事実を整える

Nathan(ねーさん) ほぼオープンソースをベースに法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

山田宏「文科省に巣食う嘘をばら撒く学会との癒着にメスを」学び舎の歴史検定教科書と朝鮮統治下の議会の選挙

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歴史修正主義者を許してはならない。

山田宏議員「文科省に巣食う嘘をばら撒く学会との癒着にメスを」

山田宏議員が「文科省に巣食う嘘をばら撒く学会との癒着にメスを」とツイート。

「台湾や朝鮮では議会選挙がなかった」という歴史的事実とは異なる記述が歴史教科書に書かれていたことに対して為された言及です。

学び舎の歴史教科書「台湾や朝鮮では議会選挙がなかった」

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「台湾や朝鮮では議会選挙がなかった」という記述は、学び舎の歴史教科書「ともに学ぶ 日本の歴史 中学社会」の、平成27年検定合格 令和2年発行でのものとされています。

検定がその後されて修正されたのかは知りませんが、とにかく、文科省の検定をクリアした「検定教科書」にこのような記述があったという事実があります。

では、大日本帝国統治下での参政権は、どうなっていたのでしょうか?

大日本帝国による朝鮮統治下の朝鮮・朝鮮人の参政権

国政と地方参政権に分けられます。

台湾についてまで調べることができなかったので、朝鮮半島での話を書きます。

基本的に日本支配下朝鮮人の参政権について 常葉叢書 eBook: 平山 洋を参考にします。この内容が見れるWEBページがあり、ほぼ同じ内容です。
※WEB掲載の正当性については、静岡県立大学教員データベース|静岡県公立大学法人 静岡県立大学から辿れることで確認できます。

箇条書きのまとめが「日本支配下朝鮮人の参政権について」(口頭発表版)で存在。

内地居住朝鮮人と朝鮮半島居住者の参政権

前提として、内地居住朝鮮人と朝鮮半島居住者を分けて考えなければいけません。

内地≒現在の日本列島ですが、この領域は大日本帝国憲法の施政下にありました。

朝鮮半島の領域においては、大日本帝国憲法の全面適用は行われず、留保がつけられていましたが、それは日韓併合条約の扱いとして問題はありません。

※旧朝鮮王族の参政権については割愛します。

国政選挙に関する大日本帝国統治下の朝鮮・朝鮮人の議会の選挙権

内地居住朝鮮人の日本国政の参政権は、1925年から内地居住朝鮮人への選挙権・被選挙権が付与されることに。同年の普通選挙法によって、25歳以上の男子に選挙権が与えられました(内地日本人も同様)。

朝鮮人国会議員の例としては、1932年2月に朴春琴が衆議院議員選挙で当選して1937年まで2期務めた例、1932年に朴泳孝(朝鮮中枢院副議長)が貴族院に、朴没後の1939年に後任として尹徳栄(同左)が議員に勅撰されています。

【杉本幹夫「植民地朝鮮」の研究 日本支配36年 謝罪するいわれは何もないによると、朝鮮半島においては選挙区が無かったところ、1945年(昭和20年)4月1日に改正された衆議院議員選挙法によって台湾と朝鮮にも帝国議会の議席が付与。ただし有権者は1年以上直接国税15円以上の納税者。議席数は、衆議院の定数466に対し台湾5名、朝鮮22名とされました。しかし、敗戦のため実施されず。また1943年(昭和18年)に「内地に編入」された樺太でも同時に3名の議席が認められました。

貴族院でも台湾と朝鮮から勅選議員を選出することが決められ、両地域から合わせて10名の議員が選出されています。

朝鮮域内における地方自治体の議会の選挙権 

  1.  1920年~30年⇒協議会・評議会(諮問機関)への被選挙権:発案権も議決権もない「諮問機関」なので、機能としては日本学術会議のような感じでしょうか。
  2. 1930年~終戦⇒道会・府会・邑会は議決機関としての議会が設置され、選挙権・被選挙権は当該地域に1年以上居住し、府税または面の賦課金を5円以上納税して自活している25歳以上の日本国民男子(内地人・朝鮮人)に与えられた:内地とは異なり制限選挙

外観するとこのようになっています。

一般の朝鮮人が関与できる最大の行政単位は道であるため道議会について述べるが、道議会議員の3分の2が府会・邑会・面協議会の議員からの選挙であり、残り3分の1が道知事が任命することとなっていました。

そのため、事実上有力者しか選ばれず、しかも道知事任命議員は内地人のほうが多いうえ、朝鮮人で議員となった者は、もともと日本の支配に協力的な人々であったと想像できる、と平山は指摘しています。

また、1930年以降の議会も「発案権」が無かったため、事実上、行政の追認機関だったと平山は指摘しています。

完全に内地と同じにしなかったのは「差別」なのか?

以上のように、制度上・事実上、完全に内地における内地人と同等の立場であったかというとそうではない(朝鮮半島における内地人とは制度上は同じ立場)。

しかし、完全に同等の立場にするのを「最初から」決定するのが正しいとは思いません。このように漸進的に自治権を認めることで、朝鮮人vs大和民族という対立構造が出来るのを防止していたのだと思います。

より根本的な視点から言うと針原崇志 氏の指摘するように

  1. 参政権は自由権や社会権とは異なり公的な役割のためにある
  2. その行使のためには高い教養と地域に対する理解が必要
  3. そういう前提が整っていない集団が安易に参政権を行使すれば衆愚政治に陥る

こうした要素は無視できないだろうと思い、その考えに賛同します。

内地人と朝鮮人との間の教育格差は大きかった(日本国の施策によるものではなく、朝鮮半島の李王朝時代の施政の影響で)し、朝鮮人内での格差も大きく、突然権力を握るようになる層が出現するとなると、不安定な社会状況を生んだと思います。

もっとも、1930年には日本語が書けない朝鮮人有権者が多かったことからハングルによる投票も認めています。こうした「緩和」の一部は日韓併合当時から原敬によって準備されていたこと、斎藤実総の方針が朝鮮の完全独立であったことなど、平山は半沢純太の研究結果を引用して指摘しています。

歴史教科書にどう書くべきだったか

植民地であった台湾や朝鮮では議会の選挙は行われませんでした」については

【朝鮮では内地の自治体には認められた発案権も含めた完全な権能を有する議決機関としての自治体の議会の選挙はなかった】

とでも言えば正確なのだけど、児童生徒向けの記述じゃないですよね。

ならば最初から「議会の選挙はなかった」などと書くべきではないでしょう。

また、国政選挙については、衆議院という議会の選挙区が朝鮮と台湾に設定されていた(が、敗戦により実施されず)というのが正確

山田宏議員はもとより、菅内閣におかれては文科省の一部職員と歴史学会に巣食う歴史歪曲者との癒着の排除、或いは文科省の意思決定過程に対する悪質な学者による影響の除去を願いたいと思います。

東大の歴史学者が堂々と歴史捏造をする状況ですからね。

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