事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

Spectee(スペクティ)の評判:SNSユーザーは規約に注意

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SNS上で動画をUPしたら利用許諾を得ようとするアカウントがあります。

事件等の報道用としては大手テレビメディアが連絡してくる場合が多いのですが、最近は「Spectee」(スペクティ)と名乗るアカウントがあるので情報を集めてみました。

Specteeとは

日本法人:スペクティ(株式会社Spectee)

海外法人:Spectee

主要なサービスとしてはSNS上の情報をピックアップする「Spectee」、AIアナウンサー「荒木ゆい」の自動読み上げプラットフォーム、AI開発プラットフォームの「SIGNAL」、リアルタイムローカル情報発信「LOCALIVE」などが紹介されてます。

複数のSNS上の情報をAIで取得して報道機関に提供することもやっています。

要するにAIを使った情報収集・分析によっていろんな事業をやってるってことですね。

一般のSNSユーザーにとっては自分があげた画像・動画について使用許諾を求められるケースがあるため、それについてどのように扱われているのか整理しました。

Spectee の評判・評価:「動画乞食」と呼ばれてしまう

Specteeユーザーではなく、Specteeから画像・動画の提供を要請された方の意見です。

Specteeは動画の提供を受ける際には、「無償提供のみ」を扱っているようです。

そのことで「動画乞食」と呼ばれてしまっていました。

動画ツイートに対するリプライは、動画投稿時間とタイムラグがバラバラであることから、AIではなく手動でやっているようです。

スマホアプリでは動画のアップロード者のクレジットを付けてシェアして表示する機能がありますが、それをしているにもかかわらずシェアした人に対して利用許諾を求めているケースも見られます。

いまのところ、@spectee_video、@Spectee_LT、@spectee_news、@SpecteeNews1、@spectee_jp、@SpecteeIncなどのアカウントを持っているようです(公式マークが無いので成り済まされたらわかりませんが、ツイート履歴からしてその可能性は低い)

利用規約はSpecteeが「無償で、再許諾・譲渡可能な権利を有する」

利用許諾を得るツイートに添付されているのは、Specteeのコンテンツ利用規約です。

Spectee・スペクティの利用規約

第3条(著作権)の項を見ると、「コンテンツの著作権は、提供者に帰属します。ただし、Specteeは、Specteeが国内外のメディアに対し、コンテンツの使用・編集・配信・は生物の作成を許諾する、期間の制限がなく、無償で、再許諾・譲渡可能な権利を有するものとします」という規定があります。

要するに著作権は提供者に残るが、その後の利用はクレジット表記をすること以外は自由にやりますよ、ということが書いています。

こうした利用方法はクリエイティブコモンズライセンスのCC BY-SAでも見られるものであり(このライセンス表示がある場合は許諾なく利用可能)、元の作品の改変を伴う利用は可能だが、クレジットを表示した上でないといけないという縛りが継承されることになっています。

参考:クリエイティブ・コモンズ・ライセンスとは | クリエイティブ・コモンズ・ジャパン

報道機関に売って儲けを得る目的ではない?

規約3条の文言では譲渡可能な権利の項に「無償で」とあるので、報道機関に無償で提供するのでしょうか?

「無償で」が再許諾・譲渡にもかかっているのか、それとも「無償で(そのような)権利を得ることとする」という意味なのか。

これは規約の文章が英語を直訳したような感じなので、よくわかりません。

ただ、提供者との関係でその後の譲渡を有償か無償か説明する必要はないので、後者の意味に過ぎないような気がします。

一般SNSユーザーにとっては応じないのが最適解

動画をあげる一般SNSユーザーの中には、事件の様子を映した動画が広まることで社会の利益になれば良いと考えている人が大勢います。

なので、無償だろうが動画を提供する人は多いです。

ただ、合理的な人間を措定したときの最適解としては、他の報道機関が動画を買いにくる、あるいは自分が有償で売ることができるのであれば、わざわざSpecteeに無償譲渡する必要はない、ということになります。

Specteeとしても、「両者の合意」で無償譲渡の契約が成立する場合に限って動画の提供が受けられれば良いと考えていると思うので、無償提供の要求がただちに悪いとは言えないでしょう。

以上

柚木「原英史、高橋洋一を希望通り国会招致したのに来なかった」⇒連絡なし、希望してたのは証人喚問

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国家戦略特区に関する森ゆうこ議員の質問通告が遅延パワハラだった問題に関連して、ツイート時刻捏造をした議員らが原英史氏・高橋洋一氏らに関してまたフェイクを拡散しました。

柚木みちよし「希望通り国会招致したのに来なかった」

魚拓はこちら 

まずその前に逃亡したのはあんたらでしょう。

「国会招致」の連絡は無かった

原英史氏は11月7日の「国会招致」の連絡はなかったと指摘しています。

要するに、柚木議員はまたしても「希望通り国会招致した」と捏造をしているということになります。 

証人喚問を希望していた原英史・高橋洋一

「証人喚問でお互いに免責なしにしませんか 」

高橋氏のこの発言が本質です。

国会招致=参考人招致では免責特権がある

国会招致とは参考人招致を指します。

証人喚問との違いは、虚偽発言をしても偽証罪に問われることが無いことです。

そうすると、国会議員である森ゆうこ・柚木みちよし・今井雅人・原口一博らは憲法51条の免責特権があるのに対し、原氏・高橋氏は民間人ですから、「院内」の発言でも責任を問われ得る立場にあります。

