事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

朝日新聞「Colabo対暇空茜はフェミニストと表現の自由戦士界隈の対立」という認識操作

メディアの常套手段

朝日新聞「Colabo対暇空茜はフェミニストと表現の自由戦士界隈の対立」

朝日新聞が「Colabo対暇空茜はフェミニストと表現の自由戦士界隈の対立」という認識操作を1月中旬にしていました。

このような物語を流布する動きが無視できなくなったと感じたため、自覚的に記録していこうと思い本稿を書き留めます。

朝日新聞の「集団で攻撃、ゲーム的運動の危うさ」藤田直哉寄稿文

(藤田直哉のネット方面見聞録)集団で攻撃、ゲーム的運動の危うさ 有料記事 2023年1月21日 16時30分 朝日新聞デジタル

 虐待や性被害などに遭った女性を支援する一般社団法人Colaboが、暇空茜というハンドルネームの人物によってネット上で攻撃を扇動されている

「集団で攻撃」「攻撃を扇動」されている、という言及。

立憲共産党などの国会議員が国会質疑で批判的に取り上げ、議員会館で大手メディアを大勢呼んで提訴記者会見をし、その席上で名誉毀損も行われ、それを複数メディアが報じた時点で、このような言及は正当性を完全に失っています。

記者席の様子が分かるもの⇒わかると本当に怖い提訴記者会見解説|暇な空白|note

「背景にはフェミニストと表現の自由戦士界隈の対立」という認識操作

(藤田直哉のネット方面見聞録)集団で攻撃、ゲーム的運動の危うさ 有料記事 2023年1月21日 16時30分 朝日新聞デジタル

背景には、「萌え」的なイラストが性差別や性搾取を助長するのではないかと問題提起してきたフェミニストたちと、それに反発する「"表現の自由"戦士」と呼ばれる人たちの対立がある。

「イラストが性差別や性搾取を助長する」という前提が間違っているフェミニストの主張はともかく、「"表現の自由"戦士」というネットスラングを持ち出してまでColabo問題の認識を誘導しようとしている意図が見えます。

まず、「表現の自由戦士界隈」と呼ばれている、ふんわりとした結びつきを指す語がありますが、暇空氏はこの枠内に入りません。それどころか、暇空氏はこの界隈を毛嫌いしています

表現の自由戦士界隈とはどういう意味なのかは誰も定義していないので曖昧ですが、私の認識としては【何でもかんでも「表現の自由」を持ち出して時事問題にいっちょ噛みしてファボ稼ぎしている界隈】のような感じです。

彼らは憲法学や法実務上で機能しているところの表現の自由ではなく、彼らがそう呼ぶところの表現の自由という理念について語っているだけで、その実は単なる「特定表現の擁護」だったりします。

自由の本質を理解せず、他の人権や自由が問題となる事案であるのに、表現の自由一本槍でゴリ押しして評論エンタメをしているので、その影響で周囲の人間の事実認識すら歪めています。

ここで、「アンチフェミ界隈」という、常にフェミニストらの異常な主張をサルベージ(誰も見てないような泡沫アカウントのツイートも検索で探し出して大騒ぎする行為)しては論破エンタメしてファボ稼ぎし、その主張の中にも謬説が多分に含まれているような界隈がありますが、表現の自由戦士界隈はだいぶこれと重なります。

"表現の自由"とダブルクオーテーションで括られているように、本来の表現の自由とは異なるモノについて語っているという点の認識は正しい。

逆に、フェミニスト側が何でもかんでも「コイツは表現の自由戦士界隈だ」と無限定にレッテル貼りをしている様も見られます。

要するに、そういうマイナスのイメージで語られる用語をColaboの対立側にあてがうことで、最初から「対立側が誤っている」という前提で論じているわけです。

表現の自由戦士界隈の謬論の例は以下スレッドなど。

界隈についてのより深い疑問については以下。

重要な背景事情をすり替える論法による事実歪曲手法

同時に、これは重要な背景事情の認識をすり替える論法として、従前から用いられてきた手法です。

ネット発信で問題が拡散された例としてはあいちトリエンナーレ問題などがあります。

これは本来は【昭和天皇の御尊影を燃やして灰を踏みつける場面が含まれている映像の展示を大村知事が容認した問題】が炎上の中心的な要素でした。
※ツイッター上で「トリエンナーレ 昭和天皇 until:2019-08-02」などで検索すれば明らか。それ以降はメディアによる報道の影響が大きい。

