事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

偕行社の「南京戦史」が南京大虐殺を認めているという論について

偕行社の南京戦史

南京戦史:偕行社http://www.history.gr.jp/nanking/books_nanking_sennshi.html

「偕行社の南京戦史では南京大虐殺を認めている」というのはデマです。

「偕行社が南京大虐殺があったと言ってる」という論

「偕行社が南京大虐殺があったと言ってる」という論として、上記のような主張が目立ちます。常に「日本軍OBですらこう言っているのに」という仄めかしを伴います。

しかし、こういう主張は、大抵はきちんと偕行社の発行物を読んでいないか、読んだ上で歪めた理解を拡散・煽動していることが多いです。

「証言による南京戦史」は偕行社としての結論ではない

上記ツイート中「1985年の」とありますが、最終的に発行された偕行社の書籍はこの年の発行ではありません。

その時点で南京戦の状況について書かれたものは【証言による南京戦史】であり、南京戦当時独立軽装甲車隊小隊長だった畝本正巳(うねもとまさき)元防衛大学教授が、機関紙「偕行」誌上に連載したもの(1985年2月号まで)です。

そして、偕行1985年3月号の「証言による南京戦史 (最終回) その総括的考察」において、「一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。日本軍がシロではないだろうと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量処理には弁明の言葉がない、旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない」という記述があります。

しかし、これは加登川幸太郎の個人的な見解に過ぎません。

偕行社のHPではこの部分が省かれていることから、偕行社としての総意で書かれたものではないということが明白です。

偕行社HP:証言による南京戦史(1)〜(11)魚拓

1985年5月号では、加登川氏の論考が出た経緯について、編集部で議論した上でOKを出した旨が書かれていますが、これをもって偕行社としての総意が加登川氏の論考に表れているとするのは無理があるでしょう。

偕行社の「南京戦史」は合法・非合法の判定をしていない

偕行社として南京事件に関する資料をまとめたものは「南京戦史」であり、こちらは3年後の1988年に発行後、1993年に増補改訂版として「南京戦史」「南京戦史資料集I」「南京戦史資料集II」が発行されています。

偕行社の「結論」と言えるのは、こちらの方です。

資料の性格として「証言による南京戦史」を発展させたものであると偕行社自身が説明していますが、後述するように、記述方針に明確に違いがあります。

そこでは中国人殺害数として6670人と結論づけていますが、すべて兵士の殺害を意味しています。

なお、「証言による南京戦史」では、南京戦参加将兵の証言において「便衣兵だらけだった」「強姦が多発していたというのは虚報である」という記述も多く見られます。

「中国兵を殺害したと言ってる証言がたくさんあった」と言う者は、このような証言もたくさんあったという事実を斟酌するべきなのに、それをしていない者が多すぎます。
(当たり前だが、殺害だけでは違法ではない)

殺害人数は何人かという事実と、国際法上、不法殺害かの法的評価

  1. 一定の時期に南京で何人の中国人が殺害されたか
  2. そのうち、国際法上、違法=不法殺害と評価されるべきものはどれくらいか

この2つを混同して論じている者が多いです。

偕行社の「南京戦史」は、2番目の点は捨象して記述されており、そのあとがきには「本書では合法か非合法かの問題には踏み込まないこととした」旨が書かれています。

当時の国際法の解釈を行うには力不足を自認していたのでしょう。

実際、畝本正巳の「証言による南京戦史」は、証言にフォーカスするという編纂の性格上、国際法の観点からの包括的な評価は行っていませんし、加登川幸太郎氏の「証言による南京戦史 (最終回) その総括的考察」も、なぜ「不法殺害」と言えるのかが不鮮明で、この観点から論ずる力のある人物ではないと分かります。

「日本軍OBの偕行社が南京大虐殺を認めている」はデマ

以上より、「日本軍OBの偕行社が南京大虐殺を認めている」は、ほとんどデマです。

偕行社に属する個人がそのような認識を偕行社の名で刊行された紙面上で述べたことがあるのは事実ですが、偕行社自身はその記述の掲載を許したものの、社としてその認識であると判断したわけではありません(否定したわけでもないが)。