これは不公平なので、証人喚問にしましょう、と言っていたのです。

「与党が反対している」という印象操作か

上記の事情が予め示されているにもかかわらず、柚木らは参考人招致を要請しており、それを「与党が反対している」などと印象操作していると思われます。

また事実関係を捏造・省略する議員たち

このように、細かいところでも事実関係を省略して、さも原氏らがおかしいかのように見せかけるよう腐心してるのが見て取れます。

なぜこの議員らが懲罰されないのか不思議で仕方がありません。

↓以下で憲法16条の「請願」として国会議員の懲罰を求める署名ができます。

キャンペーン · 国会議員による不当な人権侵害を許さず、 森ゆうこ参議院議員の懲罰とさらなる対策の検討を求めます。

以上

大村知事から河村市長の公開質問状への回答がやっぱりダブルスタンダードだった

愛知県の大村知事が、トリエンナーレ表現の不自由展に関する河村名古屋市長の公開質問状に対する回答書をUPしました。

実に1か月半も経過してのことでした。

その内容は基本的にダブルスタンダードで、以下で指摘したことが丸ごと当てはまるのですが、ここでも改めて指摘します。

大村知事から河村市長の公開質問状への回答

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について - 愛知県

公開質問状(9月20日付け河村市長から知事あて)への回答】という令和元(2019)年 11 月5日 付の文書です。

河村市長『大村知事は「検閲」概念を誤解』

公開質問状(9月20日付け河村市長から知事あて

ここでは質問の4と5を取り上げます。

  • 質問4は「大村知事は検閲概念を誤解しているのでは」
  • 質問5は『「表現の規制」と「表現への援助」の場面を混同しているのでは』

というものです。

「大村意見」という部分がありますが、これは9月10日に表現の不自由展の事案について大村知事が認識を表明した駄文のことです。

「大村意見」では検閲該当性判断をスルー

1 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について(9月10日付け)(大村意見)

検閲にさえ当たらなければ問題ないかの如き理解があるとすれば、本末転倒といわざるを得ません。憲法 21 条 2 項にいう「検閲」の解釈については様々な解釈がありますが、公職にある者は、何故に表現の自由が保障されているのか、何故にわざわざ検閲が明示的に禁止されたのか、その歴史的意味を深くかみしめる義務があると考えます。今般、本件展示の内容が「日本国民の心を踏みにじるもの」といった理由で展示の撤去・中止を求める要求がありましたが、もし事前に展示内容を審査し、そのような理由で特定の展示物を認めないとする対応を採ったとすれば、その展示物を事前に葬ったとして世間から検閲とみられても仕方がなく、いずれにせよ憲法 21 条で保障された表現の自由の侵害となることはほぼ異論はないものと考えます

冒頭で「検閲にさえ当たらなければ問題ないというのはおかしい」と言っています。

ごちゃごちゃ言ってますが、この時点でも憲法上の検閲に当たるのか?という点をスルーしています。

大村「憲法21条の表現の自由の侵害」と誤った理解を明言

9月10日時点の大村意見では、「いずれにせよ憲法 21 条で保障された表現の自由の侵害となることはほぼ異論はないものと考えます」としていました。

検閲は憲法21条2項の話であり、それ以外の表現の自由の侵害は21条1項の話ですが、この時点では表現の自由の侵害があると疑っていないようです。

このように明言しているということは、後述することと関係するので覚えておいてください。

河村市長は、愛知県が自分たちで運営している事業なのに、「表現の自由の侵害」があると考えている時点でおかしい、ということを言っているわけですが、11月6日にUPされた回答書ではさらに支離滅裂でした。

「検閲」概念だけ拡大解釈するダブルスタンダード

公開質問状(9月20日付け河村市長から知事あて)への回答

「検閲」という概念を用いることが不相当とは一切考えておりません。

なお、曽我部教授は、ご指摘の 2019 年8月6日付け「弁護士ドットコムニュース」で、「河村市長(略)は中止させる権限を持っているわけではなく、実際にも中止の理由は、市民の抗議が度を越した状態になったということなので、決定的な理由となったわけではなく、憲法でいうところの『検閲』にはあたりません。ただし、不当な介入だという程度の意味で『検閲』だというのであれば差し支えはありません。実際、市長は実行委員会の主要メンバーでありますし、(略)その発言は大きな圧力となりえます。本来は大村秀章知事の言うように、展示内容に口を挟む立場にはないはずで、不当な発言でした。」と述べておられます。

弁護士ドットコムを持ち出しているのは河村市長の質問にも引用されていたからですが、この記事のデタラメぶりは既に以下で論じています。

憲法学者の曽我部真裕教授の記事がデタラメ:トリエンナーレ表現の不自由展に関する言論

「検閲」という言葉を「不当な介入」という程度の意味で言うなら差し支えない?

