RADWIMPSの歌曲「HINOMARU」の歌詞に対して、「ヘイトである」「HINOMARUを廃盤にしろ」という主張をしていたグループの男が違法停車の道交法違反で逮捕されました。
被逮捕者の弁護人である喜久山大貴氏が以下のように神戸警察の行為はおかしいと反論しています。
弁護士として、「HINOMARU抗議行動に対する弾圧逮捕の被逮捕者A氏は無実である」との声明を公表します。 pic.twitter.com/HIf6xkgn5W
— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) June 26, 2018
ここではこの主張の当否を予想したいと思います。
- 喜久山弁護士の主張の概要
- 道路交通法違反による逮捕に対する反論
- RADWIMPS会場前の道路は「交差点」にあたるか?
- RADWIMPSのライブ会場に緊急車両が入る可能性
- 被疑者の弁護人としての職務
- 「HINOMARUヘイト」事件の経過
- HINOMARU(日の丸)に対する「差別」の論評
喜久山弁護士の主張の概要
- 被逮捕者の行為は道路交通法違反ではない
- よって、道交法違反行為を前提とする免許証提示義務は不発生
- 免許証提示義務がないのだから免許証不提示による逮捕も理由がない
- また、逮捕にあたっての警察の手続もおかしい
- したがって、神戸警察の逮捕は不当かつ違法である
喜久山弁護士の主張を大雑把にまとめるとこんな感じです。
1番目の道路交通法違反があったかどうか?という点がこの事案のキーポイントです。
ここが崩れると、喜久山弁護士の立論は成立しなくなります。
道路交通法違反による逮捕に対する反論
ツイートの画像にある2ページ目の「4:道交法違反の不成立」以下の主張は大きく2つに分けられます。
- そもそも事件当時は当該場所は法的には「交差点」にあたらず、停車禁止ではない。
- 車の周囲に警察官が居たことから車を発進できなかったのであり、警察官と押し問答していたこと等で時間経過したのであって、7分の停車を理由とする逮捕は不当である
さて、事件当時、道路の状況はどうなっていたでしょうか?
RADWIMPS会場前の道路は「交差点」にあたるか?
2条 -省略ー
五 交差点 十字路、丁字路その他二以上の道路が交わる場合における当該二以上の道路(歩道と車道の区別のある道路においては、車道)の交わる部分をいう。
第四十四条 車両は、道路標識等により停車及び駐車が禁止されている道路の部分及び次に掲げるその他の道路の部分においては、法令の規定若しくは警察官の命令により、又は危険を防止するため一時停止する場合のほか、停車し、又は駐車してはならない。ただし、乗合自動車又はトロリーバスが、その属する運行系統に係る停留所又は停留場において、乗客の乗降のため停車するとき、又は運行時間を調整するため駐車するときは、この限りでない。
一 交差点、横断歩道、自転車横断帯、踏切、軌道敷内、坂の頂上付近、勾こう配の急な坂又はトンネル
二 交差点の側端又は道路のまがりかどから五メートル以内の部分
現地はT字路(丁字路)でした。
よって、普段は法的に交差点です。マップで確認できます。
喜久山弁護士は『普段はT字路であっても、交通規制で歩行者用道路になっている部分は車が通行できないのだから、その間はT字路ではなく「直進道路」と解すべき』と主張しています。
そのため、当該道路は当時は道交法上で停車禁止が求められる「交差点」ではなく、「道路のまがりかど」にも該当しないため、被逮捕者には道交法違反の事実はないという主張です。
さて、これはどう考えるべきでしょうか?
この点は正しい答え・解釈というものを見つけることができなかったので、一般的な妥当性の観点から私の考えを披歴することになります。
RADWIMPSのライブ会場に緊急車両が入る可能性
第四十条 交差点又はその附近において、緊急自動車が接近してきたときは、路面電車は交差点を避けて、車両(緊急自動車を除く。以下この条において同じ。)は交差点を避け、かつ、道路の左側(一方通行となつている道路においてその左側に寄ることが緊急自動車の通行を妨げることとなる場合にあつては、道路の右側。次項において同じ。)に寄つて一時停止しなければならない。
2 前項以外の場所において、緊急自動車が接近してきたときは、車両は、道路の左側に寄つて、これに進路を譲らなければならない。
法的に「交差点」ではないというのであれば、緊急車両が来てもその場所からどく必要は無いということになります。
これは著しくおかしいですよね。裁判所がそんな解釈をするのでしょうか?
