事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

朝日新聞が大阪発砲容疑者の姜真一の情報提供呼びかけも井川真一としか書かず

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https://www.asahi.com/articles/ASM3C5H2BM3CPTIL01K.html

朝日新聞が大阪の発砲事件の指名手配犯である井川真一容疑者の情報提供を求める記事を書きました。

この記事、何かがおかしいです。

朝日新聞が井川真一容疑者の情報提供を呼びかけ

大阪の発砲、34歳の男を指名手配 殺人未遂などの疑い:朝日新聞デジタル

無事だった従業員の府警への説明などによると、井川容疑者は入店直後に応対した従業員に発砲。その後男性客ともみ合いになり、さらに発砲した。従業員らが取り押さえようとしたが、北方向に逃走したという。店のテーブルには回転式拳銃のようなものが残されていた。情報提供は南署(06・6281・1234)へ

井川真一容疑者の情報提供を呼び掛けています。 

でもこれ

本名を記事中に示さないのに意味あるのでしょうか?

井川真一は通名、本名は韓国籍の姜真一

本名は韓国籍の姜真一であるという報道があります。

産經新聞に限らず、他の媒体やテレビでも報道されています。

朝日新聞は顔写真あるし他が報じてるから良いと思った?

顔写真があるから良いのでは?という意見もあると思います。

しかし、こういう写真は普段の生活上の見た目とは結構異なる場合も多々あります。

私も運転免許証の写真は別人のようになっていますし、写真の写り方によってかなり変わるでしょう。

また、他の媒体が報じてるから良いのでは?とも一瞬思うのですが、それって朝日新聞の存在意義がなくなるという話なので、どうなの?と思います。

まとめ:重大事件を本名で報道しない謎

この事件は拳銃を発砲して殺害しようとし、現在逃亡しているという重大事件です。

にもかかわらず通名報道で済ませ、本名報道をしないというのは、本当に情報収集をする気があるのか非常に疑わしいと言わざるを得ません。

こういう報道姿勢は正しいのでしょうか?

以上

立憲民主党の川内博史「鉄は1トン1万円なのにオスプレイは200億」がツッコみ所満載な件

立憲民主党川内博史の評価評判

立憲民主党 川内博史衆院議員が「鉄は1トン1万円だから重さ15トンだと15万円。他方で15トンのオスプレイはどうして200億円になるのか」と発言したことが調べれば調べるほどツッコみどころ満載すぎて、おもわず更に調べてしまいました。

評判の立憲民主党・川内博史衆院議員の演説

 

立憲民主党 川内博史衆院議員 2019年3月2日 動画3分40秒から

オスプレイってあれ重さ15トンなんですけど。鉄1トンはオーストラリアで買うと1万円です。それが15トンですから本当は15万円ですよ。いろいろ加工して人手がかかってるからいくらかは付加価値はつくかも知れないけど15トンは15万円なんです。それがなんで200億にもなるの~と

全部みなさんに請求書が回るんです。この国のあらゆる財やサービスはすべて皆様がお金を出している。最終的にみなさんの懐に請求書が回るんです。だから政治や行政というものを私たちが正しいものにしていかなければならない。まぁ統計を偽装するようになったらおしまいです。

この発言が総ツッコみを受けているところです。

コストや加工費をなぜか度外視

「いくらかは付加価値はつくかもしれないけど」

という前置きはありますが、結局のところ原材料費から製品価格が決定される途中について全く触れていないので、加工費等を無視していることになっています。

これに対してなんと川内議員がツイッターで釈明をしました

魚拓:http://archive.is/BHIxz

付加価値の中身を考えてもらうという問題提起でした、だから間違ってません

要するにこう言ってるわけですが、それにしても奇妙です。

本当に付加価値の中身を考えていただくということでしたら、聴衆に考える材料を提供しているハズです。しかし、何も言及していません。

本当に川内氏の言うような意図なら15万円⇒200億円の途中にあるべき付加価値の中身について触れるハズですが、それがまったくありません。

なので、オスプレイは必要ないという結論を言いたかったがためだったのがヤバいと思いつつ認めるわけにはいかないのでいい加減な言い訳をしているのではないか?と疑惑をもたれてしまうのです。

なんだか「倉敷の友達からききました」「皮肉として書きました」を思い出します。

鉄のレートは1トン1万円?