だったら昭和天皇の肖像を燃やす行為についても「日本国民へのヘイトスピーチだ」と言わなければおかしいですよね。

「ヘイトスピーチ」を「何らかの対象に対する侮蔑的表現」という程度の意味で言えば、差し支えないことになりますよね。

しかも、憲法21条2項の「検閲」は、判例でその定義が明確に示されています。

それに対して、「ヘイトスピーチ」は公的・法的な定義が示されたことがありません

いわゆる「ヘイト規制法」と言われる「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」でも「ヘイト」や「ヘイトスピーチ」を定義しているわけではありません。

直訳すれば「憎悪表現」であり、そもそも対象が非常に広い用語です。

「検閲」は拡大解釈をし、「ヘイトスピーチ」は拡大解釈を認めない、そんな態度はダブルスタンダードでしょう。

曽我部教授に否定されている「表現の自由の侵害」

公開質問状(9月20日付け河村市長から知事あて)への回答

憲法の観点からは、表現行為を行政が「援助」する場合といえども、表現の自由だけでなく、思想・良心の自由、法の下の平等といった基本的人権が守られなければならないことは当然のことです。

大村知事は河村市長の質問に答えていません。

河村市長の公開質問状では、本件では表現の自由の侵害という問題は生じないということを、一橋大学の憲法学者の阪口正二郎の論文を引用して指摘しているにもかかわらず、大村知事の回答書では表現の自由の侵害の存在についてスルーしています。

先述の9月10日付の「大村意見」では「いずれにせよ憲法 21 条で保障された表現の自由の侵害となることはほぼ異論はないものと考えます」とまで言い切っているのに、この回答書では明言していないのは、主張が一貫してないですね。

トリエンナーレは憲法上の表現の自由の侵害ではない

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 中間報告 - 愛知県

別冊資料2 憲法その他、法的問題について(増補版)(※10月15日掲載)

なお、トリエンナーレ検証委員の憲法学の曽我部教授は「中止に関する法的問題は基本的には憲法ではなく契約の問題」と言っています。

「憲法問題」である可能性もありますが、それは「憲法上の表現の自由の侵害」ではなく、日本の過去の事例で本件と一番近い船橋市立図書館事件では「公立図書館に購入された書籍の著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益」という「人格権」が認められたから言及しているに過ぎません。

まとめ:大村知事はダブルスタンダードで逃げてるだけ

  1. 大村知事は河村市長の質問に答えていない
  2. 特に、表現の自由の侵害の存在についてはスルーして逃げている
  3. 定義が固まっている「検閲」は超拡大解釈をし、そうではない「ヘイト」は拡大解釈を許さないのはダブルスタンダード

曽我部教授は個人的な思想はともかく、公的な仕事として事実関係を検証した結果はおおむね妥当であり、検証委員就任後は本件に関するメディアでの発言を控えていたと思います。そうやって公正性を担保しようとしていました。

対して大村知事は自分も検証されるべき対象なのに、検証委員会のオブザーバーとして出席したり、愛知県の顧問(つまり大村知事の部下)を副座長にするなど、公正性のかけらもない行動をしていました。

そういう人間がダブルスタンダードでお茶を濁して逃げを図ったのは予想通りです。

以上

天皇の男系継承は「女性が男を産むことを強いられる」ものだから女系天皇を認めるべきか

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11月5日のモーニングショーにおいて菅野朋子氏が「女性・女系天皇を認めない現状では女性は男を産むことを強いられることになる」という指摘がありました。

これについて【#モーニングショー 菅野朋子「女性・女系天皇を認めないのは男を産むことの強制」⇒竹田恒泰「皇室は宮家全体で負担軽減】において一応の指摘をしましたが新ためて考察しました。

モーニングショー 菅野朋子「女性・女系天皇を認めないと男を産むことを強いられている」

菅野朋子氏の主張は「女性・女系天皇を認めないことがどれだけ女性にとって苦痛か。現状では女性が天皇になれないということだけではなく、女性に男子を産むことを強いられることになっている。」というものです。

ここでは特に「女性に男子を産むことを強いられる」点について考えます。

竹田恒泰氏はその負担があることからは逃げずに、宮家全体で「軽減」するために歴史上の先例のある旧皇族の皇籍復帰を主張しましたが、菅野氏に言わせれば「そういう事ではない」とのことでした。

その意味内容は番組内では詳しく語られなかったので、仮定的に論じていきます。

「女性が男を産むように言われる負担」とは

これはどういう意味でしょうか?

仮に男が生まれなかった場合の女性に対する非難」ということであれば、それは科学的に誤りであるということを常識にすれば足ります。

子の性決定はY染色体遺伝子のSRY遺伝子

子の性決定の因子・SRY遺伝子

ほ乳類の性決定遺伝子Sryの発現制御メカニズムの解明に成功 -人間の性分化疾患の原因解明に期待- — 京都大学

哺乳類においては子の性決定はY染色体遺伝子のSRY遺伝子が担っています。

つまり、男性の精子の側が性決定の因子であり、女性側は関係ありません。

ですから、子の性別が男ではなかったことについて女性側を非難するのは(倫理・道徳的にも)科学的にも間違っているということです。

仮に子の性別に「責任」があると観念するならばそれは男性側にあるということです。

実際に女性側を非難しているのは誰か?

