百田尚樹著の日本国紀において
「天皇の皇統の理解が間違っている!」
という指摘があるので確認しましょう。
- 日本国紀のコラムにおける万世一系(男系)の記述
- 「つまり父親が天皇である」の部分が誤り
- 日本国紀の監修者の1人、谷田川惣の説明
- 天皇に即位した者の事実の把握ミスか、叙述ミスか
- 追記:「監修者」について
日本国紀のコラムにおける万世一系(男系)の記述
日本国紀 33頁 コラム
ここで「万世一系」ということについて、簡単に説明しよう。
日本の天皇は二代目の綏靖天皇から第百二十五代の今上陛下まですべて、初代神武天皇の男系子孫である。男系とは、父、祖父、曾祖父と、男親を辿っていけば、祖先に神武天皇がいるという血筋を持っていることをいう。
日本では開闢以来、一度たりとも男系ではない天皇は即位していない。ここで理解してもらいたいのは、女系天皇と女性天皇は同じではないということだ。日本には過去八人(十代)の女性の天皇がいたが、全員が男系である。つまり父親が天皇である。
※追記:4刷からは「父親を辿れば必ず天皇に行き着く」と修正されました。
「男系とは、父、祖父、曾祖父と、男親を辿っていけば、祖先に神武天皇がいるという血筋を持っていることをいう。」
コラムの冒頭に、正しい男系の定義がきちんと書かれています。
ですから、「日本国紀の百田説では男系の理解は誤っている」というのは誤りです。
批判者の中には、ワザとこの部分を載せていない者が居ます。
問題は最後の部分です。
「つまり父親が天皇である」の部分が誤り
最後の部分は、歴代の女性天皇が男系であることの理由として「つまり父親が天皇である」と書かれています。
この部分は、明確に誤りです。
こちらの記事で皇統図を載せているのであらためて説明します。
日本国紀の監修者の1人、谷田川惣の説明
よろしいんじゃないでしょうか。ちなみに拙著では、皇統譜を元に世代数を記した系図を掲載しています。皇極天皇と天智天皇、天武天皇が同じ世系であるのは圧巻ですよ。
— 谷田川惣 (@yatagawaosamu) May 8, 2017
上図は「天皇は男系で続いてきたか」という理解で最も問題になる時代の皇統図です。
出典元は皇統は万世一系である谷田川惣 著ですが、皇統譜は他にも書いてある書籍がいくらでもあるので、それ自体は間違いないものです。谷田川さんの皇統譜の醍醐味は、世代数を記していることで各天皇が在位した時代の関係が分かりやすいという点が一つ挙げられます。
さて、女性天皇である第35代皇極天皇(第37代斉明天皇)を見ていただきたい。
父親は「茅淳王」となっています。
これは、父親の茅淳王は天皇に即位していないということを意味します。
また、岡宮天皇は没後の諡号であり、実際に天皇に即位したものではありません。
ただ、その祖先を辿って行くと男系なので、皇極天皇は男系天皇である、となります。
同様のことは第44代元正天皇にもあてはまります。
今上陛下の直系である光格天皇も、天皇に即位していない慶光天皇の直系です。
天皇に即位した者の事実の把握ミスか、叙述ミスか
このように、百田尚樹氏がコラムの中で正しい男系の理解を冒頭に示している一方で、歴代の女性天皇が男系であることの理由として「つまり父親は天皇である」と書いているのは、事実と異なるということになります。
これは、「天皇に即位した者は誰であるか」の事実の把握ミスなのか?
単なる「叙述のミス」なのか?
それとも「父方」とあるべきところを「父親」と印刷してしまったのか?
どうかは分かりませんが、この部分は改版時に削除されるのではないでしょうか?
それとも、この記述でも問題ないという説明がなされるのでしょうか?
ただし、少なくとも「百田説では現皇室は万世一系ではない」というのは違います。正しい男系理解が示されているのですから。
いわゆる「筆が走った」状況であると思われるので、修正するべきだと思います。
※追記:4刷からは「父親を辿れば必ず天皇に行き着く」と修正されました。
追記:「監修者」について
監修は久野さんで、後ろの3人は協力ぐらいではないでしょうか。少なくともぼくは。
— 谷田川惣 (@yatagawaosamu) November 13, 2018
百田さんは本を作るにあたり手伝ってくれてありがとうとただ感謝の気持ちを最後に述べてくださったわけ。それに監修という表現を使った。それを監修としての責任が何だの突っついてくるのはまさにクズだね。批判したいなら、本文に対してもっと唸らせるような内容を書いてみろと言いたい。
— 谷田川惣 (@yatagawaosamu) November 15, 2018
谷田川さんの発言からは、世の中一般の「監修者」としての役回りであったのかは判然としません。むしろサポート的な役回りであったと仰っています。
それに、日本国紀の記述を再度確認したところ、「監修にあたっては」と書かれており、谷田川さんが世の中一般の「監修者」という役回りであると断定したものなのかはよくわからないものでした。
ですので、この点について「谷田川氏の責任」をどうこう言うつもりはありません。
以上