事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

パリ国際大学都市日本館での杉田水脈講演会が「中止」・会場変更:石田英敬の弾圧思想

魚拓:http://archive.is/kubss

他人の講演会の妨害をして喜んでる人間が東京大学の名誉教授だったのですが、その言ってることがまぁまぁ支離滅裂だったので取り上げます。

パリ国際大学都市日本館での杉田水脈講演会が中止・会場変更

【パリでの講演について】 | 杉田 水脈(すぎた みお)オフィシャルブログ

この会合の告知をご覧になった方の中から、当該会合の開催を阻止することを企図して、事実に基づかない内容の署名活動を展開したり、有志の方への中傷や、予定会場に対しての実力行使を示唆するかのような内容の発言等も寄せられていると仄聞しており、参加者の方々の安全の確保を最優先し、会場を変更する運びとなりました。
新しい会場につきましては、既にお申込みをいただいている方には個別にご案内をさせていただくことになると存じます。
諸事情をご賢察、ご理解いただければありがたく存じます。

参加者の方々には等しく「知る権利」があるにも関わらず、安全を脅かすかのような言動を行う方々が一部にいらっしゃるとのことは、非常に残念でなりません。
また、少人数の参加者の方々に向けて日本語にて講演を行う予定であるにも関わらず、英語やフランス語で現地の方々を巻き込んで中止を求める呼びかけを行い、一方的なレッテル張りをして海外メディアへの取材を促し、一個人の活動を国際問題化しようと扇動するかの様な活動をしておられる方が一部に見受けられることも、由々しき事態であると認識しております。
ご自身の思想信条の正しさを主張されるのは自由です。しかしながら、他者の意見や価値観を否定するため、言論活動や政治活動そのものの自由を封殺しようとする行為を、自由を守ることを主張している方々が実行されていることは、非常に残念に思います。

▲パリ国際大学都市日本館での講演会が中止

×パリでの講演会が中止

〇講演会場を変更

石田英敬の弾圧思想

石田英敬氏は記号論・メディア論専攻の東京大学名誉教授らしいです。

魚拓:http://archive.is/qS5Po

「学問の自由に関わる案件」などと言ってますが、意味不明です。

学問の自由の問題ではない

学問の自由は学問研究の自由、研究成果発表の自由、教授の自由で構成されていると考えるのが通説です。それ以上の意味を求める見解もあるのでしょうが、本件では関係ありません。

なぜなら、本件で公権力が誰かに対して杉田水脈講演会の実施を強制したり参加を強制したりしたわけではないからです。

「学問の自由」とかなんとか言っておけば、よく知らない人を騙せるとでも思っているのでしょう。

ごちゃごちゃ理由をつければ「無関係では無い」と言う事は可能でしょうが、こんなの、単に「そのような講演会を大学で実施してよいのか?」という、大学のブランド価値の話に過ぎません。

表現の自由の問題でもない

魚拓:http://archive.is/b9lR3

直接的には表現の自由の問題でもないですね。

私人間の問題ですし、会場変更はどうやら杉田水脈議員側の判断のようですし。

ただ、他人の言論の機会そのものを奪う行為は良いことなのか?という話ですよ。

歴史修正主義は軽犯罪の対象というごまかし

魚拓:https://web.archive.org/save/https://twitter.com/nulptyx/status/1168101512033136640

「歴史修正主義は軽犯罪の対象」というのは不正確です。

正しくは【特定の歴史上のホロコーストが指定されて軽犯罪として処罰対象になっている例がある】ということです。

「あなたは歴史修正をしたから逮捕します」なんて言われても、「どんな内容が歴史修正なんだ?」と思いますよね?そんな曖昧不明確な刑罰法規なんてありません。仮にあるとすれば先進国であれば刑罰法規の明確性原則に反して違憲になるでしょうね。

「一度でもミスしたら大学で講演するな」と言う石田英敬

魚拓:http://archive.is/b9lR3

杉田水脈講演会の題名は「憲法改正について」です。

チェンジオルグの署名では過去に杉田氏が「憲法改正についての真理に反する活動」をした旨の指摘はありません。

とすると、講演会の内容以外の場面で何かしらの事実誤認の発言をした者であれば、大学での発表の機会は与えられないということを石田氏は言っています。

仮に石田英敬氏が「杉田水脈は事実誤認をしている」と言ってる事が真実だとしても、「一度でもミスをした者は大学を借りて講演できない」ということになります。失敗を許さない実に恐ろしい思想ですね。

そして「真理に反する」の判定者は誰なのか?何を対象にするのか?