現実に出産する女性側を「非難」しているとして、それは姑の関係にあるような人や、週刊誌メディアが面白半分に騒ぎ立てる場合だけだと思うのです。

確かに皇室に男児が生まれないことを残念に思う人が居ますが、それは女性側を責める気持ちでそう感じているわけではないハズです。

ですから、菅野氏が指摘するような「女性側の負担」が仮に「女性に責任があるという非難」であれば、それはもともと存在しないか、科学的常識を広めれば足り、2600年の間1度も例がなかった「女系継承」(雑系にすること)をする必要はないということになると思います。

ただ、「女性側のプレッシャー」についてツイッター上で検討していたら、次項のような指摘がありました。

「男を産むまで妊娠出産を繰り返す事を期待される」という先の見えないプレッシャー

これは男性側には決して存在しないプレッシャーです。

実際に周囲の人間がこのように期待するのか、女性側がプレッシャーに思うのかどうかは別にして、あり得る負担だと思いますので考えていきます。

「男が生まれるまで妊娠出産を繰り返す事を期待」はあり得るのか

現実的に、妊娠出産をした女性に対して男が生まれるまで妊娠出産を繰り返すように言うことはあり得ません。

女性の出産適齢期が過ぎてしまい、或いはリスクが高くなったり、女性の側が意欲を無くせば、それ以上何かを言うことはなくなるでしょう。

ただ、そうなる前までは、皇室の場合には男が生まれなければ可能な限り出産に臨んでほしいと陰ながら期待する人は大勢いると思います。

「皇室に嫁ぐ女性はその覚悟で来ているはずだから」?

「皇室に嫁ぐ女性はその覚悟で来ているはずだから」

という主張もありますが、出産後に母体がどうなるかは不確定であって、本人の意思ではどうしようもなくなる事も多々あるハズです。

それを「女性側の覚悟」の話にするというのは、私は間違っていると思います。

女系・雑系を認めることで新たに発生するプレッシャー

天皇が男系継承である以上、「男を産むことを女性に期待する」ということは決して消えないのであり、それが存在しないと誤魔化すことはできないと思います。

だからこそ、旧皇族の皇籍復帰でその意味での負担を「軽減・分散」する案があります(複数の宮家の女性のうち、誰かに男児が生まれれば良い)。

そして、この負担を「ゼロ」にするために女系・雑系を認めたらどうなるか?

新たな負担が発生することになるのではないでしょうか。

女系の長子優先は早期婚姻・出産のプレッシャーにならないか

子の性別はコントロールできませんから、男系の現在は宮家のどこかで産まれれば良い体制になっています。自分の子(或いは孫)に皇位継承権がなくとも問題ないのです。

他方、女系(雑系)なら子を産みさえすれば子に皇位継承権があることになります。

そして、皇位継承順位は(直系・傍系の違いはあれど)長子優先となるでしょう。
※男子優先の長子優先という案もあるがその場合にはここで問題にしている女性へのプレッシャーは変わらないと思われる

なので、ある時期に早く産んだ方が皇位継承順位が高くなると分かったら、関係女性らに対する「早期婚姻・早期出産プレッシャー」は凄まじいものになるのではないでしょうか?

妊娠する女性に対して、女性にとって重い負担となる「男子が生まれてほしいと期待する」人が居るような世界を措定するならば、【自分のところの子供が天皇になってほしい】と思って女性に負担をかける人間も居ると思われるからです。

「男を産むよう期待されるプレッシャー」をゼロにするために男系継承の仕組みを廃絶しても、こういう「新たなプレッシャー」が生じるだけではないでしょうか?

ここまで女性個人にフォーカスしてきましたが以降は皇室全体に目を広げていきます。

「女系」も認める欧州の王室

モーニングショーでは外国の王室を引き合いに出して日本の皇室との違いを比べていましたが、こういった紹介のされかたがメディアでされる際には、いつも重要な点が抜け落ちています。

側室制度がなく公妾制度があった欧州王室

欧州の王室で男系にこだわらなかったのは(「女系」で継承されてきたのではない)、側室制度が無いことが影響していると思われます。

いずれが先の関係なのかは不明ですが、乳幼児の死亡率が高い時代にあって側室制度がなければ男系のみによる継承は不可能だったのでしょう。

他方で、女系継承も認めていたその前提には、ローマ帝国以来、欧州全体の王室が家族のように連帯していた、ということが関係しているでしょう。

ただ、側室を設けなかったといっても、「公妾制度」がありました。

側室制度との違いは、生まれた子供に王位継承権が無いということです。妾の子は親から爵位を授かって一貴族になっていきました。

外国にも王位継承権者がいるヨーロッパの王室

男系にこだわらず女系継承も認めると(雑系)、外国の王室に王位継承権者が居ることになります。しかも際限がないから王位継承権者が数千人に上る所もあります。

実際に現在のイギリスの王位継承者は約5000人もいます。

そのなかには他国の王も含まれます。

日本のように必ず共通の祖先を持っている=男系で繋がっている者たちと、そうではない者たちとでは、どちらが王位簒奪の危機が高いでしょうか?

姻戚関係を口実に他国を侵略した例

欧州では、ローマ帝国以来欧州全体の王室が家族のようになっていたと書きました。

しかし、そういった姻戚関係がむしろ王位継承権争いを引き起こした例が多くあり、歴史上【王朝の交代】が何度も起きてしまっています。

有名な例が【百年戦争】です。

14世紀、フランス王シャルル4世が没しましたが、継承者が居ませんでした。

そこで、イギリス王エドワード3世は自分の母がフランス王家の出身であることを理由にフランスの王位を要求しました

これをフランスが認めなかったことが百年戦争の発端です。

また、王室が外国の家に合法的に乗っ取られた例があります。

ハプスブルク家のフィリップ王子とスぺイン王女フアナの子のカール5世(スペイン名はカルロス1世)は、当時のスペイン王に男子の後継ぎが居なかったために、1519年、王位をフアナから受け継ぎました。