鉄鋼市場価格|鋼材・鉄鋼製品・鉄スクラップ価格表|日刊産業新聞

2019/03/08調べ (円/トン)

鉄スクラップ
H2 東京24500 大阪21500
鋼ダライ粉 東京21700 大阪19000

鉄スクラップの半額以下の鉄って、本当にオーストラリアで買えるのでしょうか?

まぁ、オーストラリアの市場価格が調べられなかったので、もしかしたらそうなのかもしれませんが、スクラップよりも安いというのはちょっと…

とまぁ戯言はさておき「鉄の塊」というのは当然にして疑問が呈されるべきでしょう。

オスプレイの機体は主にアルミ製?

「オスプレイみたいな飛行物体が鉄でできているわけはなく、より軽量なアルミ合金でできているのではないか?」

こう指摘する声があったのですが、そうでもないみたいです。

カーボン(Graphite-Epoxy)が主な素材

魚拓はこちら

上記サイトの図を見ると、Graphite-Epoxyが機体(12500ポンド)の59%、金属が20%、ファイバーグラスが11%、その他が10%となっています。

さらに、別のソースからも指摘がありました。

Air Force Magazine

The Osprey is also the first major military aircraft design whose airframe will be made up almost entirely of composites. Slightly more than 6,000 pounds of the aircraft's almost 13,200-pound structure will be made of a graphite-epoxy laminate. 

There will only be about 1,000 pounds of metal in the airframe, and most of that comes in the form of perforated copper that will be laminated to the outer skin panels for lightning protection.

オスプレイは、その機体がほぼ完全に複合材料で構成される最初の主要な軍用機でもあります。機体部分の13,200ポンドの構造のうちの6,000ポンド以上が、グラファイト - エポキシラミネートでできています。

機体には約1,000ポンドの金属しかないでしょう、そしてそのほとんどは雷防護のために外皮パネルに積層される穴のあいた銅でできています

上記2つのサイトの数値にずれがありますが、いずれにしても「鉄の塊」というのはまったくあてはまらないということがわかります。

流石にこれだけ素材が進化してる現代において「比喩表現でした」は通用しないでしょう。しかも本人が「原材料としての鉄」をわざわざ引き合いに出しているのですから、なおさらです。

そもそも200億円というのも間違い

ぼったくりではない日本向けオスプレイの価格(JSF) - 個人 - Yahoo!ニュース

Japan - V-22B Block C Osprey Aircraft | Defense Security Cooperation Agency

内容はオスプレイ17機とエンジン40基、赤外線前方監視装置40基、ミサイル警報システム40基など機体数を上回る予備部品とアメリカでの訓練費用なども含んだ総額の諸経費で、約30億ドルが提案されています。今現在の為替レートは1ドル120円なので約3600億円になります。

ただし、単純に30億ドル(3600億円)を機体数17で割ると1機あたり1.76億ドル(211億円)になりますが、これは前述の通り諸経費込みの価格なので機体単価ではありません。機体単品での価格は1機100億円前後で、諸経費がそれと同じくらいに掛かるという事です。

200億円というのは日本政府がオスプレイ17機を購入した際の総額30億ドルを17で割っただけの数字だったようです。

機体単価だけみると1機約100億円とのことで、この点も川内氏の発言は前提が誤っていたということになります。

民主党政権が購入を提案した点の評価は?

オスプレイ、自衛隊に導入検討へ 防衛省、調査費を計上 :日本経済新聞

オスプレイの導入を巡っては、野田政権時に玄葉光一郎前外相の提案を受け、森本敏前防衛相が導入の可否を検討するよう指示していた。安倍政権でも日米同盟を強化するとの観点から調査費計上の方針は引き継ぐとみられる。

川内博史議員は民主党公認で出馬して2009年には小選挙区で当選しています。

まさか自分の所属していた党が購入する方針だったことをお忘れなのでしょうか?

