朝鮮騒擾(三・一独立運動)に位置づけられる大正8年4月15日の「堤岩里事件」について、当時の朝鮮軍司令官だった 日記宇都宮太郎の日記の中で「虐殺隠蔽」が行われたのではないかとされる記述が2007年の朝日新聞の報道により注目されました。
しかし、朝日新聞の記事では、「ある重要な部分」が意図的に省かれていたのです。
- 朝日新聞による3.1運動に関する宇都宮太郎日記の記述
- Wikipediaの堤岩里事件の記述も朝日新聞を引用
- 宇都宮太郎日記の該当部分「毒筆を揮ひつつある外国人等」
- 実は長谷川総督の報告書でも同じことが書かれていた。
- まとめ:宇都宮太郎日記の当該記述は「新事実」ではない
朝日新聞による3.1運動に関する宇都宮太郎日記の記述
2007年2月28日、つまり3.1運動の前日に都合よく報道されていました。
朝日新聞の記事における記述は以下のようなものでした。
3.1独立運動が朝鮮全土に拡大し、朝鮮軍などが鎮圧する中で19年4月15日、 「堤岩里事件」が起こった。宇都宮日記によれば、ソウル南方で日本兵が約30人を教会に閉じこめ虐殺、放火。宇都宮の知らぬ間に発生した事件だったが、朝鮮軍は発表で虐殺や放火を否認する。そこに至る経緯が日記に詳しい。
「事実を事実として処分すれば尤(もっと)も単簡なれども」「虐殺、放火を自認することと為(な)り、帝国の立場は甚(はなはだ)しく不利益」となるため、幹部との協議で「抵抗したるを以(もっ)て殺戮(さつりく)したるものとして虐殺放火等は認めざることに決し、夜十二時散会す」(4月18日)。翌19日、関与した中尉を「鎮圧の方法手段に適当ならざる所ありとして三十日間の重謹慎を命ずることに略(ほぼ)決心」。実際、30日間の重謹慎処分となった。
「事実を事実として処分すれば尤(もっと)も単簡なれども」と「虐殺、放火を自認することと為(な)り、帝国の立場は甚(はなはだ)しく不利益と為り 」とでかっこが分かれていることが分かります。
つまり、間に何か別の文言がある、省略された文章があるのではないか?ということが予想されます。
Wikipediaの堤岩里事件の記述も朝日新聞を引用
現時点での魚拓ですが、既に発刊されている宇都宮太郎日記ではなく朝日新聞の報道をベースに書かれています。
では、実際の宇都宮太郎日記(を編纂したもの)である日本陸軍とアジア政策 3/宇都宮太郎を見てみましょう。
宇都宮太郎日記の該当部分「毒筆を揮ひつつある外国人等」
「斯くては左らぬだに毒筆を揮いつつある外国人等に」
朝日新聞は、宇都宮太郎日記のこの一文を省いていたということが分かります。
つまり、当時プロパガンダ工作として新聞等に寄稿している外国人等が跋扈していたという世相を表しています。プロパガンダに利用されることになるので虐殺放火は認めず、抵抗されたために殺したのであって、失火であるということにしよう、という意味になります。
翌日19日の日記にも、宇都宮らが全部否認するのは却って不利である旨を長谷川総督に伝えるも、それは得策ではないと言われ、虐殺放火は否認してその鎮圧の方法手段が適当ではなかったということにして謹慎30日を命じたとあります。
実は長谷川総督の報告書でも同じことが書かれていた。
実は、宇都宮太郎日記に書かれていた内容は長谷川総督の報告書にも書いてました。
該地方に兵力を分散し前記検挙に協力するところありしが、偶々水原郡発安場に派遣せられたる歩兵中尉以下12名は4月15日付近駐在巡査を同行し、堤岩里基督教会堂に基督、天道両教徒約25名を集め、訊問訓戒を加えんとしたる際、教徒等反抗せしめた殆ど全部を射殺し火を放ちたるに強風なりし為に28戸を消失したる事実あり。
ー中略ー
以上、検挙班員及び軍隊の行為は遺憾ながら暴戻に亘り、且つ、放火の如きは明らかに刑事上の犯罪を構成するも、今日の場合これらの行為を公認するは軍隊並びに警察の威信に関し鎮圧上不利なるのみならず、外国人に対する思惑もあれば放火はすべて検挙の混雑の際に生じたる失火と認定し、当事者に対してはいずれもその手段方法を尽くさざる廉によりその指揮官を行政処分に附する事とせり。
これは現代史資料(25)が発行された1966年には分かっていたはずの話です。
まとめ:宇都宮太郎日記の当該記述は「新事実」ではない
以上みてきたように、宇都宮太郎日記の当該記述部分は既に長谷川総督の報告書においてあらわれていたものに過ぎませんでした。
それを朝日新聞が3月1日の前日にさも「新事実発見」であるかのように報じていたということです。
それにとどまらず、朝日新聞は「毒筆を揮いつつある外国人等」という重要部分を意図的に欠落させて引用していたということがわかりました。その意図は何なのか推して図るべきでしょう。
この話の顛末は有田中尉の軍法会議宣告において明確になっています。
堤岩里事件の評価も含め、それらについては別稿にまとめたいと思います。
以上