恣意的に自分たちが「真理に反する」と決めた相手の口を封じるための方便でしかないということが、一連の石田氏のツイートからは滲み出ています。

まとめ:政治闘争のためにいいかげんな事を言う教授職

http://archive.is/ubj8c

「大学教授だから言ってることは妥当なんだろう」と考えるのは、基本的には人間が思考のリソースを温存するのに有益でしょうし、事実、大学教授の発信内容の妥当性は一般人よりも高いと言えるでしょう。

しかし、一般人を騙くらかすようにいいかげんな事を口走って政治闘争をする教授職が居るせいで、教授職が貶められているというのは不幸なことです。

以上

There is no censorship:表現の不自由展実行委員会の外国特派員協会記者会見

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津田大介が記者会見を行ってから数時間後、14時から表現の不自由展実行委員会側も外国特派員協会で記者会見をし、津田大介の説明に対してツッコみを入れています。

気になった点だけ取り上げます。

表現の不自由展実行委員会の外国特派員協会記者会見 

動画の13分くらいから表現の不自由展実行委員会の外国特派員協会記者会見が始まります。気になった点だけ取り上げます。

トリエンナーレ事務局への抗議電話について

先行して津田大介の記者会見において、「電話対応等は予想できる限りの十分な対策は講じていた」と説明されていました。

しかし、不自由展側からは、トリエンナーレ事務局への抗議電話については、当初は「公務員だから名乗らなければならない、先に切ってはならない」という指示があったようですが、「後日、強制力が無いということが分かってきた」と指摘。

また、「自動音声システムを導入することを提案し、採用された」「まだまだ対策の余地があったし、対策しなければならなかった」とも指摘していました。

私もたった1回だけですが、トリエンナーレ事務局に電話がつながりました。

担当の方は私の話し方について「非常に冷静」と言ってくださいましたが、どれだけ苛烈な言葉を浴びせられていたかは想像するに余りあります。私もこの種の業務の経験があるのでしのびない気持でした。

公務員だから実名を名乗る必要があるという点についても、そんな法的義務は存在しないでしょう。説明責任を果たすために職員の名前は必要ではない。聞いている側が職員の名前を知ったところで行政の行為を理解することには繋がらないからです。継続対応で同じ人間でないと意味が無いという場合だけ名乗ればよい。

自動音声システムの導入も、「録音させていただきます」の自動音声が入るだけで、かなり迷惑電話の抑止力になると言われていますから、今回においても有効だったでしょう。

不自由展の展示は検閲があったもの?

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不自由展「公共施設や公共空間で検閲された美術作品を集めたものです。こちら(上図)は朝鮮の植民地支配、天皇制、福島の放射性物質汚染、その他となります。全体の構成は、日本の歴史や政治体制における負の問題を主題とした作品が多くを占めます。日本社会での検閲はほとんどこのモチーフの問題意識から発生します。これは2014年以降増えてきましたが最近かなり悪化しています。