しかし、メディアでは「慰安婦像が展示されたことに対する抗議」という要素をこれでもかというくらい強調し、あらゆる手法でもって昭和天皇に関する部分を隠蔽しようとしてきました。

不自然なくらいアップにしたりカメラの画角を限定して「天皇御真影を燃やすな」と書かれたプラカード部分が映らないように報道が為されていました。

そして、法学雑誌における法学者によるあいちトリエンナーレを振り返る論稿ですら、昭和天皇の御尊影を焼く動画の展示について、欄外の小さい字で触れるのみで、中心的な問題が「慰安婦像の展示」であるという扱いでした。

 

このように、ネット発の問題意識が大手メディアを通して取り上げられると、メディアのフィルターを通して重要な要素が隠蔽され別のモノが強調されて認識流布される、ということが、今回のColabo問題でもお約束的に発生したということになります。

「他人に語らせる」クオリティペーパー朝日新聞の手法

さらに言えば、暇空批判の朝日新聞の記事が藤田直哉氏の寄稿文という体裁で書かれているのが分かる通り、こういう類の記事では朝日新聞が社として或いは記者が批判を展開するということはあまりなく、外部者によって書かれることが多いです。

要するに「他人に語らせる」ことで自社の意見ではないですよ、という逃げ道を用意しているわけです(掲載を許したことの法的な責任を完全に回避できるわけではない)。

藤田直哉「Qアノンとよく似ている、日本で国会襲撃や都庁占拠などの光景は見たくない」

記事後半は藤田直哉氏の妄想で埋め尽くされています。

(藤田直哉のネット方面見聞録)集団で攻撃、ゲーム的運動の危うさ 有料記事 2023年1月21日 16時30分 朝日新聞デジタル

筆者の目から見ると、暇空が行っていることはゲーマーゲート事件やQアノンとよく似ている。

~省略~

筆者は歌舞伎町でバイトしていたので、貧困や虐待や障害などで苦境に陥る女性たちがいて、性搾取があること、精神疾患や自死に至る痛ましい事例も少なくないことを知っている。

~省略~

Qアノンの熱は連邦議会襲撃事件を引き起こした。日本で子会襲撃や都庁占拠などの光景は見たくない。

途中の「ナニカグループ」に対する疑問は、理解できなくもない。

が、「歌舞伎町の漫画喫茶でバイト」程度で何かを語る当事者資格を得ているのだ、という主張は実に空虚極まりなく、それ自体が何かに「酔っている」印象を受けます。

魚拓

流石に暇空批判側が使う「暇アノン」という語は使わなかったか。

メディアで流布される「Colaboへの暇空の攻撃扇動」ストーリーはColabo弁護団の認識由来か

メディアで流布される「Colaboへの暇空の攻撃扇動」の背景として言われる「フェミニストと表現の自由戦士界隈の対立」ストーリーは、Colabo弁護団の認識由来の可能性があります。

上掲ツイートは懲戒請求に関する弁明書であり、Colabo対暇空茜の訴訟とは別の場面ですが、神原弁護士はColabo弁護団でもあるのでこの認識が広められているのでしょう。

「反社としてオウムや連合赤軍と同一視できる」というのは、かなり重い発言です。

Colabo問題として提起された疑惑は多方面にわたりますが、暇空氏が東京都に対して起こした住民監査請求の結果と、議員レベルが提起している「固い」疑惑については月刊正論3月号で示された通り、軽々に「デマ」と否定できるものではありません。

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