点をスルーしています。

ハフィントンポストは、一体どういう意識で報道したのでしょうか?

  1. 署名をした中2の思いを伝えるため
  2. 本当に中2が署名したのか、取材することで世間に判断材料を提供した
  3. 望月記者を助けるため
  4. エンタメとして消費するため

どれでしょうか?

また、山本あすかさんの側からこの点について触れてないというのは、報じてくれたハフポスに恩義を感じているからでしょうか?

内閣記者クラブの閉鎖性とフリーランス記者

この問題についてはツイッター上でも多くのフリーランスの記者が情報発信をしています。以下記事でも触れています。山本あすかさんは、そういう記者もフォローすれば良いのに、と思います。

まとめ:ハフポストは記者の取材制限問題に取り組むか

ハフポスト編集長はわざわざ2回ツイートして『「大人たちが頑張る番です」という言葉が重い』と言いました。

もしかして、これまでの記事の中で内閣記者クラブの閉鎖性やフリーランスの取材制限について触れていなかったのは敢えてそうしているのであって、今後、なにか動きがあるのかもしれません。

業界の問題にメスを入れてくださることを知る権利を持つ国民として祈念いたします。

以上