不自由展側はこう主張していますが、今回展示されたものが過去に憲法21条2項が禁止する「検閲」であると認定されたことは有りません。

判例の「検閲」定義が狭すぎるとしても、検閲という言葉は「公権力が」「事前にチェックして」「発表の場を奪う」という要素が公約数的であるはずです。

これらの作品について、そのような事案は存在していません。

これが英語では"censorship"として発信されています。

さらっと福島県の話題も紛れ込ませています。

とんでもないフェイクです。

検閲・表現の自由の侵害:ではなくガバメントスピーチ

「大村知事・津田監督は、今回の件は検閲ではなく安全の問題だと主張していますが、私たちはそうだとは思っていません。検閲にあたると思います。」

「河村市長と菅官房長官の発言も内容に踏み込んだ表現の自由の侵害だ」

不自由展側はこう主張しています。パブリックフォーラムだとの主張もしていました。

しかし、今回は単なる契約上の問題であって、憲法上の表現の自由の権利の問題ではありません。

主催・運営はほぼ愛知県たるトリエンナーレ実行委員会であり、これは「ガバメントスピーチ=政府言論」 と呼ばれる領域の話です。

実際に展示作業を行っている人間が誰であろうが、展示の法的な主体は公的機関たるトリエンナーレ実行委員会なのです。

仮に「愛知県そのものではなく実行委員会なので公的機関ではない」から政府言論ではないと言うならば、公的機関が権利を制約した話ではなくなるので、表現の自由の侵害の話ではなくなります。

憲法上の権利は国民が公権力との関係で主張するものであって、私人間の争いは基本的に民法上の規定によって規律されるという判例が確立しています。

トリエンナーレ検証委員会委員の上山信一:ガバナンスがガバガバ

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魚拓:http://archive.is/mkJ60

動画の43分くらいからは、トリエンナーレ検証委員会に対する不信感も指摘されています。

「そもそも検証委員会の者がネットの公共空間でこのような内容を発信するというのは不見識」

まったくその通りですね。

検証委員会の委員に選任された後は、個人的な場での発信は控えるべきでしょう。

ましてや、第一回目の検証委員会が8月16日に開催された後にこのツイートをしているのですから、トリエンナーレのガバナンスをチェックするとか言ってる検証委員会自体のガバナンスがガバガバなんじゃないでしょうか?

同じ検証委員会の委員である憲法学者の曽我部教授もツイッターはやっていますが、検証委員会に選任されてからはメディアでの発信もしていないハズです。

曽我部教授が本件について見解を述べた記事が各所にありますが、それは委員就任前のもののはずです。

There is no censorship

この話は「検閲=censorship」だという認識が海外に拡散されているようです。

実際に英語でこの問題を取り上げて検閲問題だとして言えるブログも見つかります。

表現の不自由展側の人間が、こうしたフェイクを拡散するために外国特派員協会を利用し、まったく関係の無い福島の話と絡めているのは本当に許し難い行為だと思います。

以上

津田大介・表現の不自由展中止に関する外国特派員協会記者会見

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愛知県の芸術祭である「あいちトリエンナーレ」において表現の不自由展という展示が中止された件について、トリエンナーレの芸術監督の津田大介が外国特派員協会で記者会見をしました。 

津田大介が外国特派員協会記者会見

45分から質疑応答が始まります。

気になった点を書いていきます。

菅官房長官ら政治家らの発言が問題だという主張

57分20秒頃に菅官房長官がトリエンナーレについて、補助金に言及したことについて津田大介が「驚いた」と言っていました。

詳細は上記で説明していますが、文化庁からの補助金交付の流は下図の通りです。

現在は補助金が「採択」はされましたが、交付は決定されていません。

補助事業実施後に実績報告書が提出され、それを審査した上で交付決定をするという運びになっています。

菅官房長官は、「事実を確認して適切に」としか言っておらず、当然のことを言っているに過ぎません。

 

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表現の不自由展実行委員会側との協議が必要では?の質問

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朝日新聞記者からの質問 1時間12分20秒くらい

展示中止はどういうルールというか権限で行ったのか。展示中止には表現の不自由展実行委員会との協議が必要ではなかったのか、そのへんのルールはどうなっているのか」

津田「検証委員会でも瑕疵がなかったのかは検討中ですが、表現の不自由展実行委員会を中心としたグループは一作家としての立場でもある。そういう意味で、トリエンナーレ実行委員会は作家と直接契約は結んでいない」