偕行社の「南京戦史」は被殺者数やその他犯罪の件数の確定に必要な事実関係をまとめたのであり、国際法上違法か適法かという点については判断をしていません。

南京事件とは何か?正しい議論の仕方と論点設定

「南京事件とは何を指しているのか?」

この認識自体がそもそも食い違っているので、「南京事件はあった・無かった」という問題設定は、議論にならないことが多いです。

東京裁判の戦勝国側が主張する南京事件とは、概ね【南京陥落の1937年12月13日以降、南京において、日本軍の陸海軍の最高司令官らの命によって、30万人に至る一般人あるいは捕虜が裁判なしに殺戮された、2万人を下らない婦女子が日本兵によって強姦された、その他略奪行為等が行われた、それは犯罪と評価されるべきものを指す】というものです。

現在のチャイナ側のプロパガンダは、ここから「日本軍の司令官らの命によって」という点を省き、殺害はすべて国際法上違法と評価されるべきものである、という前提で論じています(「南京において」という地理的範囲についても、安全区内に限らず城内全域や城の周辺部も含めるなど拡張して論じられるケースがある)。

日本側の論者は、南京で殺害・強姦・略奪等されなかったなどと論じているのは極々一部であり(または「チャイナ側の言うような大規模な不法殺害はなかった」という趣旨であるための言葉のあや)、概ね「南京陥落の1937年12月13日以降、南京において、少なくとも数千人以上の中国人(一般人・兵士かは不鮮明)が日本軍によって殺害され、その他の犯罪行為が起こったこと」という理解です。

「被害」の大きさで言えば、日本側の理解はチャイナ側の主張する数に包摂されるのですから、日本側の理解を南京事件の公約数的見解として、そこを「少なくとも」のスタート地点とするべきです。

ただ、「南京虐殺肯定派」に対しては、逆に問うてみるといいと思います。

以下で紹介しているツイートのような展開になることが多いですが、相手が誠実に議論をしようとしているかのリトマス紙になります。

中国の南京大虐殺記念館で関東大震災の写真という捏造

中国の南京大虐殺記念館では、関東大震災の写真が「日本軍による蛮行の証拠」として展示されているというリアルタイムの捏造が行われています。

南京事件の証拠として国民党の宣伝工作にかかわっていたベイツ博士とティンパーリ記者の証言(チャイニーズからの伝聞)しか存在せず、埋葬遺体も発掘されない上に、こういう証拠捏造をしていること等からは、「不法殺害」の証拠がほとんど存在しないために無理やり宣伝している証左でしょう。

まとめ:捕虜(俘虜)の資格、便衣兵と民間人の区別と挙証責任の分配

IIPSの星山隆主任研究員が2007年にまとめた南京事件70年ー収束しない論争ー日中歴史共同研究に向けての視点ーは、論点整理には使えると思います。

これを見ると、日本側の論者の観点からは、今後は捕虜(俘虜)の資格はあったのか、便衣兵と民間人の区別はどうするべきなのかという国際法上の視点を持った上で史料検討可能な人材の出現を待つ必要があるのだと思います。

また、私は、【挙証責任の分配論】というスタート地点が整備されていないというのも大きな問題であると考えています。

歴史学として捉えるならば関係の無い話ですが、実際には南京大虐殺肯定派の主張の仕方が「日本側が証明しないといけない」という体で論じることが多いため、議論を見ている第三者の印象がおかしな方向になっていると感じます。

偕行社の高橋登志郎氏の記述も基本的に日本側に立証責任があるという体で書かれているとみられるものが多いです。

しかし、法的に言えば、たとえば日本軍による殺害の事実の有無の立証責任はその存在を主張する側にあることは確かであるし、日本軍による殺害の事実があった上でそれが違法であることを立証する責任も基本的には違法を主張する側にあるのが筋です(合法を主張する側が何も立証活動をしなくてもいいわけでは無い)。

これが何故か日本側に課せられているような状況なのは、日本国が東京裁判の諸判決を受け入れた結果なのでしょうが、そのような態度は国際政治的にはともかく、本来的にはおかしい(東京裁判の性質から)という点は、筋論として認識させる必要があると思います。