緊急車両だけでなく、ライブのために規制がかかっている歩行者用道路内に入る車は、他にも機材搬入車両や要人を乗せた車など、複数の可能性が考えられます。まったく歩行者用道路を通行しないということは考えられません。
規制がかかっている時間帯のみ「交差点」ではないと解釈すると、このように不都合が出てきます。
そもそも喜久山弁護士は、なぜ規制がかかると「交差点」ではなくなるのかという解釈を(ツイッター上では)行っていません。それはこれから行うのでしょうが、現時点での私の感想は以上の通りです。
被疑者の弁護人としての職務
喜久山弁護士の見解の当否はともかく、弁護士は被疑者の正当性を示すためならあり得る最大限の主張をするものです。確かに、道路交通法2条の「交差点」が規制中はその法的性質が変化するといえるかどうかは裁判例がなさそうなので、主張してみる価値は十分あるでしょう。
刑事弁護はスピードが命と言われますから、多少の詰めが荒くなっても主張を組み立てて正当化しなければならない場面は相当あると思われます。
そういった弁護人としての職務がある一方で彼を批判する者も居ますが、近時、大量の不当懲戒請求があったことを踏まえると、冷静になって頂きたいと思います。
「HINOMARUヘイト」事件の経過
6月27日14時半頃、逮捕されたA氏が釈放されました!!拘束時間はおよそ21時間。心身ともに元気な状態だそうです。
— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) June 27, 2018
昨晩、接見直後に弁護士として、道交法違反が成立しない旨の意見を当直長宛てに申し入れました。これを受けて、警察はA氏を検察送致もできないと判断し、釈放を決めました。
条文摘示ありがとうございます。警察から、送検せずに釈放と言われていますので。その後に判断を覆す可能性もないとは言えませんが。
— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) June 27, 2018
ご指摘を受けましたので、「いわゆる微罪処分というものです」については撤回します。失礼しました。ご放念ください。
— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) June 27, 2018
「検察送致もできないと判断し、釈放」については、少なくとも身柄付送致を断念したという意味で読んでいただければ問題ないと思いますので、その旨補足します。
身柄拘束は解かれたようです。
ただ、今後の在宅起訴の可能性はゼロではないということですね。
起訴されれば「交差点」の解釈を問題にするのでしょうが、起訴されなくても、それは「交差点」の解釈が正しいということにはならないので、注意です。
HINOMARU(日の丸)に対する「差別」の論評
ところで、喜久山弁護士のツイートでHINOMARUに対するスタンスが垣間見えるものがあったので参考にしていきます。
HINOMARUと差別は大いに関係があるからやってます。 https://t.co/LWBm477k1v
— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) June 26, 2018
スピーチ原稿の4に書いてますが、HINOMARUの歌詞から読み取れることです。
— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) June 26, 2018
さらに、野田氏が「歴史的、政治的な背景もあるのかも知れません。…僕はだからこそ純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたい」とコメントしているところにも、加害の歴史を忘却したい欲望が見えます。 https://t.co/omFhsA9cli
サッカーは、相手チームの服や腕を掴む行為(ホールディング)が反則として禁止されているにもかかわらず、よほど激しくプレーを妨害しない限り選手は平気で行い、戦術的ファールなどと言われ、審判もこれを黙認しているから野蛮である。野蛮であるからこそ「日本人」はW杯に熱狂するのだろうけれど。
— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) June 25, 2018
どこから持ってきたか知らないけどヘイトスピーチの定義も間違えてるし、そもそも私は「日本人が野蛮」とも書いていない。日本人は野蛮なサッカーW杯に熱狂すると書いている。 https://t.co/pexDY5qlRl
— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) June 25, 2018
抗議行動の言論を弾圧・阻止した兵庫県警の横暴は絶対に許さんからな。日の丸を守るために無辜の市民の人生を狂わせやがって。
— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) June 27, 2018
被逮捕者のツイートキャスティングの動画では、「朝鮮学校の無償化反対に抗議する」とありました。RADWIMPS関係ないですよね。
弁護士にも表現の自由が保障されています。
同時に、私たちにも表現の自由をはじめとする様々な権利が保障されています。
その権利を行使するかどうかは個人の自己判断であり、そこには責任が伴います。
弁護士としての言動に留まる限りにおいて、そこにおける表現であれば、それは尊重されなければならないと思うのです。
さて、ここに挙げた「表現」は弁護士としての行為として尊重されなければならないでしょうか?私は決してそうは思いません。
以上