「不自由展との協議も含め、安全に管理運営ができなかったのは契約に基づく判断だった」

要するに津田大介側としては、表現の不自由展側とは協議の上で決定したことであると認識しているということでしょう。この質問の前に、上記スライドで認識の違いについて説明していました。動画の時間としては1時間くらいのところです。

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しかし、津田大介の説明だと、津田-大村-不自由展の3者しか登場人物が存在していません。上記の契約書ではチーフキュレーター・キュレーターも含めて協議することとされていることから、「契約上の協議」がなされているとは到底思えません。

大村知事は展示中止の判断はトリエンナーレ実行委員会規約の「会長の専決処分」として行ったと言っていますが、これはトリエンナーレ実行委員会の内部規約に過ぎず、表現の不自由展側に対して対抗できるものではないでしょう。

まとめ:検閲や表現の自由の問題ではない

あいちトリエンナーレの表現の不自由展の展示中止に関して、作品選考時の拒否は「検閲にあたるからできない」だとか、「展示中止は事後検閲だ」とか「政治家が内容に踏み込んで否定的な発言をするのは表現の自由の侵害だ」などと言われていますが、そんなものは全部フェイクです。

表現の不自由展側は、トリエンナーレ実行委員会から「作品の選考・制作・展示をする義務」が生じる(準)委任契約の受任者であり、単なる契約関係の問題です。

公立の場所を借りて芸術作品を展示している民間事業と同じように考えることは出来ません。

以上

愛知の芸術祭:トリエンナーレ検証委員会で芸術監督の業務内容が判明

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あいちトリエンナーレ検証委員会で芸術監督の業務内容の定めが判明しました。

津田大介は芸術監督の業務契約に違反しているのではないでしょうか?

トリエンナーレ芸術監督の業務内容

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 - 愛知県

議事概要(あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 第1回会議) - 愛知県魚拓はこちら

【6 あいちトリエンナーレ2019芸術監督の業務内容等について】

平成29~31年度のものまで載っています。

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津田大介は芸術監督の契約違反?

あいちトリエンナーレが複数分野(現代美術、舞台芸術、普及・教育)の芸術祭であることから、各分野を包含して普遍的な意義や理念をメッセージとして分かりやすく国内外へ発信する。

この文言にどれだけの意味があるのかは正直よく分かりませんが、素朴な印象では、津田大介は表現の不自由展を認めたことで、この芸術監督の職務に反していると思うんですよね。

トリエンナーレ検証委員会の第一回の資料では芸術監督への委嘱状や契約書は添付されていなかったので、具体的な契約内容がどうだったのかは今後の検証になるんでしょうけれども。

「少女像」に言い換えた平和の碑

少女像と称する捏造慰安婦像も、作者は「正式名称は平和の碑であり、日本を非難する意図では無い」などと言っていますが、ならばなぜトリエンナーレへの出展に際して「平和の少女像」などと、「少女」という歴史的実態と異なる名称にしたのか?

歴史的事実と異なる実態を印象付けることが「普遍的な意義や理念」なんですかね?

そりゃあ一部にはそういう不幸な例もあったんだろうと思いますが、基本的には一定の年齢以上の者が募集されていたのが事実。当然、歴史的に見て「強制」の主体に日本軍は含まれない。

もうこの時点で、「韓国政府や韓国人団体が政治利用しているためにイメージが付いているが、それは関係ない」などと言うのは詭弁でしかない訳です。完全にそのイメージを利用してるでしょう。

昭和天皇の御尊影を燃やしたのではないという詭弁

昭和天皇の顔写真をコラージュした図版が、最後に昭和天皇の御尊顔が残る形でガスバーナーで焼却され、灰になった後に靴で踏みつぶされる映像。

これについて映像の作者は「過去に富山美術館で自分の作品の図録が焼却処分されたことを表現しているだけであり、昭和天皇の写真を燃やしたというのは誤解だ」などと言っています。

これって「普遍的な意義や理念をメッセージとして分かりやすく」伝えていますかね?

