事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

アストロターフィングの意味とは:草の根運動とやらせの特殊形、ステマとの違い

アストロターフィング

「アストロターフィング」が乱用されそうなので整理。

アストロターフィング=Astroturfingの意味

アストロターフィング=Astroturfingとは、そういう名前の人工芝の商品です。

そこから転じて、政治の文脈では「草の根運動」つまりは一般国民の自発的な行為であることを装い、別名義の組織が背後に居て一定の主張を広めようとする行為というのが公約数的な理解。多くの場合、資金提供者が居り、表向きの活動者とは異なる主体。

マーケティングの世界では、従来「やらせ」と呼ばれてきた行為のうち、一般市民 / 消費者による自発的なコミットメントを装って、企業等が宣伝目的で行う活動を指すとされています。ステマ=ステルスマーケティングとどう違うのかは知りませんが。

Astroturfing - Wikipedia

対立的環境運動とその分析に対するアストロターフィング概念の導入について―愛知万博問題、および、トヨタテストコース問題を事例として― 井上 治子

やらせ・ステルスマーケティングとの違いとは

やらせの一形態として特にステルスマーケティングと言われることがあります。

ステマは目視では認識できない短時間の画像などを挿入して脳内に刷り込む=サブリミナル効果による宣伝方法が語源とされており、これはそもそも宣伝と推知される行為の存在自体を知覚されないようにした手法ですが、それに限った話ではありません。

報道を装った商品宣伝などがステルスマーケティングと言われることがあります。

特に問題となったのがペニーオークション詐欺事件 - Wikipediaに関連した芸能人らの行為で、虚偽の落札の事実をブログに書いたという事例がステマと呼ばれました。

これは単に口コミ情報で下駄をはかせるものよりも遥かに悪質なものでした。

アストロターフィングとステルスマーケティングは一部が重なり合う概念、というくらいしか言えないでしょう。

いずれも、「本来は存在しない実態」を作り出すことや「誇張された評価」を広く拡散することが、人々の思考・行動の判断を狂わし社会をおかしくする点が非難対象となっています。

政治的には、民主的な判断の基礎となる情報それ自体が信用できなくさせる(「草の根だと思ってたのに…」)ことで民主政治の基盤を毀損する行為として把握されます。

「草の根運動」に対比される人工芝運動=やらせ行為の特殊形

政治の文脈でも人工芝運動=「やらせ」の特殊形、というのがアストロターフィングの大枠な理解があると言えるでしょう。

「一般市民を装って多量の意見書簡を送りつける方法が古典的なものである」とありますが、これをやってるのが日本共産党です。

請願は国民の権利であり、国会への請願提出に関して国会議員が窓口になるのは運用上自然ですが、「憲法審査会の際に毎度のように大量に憲法改正に反対のみの請願が日本共産党所属議員から提出されている」様は、「草の根の自発的行動」などと言える範疇を遥かに超えているでしょう。

アストロターフロビイングという人工芝運動ロビー活動の名称

なお、国会議員に「草の根からの意見」を偽ってロビー活動をすることを特にアストロターフロビイングと言います。

ロビー活動をするには登録しなければならないとするアメリカの法制度があることからこの種の用語が出てきたと思われますが、「矢印」の方向が「権威・権力側⇒国民」ではなく「国民⇒権威・権力側」に向いているのが分かります。

アストロターフィングは常に悪い?少数者の主張を誰が取り上げるか

DJ飛鳥 @kiwi250r https://twitter.com/kiwi250r/status/1000552639728238592

様々な領域におけるマイノリティのためのアドボカシー活動は常にミクロな取組とマクロな取組を行き来する中で政治活動とは不可分一体な形で発展し法制度化を実現してきている。そうした取組の一面だけを切り取り政治性云々の有無で判断することは果たして適切なのか。

何かを直ちに許されざるアストロターフィングと認定する事には2つの問題が。

  1. 少数者の意見の効率的な代弁に悪性評価することに
  2. アストロターフィングという用語の意味のインフレ化

1番について、「少数意見・立場」の社会における扱いが不当な場合に、その者たちを支援する形で政治家や組織が付いてスピーカーの役割を果たすことは、果たして悪い事なのだろうか?

たとえば、現在でこそ「オタク」関連の話というのは自民党の山田太郎議員が衆議院議員に当選したことによって表現規制の趨勢は大きく変わりました。

かつては保守側≒自民党側から叫ばれた表現規制的な政策の数々について、リベラルと称する者たちが反対する構図だったのですが、自民党が変わった結果(とはいえ、高市早苗議員が表現規制派であるため、やはりまだ「非実在青少年」同様の懸念が残っているが)、共産党がさらに強固な表現規制の政策を打ち出す始末。

また、松戸市のVtuberに対する弾圧も野党系の地方議員らが多い全国フェミニスト議員連盟から為されましたが、関連して元N国の浜田聡議員が以下質問主意書を提出するに至っています。

いずれも完全に草の根運動と言い切れるでしょうか?