ハプスブルク家は同様にオーストリア・ナポリ・ハンガリー・ボヘミア・トスカーナなどの王国の王族の姻戚となっていき、これらの領域を含む地帯が【神聖ローマ帝国】とされ、ハプスブルク家が帝位を独占していきました。

女系継承を認めるということは、こういう事態を潜在的に発生させるということでもあるということです。

「現代では起こりえない」

と言う人も居るかもしれませんが、近代国家ではない国が近隣に少なくとも3つ程度あるじゃないですか。むしろ皇室制度そのものを解体する勢いの国が。

『平均台の片足立ちバランスが不安定だから両足で立てばいい』みたいな話

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誤解を恐れずに言えば、男系継承は「不安定」な制度です。

しかし、「不安定」なのは分かりきって敢えてやってるものを、安定するからと言ってやめるのは本末転倒ではないでしょうか?

たとえるならば、体操の平均台の「片足立ちバランス」において、『不安定だから両足で立てばいいじゃないか』などと言うようなものでしょう。

しかも、「不安定」なのは一時的なもので、その訓練をすることによって日常でも優れた身体の姿勢制御能力が身についたり、免疫能力が上がって健康になったりします。

皇統も、一見すると不安定な男系による継承を選択したからこそ、むしろ世界で唯一、1つの血筋の系統が2600年以上続いてきたのではないでしょうか?

皇室という【公的な存在の極限】のものを考える際に、「女性個人の負担」という側面でのみ考えることは果たして適切なのでしょうか?

以上:はてなブックマークをして頂けると助かります。

#モーニングショー 菅野朋子「女性・女系天皇を認めないのは男を産むことの強制」⇒竹田恒泰「皇室は宮家全体で負担軽減」

モーニングショー菅野朋子「女性・女系天皇を認めないと差別」

11月5日のモーニングショーで皇室特集が組まれました。

菅野朋子氏が「女性・女系天皇を認めないと男を産むことを強いられている」と発言しましたが、わたくしはこれを疑問に思ったので違和感を整理します。

#モーニングショー 菅野朋子「女性・女系天皇を認めないと男を産むことを強いられている!」

菅野朋子氏の主張は「女性・女系天皇を認めないことがどれだけ女性にとって苦痛か。現状では女性が天皇になれないということだけではなく、女性に男子を産むことを強いられることになっている。」というものです。

竹田恒泰「それは天皇の全否定と同じ」

竹田恒泰氏は「女性の負担を軽減するために宮家がある。現在は1つしか男系男子が生まれる可能性のある宮家が残っていないから1人に負担がかかるようになっているだけ」「男子を産まないといけないということが差別だというならば、天皇の存在も差別であって許されないと言わないとおかしい」と言っています。

 

宮家は自分の所の家が男子が生まれなくても良い仕組み

 

皇室の系図・家系図

皇室の皇位継承順位は基本的に直系を優先してきましたが、「傍系の男系」と「直系の女系」という話になれば前者を選択してきました。

「その家」ではなく「皇室全体」から見て男系男子が生まれればそれで良く、特定の家の特定の女性を責めるような制度にはなっていないわけです。

宮家が増えれば「女性の負担」があると言ってもそれは減る、そのための旧皇族の皇籍復帰、というのがなぜダメなんでしょうか?

そして、竹田恒泰氏が言うように、現在の(皇室の子を産む)女性のプレッシャーというのは、今まさに1つの宮家(悠仁親王殿下の系統)しか男系男子が生まれる可能性が無いという「状況」がそうさせているのであって、専ら男系男子による皇位継承という制度によるものとは次元が違う話になっています。

男子が生まれないといけないことと天皇の存在否定

後半部分について。

(皇室全体の視点から)男子が生まれないといけないということと天皇の存在はイコールです。なぜなら、男系男子で継承されてきたのが天皇だからです。

ですから、「男子が生まれなければいけない負担を完全に無くす」ということはこれまでの天皇の存在を否定するということになります。

婉曲的に「菅野さんはそれで良いんですか?」と言ってるわけですね。

要するに菅野氏の主張の論理的帰結からは天皇否定にならざるを得ないと。

菅野朋子氏は男を産む責任が女性にある前提では?

とても気になった疑問があります。

それは、菅野氏は「男を産む責任が女性にある」という前提で語っていないか?ということです。

「産ませる男性側の責任」は無視?

まず、「子供を産む負担」は男系男子による皇位継承だろうが女系(雑系)を認めようが一緒です。

そして、生まれてくる子供の性別はコントロールできるものではありません。

ですから、本来的には「子供の性別についての責任」なんて観念できません。

仮に「責任」を観念するなら「産ませる男性側の責任」もありますよね?

そうすると、「女性が男を産むことを強いられている」だのなんだの言ってるのは男性側の責任だけは無視して、女性に責任があると言ってることになります。

これはおかしくないでしょうか?

菅野氏の言っていることは、女性に子供を産むプレッシャーを与えるような人間と同じ思考回路だという事の暴露でしかないのでは?

結局、男系男子の皇位継承という制度による女性側特有の不合理な負担というものは無いんじゃないですかね?

