『百田尚樹の日本国紀はWikipediaが採用しているクリエイティブコモンズライセンス:CC BY-SA 3.0に違反しているから著作権フリーだ』
これは明確にデマですのでお気を付け下さい。
法律の解釈はほとんど関係ありません。
このような怪情報がツイッターとはてなブックマークを中心に流れていますが、単純にクリエイティブコモンズライセンスについて理解してないことが原因です。
- クリエイティブコモンズライセンスとは
- WikipediaのCCライセンスはCC BY-SA
- CCライセンスの法的効力と違反の効果は?
- CCライセンスの理念
- 「GPL汚染」の話とは無関係
- 「ウィキのCCライセンス違反で著作権法違反」はデマ
- 百田尚樹の日本国紀は著作権侵害なのか?
クリエイティブコモンズライセンスとは
クリエイティブコモンズライセンス(CCライセンス)とは、インターネット時代のための新しい著作権ルールで、作品を公開する作者が「この条件を守れば私の作品を自由に使って構いません。」という意思表示をするためのツールです。
要するに、「使用許可の条件を事前に明示したツール」です。
これは、著作権を作者に残したままで、利用者がいちいち作者に許可のための連絡を取らなくとも、予め定められた方法に基づいた利用であれば、誰でも自由に著作物を利用することができるために作られた規格です。
これによって、著作物の流通を促すとともに、著作権者の意に反する利用が少なくなるようにすることが意図されています。
WikipediaのCCライセンスはCC BY-SA
BY-SAとは、「表示」と「継承」のデュアルライセンスでの公開が許可されているという意味です。
つまり『Wikipediaの内容を使うのであれば、作品のクレジットを表示し、且つ、BY-SAのCCライセンスで公開すれば、許可が与えられたことになります』という意味です。
注意すべきは、「非営利」のライセンスが付いていないため、正しい使用方法に準拠していれば、営利目的でも利用可能であるということです。
なお、CCライセンスを付与したものが直ちにパブリックドメインになるとは限りません。CCライセンスのパブリック・ドメインとして公開したいのなら、「CC0」ライセンスを付与する必要があります。
ちなみに、このブログの記述の一部はCCライセンスジャパンのウェブの記述を「引用」の範囲内で利用しており、CCライセンスに基づく利用をしているわけではありません。
CCライセンスの法的効力と違反の効果は?
CCライセンスは各国毎の著作権法のルールに準拠するという決まりになっています。
日本の場合は、日本の著作権法に準拠することになっており、CCライセンスの法的効力が認められています。
さて、CCライセンスに違反した場合にはどういう効果があるのか?
CCライセンスは「使用許可の条件を事前に明示したツール」でした。
ということは、CCライセンス違反は許可をしていないのに著作物を利用したのと同じです。
クリエイティブコモンズライセンスジャパンFAQ よくある質問と回答
もし、許可されていない方法での利用を無断で行った場合、その利用行為は、CCライセンスに基づく利用許諾が及ばない行為ですから、著作権侵害の責任を問われることがあります(差止請求、損害賠償請求、刑事罰の適用等)。
要するに著作権侵害の話になります。
著作者と使用者の二者間で解決すべき話です。
決して、無許可著作物を含む使用者の作品が著作権フリーになるわけではありません。
CCライセンスに違反している作品は「本来CCライセンスとして扱うべきもの」という状態ですが、それは自動的にそのような効果が違反作品に生じるということではありません。
なお、他人の著作物を含む作品であっても、編集著作物として著作権を認められる余地があります。
編集著作物とは「編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。その素材の選択又は配列によつて創作性を有するもの」であり、著作物として保護の対象になります(著作権法12 条1項)。
細かい説明は省きますが、ありきたりな表現が続く文章であっても、その構成の仕方によってはそのような構成の文章全体が著作物として認められる余地があるということです。
百田尚樹氏の日本国紀が著作権侵害かどうかはともかく、著作権侵害をしている作品に著作権が無いとは直ちに言えません。
「著作権侵害をしている本だからスキャンしてネットにばら撒いてもお咎めなし」などということにはなりません。
以下では補足的にCCライセンスと関連する事項について触れていきます。
CCライセンスの理念
デジタル時代の著作権 (ちくま新書) 野口 祐子 223-224頁