オタク関係の表現が少数派かどうかは不明ですが、かつては無視されてきたのが実際。

そこには強い意志を持って活動してきた政治家・企業人・学者らの努力があり、まとまりのない草の根が単発的な叫びを続けるだけで自然発生した結果ではないでしょう。

我々の心性の奥底には「誰かからの意思の介入」を嫌悪するものがあると思う。

アストロターフィングは直感的にそれに反するが、世の中を観察すると誰かの意思が介入していない活動というのはそんなに明確ではない。完全に孤立して独立した動きをしていない限り常にそう呼ばれる可能性が生じてしまう。

そういう価値判断・用語法は正しいのだろうか?

「草の根だったのに…」という価値判断部分には、行為主体の問題もあるが、その先に「内容が真正なものだと思ってたのに」という非難が含まれているのでは?

※追記:内容が真正でも外形的公正性との関係で問題になり得る

用語法の問題については以下でも論じる。

アストロターフィング用語の意味のインフレ化による懸念

本当の草の根運動に後から権威・権力側が認証を与えるというのは日本的な現象だと思うのだが、こうしたものまで「①許されざる②アストロターフィング」だとして非難するのは間違っている。

こうしたものはそもそもアストロターフィングとするべきではないだろう。

何でもそうですが意味のインフレ化によって無意味・有害な言説が生み出される。

意味の外縁が際限なく拡張されることで、その中心部分の現象の認知がスポイルされてしまうという事態が発生する懸念があります。

私が観察したものだけでも「優生思想」「フェミサイド」という用語などの意味が無制限に拡張される様子がありました。

典型的なアストロターフィングの事例:日本のLGBT運動や外国勢力の歴史問題の捏造

典型的なアストロターフィングの事例と言えるのが

  • 日本におけるLGBT団体の運動
  • シールズなどの自称学生団体のデモ活動
  • KPOP関連の広告・口コミ・動作再生数水増しなど
  • 共産チャイナの五毛党(Astro毛phingと呼びたい)や韓国VANKやなど、外国勢力による歴史問題の捏造

日本におけるLGBT団体の運動は、従来の日本の性文化を下敷きにしておらず、アメリカにおいては歴史的にそうならざるを得なかったアメリカ式の運動をそのまま輸入したものを実施している集団が居ます。

シールズと呼ばれた自称学生団体(デモの風景を見ると中年・壮年の方々が散見されたが…)は朝日新聞の広告欄に広告を掲載するなど、明らかに背後団体が居ました(通常なら3000万円ほどかかる広告を打っていた)。

KPOP関連動画の再生数水増し行為が横行しているのは、韓国の音楽番組ではCDの売上よりもMVの再生数を非常に重視されて毎週順位が付けられることでファンが駆り立てられている面がありますが、韓国政府が国策としてエンターテインメントを「輸出」しているという厳然たる事実があります。

K–POPアイドル育成の国家戦略 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

#12 「文化を育てる」ために韓国は国家戦略として何をやってきたか? | なぜ世界は韓国カルチャーに熱狂するのか | クーリエ・ジャポン

「愛の不時着」やK-POP…韓国コンテンツのヒット戦略 次に来る“made by KOREA” | 毎日新聞

隠された韓国“奴隷契約”…K−POPは国策、予算は日本の6倍 - 芸能 - ZAKZAK

VANKなど外国勢力による歴史問題の捏造や川崎市のヘイト規制条例(日本属性者に対するヘイトは被害救済の対象だが、行為者に対する刑事罰は対象外という、それ自体が分断を生み出す条例)などはアストロターフィングなどと呼ぶことすら生易しく「日本に対する敵対的工作」と真正面から指摘した方が良さそうですが、言葉の意味から当てはめようとすると、該当すると思われます。

日韓通貨スワップの際の韓国大使館のロビー活動はもはや草の根を装ってすらいないので、アストロターフィングとして論じるべきではないでしょう。

「技術力・秩序・外交力、日本に追いつくにはまだ遠い」(1) | Joongang Ilbo | 中央日報

アストロターフィングではない「民主主義の脅威」を覆い隠してしまわないか

実名で活動をし、所属組織を明示している者による発信だが、その言動に虚偽や誘導が含まれている場合。

しかも、その所属は公党であったり日本一の発行部数を誇る新聞社(しかもTV局とのクロスオーナーシップ)であったりする。

そういうケースの場合、発信力が桁違いですし、発信される情報の表面的な信用度は、匿名であったり「草の根」の者によるものよりも遥かに高い。

こういうケースは、アストロターフィングではない。

しかし、アストロターフィングよりも遥かに「民主主義の脅威」の度合いは高い。

アストロターフィングは概念の一つとして有益でしょうが、無理やりそれに当てはめようとして論じることは、まったくアストロターフィングではないが遥かに有害な現象を見過ごすことに繋がる。

そのための道具として「アストロターフィングだ!」が悪用される危険さえあるということは心に留めておきたい。

以上:はてなブックマークをして頂けると助かります。