事実を整える

Nathan(ねーさん) ほぼオープンソースをベースに法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

高市早苗 「靖国神社参拝を総理として実現」に対する反応への考察

高市早苗、自民党総裁選立候補会見

評論家ではなく日本国のプレーヤーとしての民間人の心得

高市早苗「靖国神社参拝を総理として実現」

高市早苗大臣*1が9月14日の名古屋市で行われた自民党・総裁選の演説会の後に、地方議員との集会に出席し、配布されたハガキに「我が政権構想・国家構想」の5項目の1つとして「靖国神社参拝を総理として実現します」と記載されていたと報道されました。

これに対してはSNSでも賛否両論があり、例えば上掲TBSの投稿の引用投稿を見てみるとその様子が観測できます。

https://x.com/search?q=url%3A1834934641750687797&src=typed_query

高市氏の姿勢に対して、「外交を知らない」「外交問題にしてどうする」などという投稿が自民党支持者と思われる者の中でも散見されますが、まずはそうした主張について私見を述べます。

民間人が外交上の最終判断をする能力は無いので原則論を述べるが良い

内閣総理大臣による靖国神社参拝について、民間人が反対をする見解を振り撒くことこそが、これまでの無用な(外交)問題を引き起こす要因の一つにもなってきた、或いはこれからそれに利用される虞について、どう思っているのでしょうか?

靖国神社を参拝するか否かは、本来は外交など関係ありません。

ただ、事実上外交上の効果が生じ得る事を考えてどうするかは総理の判断で良い。

これに対して、我々民間人は総合的な判断なんて出来る訳もないので、基本的には何ら問題がないという当たり前の事を言えばよく、今のフェーズでは、民間人が参拝を問題視しない態度を示す事が大切なのではないでしょうか。

なぜなら、我々の一挙手一投足が(ネット上の小さな世界であろうが)世論を形成し、外国もそれを参照してるんだ、という認識が重要だからです。我々も世の中を作るプレーヤーなんだと。「正解」は流動的であり、誰かが用意した正解をなぞるだけが有権者の役割ではないだろうと。

しかし、外交判断のプレーヤーではないということ。そこを勘違いしてはいけない。

私は過去の処理水に関する発言から、高市氏の外交感覚には信頼を置けていませんが、この話を「外交音痴の問題」として言及することそれ自体が「靖国神社の外交問題化」に加担しているんだ、という自覚が無いのはどういうことなんだろう?と思わざるを得ません。

(終戦の日・8月15日の)靖国神社参拝を強要する事の問題

私は「靖国に参拝しろ!」だとか「靖国参拝しなければ国士じゃない!」だとかを言ってるのではなく、「靖国参拝をしても問題ない」と言っているだけです。

総理大臣が靖国参拝するか否かということと、我々民間人が「靖国参拝は何ら問題がない」という意思を示すことは、全く別の話です。

過去記事以来指摘しているように、特に終戦の日・8月15日の靖国神社参拝を強要することは、靖国神社の由緒からしてズレていると言えます。

靖国神社は明治2年=1869年に設立され、戊辰戦争以来、内戦、事変、戦争で亡くなった方を祀る神社ですし、靖国神社の行事としては、春と秋の例大祭が最も厳粛な正式な式典だからです。

大東亜戦争に関して特に慰霊・顕彰したいという方は自由にすればよいと思いますが、それを強要するというのは、それ自体が【論争化】を招くものであり、慰霊の場としての靖国神社の場を危うくさせるものです。

政策・公約として靖国参拝を主張するのは無用な「争点化」

9月9日の総裁選立候補表明会見において記者について総理となった後も靖国神社参拝をするのか?を問われて返答したのは上掲動画の1h17m30s過ぎから。

ここでは「公務死された方々に対して尊崇の念をもって感謝の誠を捧げる、これは普通の事なんだろうと思っております。」と述べるにとどまっています。こうした主張は令和3年の自民党総裁選の際も同様に行っていました。*2

それを超えて、報道されているような「我が政権構想・国家構想」の5項目の1つとして「靖国神社参拝を総理として実現します」と主張する事は別問題です。

これは参拝を政策だとして且つ選挙公約にしていることになり、当たり前の行為をいちいち「争点化」していることになります。

この点が自民党支持者からも否定的な言及がされているのだというのは確かです。

「靖国神社参拝を総理として実現」の意味は?小泉純一郎等歴代総理の参拝

他方で、高市氏の言う「靖国神社参拝を総理として実現」の意味内容は不確定です。

小泉純一郎氏が総理の時代にも「内閣総理大臣小泉純一郎』と記帳してましたが、公的参拝か否か?の文脈では私的参拝とされています。*3*4*5

高市氏が言う「総理として」がそのレベルなら、小泉総理を基準とした場合でも憲法上の政教分離原則上は問題がないことになります。単に閣僚の身分ではなく「総理大臣になっても参拝する」といった意味合いかもしれません。