作品が人の目に触れてからユーザーが権利処理をする、という後追いの権利処理ではなく、作品を公表する段階で、権利者が自発的に、事前の許諾を与えておく仕組みを作ろう、というライセンス運動です。これが二〇〇二年十二月に米国でスタートしたクリエイティブ・コモンズ(以下「CC」と言います)です。
CCライセンスの性質は、権利者が事前に「こういう場合は許可します」と意思表示するというものです。許可条件に違反した場合にどうするか、ということまでは決めていません。
フリー・ソフトウェア運動は、ソフトウェア・プログラムのソースコードをGNU Public License(GPL)等のライセンスのもとで公開して、その改変や複製、販売等の利用を積極的に許しつつ、このライセンス条件をそこから派生したプログラムにも継承させることによって、ソフトウェアの利用やプログラミングの自由を最大限確保しようとする運動です。
CCの創始者であるハーヴァード・ロー・スクールのローレンス・レッシグ教授によれば、CCは、このフリーソフトウェアの動きにヒントを得て、その精神をソフトウェア以外の分野にも広げる形でスタートさせたということです。
CCライセンスは著作物の利用の自由を促進する方向を理念とする規格だということがわかります。
つまり、CCライセンスは違反者を取り締まる事で利用を制限するという立てつけにはなっていないということであり、それは設立の経緯からも導かれるということです。
上記で出てきた「GPL」についても指摘していきます。
「GPL汚染」の話とは無関係
にわかには理解しがたいかも知れないけど、ソフトウェア分野では、ちょっと前にだいぶ話題になった話。
— まる (@yas_mal) November 17, 2018
「GPL汚染」「ライセンス感染」あたりでググると情報が出てくる。
「万一、GPLのソースが1行でも混入すると、そのソースの全てはGPLとして公開しなければならなくなる」https://t.co/5t86p01tgR
「日本国紀が著作権フリー」の情報に関連してこのようなツイートがあるため信じてしまう人が居るようですが、間違いです。
「GPL汚染」とは、プログラムのソースコードの中にGPLでライセンスされたものがたった一行でも存在していると、そのプログラムもGPLでライセンスされたと扱うべきものになる、ということです。
GPLも一つのライセンスの規格です。"General Public License"とも言います。
しかし、GPL規格は「著作権侵害者の汚名を被りたくければGPL規格に準拠しろ」というものであって、違法行為をしている者と見られたくない企業等の心理面に働きかけるものです。
「GPL規格に準拠しない方法を用いたときに強制的にGPL規格が適用される法的効果が発生する」というものではありません。
「GPL汚染」の事例を見ても、「ソースコードの公開を余儀なくされた」と書かれていることが多いですが、それは「GPL規格違反の法的効果」ではなく、「著作権侵害状態を回避したい企業がGPLに準拠した行動を取らざるを得ないという事実上の効果」によるものです。
CCライセンスも同様の効果を企図しています。
ですから、仮に日本国紀がCCライセンス違反だとしても、日本国紀の権利者が違法状態を解消するためにCCライセンスに準拠した扱いをしない限り、第三者が日本国紀をCC BY-SAのライセンス条件の下で利用できるということにはなりません。
「ウィキのCCライセンス違反で著作権法違反」はデマ
CCライセンス違反と、日本国紀に著作権があるかは別問題です。
そもそも、Wikipediaのライセンスの許可を取った場合でも「表示」「承継」のライセンスが付与されているのです。
それが「CCライセンス違反の作品は著作権フリー」だと考えるのは意味不明です。
仮にそうだとすると、一人の使用者を「かませて」許可条件違反にして著作権フリーにしてしまえば、真の使用者が著作物を無制限に使用できるようになってしまいます。
おかしいということが明らかですよね?
ということで、冒頭の画像の記述があるブログの出典の魚拓を以下に示します。
上の画像の出典元魚拓:https://t.co/NirWm2XMkK
— Nathan(ねーさん)🍁 (@Nathankirinoha) November 18, 2018
百田尚樹の日本国紀は著作権侵害なのか?
「Wikipediaの記述と同じ文言を使っているから著作権侵害だ」
直ちにこのように考えるのは非常に拙速であり、幼稚もいいところです。
実は歴史的事実や歴史上の人物についての記述は、最も著作権侵害かどうかが問題になってきたのですが、著作権侵害が認められるケースは少ないです。
それについては後日まとめますが、クリエイティブコモンズライセンスについて沿革も含めて弁護士の立場から説明したものがありましたので以下に紹介しておきます。
以上