「すぎやまこういちが性的少数者差別」という言説がデマであることについて整理。
- 東京五輪開会式BGM作曲者のすぎやまこういちが性的少数者差別?
- 杉田水脈議員の「生産性なし・自殺率6倍」発言のソース
- 新潮45における杉田水脈「LGBT支援の度が過ぎる」の内容
- 「同性愛者の自殺率は6倍」のエビデンスレポート
- 「すぎやまこういちが性的少数者差別」というデマ
東京五輪開会式BGM作曲者のすぎやまこういちが性的少数者差別?
作曲家がLGBT差別の杉田水脈氏を肯定…開会式のドラクエ起用に疑問続出 記事投稿日:2021/07/26 11:00 最終更新日:2021/07/26 11:00 女性自身
毎日新聞上東麻子『「ほぼすべての差別を体現した五輪だ」と批判が広がり』⇒立憲民主党おしどりマコのツイート - 事実を整える
東京五輪開会式のBGMの一つであるドラゴンクエスト(ドラクエ)の作曲者であるすぎやまこういち氏が過去に性的少数者差別(そのような者を擁護)というデマ記事があります。
これについては過去のデマ報道をさらにデマでコーティングしているので、ソースを提示しながら一つ一つ整理していきます。
杉田水脈議員の「生産性なし・自殺率6倍」発言のソース
発端は杉田水脈議員の「同性愛者(LGBT)は生産性がない」という発言です。
最初は平成27年(2015年)6月5日に放送されたチャンネル桜でのすぎやまこういち氏と中山恭子氏との鼎談での発言。
動画の7分くらいからの書き起こし
杉田 以前からですね、市の職員や議員さんを集めてですね、同性愛の方の気持ちを知りましょうと言って本当に同性愛の方に来ていただいて、講演をして頂くということを市長が好んでやっていたんですね。ということなので、いよいよこれを宝塚市でもやろうということになって。で、私は当然こういう条例は必要ないと思いまして、3つの理由を挙げてブログに書かせていただいたところ、たいへん賛否両論いただいて、いわゆる炎上という形になっているんですが、私が1つ目にあるのはですね、これ、タイトルを見てみなさん気づいていただけましたでしょうか。渋谷区男女平等及び多様性を尊重するという、この男女平等という部分と多様性という部分と同列で論じているんですね
すぎやま 違うことだよね
杉田 違うことですよね。まったく違う問題なんですけれども同列にしている。ただ、私は男女の支援っていう例えば子育て支援を行ったりとか、今自治体によっては結婚の支援を行っている自治体もありますが、これは、私はやっぱり今日本は少子化ですから、もっと子どもを産んでいただかないといけないということがありますからね、そういう所に対して税金を使って支援をしているわけです。ならば、こういう言葉を使うからダメなのかもしれないですが、ハッキリ申し上げます。生産性がない同性愛の人たちに皆さんの税金を使って支援をする、どこにそういう大義名分があるんですか、っていうことがまず1点なんですね。これは男女平等も私はあり得ないってことを発言してこのときもだいぶ炎上したんですけどね。差別じゃないんですよね。区別なんです。
すぎやま 区別
杉田 そこの部分を混同してはいけませんよというのが1点です。それから2点目は日本という国は基本的人権というのが全員に尊重されていますから。大人も子供もおそれからお年寄りも障害をもった方も病気を持った方も、尊重されています。その上でですよ、女性の人権が~とか、子どもの人権が~とか、あとまた同性愛の人の人権が~というと、それを特別に支援するというのは特権になってしまうんです。
中山 そうですよね
杉田 だからそういったことは必要が無いですよっていう
すぎやま 昔からの日本語で言うと、「屋上屋を架す」という。屋上にまた家を建てるみたいな話になりますよね。
杉田 それが2点目です。それから3点目なんですが、これは私自身が行政で18年間働いておりましたので、地方の自治体が今やらないといけない仕事って山ほどあるんですね。たとえば生活保護が凄い増えているんですが、そこに職員の数が割けなくて、だから不正受給だとかを見破ることができないということもあります。児童虐待の問題が増えているんですけれども、そういう所にも十分に職員の人を割くことができません。いろんな問題が多様化していて、でも自治体の数は行革とかで減っているわけですよ職員の数は。そんな中で本当に皆さんあっぷあっぷしながら仕事をしているのに、もっとみなさんの生活に密着した問題で、しっかりやっていかないといけない問題が山積みになっているのに、これって本当に優先順位の高い問題ですか?という優先順位から考えても、かなり優先順位が低いんじゃないですか?と。この3つのことを書かせて、私はこういう支援法は要りませんということを書かさえていただいたんですね。