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南京事件で日本軍による大虐殺があったと言う者への対処法

SNSなどで「南京事件で日本軍による大虐殺があった」と言う者への対処法。

南京事件で日本軍の命令による大量の殺害があったと言う者への対処法

南京事件(或いは南京大虐殺)で日本軍の命令による(大量の)殺害があったと言う者に関して、面白い事例があったので、以下のスレッドを読んで欲しい。

魚拓 

魚拓 

 魚拓

魚拓 

魚拓 

「南京事件」 とは何か?を問うべき

  1. 30万人の一般人・捕虜が殺害された事件
  2. 30万人はありえないが、少なくとも数千人の一般人・捕虜が殺害された事件
  3. 殺害のうち、国際法上違法と評価されるべきものが発生した事件

「南京事件」について語っている者は、これらのうち一体どれを指して言及しているのでしょうか? 

これを最初に問うべきです。

相手が卑怯者や不誠実な者でなければ、ここの認識を合わせる(或いは認識の違いを理解した上で議論する)ようにするはずです。

「南京事件」の意味内容

南京事件」という言葉は、パル判事(パール判事)が書いた「パル判決書」の時点でも使われているものですが、これは当時の東京裁判の検察側(戦勝国側)の主張として大要【南京陥落の1937年12月13日以降、南京において、日本軍の陸海軍の最高司令官らの命によって、30万人に至る一般人あるいは捕虜が裁判なしに殺戮された、2万人を下らない婦女子が日本兵によって強姦された、その他略奪行為が行われた、それは犯罪と評価されるべきものである】といった内容でした(東京裁判全体では、その他の占領地域全土における種々の行為も訴因となり訴追対象になっている)。

参考:共同研究 パル判決書(下) (講談社学術文庫)

パル判事は「この物語を全て受け入れることは困難」「そこにはある程度の誇張とたぶんある程度の歪曲があった」と評しているように、「人数」や内容については数千人説から様々あります。

そして、強姦や略奪は別にして「殺害」については、それは国際法上違法と評価されるべきものだったのか?という点の評価も行う必要があります。

上記1番はあり得ないと考え、2番の点を論じる者も、3番の視点が無い者が多いです。

パル判決文上の「残虐行為」の用語法の注意

なおパール判事の判決文上では「南京における日本軍の一般民衆或いは戦時捕虜に対する残虐行為があった証拠は圧倒的」「南京における日本兵の行動はベイツ博士が証言したように残虐は3週間にわたって惨烈なものであり合計6週間にわたって深刻」という記述があります。

確かに一部の日本軍の将校が犯罪行為を犯して軍法会議にかけられる例があるのも確かです。

しかし、ここで使われている「残虐行為」(と訳されているもの)の語は、元々は検察側の使用していた文言であり、パール判事の用語法としては、法的な意味を帯びない評価文言であり、一人の人間にとっての(痛ましい)法益侵害行為というニュアンスで使われています。

つまり、パール判事の用語法では、「組織的・大規模な違法行為」という予断は行われていないのです。むしろ、それを避ける表現だということです。

なぜなら、「判決文」なのに最初からとある行為に対して違法・犯罪行為であるという評価文言を使うのは、予断を持って論じていることになってしまうからです。ここでの「残虐行為」は、法的な評価を加えない、生の事実を叙述するための文言です。

その根拠として、共同研究 パル判決書(下) (講談社学術文庫)のp574以降では、検察側の説明する「残虐行為」としてアジアの20の地域ごとに事件が記述されているのですが、その中で『アンボン諸島で妊婦がげんこつで頭を殴られて腹を蹴られた』事案の1件、『クエゼリン島および父島で倉庫破り未遂のかどでアメリカ人が激しく殴打された後斬首された』事案の1件なども「残虐行為」とされています。

その前提に立ってパール判事の記述を理解する必要があるのですが、中には前後の文脈から切り離してパール判事の当該部分だけを出して「ほら、あのパール判事ですら南京事件があったと認めている!」と主張する者がいます。

