事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

安倍総理:自衛官募集事務に協力しない自治体が6割と憲法改正の関係

 f:id:Nathannate:20190213143951j:plain

安倍総理が自民党大会で自衛官募集に協力しない自治体が6割いると言った件

  1. 自治体が自衛官募集事務に協力していない事実と名簿提出の是非
  2. 憲法と自衛官募集事務との関係 

これらに分けて書いていきます。

自衛官募集事務を協力しない自治体6割の事実の有無

東京新聞:首相発言「自衛隊募集 都道府県6割協力せず」 名簿提出義務 自治体になし:政治(TOKYO Web)

防衛省によると、全国の約千七百の市町村で、二〇一七年度に適齢者の名簿を作成して提供したのは約四割。市町村が名簿を作ったものの提供はせず、防衛省職員が手書きで写したケースが約三割。自治体は名簿を作らず、防衛省職員が住民基本台帳を閲覧して該当者を選んで書き写したケースが約二割。住民基本台帳から情報を得なかったケースは約一割だという。

同様のことは2月13日の衆院予算委員会の答弁でも確認できます。

コピーが許されないから手書きが5割って無駄な作業ですね。いつの時代でしょうか?

なお、毎日新聞では『防衛省担当者によると、台帳閲覧を認めていない自治体も、学校などでの説明会開催や広報活動などには協力しており、全く協力していないのは全国で「5自治体のみ」』とありますが、政府は後述の答弁書では明らかにしていません。

『住民基本台帳上の情報が得られているのだから「協力」はあった』とみるか

『名簿の提供が無かったから「協力」はなかった』とみるか

「協力」ってどういう意味でしょう?

関連法規を確認しましょう。

関連法規を無視した自衛隊施行令の解釈

自衛隊法施行令

(報告又は資料の提出)
第百二十条 防衛大臣は、自衛官又は自衛官候補生の募集に関し必要があると認めるときは、都道府県知事又は市町村長に対し必要な報告又は資料の提出を求めることができる

「防衛大臣の求め」に沿う内容の行為がなかった、ということが「協力がない」という意味で使われているようです。

報道等では自衛隊施行令120条しか上げられないことが多いですが、自衛隊法97条を忘れてはいけません。

自衛隊法 第八章 雑則(都道府県等が処理する事務)
第九十七条 都道府県知事及び市町村長は、政令で定めるところにより、自衛官及び自衛官候補生の募集に関する事務の一部を行う。

自治体の長は政令(自衛隊法施行令)で定めるところにより、募集に関する事務の一部を行うとされています。

なお、宮城県では知事及び市町村長が行う自衛官募集事務 - 宮城県公式ウェブサイトというページ(魚拓はこちら)において、「自衛官の募集事務の一部については、地方自治法第2条、同法施行令第1条及び自衛隊法施行令第135条の規程により、県及び市町村の第1号法定受託事務とされています」とあり、報告又は資料の提出や広報宣伝等が含まれるとしています。

f:id:Nathannate:20190213131756j:plain

http://www.soumu.go.jp/main_content/000047746.pdf

問題は【対象年齢者にダイレクトメールを行うこと、そのための名簿の提出が募集に関する事務=法定受託事務の一部とされ、自治体は防衛大臣の協力要請に応じるべきか】ということになります。

よく主張されるのが「住民基本台帳法上、許されていないから応じてはダメ」との理由です。

これについては過去に政府見解が示されています。

住民基本台帳法と政府見解

平成二十六年十月七日受領答弁第二号内閣衆質一八七第二号

自衛隊法第九十七条第一項及び自衛隊法施行令第百二十条の規定により自衛官及び自衛官候補生の募集に関し必要な資料を市町村の長が自衛隊地方協力本部に提出することは、これらの規定に基づいて遂行される適法な事務であり、住民基本台帳法(昭和四十二年法律第八十一号)上に明文の規定がないからといって、特段の問題を生ずるものではないと考える。