科学的には性決定の因子はY染色体遺伝子のSRY遺伝子の発現

性決定の因子とY染色体遺伝子のSRY遺伝子

ほ乳類の性決定遺伝子Sryの発現制御メカニズムの解明に成功 -人間の性分化疾患の原因解明に期待- — 京都大学

哺乳類においては、性決定の因子はY染色体遺伝子のSRYが発現するか否かです。

要するに男性の精子が性決定をするのであって、女性側に「責任」が無いということは科学的に知られていることなのです。
※なお、Y染色体のない男性もいますが、これはY染色体のSRYがX染色体に転移した結果なので、やはり男性側の「責任」で性決定がされています。

菅野朋子氏の言う「女性が男子を産まなければならない負担」というのは、この科学的常識を広めれば解決できる話ではないでしょうか?

嫁姑の関係の嫌がらせの手段でしかないのでは?

ところで、「男児を産まなければならないというプレッシャーが女性側にかけられる」例って、嫁姑の関係でしか聞いたことが無いような気がします。

義理の父親が「お前の種のせいで…」なんて男性を責めるということは聞いたことがありません。

単に嫌がらせの手段として「男を産まなかったことを責める」ことが用いられてきただけじゃないでしょうか?

そういう人の言っていることを回避するために「女系にしましょう」って、なんだか「いじめられている方が悪い」と似ている気がします。

メディアが騒いでるだけでは?

あと、男子が生まれるかどうかで皇族を責めているとしても、それって週刊誌なんかのメディアが騒ぎ立てているだけじゃないでしょうか?

そういう声が大きいから、なんとなく「女性に負担がかかっている」と思うんじゃないでしょうか?

女系も認めるとなると「出産圧力」「結婚圧力」が強まるだけでは?

仮に、「男子を産むことに対する女性の負担」があるとします。

すると、そういう環境では、女系も認めるということであれば生まれた子供はもれなく皇位継承権があるということになるのですから、「子供を産むか否か」についての圧力=出産圧力が強まるだけではないでしょうか?

直系長子優先だとしても傍系の中では長子優先になりますから、「早く子を産んだ者」が皇位継承順位の上位になるため、「結婚圧力」も強くなることが予想されます。

そういう負担があると仮定すればの話ですが。

本来は「なぜ男系男子なのか?」ではなく「なぜ女系・女性天皇なのか?」

皇位継承問題では「なぜ男系男子なのか?」という視点で語られることが多いのですが、これは本来は「なぜ女系・女性天皇なのか?」として問われるべき問題です。

なぜなら、男系男子で継承してきたのが天皇であり、それを継続するのが当たり前だからです。それが伝統だからです。

それを敢えて変更して女性・女系天皇を認めなければならないと言う人たちの側にいわば「主張立証責任」があるようなものです。

現在は伝統側が「反論」しているだけで、「伝統側が積極的に男系男子であるべき理由を主張立証していかなければ女性女系天皇を認めざるを得ない」などと扱うべき問題ではありません。

天秤があって、伝統側に傾いている状態から女系天皇側がいろいろ積みあげていかなければならないイメージです。

この点が誤解されているような気がします。

たとえばあなたの住んでいる家に突然Xが来て「この家は俺のものだから出ていけ」と言われて、家の所有権をあなたが「積極的に」主張立証して証明しなければあなたが家を出ていかなければならないというのはおかしいでしょう?

「現在の状況を尊重する」という価値観のもと、過去の所有権の所在を争わない限りは、あなたからXに「権利移転した事実」をXが主張立証して証明しなければおかしい(もちろん反論はするが)。

民事裁判で言えば「権利移転していない事実」をあなたが「立証」する必要はなく(そのような事実が推認される事情は反論としてするが)、仮に「真偽不明」であればXが負けます。それが「天秤が傾いている」という意味です。

以上

韓国議長、徴用工への寄付金法案作成:韓国側の騙しの手法を知っているか?

文喜相・ムンヒサン

韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が朝鮮人戦時労働者問題(徴用工)に関連し、日韓の企業と国民が賠償資金を寄付することを提案しました。

これは前々から予想していた通りの展開なので、韓国側の騙しの手法を整理します。

徴用工問題:韓国側の騙しの手法

朝鮮人戦時労働者問題(徴用工問題)において韓国側が繰り出す誘導は以下にまとめられます。

  1. 個人請求権が残っているから…
  2. 日本政府の立場は変遷している!だから間違っている!
  3. 『国際人権法は個人救済を重視している!』
  4. 任意の補償は妨げられていないから…
  5. 西松建設事件では賠償しているではないか

一つ一つ具体的に見ていきます。 

1:「個人請求権は残っているから…」

日韓請求権協定、個人請求権残存

日韓請求権協定において個人請求権は残存しているが、日本においては裁判による救済は受けられなくなった

これが日韓請求権協定に基づいて両国の行為が長年積み重ねられてきた結果です。

韓国側は「解釈の問題」にしようとしていますが、2005年に韓国側自身が、元徴用工については韓国政府が補償すべきであるという公式文書を出しており、日韓両国がどのような効果を持たせようとしてきたのかという事実の問題」が本質です。

「協定の文言」がどうだとか言っているのは韓国側の土俵なので取り合う必要がない。

要するに、「元徴用工に補償するべき主体は韓国政府」なのであって、個人請求権が残っているということが日本政府に補償義務があることを意味するわけではありません。

2:日本政府の立場は変遷している!(だから間違っている!)