しかも、この手の者は「南京事件」の中身を明確にせず、暗に「日本軍が組織的に数十万人を不法殺害+強姦略奪した事件」であるような仄めかしをしながら論じる傾向にあります。

南京大「虐殺」 という不毛な用語

南京事件については南京大虐殺などと言われ、英語ではNanking Massacre (Atrocity, Genocide)と呼ばれることがあります。

しかし、虐殺とその対応する訳語である英語表現のどれも、その定義はあいまいですし、用語法も一定ではありません。

人数が数人レベルなら虐殺ではないのか、数千人が殺されていても殺害方法が惨たらしいものでなければ虐殺ではないのか、など、「虐殺か否か」の問題設定では、人数・殺害方法によって虐殺かどうかが決まるといった不毛な議論になるだけです。

それを回避するためにも「不法殺害」が何人あったのかを端的に論じるのが正統です。

こうした前提に立って、これまで南京事件について検証された書物を読めば、その意味する所が曲解されて引用されている場合(そういうケースが多い)それを見抜けるようになります。

IIPSの星山隆主任研究員が2007年にまとめた南京事件70年ー収束しない論争ー日中歴史共同研究に向けての視点ーは、論点整理には使えると思います。

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カナダで外国人参政権・地方参政権が認められているという誤解

 

カナダの外国人参政権の現状

カナダで外国人参政権が認められているという誤解が少なからずあります。

私が疑問に思って調べてみたら、これは伝言ゲームのせいであったり、一部の報道で勘違いが発生したものと思われます。

カナダの外国人参政権の事情

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https://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-046010043.pdf

カナダの「外国人参政権」の事情を調べると、一般的な外国人参政権が付与されているという情報はありません。

「サシュカチュワン州で一部の英連邦市民にのみ地方参政権が与えられている」とするニュージーランドの外国人参政権 後藤光男 山本英嗣 という報告もありますが…

https://www.elections.ca/content.aspx?section=res&dir=his&document=chap3&lang=e

Right of foreigners to vote - Wikipedia

上記サイトを見ると、どうもサシュカチュワン州で一部の英連邦市民にのみ地方参政権が与えられたのは1971年6月23日の選挙に際してであり、2007年のサシュカチュワン州のHPには、カナダ人であることが要件として記載されているが、この時に選挙権があった一部の英連邦市民は選挙権がある、という書き方になっています。

追記:法規としてはサシュカチュワン州憲法の【The Election Act, 1996, S.S. 1996 c.E-6.01, s.16(2).】に根拠があります。これは現在も有効のようです。

https://www.canlii.org/en/sk/laws/stat/ss-1996-c-e-6.01/latest/ss-1996-c-e-6.01.html

以降、カナダや現地コミュニティの分析をした文章においても、外国人参政権の存在が語られることはありません。

ヴァンクーバーにおける華人コミュニティと華人秘密結社洪門民治党の現状 安田峰俊

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カナダの投票情報サイトでは、18歳以上のカナダ人が州選挙で選挙権がある、とだけ記述されています。

カナダで外国人参政権が認められているという誤解

 魚拓

では、なぜ「カナダで外国人参政権が認められている」という誤解が一部で広がっているのでしょうか?

このアカウントだけでなく、Twitter上では検索するといくらでもこのような認識の者が見つかります。

バンクーバーでのチャイニーズコミュニティの報道

Twitter上では既に2009年にはカナダと外国人参政権(地方参政権)が結び付けられている投稿を目にすることができます。

このような認識を持つに至った原因と考えられるものとして、「海外脱出」中国人がカナダで大暴走】と題するノンフィクション作家、河添恵子氏の週刊文春2008年7月31日号の寄稿が挙げられます。

2010年のバンクーバーオリンピックを控えた時期から、彼女の文章が多く拡散されているのがTwitter上で確認できます。ネット上で検索すると、多くの個人ブログでこの記事の文章が転載されている別のブログのURLが引用されているのが確認できます。

河添氏の趣旨は、バンクーバーで中国人移民が増えたことによってチャイニーズコミュニティが発生、既存コミュニティ内での中華系住民の勢力が強まり、他の住民の生活習慣を破壊するような行動が目に余るようになっている(マンションの管理組合でルールを守らないことが問題視されていたが、過半数を中華系住民が占めるようになり、ルール変更、それまでの住民が出ていったなど)という現地の現状を伝えるものです。