そもそもそういった経緯を知らない人がほとんどでしょう。

さらに、富山美術館で焼却処分されたのは作品本体ではありません。図録です。

その上で、今回、あらためて生々しい映像を新たに制作したことは、「過去に展示拒否された作品を再展示する」という当初の予定とも逸脱しています。

他のルールでは政治活動目的が禁止されている

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まず、トリエンナーレの全体像は上図のようになっています。

が、それぞれの展示において個別にルールが設けられている例があります。

  1. トリエンナーレ本体では無いパートナーシップ事業の団体参加要件
  2. トリエンナーレとは別の愛知県の補助金支出要件
  3. トリエンナーレの舞台芸術公募プログラムの要件(表現の不自由展は国際現代美術展)

上記には「政治活動目的」が禁止されています。

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あいちトリエンナーレの連携事業のうち、パートナーシップ事業の上図のページを見てみると、「宗教活動や政治活動を目的とする事業でないこと。」という制限があります。

パートナーシップ事業はトリエンナーレ本体とは別個の展示やパフォーマンス等なので、表現の不自由展はこの除外ルールとは直接的には関係ありません。

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愛知県文化活動事業費補助金 募集案内(上図)を見ると「政治的又は宗教的意図を有する事業」については補助対象事業から除外されています。

過去の補助対象事業を見ると、トリエンナーレに参加する団体の一つに対して交付されている事例が見つかりますが、トリエンナーレ全体に対して交付されるようなものではありません

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検索結果一覧 - 愛知県(愛知県芸術文化選奨選考委員会開催規程)のワードファイルを見ると、舞台芸術公募プログラム募集要項では「政治的宣伝意図を有するもの」が禁止されています。

こういった個別のルールを見ると、やはり政治的な要素があるものはトリエンナーレにはふさわしくないという認識が愛知県側には存在していたと言えるでしょう。

まとめ:自己矛盾行為の強制となる政治的メッセージは「普遍的」なのか?

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政治的なメッセージのある何らかの表現が、すべて悪いなどとは思いません。

見ている側が勝手に風刺だと思い込む例もありますし、そういった要素から完全に抜け出せる・抜け出さなければならない、などということはありません。

問題は公的機関が主催する場において、公的機関の立場とは相いれない政治的な表現が行われようとしている際に拒むことができないとすれば、それは【自己矛盾行為の強制であるということです。国家間合意に反する含意のある像の展示や国家元首を貶める映像の展示を行政機関が行うことは自己の存在否定でしょう。

強制執行でもないのに自己矛盾行為の強制を受けるというのはおかしい。

そういう感覚こそが「普遍的な意義や理念」ではないでしょうか?

以上

トリエンナーレ検証委員会:少女像=捏造慰安婦像の展示撤去は表現の自由ではなく契約違反

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8月16日に開催されたあいちトリエンナーレ検証委員会の議事要旨と資料が8月23日にUPされていました。

そこでは重要な契約内容が示されていましたので紹介します。

あいちトリエンナーレ検証委員会議事要旨と資料

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 - 愛知県

議事概要(あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 第1回会議) - 愛知県魚拓はこちら

ここでは【12 契約書 [PDFファイル/386KB]】に絞って紹介します。

「展示義務」の(準)委任契約

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トリエンナーレ実行委員会と表現の不自由展(の各個人)との間で【業務委託契約】が結ばれていた事が分かりました。

契約内容を見ていくと、これは民法の典型契約に引き付けるならば(準)委任契約の性質のものです。

契約書の冒頭に「作品選定・制作・展示義務」とあるように、表現の不自由展側は契約上の義務として作品選定・展示等をしているのであって、表現の不自由展側を主体と考えるならば、これが表現の自由という憲法上の権利行使ではないということは明らかです。

民法上の委任契約は必ずしも代理権を伴う訳ではないですが、自己の名で取得した権利を委任者(本件の場合はトリエンナーレ実行委員会)に移転する義務があります。

民法 第六百四十六条 受任者は、委任事務を処理するに当たって受け取った金銭その他の物を委任者に引き渡さなければならない。その収取した果実についても、同様とする。
2 受任者は、委任者のために自己の名で取得した権利を委任者に移転しなければならない。

よって、作品の著作者から作品を「借用」した場合、その作品を利用する権利はトリエンナーレ実行委員会にある、ということになります。この契約において、そのような効果を排除する特約の存在は確認できません。

「借用」とはどういう意味か

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では「借用」とはどういう意味か?