まとめ:立憲民主党の川内博史議員の演説の正しさは…

立憲民主党 川内博史衆院議員 2019年3月2日 再掲

全部みなさんに請求書が回るんです。この国のあらゆる財やサービスはすべて皆様がお金を出している。最終的にみなさんの懐に請求書が回るんです。だから政治や行政というものを私たちが正しいものにしていかなければならない。まぁ統計を偽装するようになったらおしまいです

川内議員はべつに偽装する目的だったのではない。これだけは言いたい。

あと、オスプレイの重さはちゃんと15トンでしたのでその点はご安心ください。 

以上

朝鮮総聯(朝鮮総連)の破産申立てについての質問主意書と答弁書

朝鮮総聯に対する鵜破産申立て、質問主意書と答弁書

加藤健さんや長尾敬議員らが目指している【朝鮮総聯の破産手続き】について。

内閣から答弁書が出たようですので確認していきます。

朝鮮総聯(朝鮮総連)の破産申立てに関する質問 

平成三十一年二月二十一日提出 質問第五五号 朝鮮総連への破産申立てに関する質問主意書 松原 仁

松原仁さんは靖国神社のパール判事の記念碑に献花するなど、良心的な方です。

この質問では「朝鮮総聯が破産法の破産申立ての対象になり得るか」を確認してました

それに対して内閣から答弁書が3月5日に出ていました。

朝鮮総聯の破産手続きについての答弁書

内閣衆質一九八第五五号 平成三十一年三月五日 衆議院議員松原仁君提出朝鮮総連への破産申立てに関する質問に対する答弁書 

ざっくりこの回答内容をまとめると以下です。

  1. 一般的に権利能力無き社団に対しても破産開始決定は可能
  2. 個人以外への免責はない
  3. 一般的に債権者の同意があれば破産廃止決定が可能
  4. 一般的に債務者の役員や従業人に至るまで破産法上の説明義務が課せられ得る

個別具体的な事案についての回答は控えられました。

要するに朝鮮総聯に破産手続きができる可能性があることが確認できました。

これは破産法の条文から当然のことしか言っていませんが、可能性が断たれるのではなく可能性として残っているということが重要なのでしょう。

破産手続の誤解:免責を与えるために行うものではない

よく破産手続の誤解として「免責が必ず与えられる」という思い込みがあります。

だから朝鮮総聯の件でも「わざわざ免責するのか!けしからん!」という受け止めをする方がいらっしゃるようです。それは誤解です。

免責は個人にしか適用されません。

朝鮮総聯は「権利能力無き社団」ですから、個人ではありません。

よって、免責はありません。
※追記:個人と異なり法人や団体は破産すると存在が消滅するため免責制度を設ける必要が無い。有限責任である権利能力無き社団も同様。破産者の財産の換価処分を超えた債務は消滅する。

権利能力無き社団とは、法人格を持たないけど団体としてのまとまりがあると認められている法的な主体です。たとえば私が「ツイッターブロガーの会」みたいなのをSNS上で宣言してハッシュタグで活動していたとしても、それだけでは「ツイッターブロガーの会」が訴訟等の当事者とはなりませんが、朝鮮総聯は訴訟等の当事者になる事が出来ます。

破産手続は、債権者に朝鮮総聯の1000億円近い債務を配当させることを目指しているのです。

破産廃止決定が可能性としてあることの意味

破産廃止とは破産手続きの終了の効果があります。

なぜこれに意味があるのか?破産手続を終わらせるのは朝鮮総聯に利益では?