同様の問題を伝える記事は、2019年にファーウェイCEOが勾留された時期に多く報道されるようになります。たとえば巨額の中国マネー、カナダに流入 豪邸が爆買いされ、地元住民が取り残された:朝日新聞GLOBE+

しかし、彼女の文章には、外国人参政権との関連はまったく記述されていません。

何かの拍子で、いつの間にか外国人参政権との関連で認識するような人が出始めたのです。

民主党政権時代に外国人参政権の可能性が危惧された

「カナダ」「中国人(中華系)住民による地域コミュニティ破壊」「外国人参政権」

これらを結び付けた認識をするようになった要因としては、当時の民主党政権下の平成21年(2009年)において鳩山由紀夫議員が「日本は日本人だけのものではない」などと発言したことも影響しています。

カナダにおける中華系住民らの行動に関する報道に対して、「地方参政権を与えたらどうなるか…」というコメントをする者も目立ちます(このコメント自体はカナダにおいて外国人参政権が認められていると認識しているわけではない)。

このような危惧がなされている中で、当時、いわゆる保守系の間での支持が高かった田母神俊雄氏もブログで河添恵子氏の中国人の世界乗っ取り計画【電子書籍】[ 河添恵子 ]を引用し、カナダのリッチモンド市において中華系移民が半数を超えたことなどを捉えて、日本における外国人参政権付与に対して警鐘をならしているのが分かります。

リッチモンド市が存在するブリティッシュコロンビア州の選挙の立候補者の顔ぶれを見ると、中華系の候補者が多数いるのがわかります。(参考

しかし、この中でもカナダで外国人参政権が認められているという記述は、まったく存在していません。

出でよ日本派の政治家 | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

リッチモンド市長選に立候補した洪紅"Hong Guo"弁護士

カナダの中国人女性市長候補「中国に人権侵害ない、弾圧はウソ」大紀元魚拓

中国国務院外国専門家局で法務を担当していた洪紅=Hong Guo氏 が、2018年のリッチモンド市長選挙に立候補した件が報道されています。

結局、汚職事件の疑惑などによって、市長職にはなっていないようですが、ファーウェイCEOの勾留が行われた際に弁護士として登場しているので、職業活動はそのまま行っているようです。

彼女の国籍について、大紀元の記事では表題で「中国人」となっているため、この報道を見た人が「カナダでは外国人参政権が一般的に認められているのだ」と勘違いした可能性があります。この記事はライブドアニュースにも転載され、かなり拡散されました。

しかし、彼女については中国系カナダ人と表現するツイートが見つかります。日本語のツイートは以下。

カナダのブリティッシュコロンビア州のHPでは、カナダ人に選挙権があるとしていますが、州内の地方選挙では州選挙法が適用されないと書かれているので、各自治体の選挙の事情を見る必要があります。

しかし、リッチモンド市が出している2014_voter_s_guide魚拓)では、選挙権の資格者をカナダ人に限定しています。

カナダで外国人参政権が認められている?リッチモンド市の選挙資格

投票権(選挙権)と被選挙権は一応区別されますが、洪紅=Hong Guoの立候補書類にも"I am Canadian Citizen" というチェック項目があり、誓約署名があります。

2018 General Local and School Election

したがって、リッチモンド市は外国人参政権を認めていません。

なお、彼女に中国籍があるのか、あるとしてカナダで二重国籍者に被選挙権を認めるのか、については分かりません。中国視点では中国の国籍があるのかもしれません。

この点に関連して、目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画【電子書籍】[ クライブ・ハミルトン ]では、表向き中国では二重国籍は禁じられているが、それでは中共の海外戦略に都合が悪いので、現実には外国籍を取得しても中国のパスポートも持ち続けているケースが多いという旨が書かれています。