お尋ねの「市町村が適齢者を抽出して住民基本台帳の写しを閲覧させる例」の意味するところが必ずしも明らかではないが、住民基本台帳の一部の写しの閲覧の請求に当たっては、必要な範囲での閲覧に限定させる趣旨から、住民基本台帳の一部の写しの閲覧及び住民票の写し等の交付に関する省令(昭和六十年自治省令第二十八号)第一条第二項第一号の規定により、「請求に係る住民の範囲」を明らかにして行っているところであり、各市町村においては、自衛隊法等の趣旨をも踏まえて、請求内容に応じ適切に対応しているものと認識している。

住民基本台帳の一部の写しの閲覧については、個人情報保護に対する意識の高まりに対応するため、平成十八年の住民基本台帳法の改正により、何人でも閲覧を請求することができるそれまでの閲覧制度を廃止し、個人情報保護に十分留意した制度として再構築して、国又は地方公共団体の機関についても、無条件に閲覧の請求を認めることとせず、法令で定める事務の遂行のために必要である場合に限定して、住民基本台帳の一部の写しの閲覧を認めることとしたものである。
ー省略ー

「自衛官等募集事務」は、住民基本台帳法第十一条第一項に規定する「法令で定める事務」に該当し、住民基本台帳の一部の写しの閲覧の請求を拒否することは認められないものと考える。

あくまで政府見解(この点について確定的判断をした判例は無いという意味)ですが、政府としては住民基本台帳の一部の写しの【閲覧の請求】に当たっては「法令で定める事務」=「自衛隊法上の募集に関する事務」にあたり認められていると考えています。

個人情報保護法(適正な取得)
第十七条 個人情報取扱事業者は、偽りその他不正の手段により個人情報を取得してはならない。
2 個人情報取扱事業者は、次に掲げる場合を除くほか、あらかじめ本人の同意を得ないで、要配慮個人情報を取得してはならない。
一 法令に基づく場合

したがって、政府見解は個人情報保護法上の法令に基づく場合=住民基本台帳法に基づく場合にあたるので、【閲覧の請求】は違法ではないという主張になります。

また、さらに踏み込んで「適齢者名簿の写しの閲覧請求を拒否することは認められない=違法」であるとまで言っています。この閲覧拒否を行っている自治体が1割居るというのです。

名簿提出の要求と関係法令

住民基本台帳法上は閲覧のみを認めていますが、【名簿提出】はそれとは別個に自衛隊法・自衛隊法施行令に基づいて認められるという主張のようです。

平成二十六年十月七日受領答弁第二号内閣衆質一八七第二号

自衛官及び自衛官候補生の募集に係る資料については、その重要性について地方公共団体から一定の理解を得ているものと考えている。引き続き、その提出につき協力を求めてまいりたい。

自衛官及び自衛官候補生の募集に関し必要な資料については、自衛隊法第九十七条第一項及び自衛隊法施行令第百二十条の規定により提出を求めてい

自治体としてはこのような政府見解があるのでこれに基づいてもよいのですが、規定上不明確であるということで住民から訴訟を起こされる可能性も完全に排除されてはいないわけです。それを気にしているのが5割の「名簿を提出しないで情報閲覧だけ認めている自治体」ではないでしょうか。

たしかに分かりにくく、自治体職員が一見すると許されていないように読めてしまうというのは気持ちとしては理解できます。ただ、そのように読んでしまうことの理由に後述するような憲法上の自衛隊の位置づけがどれほど影響しているのかは実際に判断した自治体職員にしか分かりません。

少なくとも、自治体職員がリスクを負わないように規定を明確にするべきである、という方向性は正しいと思います。

自治体に名簿提出を求めることの是非

自治体が名簿は作成したがコピーも許さない、名簿も作成しない、という例があるのは、別に嫌がらせをしているのではなく、何らかの法を建前にしているハズです。

それは多くは「名簿提出は法定受託事務に含まれない」という主張なのでしょうが、それは必然的に結論づけられるものではないということは政府見解があることから言えるでしょう。

では、「名簿提出を求めるのはダメ」は妥当なのでしょうか?