でも、きちっと私は論理的に書いたつもりなんですが、差別主義者のレッテルを貼られてしまって、普段私がブログとか書いてもあまり取り上げてくれないんですが、こういう内容を書くとですね、ライブドアニュースとかなんとかニュースとかが取り上げてくださって、この間はテレビの討論番組から電話がかかってきて LGBTの知識を学校教育で教えるべきかということに対しての意見をくださいというふうに言われまして、私は当然そういうものは必要ありません、と言ったら、あのなんと言われたかというとですね、「同性愛の子供は正常に恋愛できる子どもに比べて自殺率が6倍高いんだ」と「それでもあなたは必要ないんですか?」と言われまして(ここで笑いながらの発言)私はそれでも優先順位は低いし、同じですよね、学校の先生もいまモンスターペアレンツとか学級崩壊だとかやらなくちゃいけないことはいっぱいあるのに、こういうことをやってる時間はきっとないですし、あと、じゃあどれだけ正しい知識を先生は子どもたちに教えられるんですか?と。誤った知識を教えてしまったらおかしいじゃないですか。あと、思春期の子どもって本当にいろいろあるんですね。私も女子校で育ちましたから、周りがもう女性ばっかりでですね、じゃあちょっとかっこいい女の子が居たらラブレター書いたりとかですね、学校の先輩と交換日記してくださいとかってしてるんですけど、でも、歳を取っていくと普通に男性と恋愛できて結婚もできて母親になって、ってしていくわけです。その多感な思春期の時期ですよ、いや、女性が女性を好きになるのはおかしくないですよ、男性が男性を好きになるのはおかしくないですよ。もっとみなさん堂々と胸を張ってちぢこまらずに同性愛の人も胸を張っていきましょうという教育をしたらどうなるんですか?ちゃんと正常に戻っていける部分も戻っていけなくなってしまいますよね。ということを延々とその人に説明したんですが。結局テレビでその企画はなくなったそうなので私がテレビで話すことはなくなってしまったんですけれども。
ー省略ー
すぎやま それともう一つね、決定的なことなんですが、同性愛から子供は生まれません
こういう発言がありました。以下、簡単に発言に対する指摘を。
「内容」と「表現」とを分けて考えます。
「正常」という表現はやや不用意ですが「思春期の揺れ動く性自認や性的指向」の文脈で仕方なく使ったと考えれば良い。性的少数者を否定的に評価している文言ではなく、そうではない標準的な性自認と性的指向を持つ者を念頭に置いた表現。
「平等」に対する彼女の用語法は、法的概念ではない。法的概念で言えば平等は憲法上必須なので。法的概念ではない「平等」としてイコールの意味で使っているというのは発言から読み取れる。国会議員として法的概念を無視した発言はどうなのかという点はともかく、それは表現の問題或いは彼女の議員適性の問題で、主張内容それ自体の問題ではない。
「同性愛から子供は生まれない」に対しては「同性愛者でも養子縁組で子供を育てられる・女性同士なら精子バンクを利用できる」という反論もあろうが、これは特殊な事例であり、原則的な同性愛という性質を考えた制度設計の議論の場面では、必ずしも有効なものではない。
「特別に支援するのは特権になる」については、おそらく権利レベルでの話と思われる(「マイノリティの人権」としてしばしば言及されるように、一般人の人権とは別のもの(手厚く保護するべきという主張が内在している)を措定するようなこと)。すぎやま氏が「屋上屋を架す」と言っているのはそういうこと。実際、LGBT過激派にはそういう権利レベルでの手厚い保護をせよと言っている者も居る。
そうではなく具体的な政策レベルでの優遇措置の意味であるとすると、たとえば「少子化対策についても特権にならないか?」という指摘が可能になってしまうため、そういう意味ではない。
「同性愛者の自殺率6倍」は、彼女の発言が発信源ではなく「テレビの討論番組からの電話」で言われた内容を紹介したものであり、むしろLGBT施策を講ずるべきである根拠として提示されていたものです。
立ち止まって考えてみて欲しいのですが、「学校教育においてLGBT教育をするべきでは?」という文脈で、その根拠として「同性愛者の自殺率6倍」を持ってくるのは矛盾ではないでしょうか?後に指摘しているように思春期の子どもの心は揺れ動くものであるのに固定化方向に教育するのはどうなのか?との指摘はまっとうな政策議論です。
したがって、この文脈で笑いが起きているというのは、テレビの討論番組のスタッフのロジックに対してであって、「同性愛者の自殺率が6倍」そのものに対してではないということです。
「3つの理由を挙げてブログに書かせていただいた」というのは、2015年3月27日に書かれたLGBT支援策が必要でない理由〜私の考え | 杉田 水脈(すぎた みお)オフィシャルブログ(魚拓)の事を意味します。
内容は動画で話されていることと同じです。
「生産性が無い」については次項で書きます。