通常の芸術作品の場合、民法上の典型契約であれば使用貸借と賃貸借があり得ますが、それに当てはまらない特別の契約が交わされている可能性もあり、今後の検証で明らかになることでしょう。

使用貸借と賃貸借であれば、作品の著作者らは表現の不自由展実行委員会(権利の帰属主体としては最終的にトリエンナーレ実行委員会)に対して作品を展示することを求めることはできません。そういう性質の契約ではないからです。

「借用」契約の本旨と展示の法的主体

そこで、特別の契約でそういった期待権はあるのかが問題になりますが、現時点で内容はほぼ確定されていると言え、そのような期待権は無いのではないでしょうか?

なぜなら、トリエンナーレ・表現の不自由展両実行委員会同士の契約書の1条3項(上図)を見ると、『乙等(不自由展側)は、出品作品の展示のため、所有者から借用した上での設置を…完了させるものとする』とあるからです。

これによれば、作品展示をする法的主体は著作者らではなく、あくまでも表現の不自由展側であるという「契約の本旨」が見て取れます。これと異なる内容の契約を表現の不自由展側と著作者らとで締結していた場合は不自由展側の債務不履行になります。

表現の不自由展はトリエンナーレ実行委員会の(準)委任契約を受けて作品を展示しているのですから、結局のところ、作品展示をしているのはトリエンナーレ実行委員会ということになるでしょう。

トリエンナーレ実行委員会はほぼ愛知県たる公的機関なので、作品展示は公的機関の行為であり、やはり「政府言論」と見る他ないと思われます。

表現の自由の問題ではなく【政府言論】トリエンナーレ表現の不自由展中止 

会社の営業マンが契約を取ってきても権利義務は会社に帰属するように、現実に動いている存在と法的な主体が異なるという事は、当然に発生していることです。

トリエンナーレ実行委員会・表現の不自由展実行委員会・著作者らの関係

  1. トリエンナーレ実行委員会
  2. 表現の不自由展実行委員会
  3. 作品の著作者

この三者の関係を考えていきます

作品の選考・制作・展示前段階での関係

以上みてきたように、どの作品を選考して展示するのか?という権限はトリエンナーレ実行委員会が有しており、表現の不自由展実行委員会は業務委託を受けたに過ぎません。

したがって、両者の関係において不自由展側の提案をトリエンナーレ側が拒否したとしても、それは表現の自由の侵害ではなく、論理必然的に検閲ではありません(広義の検閲ですらない)。あくまでも内部のルールに則って選定していれば問題は無いと言えます。

不自由展側と著作者らとの「借用」契約が特別なものであって作品展示の期待権があっても(トリエンナーレvs不自由展の関係では後者の債務不履行になる契約)、それはあくまでも両者の契約関係に基づいて発生している事柄なので、その場合に不自由展側が著作者らとの合意に反する行為をした場合には契約上の債務不履行の話にはなっても憲法上の表現の自由の侵害ではありません。

大村知事や津田大介の「検閲になるから」は完全に筋違い

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したがって、大村知事や津田大介の「検閲になるから」という論は完全に筋違いということになります。

これは本件が発生した当初から指摘していることですし、何より大村知事や津田大介の考える「検閲」概念では、既に彼らは「検閲」をしていることになり、矛盾しています。

また、トリエンナーレ「国際現代美術展」以外の展示や愛知県の補助金支給要件では「政治目的の事業」が禁止されている例が既にあるので、彼らの言い分ではこのルールの存在との整合性が取れません。

一度作品展示を承認しながら無断で撤回した場合=本件の場合

本件の特徴は、一度作品展示を承認しながら無断で撤回したということです。

著作者vs不自由展≒トリエンナーレ実行委員会≒愛知県らとの関係

不自由展≒トリエンナーレ実行委員会≒愛知県vs著作者らとの関係では、著作者らが展示の期待権を有していると認められる場合には実行委員会側が法的責任を問われることになるかもしれません。