まとめ:カナダで外国人の地方参政権が認められているという誤解

  1. カナダの国政選挙、州レベルでの選挙において外国人参政権は認められていない
  2. 過去に一部の都市で特定の選挙において外国人参政権が認められていたに過ぎない
  3. しかもそれはカナダがイギリス連邦の一国であるということから、英国国民の一部にそれが認められていただけ
  4. 州よりもさらに小さいレベルの自治体(市町村)では異なるルールがあり得る可能性があるが、話題になっていたリッチモンド市においても外国人には投票権=選挙権と立候補権=被選挙権を認めてはいない

流石に全ての自治体の選挙のルールを見ているわけではないので、「カナダで外国人に対する地方参政権を認めているところは無い」と言い切ることはしません。

しかし、認めているとする証拠がまったく出てきていないというのもまた事実です。

以上

日中記者交換協定とは:現、日中両国政府間の記者交換に関する交換公文との違い

日中記者交換協定

胡麻油さんによる写真ACからの写真

【日中記者交換協定】について、情報が錯綜しているので簡単にまとめます。

日中記者交換協定とは:日中双方の新聞記者交換に関するメモ 

日中記者交換協定(記者交換取極)とは、正式名称を【日中双方の新聞記者交換に関するメモ】とする、日中国交正常化前の日本と中華人民共和国の間における記者の相互常駐に関する協定です。

そして、巷で言われているのは、その記者交換取極の修正バージョンの方です。

記者交換に関するメモ修正取決〔一九六四年四月十九日の新聞記者交換会談メモ修正に関する取りきめ事項〕 データベース「世界と日本」 日本政治・国際関係データベース [出典] 日本外交主要文書・年表(2),768ー769頁

一,双方は,記者交換に関するメモにもとづいて行われた新聞記者の相互交換は双方が一九六八年三月六日に発表した会談コミュニケに示された原則を遵守し,日中両国民の相互理解と友好関係の増進に役立つべきものであると一致して確認した。

 二,双方は,記者交換に関する第三項に規定されている新聞記者交換の人数をそれぞれ八名以内からそれぞれ五名以内に改めることに一致して同意した。

 三,この取りきめ事項は記者交換に関するメモに対する補足と修正条項となるものとし,同等の効力を有する。

 四,この取りきめ事項は日本文,中国文によって作成され,両国文同等の効力を有する。日本日中覚書貿易事務所と中国中日備忘録貿易弁事処はそれぞれ日本文,中国文の本取りきめ事項を一部ずつ保有する。

日中覚書貿易取決めと日中政治問題に関する会談コミュニケの政治三原則

一九六八年三月六日に発表した会談コミュニケに示された原則」というのは【日中覚書貿易取決めと日中政治問題に関する会談コミュニケ】に示された【政治三原則】のことです。

外交青書|外務省

第14号 1970年版 昭和45年版わが外交の近況 その他の重要外交文書等魚拓

日中覚書貿易取決めと日中政治問題に関する会談コミュニケ (一部抜粋)

双方は1968年に双方が確認した政治三原則((1)中国敵視政策をとらない,(2)「二つの中国」をつくる陰謀に参加しない,(3)中日両国の正常な関係の回復を妨げない)および政経不可分の原則が中日関係において守らなければならない原則であり,われわれの間の関係の政治的基盤であることを確認することを重ねて明らかにするとともに,上述の原則を遵守し,この政治的基盤を守るために引き続き努力する決意であることを表明した。

何気に「政経不可分の原則」が重要で、貿易交渉の枠組みの中で記者交換に関する取り決めがなされており、日中国交正常化後の「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」も、日中貿易協定の署名日と同じ日になされています。

第9号 1965年版 昭和40年版わが外交の近況 七情報文化活動の大要 報道機関との協力(魚拓)では

外国特派員協会には加入していないが、一九六四年九月には中共の新聞特派員七名が来日した。日中記者交換の話し合いは一九五八年初から日本新聞協会と中国新聞工作者協会との間で進められていたが、たまたま一九六四年四月に松村謙三氏ら一行が中共を訪問するにあたって日本新聞協会長上田常隆氏が側面的な斡旋を依頼した結果、交渉は急速に進展した。このため政府は、中共記者の活動が報道用の取材に限定されることなどについて日本新聞協会長の保証を得たうえで、相互平等の原則に基づき、中共記者の本邦入国を認めることとした。なお北京には目下九名の日本人記者が駐在している。