そうです。朝鮮総聯に利益です。

だからこそ、取引材料に使えると加藤さんらは考えています。

朝鮮総聯の構成員に破産法上の説明義務が課せられ得る

これが結構強力な効果を持ちます。

(破産者等の説明義務)
第四十条 次に掲げる者は、破産管財人若しくは第百四十四条第二項に規定する債権者委員会の請求又は債権者集会の決議に基づく請求があったときは、破産に関し必要な説明をしなければならない。ただし、第五号に掲げる者については、裁判所の許可がある場合に限る。
一 破産者
二 破産者の代理人
三 破産者が法人である場合のその理事、取締役、執行役、監事、監査役及び清算人
四 前号に掲げる者に準ずる者
五 破産者の従業者(第二号に掲げる者を除く。)
2 前項の規定は、同項各号(第一号を除く。)に掲げる者であった者について準用する。

 (説明及び検査の拒絶等の罪)
第二百六十八条 第四十条第一項 ー中略ー の規定に違反して、説明を拒み、又は虚偽の説明をした者は、三年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

帳簿に何か怪しいことがあっても秘匿は許されないということですね。 

口頭説明に限らず、必要書類の提出義務もあるとされています。

朝鮮総聯の幹部連中が下手をすればお縄になる一歩手前になる状態に引きずり出すことができるわけです。

朝鮮総聯の借金と返済未納の顛末について

加藤権さんが指摘する朝鮮総聯にかんする経緯や破産手続の効果については、新潮45に書かれています。導入部分は上記デイリー新潮の記事に書かれています。

以上

3.11検索は応援にはならない場合も:正しい認識を身に着けることが応援になる

yahoo、検索は応援になる

Yahoo!JAPANが「検索は応援になる」というキャンペーンを掲げ、"3.11”と検索すれば10円が寄付金として被災地に贈られるという、非常に素晴らしい仕組みを実行しています。

Yahoo!検索「3.11」で被災地に10円寄付、今年もスタート(ITmedia NEWS) - Yahoo!ニュース

タイトルに「検索は応援にならない場合も」としましたが、決してyahoo!JAPANの活動をくさす意図ではなく、大切な側面を認識して頂きたいのでそうしました。

検索してもデマサイトや根拠なく不安を煽るニュースが上位に来たらどうですか?

3.11「検索は応援になる」場合とならない場合

Yahoo検索のアルゴリズムはGoogleのものを借用していると言われます。

"3.11"と検索しても、福島の放射線が震災当時から酷かったと印象操作をするようなニュース記事やデマサイトが上位表示される可能性があります。

実際、今日の朝の時点ではそのようなニュース記事が上位に来ていました。

検索順位を決定する要素はいろいろありますが、大きな要因は「検索表示画面からのアクセス数」と「記事の被リンク数」です。

ツイッターなどのSNS経由ではこの効果は限定的です。

つまり、検索結果画面から有益なサイトにアクセスし、そういった記事をどこかでシェアすることで、有益な記事が上位表示され、結果として不安を煽るようなサイトの検索順位が相対的に下がるという効果があるのです。