日韓請求権協定において個人請求権は残存しているが、日本においては裁判による救済は受けられなくなった

この立場は日本政府の一貫した立場です。

しかし、韓国側や朝鮮半島系の弁護士で構成される【元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明】などでは、『日本政府は立場を変遷させている!』と印象付けています。

その主張は山本晴太弁護士の論文に依拠しているので、その点を調べました。

山本晴太論文のごまかし

山本晴太論文6ページ

5 日本政府の解釈の大転換

ところが、時効や国家無答責等の争点について企業や国に対して不利な判断をする裁判例が現れはじめ、アメリカのカリフォルニア州が韓国の強制動員被害者の日本企業に対する訴訟の管轄を認めると、この訴訟に対する 2000 年 10 月の日本政府意見書を契機として日本政府は解釈を変更し、韓国人被害者を含むあらゆる戦後補償訴訟において、条約(サンフランシスコ平和条約、日韓請求権協定、日中共同声明)により解決済みの主張を行うようになった。当初は、ある訴訟においては実体的権利が消滅したと主張し、他の訴訟においては訴訟による請求が不可能になった主張するなど、「解決済み」の法的説明は各訴訟において微妙に異なっていた

※注釈16
例えば関釜裁判控訴審(2000 年 11 月 2 日付準備書面)では「日韓請求権協定によって放棄されたのは外交保護権だが、韓国人の「請求権」は外交保護権によってしか実現しない権利なので、もはや請求が容れられる余地はない。」、浮島丸訴訟控訴審(2001 年 10 月 23 日付準備書面) では「韓国国民の『財産、権利及び利益』は日本の国内法(措置法)によって消滅させられ、『請求権』は日韓請求権協定の直接適用により消滅した。」と主張した。

しかし、この指摘は巧妙な言葉のテクニックに過ぎません。

関釜裁判控訴審判決文と浮島丸訴訟控訴審判決文を読めば分かることです。

日韓請求権協定は外交保護権の消滅、個人請求権残存の主張は変遷していない

元慰安婦からの種々の請求について判示した関釜裁判控訴審は2001年3月13日に判決が出ており、日本政府の「外交保護権によってしか実現しない権利なので…」という主張は取り合わず、原告の実体法上の具体的権利が存在しているかを検討しています。

その上で、実体法上の具体的権利の存在が認定できないとして(つまり、具体的権利の存在はあるが特措法で消滅したとか、裁判上の救済は受けられないとかではなく)原告の請求を棄却しています。

要するに、のちの浮島丸訴訟では、既に「外交保護権によってしか実現しない権利だから…」という主張は裁判所には通らないと判断されたので、その次の段階である「特措法で消滅」という主張をしたと考えれば筋は通っています(裁判体も広島高裁と大阪高裁という違いがあるが)。

そして、このような「変遷」があったとしても、「日韓請求権協定は外交保護権を消滅させたものである」「個人の請求権は残っている」という主張は一貫しています。

前掲の「日韓間の財産・請求権」の図を見れば、日本政府の訴訟における「解決済み」の法的説明が異なっているのは、事案が異なる訴訟の場面で、どの段階で「切る」ことを日本政府が狙っていたのかという「訴訟上の主張の」でしかないと理解できます。

これを「国家間合意の理解の根本的な違い」であるとして読者を誘導しているのが山本晴太論文であり、巧妙な手口だと言えるでしょう。

3:『国際人権法は個人救済を重視している!』

元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明】では【3 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である】の項目において、イタリアの最高裁破棄院の判断を持ち出して「国際人権法は個人救済を重視する方向である」と印象付けようとしています。

単なるイタリア国内の裁判所の判断なのに、どうして「国際人権法」と言えるのか?

そして、この件についてドイツがICJ(国際司法裁判所)に提訴した事案の判決文では異なる結果になっています。

ドイツ-イタリアのICJ(国際司法裁判所)

104. In coming to this conclusion, the Court is not unaware that the immunity from jurisdiction of Germany in accordance with international law may preclude judicial redress for the Italian nationals concerned.
It considers however that the claims arising from the treatment of the Italian military internees referred to in paragraph 99, together with other claims of Italian nationals which have allegedly not been settled — and which formed the basis for the Italian proceedings — could be the subject of further negotiation involving the two States concerned, with a view to resolving the issue.

104. この結論に至る過程において、裁判所は国際法によるドイツの裁判権からの免除が、関係するイタリア国民に対する法的補償を不可能にする可能性があることを認識しなかった訳ではない
しかしながら、イタリアにおける司法手続の根拠となった、第99項で述べたイタリア軍人収容者とその他の未補償を訴えるイタリア国民の請求は、この問題の解決の見地から行われる今後の2国間交渉における問題となるであろう。

ICJはイタリア国民に対する法的保障が不可能である可能性を考えていたが、それは2国間交渉で決める事柄だ、と言っているのです。

これが「国際人権法は個人救済を重視している!」なのでしょうか?

法的保障が不可能と考えていたがそれは2国間で決めることであり判断しない

108. It is, therefore, unnecessary for the Court to consider a number of questions which were discussed at some length by the Parties. In particular, the Court need not rule on whether, as Italy contends, international law confers upon the individual victim of a violation of the law of armed conflict a directly enforceable right to claim compensation. Nor need it rule on whether, as Germany maintains, Article 77, paragraph 4, of the Treaty of Peace or the provisions of the 1961 Agreements amounted to a binding waiver of the claims which are the subject of the Italian proceedings. That is not to say, of course, that these are unimportant questions, only that they are not ones which fall for decision within the limits of the present case. The question whether Germany still has a responsibility towards Italy, or individual Italians, in respect of war crimes and crimes against humanity committed by it during the Second World War does not affect Germany’s entitlement to immunity. Similarly, the Court’s ruling on the issue of immunity can have no effect on whatever responsibility Germany may have.