日本国内の類似事案では図書館が購入した書籍が閲覧に供されたことによって、著作者らが著作物によって思想意見を公衆に伝達する利益が発生しているとしました。

その上で、図書館の規定のルールを破って書籍を無断廃棄したことについて、上記法的保護に値する利益が侵害されたとして損害賠償が認められました。

ただ、この判断は公立図書館が「公的な場」であると関係法規を参照して認定したことが前提にありますから、トリエンナーレの事情はかなり異なるために同様の判断になるかは分かりません。

不自由展vsトリエンナーレ実行委員会の関係

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トリエンナーレ実行委員会と不自由展実行委員会との契約書には、『出品作品の展示の撤去にあたっては協議をする』とあります。

これに対して、大村知事からは、今回はトリエンナーレ実行委員会の会長たる大村知事が、トリエンナーレ実行委員会規約の16条の「会長の専決処分」として独断で撤去を決定したと主張されています。

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しかし、専決処分はトリエンナーレ実行委員会における「運営会議」に関するものであって、対外組織である表現の不自由展実行委員会側に対してこれをもって対抗することはできないのではないかと思います。

よって、表現の不自由展側からトリエンナーレ実行委員会側に対して契約上の請求がなされた場合、後者は負けるのではないでしょうか。

まとめ:「公金支出をしてるから」は本質ではない

以上、法的な行為主体は誰か?に着目すると、トリエンナーレ事件の本質が見えてくると言えるでしょう。

それに対して「公金を支出しているから」というだけでは、この事件を捉えることはできません。

公金を支出していても、それが民間事業であれば、主体は民間です。

たとえ政府の方針に反する行為が行われていたとしても補助金の支出基準に準拠している限り違法でもなんでもないですし、基本的には政府がその行為を是認したと評価されるものでもありません。

今回の件で公金支出が問題視されているのは、公金が支出されている以上、支出の判断過程や審査基準が適切だったのかの事後的チェックを行うためであり、必要であれば新たな立法の検討をするためであるということに過ぎません。 

以上

メールを誤送信した場合の対策・取消し方法:Gmailの場合は送信取消し時間を長めに設定

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メールを途中で誤送信してしまった場合の対策・取消し方法。

Gmailの場合は「送信取消し時間」があるのでそれを長めに設定すれば取消しミスもなくせます。

Gmailで送信取消し時間を長めに設定

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他のEメールアプリケーションでもあるかもしれませんが、Gmailでは「送信取消し時間」が最初から設定されています。

設定変更は上記画像のような部分をクリックして「設定」画面に遷移します。

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送信取り消し」の項目がありますので、5・10・20・30秒の設定が可能です。

デフォルトは5秒です。

画面の最下部で「設定変更」ボタンを忘れずに押してください。

メールを誤送信した場合の対策・取消し方法

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では実際にメールを誤送信した場合の取消し方法について。

メールを送信した後は画面の左下あたりに上図のような表示が出てきます。

「取り消し」を押します。

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こうなるので、取り消しが成功したことになります。

そもそも送信が取り消せるということが分かっていれば、取消し時間を30秒にしなくとも良いかもしれません。

まとめ:誤送信対策はおろそかにしてはいけない

当たり前過ぎる話ですが、メール送信を取り消せるからといって、誤送信対策を疎かにしてはいけないということは肝に銘じておくべきでしょう。

たとえば、普段とは違うメールアプリケーションを利用しているときにGmailと同じ感覚で操作してしまうということが有りえます。

Gmailとは機能が異なる場合には、たとえ取り消せる使用であったとしても取消しが間に合わなかったりする、なんてことは起こりますからね。

たとえGmailを使っていても、PCの動作が固まっているせいで間に合わなかった、とか、他のアクシデントと重なって取消しボタンが押せないとか、そういう悲劇は起こり得るので、油断は禁物だと思います。

以上