3.11での検索結果ではないが素晴らしいページ

また、3.11での検索結果ではないですが、内容がすばらしいページを紹介します。

正しい認識を身に着けなければ応援にならない

魚拓:http://archive.is/aVF8S

※追記:毎日新聞グループホールディングス取締役の小川一さんの上記ツイートは、消されたようです。

特に放射線に関する誤解は、東日本大震災から8年経った今でも色濃く残っています。

報道でもたびたび読者に誤解を生じさせることを意図しているとしか思えない記事が出現し、その度にSNSで指摘がなされています。

私もこういった類の問題については累次、記事を書いてます。

東日本大震災を風化させないために

  1. 地震と津波による被害と避難体制について
  2. 放射線についてのデマが拡散された教訓について

東日本大震災の教訓とすべきことは、大きくこれら2つに大別されると思います。

Yahoo!JAPANさんの心意気に共感しつつ、同時に私たちにできることをしていきたいと思います。

以上

実力の支配に対する法の支配:国家権力だけでなく一般国民も対象である

実力の支配と法の支配、人の支配

 法の支配の対義語は何か?を総理大臣に質問した議員が居ましたが、実は法の支配は「実力の支配」を排除するためにあるという側面があまり認識されていないように思います。

田中耕太郎「法の支配と裁判」を参考に法の支配と実力の支配につき考えていきます。

実力の支配と法の支配

法の支配と裁判 田中耕太郎 267頁

国家であればその機能として法を制定し、そうして法を自ら実現するに十分な実力をもっていなければならない。
ー中略ー
この故に法は社会に存在するあらゆる実力を克服するだけの力を自ら具備していなければならない。元来法は実力とアンティテーゼの関係に立つそれは社会を各人の恣意や実力の支配から防衛すること、社会が「万人の万人に対する戦い」「狼の狼に対する関係」に堕さないようにするために存在する。従ってこの意味で法と実力とは相いれない。「法の支配」は「実力の支配」に対立する観念である

元最高裁判所長官である田中耕太郎。

彼は、国際社会における法の支配とはどうあるべきかを模索していました。

だからこそ法の支配の対概念には「実力の支配」があると考えるに至ったのでしょう。

そして、この理は国際関係に留まらないと指摘しています。

法の支配と裁判 田中耕太郎278頁

およそ「法の支配」は前にのべたように「実力の支配」を排除することである。これは国内社会であると国際社会とによってことなるところがない

考えてみれば、警察や自衛隊よりもヤクザの方が実力が上であり、取り締まりが意味をなさないような世界は法ではなく実力が支配する弱肉強食の世界でしょう。

ヤクザが勝手に決めたみかじめ料を払うのではなく、法的根拠のある国家機関が設定した税金を納める。その裁定は究極には裁判所が行う。

これが法の支配の一つの要素でしょう。

法に包装された実力と裸の実力の違い

法の支配と裁判 田中耕太郎267頁

法と実力とは一方当為と存在とのアンティテーゼの関係にある。それらは他方目的と手段との関係にある。法その目的を達成するために自ら実力を用いるのは、一個人や団体の実力行使とその意味をことにしている。実力たることではいずれの場合にもちがいはない。実力はそれ自体として中性的である。この実力は裸の実力である場合と、法によって包装された場合とがある
ー中略ー
実力行使が例外的の場合に私人や私的団体にとくに認められている場合においても、それは法の理念からして正当化されるからであり、実力行使をそれ自体として許容したわけではない。従ってこの場合は「法の支配」の例外をなすものでなく、法が実力を手段として利用する関係が存することは、国家による実力行使の場合と同様である。国家による実力行使もその実力が法の包装をうけたものでなければならず、法を逸脱している場合には、「法の支配」が存するものといえないのである。

個人にとっては正当防衛や緊急避難の場合などにおいて、私的団体にとっては労働争議の場合などにおいて実力行使が行われることがあります。それは法によって認められているからであって、「裸の実力」ではありません。

ただ、その限度を超えたものは法が認めていないものとして「法の支配」を逸脱したものであるという関係にあるのです。

ボクサーのパンチも「実力」ですが、リング上では競技で認められている正当行為として(刑法35条)「法を纏った実力」であると言えます。これが試合以外だと暴行・傷害になるというのは法を纏った実力とはなりません。

サッカーやラグビー、アメフトの試合でも相手の身体にダメージを与えてしまうことがありますが、それは正当行為の一環として行われている限りにおいては刑罰の対象とはなりません。ただ、「悪質タックル」のような類のものについてはたとえ試合中であっても正当行為ではないために、一般の刑罰の対象になり得ます。

法と実力を対比した際、法の側には実力が含まれている(しかもそうあるべき)という認識を得るためには、田中耕太郎の分析は重要だと思います。

人の支配と法の支配

もちろん、上述の考えは「法の支配に対する人の支配」という考え方を否定するものではありません。相互排他的な捉え方ではなく、視点を変えた評価の一つです。

「法の支配」という概念・言葉は沿革的には国家権力の横暴に対抗するものとして発生したという経緯がありますが、実はさらに遡って「法」が生まれたのは何かを突き詰めると、実力に対抗するためであるということを田中耕太郎が認識したに過ぎません。