108. したがって、当事者間で非常に詳細に争われたいくつかの論点については裁判所は判断する必要がない。特に、「国際法は、武力紛争法違反の被害者である個人に直接補償を請求する権利を与えている」というイタリアの主張の当否について裁判所は判断する必要がない。また、平和条約第77条第4項及び1960年協定の条項は、イタリアにおける司法手続の対象になっている拘束力ある請求権放棄条項であるというドイツの主張の当否についても判断する必要がない。これは、もちろん、これらは重要な問題ではないという趣旨ではなく、本件の限りにおいて判断の範囲に含まれないというに過ぎない。ドイツは第二次大戦中の戦争犯罪と人道に反する罪についてイタリアやイタリア国民個人に対して今でも責任を負っているのかという問題はドイツの免除資格に影響を与えない。同じように、免除の問題に関する裁判所の判断はドイツが責任を負うか否かの問題について影響を与えない。

しかも、ドイツ国家に対するイタリア国民個人による直接補償請求については、『判断していない』と明確に判示しています。

朝鮮系弁護士有志の声明文が「国際人権法」を根拠であるかのように主張しているケースは、むしろ国際人権法上は無理筋であると目されているケースでした。

4:「任意の補償は妨げられていないから…」

法的な話では韓国側が完全に間違っているので、向こう側の狙いとしては「日本企業・個人による任意の補償」をさせることです。

これは法的に強制力を伴って金銭を拠出させることではないですから、まったく非がなくとも企業や個人が「提供します」と言えばそれで可能です。それを禁じる何らかの法規は存在していません。それは自由だからです。

しかし、それを行えばどうなるのか。

韓国側は大々的に報道するでしょうね。世界に向けて。英語で。

日本国・日本国民に対する将来にわたる悪影響は計り知れません。

韓国側は日本側に任意の補償をさせるために「情に訴え」てきています。

そのための例として「西松建設事件の最高裁判例」を持ち出し最高裁が傍論で任意の補償を促す判示をしたことを強調しています。

ところが、この事案を持ち出すこと自体がフェイクなのです。

5:「西松建設事件では賠償しているではないか…」

西松建設事件の最高裁判例で「司法が救済を促している」と言われているのは以下の部分です。

最判平成19年4月27日 平成16年第1658号

なお,前記2(3)のように,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても,個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ,本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方,上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け,更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると,上告人を含む関係者において,本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである

この傍論を受けて西松建設側は被害者らに謝罪と賠償を行っています。
※判決自体は原告の請求棄却で西松建設側が勝っている

さて、「諸般の事情にかんがみると」とは何でしょうか?

詳しくは以下の記事で解説していますが、ここでは端的にポイントを示します。

中国人から西松建設への請求という個別事案

この事案で問題になったのは「サンフランシスコ平和条約」と「日中共同声明」の理解でした。

つまり、日本国と中華人民共和国との二国間において、どのような扱いをすることとなっていたかが問題になっているのです。

対して朝鮮人戦時労働者の事案は、「日韓請求権協定」が問題となっています。

両者は別個の事案だということです。

また、この事案は、「当該原告らと西松建設に関する話」であって、この事案の判断がそのまま他の中国人や日本企業に於いても適用できるというものでは決してありません。

まずは全体としてこの構造を理解しないといけません。

中国人と朝鮮人とは労働環境等が異なる

西松建設事件の中国人らは、収容施設に収容され、常時監視されるという異常な状態に置かれていたということが認定されています。

これに対して、朝鮮人は日本人と同じ扱いでした。当時は同じ日本人でしたからね。

賃金格差があった!

などと言う人が居ますが、これも日本人労働者の方が勤続年数が多いベテランが多いことから平均が高くなっていただけであり、新人が多い朝鮮人労働者の平均賃金が低くなるのは当たり前のことです。

企業側の事情もまったく違う:賃金不払い・補償金取得

最判平成19年4月27日 平成16年第1658号

(7) 終戦後,中国人労働者を受け入れた土木建設業者の団体は,中国人労働者を受け入れたことに伴ってもろもろの損害が生じたと主張して,国に対して補償を求める陳情を繰り返し,国も,昭和21年3月ころ,その要望を一部受け入れる措置を講ずることとなった。これにより,上告人はそのころ92万円余りの補償金を取得した

西松建設事件では、原告らに賃金が不払いであったという事情があり、さらに日本政府に対して西松建設が中国人を使用したことに対する補償金を求める陳情をし、取得して利益を得ていたという事情があります。

そのため、公平の見地からは西松建設側が中国人原告に対して救済措置を講じるべきだろうと言われたのは、一定程度、理解できるところです。

朝鮮人の徴用工の話と西松建設事件の違いをまとめると以下の図表になります。

西松建設事件と徴用工訴訟の事案の違い

韓国議長が徴用工への寄付金法案を作成しても無意味

韓国議長が徴用工への寄付金法案を作成しても、日本側がしっかりと本件の事案の性質を理解している限りは無意味です。

しかし、韓国側の騙しの手法は、何度となくいろんな媒体において発信されています。

その例が以下の記事なので、その片鱗を見ることになるでしょう。

以上