司法判断が無いですが、「募集に関し必要な資料」に適齢者名簿が含まれるか、「必要」か否かは防衛大臣の裁量が強く働く事項なのか、という判断になると思います。

価値判断としては、自衛官の募集は国家防衛という国家統治に必要な人員の確保であるから、それに必要な人員に満たない応募者数とならないよう、より応募者を確保しようとする行為に必要性が無いと言ってしまうのはおかしいと思います。

自治体側の負担が過大になるなどの事由がなければ名簿を提出すべきでしょう。

他の公務員の募集や民間企業の募集と同列に論じてはいけない話です。

また、個人情報保護の点からおかしいという意見があります。しかし、それを言うならばたとえば都民共済の案内が私の住所宛てに何度も来たことがありますが、自治体である都ではなく都民共済という消費生活協同組合法(生協法)に基づく非営利の生活協同組合から発送されています。ここに住所が知られているのは都から情報提供されているからでしょう。そういったものも問題視するのでしょうか?

さて、この件と憲法についてはどういう関係なんでしょうか?

京都市職員労働組合の反対理由:憲法

【声明】私たちは戦争に協力する事務は行わない | 京都市職員労働組合魚拓はこちら

自治体は、憲法を守り住民の福祉の増進を担うことが責務であり、市民のいのちを危険にさらす業務を職員にさせてはいけないことは言うまでもなく、地域で戦争協力が行われないようにする責任があり、再び戦争という悲劇を繰り返さないための最後の砦としての役割を発揮しなければいけない。』

最初に、労組の声明が市の公式見解ではないということを言いたいです。

この話では京都市役所の庁舎内に自衛官募集ポスターが掲示されていたことから、京都市としては募集事務・宣伝広報を行っていたということです。 

この労組の声明は、明らかに憲法問題として自衛官募集事務の拒否をしています。現実に現行憲法の規定ぶりによって自衛官募集の拒否をする者は存在するのです。

ただ、自治体としてはこういう連中の影響を無視することには相当の努力を要すると言えますから、現行憲法の規定が自治体の運用に少なからず影響を与えているというのは事実と言ってよいでしょう。

現行憲法の影響と「憲法改正による問題解決の因果関係」

安倍総理は現行憲法の規定がそうであることで上記のような事態が発生してしまっていると、その影響面について述べたに過ぎません。

【自民党大会】安倍首相の演説要旨(1/2ページ) - 産経ニュース

どこかの自治体が公的に明示的に憲法問題があるから、と言っていないとしても、現行憲法下の影響下にあることは変わりありません。

「憲法改正をして自衛隊を明記すれば募集についての問題がすべて解決する」などと誰も言ってません。「改正すれば現状より募集の障害は少なくなるだろう」という意味で言っていると捉えるのが通常の理解です。

何かをしようとすると「それをやれば全てが解決できると言えるのか!?」と威嚇的に迫る輩が居ますが、そういう態度は単なる揚げ足取りに過ぎません。

より良くなる方法、より弊害が少なくなる方法を模索していくのが政治(私たちの行為一般にも言えます)ですから、「それをやれば全て解決できる」と理解するのは常識を欠いています。

2月13日の衆議院予算委員会でも安倍総理は「憲法を変えれば直ちに改善すると言っているのではない」とごく当たり前の指摘をしました。

まとめ:より職員のリスクを減らす方向へ

  1. 自衛官募集は法定受託事務
  2. 政府見解によれば適齢者名簿の「提出」も法定受託事務の中に入っている
  3. 政府見解によれば「協力」していない自治体が6割は正しい
  4. 反対派は適齢者名簿の提出は法定受託事務とは解釈していない
  5. 安倍総理の自民党大会での発言は憲法改正の動機の一例として自衛官募集事務の障害を述べたにとどまる
  6. 安倍総理の発言は憲法改正をすれば自衛官募集の障害をすべて解決すると言っているものではない

現在の日本の状況の原因を探っていくと、結局のところ憲法の条文が関係するということは多いです。今回は具体的な局面においてその影響が垣間見えました。

自治体職員の判断にかかる負荷は、法令解釈以外にも上述の労組活動や活動家らによる圧力などがあります。憲法改正で法体系上の変動がないとしても、事実上の影響はあり得ます。

その側面を如何に説明していくかが政治家の力量だろうと思います。

以上