私たちの素朴な感覚からも、これが間違いであると言うことは不可能だと思います。

法の支配に服するのは国家だけではない

法の支配と裁判 田中耕太郎269ページ

 「法の支配」に服する者は一個人や私的団体をふくむ国民一般であり、この場合においては「法の支配」を阻害する私的実力の排除がとくに問題となってくる。次に問題となるのは国家自体と「法の支配」との関係である。

法は実力の支配を廃するためにあるという観点からは、法が規律する対象には一般国民が含まれるということになります。

似たような話で「憲法を守るのは国家の側であり、国民はまもらなくてよい」という暴言がありますが、憲法上、国民の義務として規定されている条文はあります(直接的に法的義務を発生させているわけではないものも含む)。

また、憲法改正の国民投票が投票者の過半数によって改正が決まるということを一般国民が無視することはできませんから、そのような意味において国民も憲法の拘束下にあるというのが現実です。

もちろん、憲法や法の支配が第一義的に縛っている相手は「権力」であり、その理解自体は正当です。ただ、それをすべての場合についてまで貫徹するのは実態とあまりにもかけ離れている上に、理想としてもおかしいというのもまた明らかでしょう。
※田中耕太郎もこの点を否定しているわけではない。

さて、私的団体による実力の行使について、田中耕太郎は鋭い指摘をしています。

実力行使と法の支配の関係

法の支配と裁判268頁 

戦後のわが国の混乱状態において、法と実力との関係についての正しい認識が失われ、実力行使自体が正当視されるかのような傾向が生じた。それは労働争議の場合において実力行使がきわめて限局された範囲内で認められるにいたったことに端を発している。実力行使の正当性はこの限度を超えて、ひろく政治運動その他自己の主張を貫徹し、自己の利益を擁護する場合に援用されるにいたった。この傾向は次第に増長し、はなはだしきにいたってはそれは大規模な大衆運動化し、これによって国会や裁判所の正常な機能を阻害するにいたった。

労働争議…政治運動…うッ頭が

どこかで見た様な既視感がないでしょうか?

労働争議に名を借りた反社会運動を行う団体がありますね。 

この団体は北朝鮮と関係を持っていますね。

何らかの権利行使に化体した犯罪行為って、これだけじゃないですよね。

沖縄平和運動センター議長の山城博治は防衛局職員への公務執行妨害と傷害、有刺鉄線を許可なく切断した器物損壊などで有罪判決が出ています(現在最高裁に上告中)。

これも「ヘリパッド建設に反対するための表現活動の一環だ」と主張されてました。

この反対活動に関西生コンからも人材派遣がなされていたというのは意味深です。

法の支配は専ら人の支配との関係で論じられるべきだと主張して、法の支配と実力の支配との関係を認識させないようにしている者は、実力行使を咎められるのが嫌なのではないでしょうか? 

たとえば共産主義では法は階級的支配の手段とされて、一個の実力としての意義しか与えられていませんが、そういう手合いの者が解釈した「法の支配」の理解がネット上でも散見されます。

まとめ:法にまつわるプロパガンダ

「法は弱者であっても権利を実現するためのもの」です。

「法は弱者が権利を実現するためのもの」ではありません。

同様の誤りとして「司法は少数者の権利を実現するためのもの」がありますが、正しくは「司法は少数者であっても権利を実現できるようにするためのもの」です。

なぜわざわざこういう事を言うかというと、「弱者だから、少数者だから厚く保護されるべきだ」という独自理論を振りかざす輩が居るからです。

法は強者だろうが弱者だろうが少数者だろうが多数派だろうが、平等に取り扱います。

ただ、ある力関係からして「公平ではない」と判断されれば何らかの調整が取られる場合がある、というだけに過ぎません。 

「法」にまつわるあらゆる言説を見ていくと、そこには巧妙な誤魔化しが含まれている場合があります。それはある種のプロパガンダです。

発信源は、現行の日本国家の統治体制が気に食わない者であることが多いです。

ある記述を読む際は、そういった事情を認識しながら読み進めるべきだと思います。

以上

野党国会議員が政府に「法の支配を守れ」と言うことのコレジャナイ感

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平成31年3月6日の参議院予算委員会で、立憲民主党の小西洋之議員が質疑の中で安倍総理に「法の支配」の対義語は「人の支配」だ、という主張をしました。