と記述されています。

なお、日中記者交換協定の経緯のまとめとして以下の記述がありますが、なぜか1974年以降のものについて記述がありません。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/oversea/pdf/20150101_6.pdf魚拓

新たな取極:日中両国政府間の記者交換に関する交換公文

日中国交正常化後、従来の記者交換協定は失効したため、新たな取極として、【日中両国政府間の記者交換に関する交換公文】が交わされました。

第18号 1974年版 昭和49年版わが外交の近況 上巻魚拓

(お) 記 者 交 換 取 極

従来日中間の記者交換は,日中覚書貿易取決めに基づいて行われていたが,73年末で失効することになつたため,両国政府間で,これに代る取極を締結することに合意した。その結果,本件に関する交換公文は,74年1月5日,在中国日本大使館橋本参事官と王珍中国外交部新聞局副局長との間で交された。

これについては第19号 1975年版 昭和50年版わが外交の近況上巻においても

 (v) 記者交換取極
 日中両国政府間の記者交換に関する交換公文は,74年1月5日橋本在中国日本大使館参事官と王珍中国外文部新聞局副局長との間で交された。

と記述されたが、それ以降の外交青書では本件に関する記述が見当たらない。

また、日中関係重要文献集 | 在中国日本国大使館でも、交換公文に関する文献が見当たらないが、年表には「日中常駐記者交換覚書署名」とある。日本外交主要文書・年表(昭和60年 原書房)にも掲載されていなかった。

この取極は政治的な要素が無いものである、とする記述がネット上に見られるが、現物を確認したと思われる者は見当たらない。

日中記者交換協定の現在と産経新聞

産経新聞は1998年に北京支局を開設しています。

むしろ、1968年に柴田穂記者が国外追放されて以降から31年間(文化大革命の時期含む)には開設をしていなかったということ。

他の報道機関が天安門事件などをどう報じていたのかを見れば、1974年以降も1968年の記者交換協定の内容が基本的に維持されていたとみるのが妥当でしょう。

もっとも、産経の北京支局開設によって産経がチャイナ批判を控える論調に変化したというようなことは伺えないため、現在では「政治三原則」が緩和ないし事実上不適用となっているとする見方も存在しています。

以上

留学生問題に揺れる札幌国際大学理事長の上野八郎、北海道日韓友好親善協会会長だった

留学生問題で揺れ、教員の大月隆寛氏を懲戒解雇した札幌国際大の理事長である上野八郎弁護士ですが、肩書に興味深いものがありましたので紹介します。

札幌国際大学理事長の上野八郎弁護士

札幌国際大学理事長の上野八郎弁護士

札幌国際大学HP

理事長ごあいさつ - 札幌国際大学魚拓

留学生問題の過剰受け入れ問題が指摘されている札幌国際大学の理事長である上野八郎弁護士の顔写真付きbio。

調べてみると意外な?場所でも顔を出しているのが見つかりました。

札幌国際大学理事長の上野八郎、民団北海道本部の創立70周年記念式典に参加

北海道日韓友好親善協会会長の上野八郎が民団新聞に

民団新聞:https://www.mindan.org/news/mindan_news_view.php?cate=0&page=168&number=19830&keyfield=title&keyfield1=body&key=

民団新聞 「生活相談センター」全国化…新たに大阪と北海道で開設(魚拓

民団新聞 次世代育成誓う…民団北海道が盛大に70周年式典(魚拓)

【北海道】民団北海道本部(李圭亮団長)の創立70周年記念式典が26日、札幌市内のホテルで開催された。民団中央本部から呂健二団長、朴安淳議長、李根茁、任泰洙、金利中副団長、駐札幌総領事館から朴賢圭総領事、来賓として辻泰弘北海道副知事、吉岡亨札幌副市長、上野八郎・北海道日韓親善協会会長をはじめ、地元選出の衆参議員と道議員ら多数がお祝いにかけつけ、さらに東北地協、広島と長野の地方本部団長や役員あわせて250余人が列席した。