新潮45における杉田水脈「LGBT支援の度が過ぎる」の内容
このような杉田水脈議員の考え方がより整理されたものが『新潮45』2018年8月号57~60頁『「LGBT」支援の度が過ぎる』において書かれた論稿。
朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
この際もメディアが非難しました。
同性カップルは「生産性なし」 杉田水脈氏の寄稿に批判:朝日新聞デジタル
これも「内容」と「表現」とを分けて評価するべきでしょう。
内容は、①報道に見られる論調=LGBT権利保障+差別根絶をして生きづらさを解消せよというものがあるが、②それは政策によって解消されるものではなく周囲の理解が必要なものであるところ、③少子化の日本社会において、限られた予算で少子化対策に振り分けることが必要と思われるのに、生物の原則的には子供を産み育てるということが想定されないLGBTカップルに税金を使うのは果たして適切か優先順位の観点から疑問。
という政策論を言っているわけです。
LGBTの存在や生き方を否定するものではない。
ただ、「表現」はというと、子どもを産むか否かという話の中で「生産性が無い」と言っており、客観的一般的な受け止めとしては、子どもを産み育てることが無いカップル(男女も含まれ得る)の生き方を否定しているように聞こえるようなものとなっていると言えます。これは良くないと思います。
この辺りを混同して【トーンポリシング】が展開されたのが2015年のチャンネル桜での発言から続く「杉田水脈バッシング」の実態です。
さらに新潮45の10月号に杉田氏を擁護する記事が掲載され、その内容が問題視されたことをきっかけにして新潮45は廃刊となりました。
「生産性」以外の部分でも難癖をつけられていましたが、擁護記事の問題点についてまとめたものが以下。
また、この頃から性的指向と性的嗜好という言葉が広く認知され出したのですが、その用語法についての不正確かつ有害な認識が広まったため以下で警鐘を鳴らしています。
「同性愛者の自殺率は6倍」のエビデンスレポート
杉田水脈議員の言う(発言の紹介)「同性愛者の自殺率は6倍」のエビデンス。
NHKオンライン | 自殺と向き合う - 生き心地のよい社会のために
欧米の調査では、同性愛者の自殺企図率がそうではない人と比べて数倍高いという結果がくり返し報告されています。LGBTと自殺に関する調査研究は数多く行われていますが、過去20年間の文献をレビューした結果、(米国の高校生全体の自殺企図率が7~13%程度と推定されるのに対し)思春期のLGBの自殺企図率については一貫して20~40%程度の数値が報告されていると、ある米国の文献で述べられています。
「自殺率」ではなく「自殺企図率」、「同性愛者」ではなく「LGB」に関するものではありますが、一般的な高校生と比べて「最大で約6倍」と言える報告は存在します。
もっとも、これが実態を正確に反映しているかというと注意が必要です。
【日高庸晴ほか(2007)厚生労働省エイズ対策研究推進事 ゲイ・バイセクシュアル男性の健康レポート2】
ただし一方で現実に自殺した同性愛者の実態ということで言うと、亡くなったその人がゲイやレズビアンであったかどうか、あるいは性的指向に悩んでいたことが自殺の原因だったのか、などを明らかにできないケースが多く、事実が表面化してこないんです。実態把握の難しさを持っています。
上掲ページのPDFファイルは見れなくなっていますが、同じ内容がReach Online 2005上に公表されていることと、【ゲイ・バイセクシュアル男性の健康レポート2015】にて確認できます。
URL:https://www.health-issue.jp/Health_Report_2015.pdf
わが国の自殺既遂者は年間3万人を超えますが、自殺未遂の実態について国レベルで詳細に把握できている状況にありません。また、自殺既遂者の動機や背景要因を記録する際に性的指向の視点は含まれておらず、その関連は何も明らかになっていないのが現状です。ゲイ・バイセクシュアル男性の自殺念慮、自殺未遂割合については、1999年実施のインターネット調査(有効回答数1,025人)の結果と比較してみるとその割合に何ら変わりなく、全体の65%はこれまでに自殺を考えたことがあり(自殺念慮)、15%前後は実際に自殺未遂の経験がありました(図8)。
「すぎやまこういちが性的少数者差別」というデマ
このように、メディアは「杉田水脈議員の発言が性的少数者差別」という前提で「すぎやまこういち氏がそれを支持した」と書いているわけですが、その前提が間違っているため、「すぎやまこういちが性的少数者差別」という主張は誤りです。
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