事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

西松建設の中国人強制連行訴訟最高裁判決を韓国の徴用工訴訟に敷衍するフェイク

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韓国の朝鮮人戦時労働者(徴用工)訴訟において「個人に請求権が残っているから任意の補償は妨げられていない」という主張がなされています。

その際に「西松建設の訴訟において最高裁が被害者の救済を促しているのだから、同様に徴用工に対しても企業は任意補償をして和解するべきだ」という主張をする者が居ます。

これは論理的にフェイクです。

西松建設の最高裁判決は中国人が原告となったものであり、種々の特殊事情が考慮された結果、最高裁が傍論で任意の補償を期待したに留まります。

韓国の朝鮮人戦時労働者(徴用工)事案とは同列に論じることは不可能です。

その点を整理していきます。

西松建設の中国人強制連行訴訟最高裁判決

西松建設に対する中国人の訴訟においても、個人に請求権(裁判所に申立てを提起する地位)は残っているが、救済が受けられない性質のものであるという結論となっています。

それはサンフランシスコ平和条約日中共同声明の理解によるものです。 

つまり、日本国と中華人民共和国との二国間において、どのような扱いをすることとなっていたかが問題になっているのです。

対して朝鮮人戦時労働者の事案は、日韓請求権協定が問題となっています。

両者の事柄は大きな視点から見た場合には概ね似たような話であると言えますが、事実として両者は別個の事柄です。

また、被告が誰であっても同じ判決になるとは限りません。

この事案は、被告たる西松建設に関する話であって、この事案の判断がそのまま他の企業に於いても適用できるというものでは決してありません。

まずは全体としてこの構造を理解しないといけません。

中国人と朝鮮人の扱いはそもそも異なっていた

大枠の話として、中国人と朝鮮人戦時労働者の待遇はまったく異なります。

朝鮮人の場合は当時日本国民であったので、日本人と同様の環境で働いていましたし、賃金の支払いも行われていました(大枠の話なので個別には異なる可能性もあるが)。

対して中国人の場合には強制的に労働に従事され、別個に収容されて監視され、賃金の支払いもありませんでした。

こうした扱いの違いが、裁判所の判断に大きく影響しています。

このことをまったく無視して中国人と朝鮮人の事案を混同しているのが、西松建設の事案の最高裁の判示を韓国の朝鮮人戦時労働者の訴訟においても直ちに適用できるとする者たちなのです。

西松建設の事案で最高裁が認定した特殊事情

では、実際に西松建設ではどのように判示されたのか?

最判平成19年4月27日 平成16年第1658号を確認していきます。

なお,前記2(3)のように,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても,個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ,本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方,上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると,上告人を含む関係者において,本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである。

「上告人を含む関係者において,本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである」と最高裁が言及しています。

司法が救済を促している」というのは、この部分を指しています。

ただ、「なお」で始まっていることからピンと来る人が居ると思いますが、これは判決の「傍論」と呼ばれる部分であって、西松建設事案の個別事情に対応した記述ですから、それ以外の事案における規範性はありません。

  1. 被害者らの被った精神的肉体的苦痛が極めて大きい
  2. 過酷な勤務条件で強制労働に従事させて相応の利益を得ていた
  3. 補償金を取得している

これらの本件における個別事情を考慮した結果、西松建設には法的な義務はないが、被害者の救済に向けて努力して欲しいという、法的拘束力を伴わない説示が為されたということです。

では、上記の個別事情とは何だったのか?判決文から抽出します。

強制連行・強制労働の末に稼働不可の身体に

実は、強制連行・強制労働があったということが認定されています。

(8) 本件被害者らは,家族らと日常生活を送っていたところを,仕事を世話してやるなどとだまされたり,突然強制的にトラックに乗せられたりして収容所に連行され,あるいは日本軍の捕虜となった後収容所に収容されるなどした後,上記のとおり,日本内地に移入させられ,安野発電所の事業場で労働に従事したが,日本内地に渡航して上告人の下で稼働することを事前に知らされてこれを承諾したものではなく,上告人との間で雇用契約を締結したものでもない。

強制連行の部分については中国人が行ったことを示唆する記述が広島高裁で存在することから、その全てが日本国ないし西松建設が行ったものであるとまでは言えないものの、広島高裁は以下判示しています。

広島高裁判平成16年7月9日 平成14年(ネ)第321号

被害者本人らの拉致等の実行行為に直接関与したとまでは認めることができないものの,満州国へ進出し,業界団体の一員として政府に積極的に働きかけて中国人の使役を可能にし,同国におけるトップ企業へと発展し,その実績を前提として,日本国内においても中国人労働者の強制連行及び強制労働の制度及び実態の創出に深く関与し,また,本件においては,華北労工協会から,同協会との契約に基づいて,中国の青島港において,被害者本人らを含む中国人労働者の引渡しを受け,そのまま日本に連行したものであって,被控訴人のこうした一連の行為は不法行為に当たる。

やや強引な認定である感が否めませんが、法的にはこのような判断がなされているということです。

ただ、強制連行・強制労働という言葉を用いているのは不用意な気がしますが。 

過酷な勤務条件

(5) 上記360人の中国人労働者らは,昭和19年7月29日,青島で貨物船に乗せられ,7日後に下関港に到着したが,この間3人が病死した。その後,中国人労働者らは,安野発電所事業場まで運ばれ,4グループに分けて収容施設に収容され,監視員と警察官によって常時監視されることとなった。上記中国人労働者らは,導水トンネルの掘削等の労働に昼夜2交替で従事することとなったが,1日3食支給される食事は量が極めて少なく,粗悪なものであったため,全員やせ細り,常に空腹状態に置かれることとなった。また,衣服や靴の支給,衛生環境の維持等が極めて不十分であった上,傷病者らに対する治療も十分行われず,昭和20年3月には傷病により労務に耐えないとの理由で13人が中国に送還された。