札幌国際大学理事長の上野八郎氏が、民団北海道本部の創立70周年記念式典に参加していることが民団新聞の記事によって分かります。

民団新聞2019年1月30日水曜日紙面魚拓)でも掲載されているのが分かります

北海道日韓親善協会会長の上野八郎

都道府県別日韓親善協会 | nikkan-chuo魚拓

肩書は「北海道日韓友好親善協会連合会 会長 上野 八郎」となっており、このことから民団の創立記念式典に参加したと言えます。

なお、中央会の会長はあの河村健夫議員です。

参考:日韓議連の河村健夫の評価「韓国はGSOMIAと輸出管理をセットで解決と提案」⇒李首相は否定 

札幌国際大学の留学生の割合は?

2019年秋学期交換留学生送別会開催! - 札幌国際大学魚拓

1月21日(火)本学に半年~1年短期留学にて学んでいた留学生の送別会を執り行いました。今回短期留学を終え、帰国するのは台湾、中国、韓国からの留学生10名。

札幌国際大学の留学生の割合について、短期留学の枠組みではありますが、どうやら東アジアからの留学生が多いようです。

札幌国際大学の留学生の卒業生の進路状況

札幌国際大学留学生の卒業生の進路状況令和2年

http://www.siu.ac.jp/wp-content/uploads/2020/06/9ba30c44c18de52e0be53b0f24e82825.pdf

札幌国際大学の留学生の卒業生の進路状況が公開されていました。

1学年3~40人居るような大学で、たった1名の進路状況しか公開されていないというのは、いったいどういうことなんでしょうか?

大学・大学院それぞれ1名しか卒業していないということを意味するとしか思えないのですが、いったいなんなんでしょうかこれは?

札幌国際大学留学生の卒業生の進路状況令和2年

http://www.siu.ac.jp/wp-content/uploads/2020/06/9ef6a787936607a404a561e584940921.pdf

札幌国際大学理事長は留学生問題については否定

 一連の新聞、およびテレビ報道について - 札幌国際大学

札幌国際大学理事長は留学生受け入れ問題については否定していますが、果たして。

大月隆寛氏からの発信は以下が代表的です。

以上

テレ朝の小松アナ「ウイグル問題はメディアが扱いにくい 中国当局のチェックが入る」

 

テレビ朝日ワイドスクランブルで小松アナがウイグル問題に中国当局のチェックが入ると暴露

7月6日のテレビ朝日ワイドスクランブルで小松アナウンサーがウイグル問題に関してはメディアに中国当局のチェックが入る、と暴露しました。

ウイグル問題はメディアが扱いにくい 中国当局のチェックが入る

小松 これあの、我々メディアも実は…瀬尾さんも出版出身だからお分かりだと思うんですけど、非常に扱いにくい問題なんですよねウイグル問題って。それからやっぱりその中国当局のチェックも入りますし。だから、我々報道機関でもウイグル自治区のニュースを扱うというのもこれまでややタブーとされてきた面もあって、でも私は去年、共産党の内部告発の文書が出て、ニューヨークタイムズも報じて西側のメディアが報じて、つまり、我々が報じやすい素地ができたということは、おそらく中国共産党内部に、力関係なんでしょうか、何かウイグル問題を出してそれをダシにして権力構造を変えてもいいという動きがあるのかなとすら瀬尾さん思うんですよね。 

報道機関、メディアでウイグル問題がタブー視されてきた

メディアでウイグル問題がタブー視されてきたというのは、既に辛坊治郎氏のBS日テレ深層NEWS降板騒動でも伺い知れた話です。

2019年後半頃からウイグル問題についての発言が出てきた辛坊治郎氏ですが、突如「パワハラ疑惑」が2020年1月頭から喧伝され、本人が事実関係を争っていたところ、結局3月に契約更新をしないことで辛坊氏が番組を降板することになりました。

このような動きがメディア業界では存在しているんだということが、今回小松アナウンサーの指摘で浮き彫りになったわけですが、テレビ朝日の局ですらそういう話を言えるようになった、ということなのでしょうか?

それとも、小松アナウンサーも降板させられてしまうのでしょうか?

以上