この話の是非は過去に記事化しているのでそちらを見て頂ければと思いますが、ここでは【国会議員が政府にだけ法の支配を守れと言うこと】のおかしさを指摘します。

法の支配と専断的権力の抑制

法の支配」とは"Rule of Law"の訳語です。

その意味内容の中核は専断的権力(arbitrary power)とくに政府の広汎な裁量権の支配に対立する正規な法(regular law)の優越の意味です。

ただ、この意味内容は各国で微妙に異なります。

田中耕太郎によれば、以下のように分析されています。

イギリスの場合、正規法の絶対優位は政府の専断、特権、広汎な自由裁量権の排除によって確立されています。念頭にあるのは国王大権の抑制であり、議会と裁判所は協力関係にあります。そのため、裁判所には議会の制定法が憲法に違反しているのかを審査する「違憲立法審査権」がありません。

一方アメリカの場合、それは裁判所の違憲審査権によって確立しています。議会(立法)と政府(行政)に対する抑制的機能が念頭にあります

こうしてみると「法の支配」はそれぞれの国家に固有の歴史や政治的事情と密接に結びついて構成されていると言えるでしょう。

また、特にイギリスでは顕著ですが、判例法(コモンロー)が法の根源であり、特定の時代の者が人為的に設計した法律ではなく、歴史を通じて認められ醸成されてきたルール、つまり自然法が法の淵源であるとする考え方を持っています。

日本における法の支配

日本国憲法の前身である大日本帝国憲法はドイツ帝国憲法を元に作られましたが、現憲法が拠って立つ基盤は「法の支配」であると言われています。

元最高裁判所裁判官の伊藤正巳の「法の支配」という著作には以下書かれています。

はしがき

この原理的な意味での「法の支配」は、日本国憲法の根底に脈打っており、わが憲法は、この原理が、日本国民の信念と化することを期待しているといってもよい。司法権に対して払われる尊敬と信頼、基本的人権の絶対的ともいえるまでの保障、憲法の最高法規性の強調のごときは、その具体的なあらわれであろう。人の支配、権力の優越を否定する法の優位の思想が、日本国民の血肉と化したときこそ、この憲法の真に実現されたときであり、それが理想とする立憲民主政の完成したときといってよい。

アメリカ側の関与によって作られた日本国憲法ということもあり、日本の裁判所には違憲立法審査権があります。裁判所(司法権)は議会(立法権) と政府(行政権)と互いに牽制しあう関係にあります。

前項のアメリカにおける法の支配が裁判所は議会と政府に対する抑制機能があるということと合致すると言えるでしょう。

つまり、【法の支配に服するのは政府のみならず、議会も含まれる】ということです。

より強調して言えば

「議会」には【野党議員も含まれる】のであって、彼等もまた法の支配に服するということです。

野党議員(議会)と法の支配

行政権を執行する立場の政府に対して法の支配に服する事を要求するのは当然です。

しかし同時に、野党議員も法の支配に服しているのですから、やたらと野党議員が政府に対して「法の支配」を要求して「人の支配だ」と評するのは、なんだか話がずれていると思いませんか?

そもそもあなたたち、「法」を破ってたでしょ?

別に自分たちが出した法案の審議を予告も無くボイコットしたことや、速記録を妨害したことが起訴されて有罪になったわけではありませんけど、国会のルールを破っている者から「法の支配を守れ」と言われても説得力がありません。

まとめ:「法の支配を守れ」⇒オマエモナ―

国家権力の抑制の観点からの法の支配に国会議員は服します。

同時に、国会議員を含む全ての人や国家機関は、実力行使の抑止の観点(実力の支配に対するアンチテーゼ)からも法の支配に服します。

したがって、専ら政府に対してのみ「法の支配を守れ」などと言うことはおこがましいにも程があるのであって、「オマエモナー」以外の何物でもありません。

以上