ちなみに小泉純一郎氏はあの当時、6年連続で参拝し、中国に対しても「靖国参拝するから首脳会談に応じないというのは、私はいいとは思っていない」などと、ハッキリ言っており、その間も中国との間で交渉・交流が行われて来ました。

小泉以後、総理大臣の身分にありながら靖国神社を参拝したのは安倍晋三氏による平成25年=2013年12月26日の参拝のみです。なお、8月15日の総理による参拝は小泉純一郎氏による平成18年=2006年8月15日が直近のものとなっています。

なぜ天皇が御親拝されなくなったのか?富田メモの扱い方について

関連して、昭和天皇以来天皇が御親拝されなくなったことについて言及されることが多いので触れます。*6

天皇が御親拝されなくなった理由には諸説ありますが、『広い意味で政治問題化したから』とするのが最も穏当と思われます。参拝されなくなった後も勅使を靖国神社に派遣しています。

なお、A級戦犯合祀が天皇の逆鱗に触れたとか何とか言っているのは何に対する怒りかも不明な富田メモとかいう、証拠の扱い方としては怪文書と呼ぶべきものに拠っています。この点は以下で整理しています⇒【靖国神社問題】天皇陛下はなぜ御親拝なされなくなったか?政教分離・A級戦犯合祀・富田メモ - 事実を整える

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*1:経済安全保障担当大臣、内閣府特命担当大臣

*2:なお、政府側の人間が「感謝」という言葉を使っていることにも違和感を覚える者が居ますが、当時の政府側に居た者、命令を下した側の者が言うならそうでしょうが、高市氏は戦後生まれであり、後世の日本国民としての自然な感情を伝えることに問題があるとは思えない。「お詫びをするべき」、などという論には到底賛同できない。それは慰霊・顕彰ではないだろう。

*3:外務省: 靖国神社参拝に関する政府の基本的立場

*4:他、平成17年6月14日 衆議院議員岩国哲人君提出 靖国神社参拝に関する質問に対する答弁書

*5:第85回国会 参議院 内閣委員会 第2号 昭和53年10月17日

○国務大臣(安倍晋太郎君) 内閣総理大臣その他の国務大臣の地位にある者であっても、私人として憲法上信教の自由が保障されていることは言うまでもないから、これらの者が、私人の立場で神社、仏閣等に参拝することはもとより自由であって、このような立場で靖国神社に参拝することは、これまでもしばしば行われているところである。閣僚の地位にある者は、その地位の重さから、およそ公人と私人との立場の使い分けは困難であるとの主張があるが、神社、仏閣等への参拝は、宗教心のあらわれとして、すぐれて私的な性格を有するものであり、特に、政府の行事として参拝を実施することが決定されるとか、玉ぐし料等の経費を公費で支出するなどの事情がない限り、それは私人の立場での行動と見るべきものと考えられる。
 先般の内閣総理大臣等の靖国神社参拝に関しては、公用車を利用したこと等をもって私人の立場を超えたものとする主張もあるが、閣僚の場合、警備上の都合、緊急時の連絡の必要等から、私人としての行動の際にも、必要に応じて公用車を使用しており、公用車を利用したからといって、私人の立場を離れたものとは言えない
 また、記帳に当たり、その地位を示す肩書きを付すことも、その地位にある個人をあらわす場合に、慣例としてしばしば用いられており、肩書きを付したからといって、私人の立場を離れたものと考えることはできない。
 さらに、気持ちを同じくする閣僚が同行したからといって、私人の立場が損なわれるものではない。
 なお、先般の参拝に当たっては、私人の立場で参拝するものであることをあらかじめ国民の前に明らかにし、公の立場での参拝であるとの誤解を受けることのないよう配慮したところであり、また、当然のことながら玉ぐし料は私費で支払われている
 以上が内閣総理大臣等の靖国神社参拝についての政府としての統一見解でございます。

*6:「遙拝」という手段を考えた時、「参拝」ではなく「御親拝」とした方が無難。