収容施設に収容され、常時監視されるという異常な状態に置かれていたということがわかります。

本件被害者らのうち,被上告人X1 (移入当時16歳)は就労中トロッコの脱線事故により両目を失明し,被上告人X2 (同18歳)は重篤なかいせんから寝たきり状態になり,いずれも稼働することができなくなり,昭和20年3月に中国に送還された。亡A(同23歳)及び亡B(同21~22歳)は,上記(5)の大隊長撲殺事件の被疑者として収監中に原子爆弾の被害に遭い,Bは死亡し,Aは後遺障害を負った。亡C(同18~19歳)は,ある日,高熱のため仕事ができる状態ではなかったのに無理に仕事に就かされた上,働かないなどとして現場監督から暴行を受け,死亡した。

なぜか亡A、亡Bについては日本側に非が無い原子爆弾の被害が勘案されている点が不可思議ですが、強制連行・強制労働が発生する状況の作出に寄与していたという事実が重かったのでしょう。

X1、X2、亡Cについては、同情しかありません。

このように、過酷な労働条件、非道な扱いを受けていたという点が認定されています。

西松建設の補償金の取得とは何か?

西松建設が「補償金を受け取っている事情」、というのはどういうことでしょうか。

(7) 終戦後,中国人労働者を受け入れた土木建設業者の団体は,中国人労働者を受け入れたことに伴ってもろもろの損害が生じたと主張して,国に対して補償を求める陳情を繰り返し,国も,昭和21年3月ころ,その要望を一部受け入れる措置を講ずることとなった。これにより,上告人はそのころ92万円余りの補償金を取得した

この事情(と賃金支払いが無かったこと)が最高裁が傍論で被害救済を促した決定的な事情だと思われます。

最高裁としては、西松建設は中国人労働者を過酷に使用して利益を受けた上で、さらに国から補償金をも取得しているのだから(しかも無賃金。最高裁判決には記述は無いが、原審の広島高裁では賃金の支払いが認められないと認定されている)、公平の観点から、法的な義務は無いにしても被害者に対して何らかの誠意ある行動を見せましょう、と言いたかったのだと思います。

最高裁判決に顕れている事実関係が真実としてそのような状況であったならば、このような説示を行ったことには一定の理解ができます。

任意の補償は三重の利益を与えることになり不公平ではないか?

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日中の関係とは異なり、日韓の場合、日本は韓国に対して経済協力金として3億ドルの拠出をし、韓国人被害者の補償はそれに包括的に勘案され韓国政府が行う事となりました(実際には韓国政府は個人補償を行っていない)。

このことは韓国政府が文書公開をして自ら認めていることでもあります。

中国に対しても韓国に対しても在外資産等による賠償は行われていますが、それは個人の被害救済の用途として為されたものではありません。

上記の3億ドルは、当時の日本の外貨準備高18億ドルの内から支払われています(経済協力金全体は総額11億ドル(当時の韓国GDPの2倍以上))。

ここから価値判断の話になりますが、この支払が無ければ、該当企業を含む日本国民全体にとって利益となる何らかの政策が行えたはずです。

そのような「痛み」を該当企業を含む日本国全体が既に受けているにもかかわらず、更に任意の補償を企業がするというのは、該当企業としては二重の負担を被っていることになります。
(日本政府は国民個人間の請求権についての問題をも解決する趣旨で交渉していたため、主体が別であるという指摘は的外れだろう)

しかも理論上、「被害者ら」は日本企業から補償を受けたあと、さらに韓国政府に対して訴訟提起すれば賠償を受けられる関係にあると言えます。

すると「被害者ら」は三重の利益を得ることが可能になると言えます。

  1. 日本政府から韓国政府に対する拠出によって間接的に得る恩恵
  2. 日本企業から任意の補償として受け取る利益
  3. 韓国政府から訴訟によって得る補償金

これは客観的な観点から見て甚だ不公平ではないでしょうか?
※事実上2と3は両立しえないとしても二重に利益を得ることに

西松建設の場合は中国人の事案ですから、上記の1は在り得ません。

それでも二重の利益を得そうですが、中国人労働者の雇用と関連して西松建設が日本政府から補償金という利益を得ており、被害者に賃金も支払っていなかったのですから、任意補償をしたとしても価値判断の次元でも不公平とまでは言えないのではないでしょうか。

新日鉄や三菱重工の事案における韓国人にはそのような事情はありません。

西松建設の事案と韓国の徴用工の事案とで、これだけの事情の違いがあるというのが分かったでしょう。

まとめ:中国人強制連行と韓国の徴用工は別問題

  1. 中国人には賃金の支払いは無いが、朝鮮人には支払いがあった
  2. 朝鮮人は日本人として同じ待遇だったが、中国人は収容所での監視体制下にあった
  3. 日韓間では3億ドルが拠出され個人補償用途が含まれていたが、日中間ではそのような拠出なし
  4. 西松建設は中国人を使用したことで損害を受けたとして日本政府から補償金を受けていたという特殊事情があった

最高裁が西松建設に「救済を促した」のは、このような諸般の事情に鑑みた結果です。

それを他の企業の事例や、ましてや中国人と異なる朝鮮人の事案にそのまま適用できると考える雑な主張は、議論誘導に過ぎません。

以上