東京地検がカルロスゴーンが使っていたパソコンを令状提示して押収しようとした際、ゴーンの弁護人 弘中惇一郎氏は、刑事訴訟法上の押収拒絶権を行使しました。
弘中弁護士の行動の評価と捜査機関側がデータ入手できる可能性について思うところを書いていきます。
ゴーン弁護人の弘中氏がパソコンの押収拒絶するのは当然
カルロスゴーンの弁護人である弘中氏がパソコンの押収拒絶をしたことで「証拠隠滅・海外逃亡の共犯だ」のような批判がありますが、刑事訴訟法上の権利行使をしたという側面があります。
刑事訴訟法105条の押収拒絶権
刑事訴訟法105条では弁護人に押収拒絶権が認められています。
第百五条 医師、歯科医師、助産師、看護師、弁護士(外国法事務弁護士を含む。)、弁理士、公証人、宗教の職に在る者又はこれらの職に在つた者は、業務上委託を受けたため、保管し、又は所持する物で他人の秘密に関するものについては、押収を拒むことができる。但し、本人が承諾した場合、押収の拒絶が被告人のためのみにする権利の濫用と認められる場合(被告人が本人である場合を除く。)その他裁判所の規則で定める事由がある場合は、この限りでない。
したがって、弘中弁護士がPCの押収拒絶をしたのは正当な権利行使です。
押収拒絶は義務ではないから令状に応じる、或いは任意提出するべきか?
ただ、これは権利であって義務ではないから、保釈義務違反で海外逃亡をしたような者については押収拒絶権を行使しなければよいのでは?任意提出に応じたり、令状があるなら提出に応じれば良いのでは?という感想を持つ人も居ると思います。
しかし、弁護士の場合には押収拒絶権を行使することが弁護士法上の義務であるという解釈があります。
弁護人の秘密保持義務(守秘義務)の解釈
弁護士法23条と同じ内容の弁護士職務基本規程23条は秘密保持義務(守秘義務)を課しています。
弁護士法
第二十三条 弁護士又は弁護士であつた者は、その職務上知り得た秘密を保持する権利を有し、義務を負う。但し、法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
弁護士職務基本規程
第二十三条
弁護士は、正当な理由なく、依頼者について職務上知り得た秘密を他に漏ら(弁護士報酬)し、又は利用してはならない。
例外として「法律に別段の定め」「正当な理由」がある場合には秘密を開示してもよいことになっています。
つまり、それ以外の場合には秘密保持をしないといけない=押収拒絶権を行使しなければ違法であり、懲戒処分の対象になる、と解釈されています(あくまで解釈だが、検察側も同様に考えていると思われる)。
「法律の別段の定め」と「正当な理由」
法律上の別段の定めとは、民事訴訟法197条2項や刑事訴訟法105条但書き・149条但書きなどがあります。
先述の刑事訴訟法105条但書きには「本人の承諾」「押収の拒絶が被告人のためのみにする権利の濫用と認められる場合(被告人が本人である場合を除く。)」「その他裁判所の規則で定める事由がある場合」がありますが、3つ目はこれまでに定められた規則は存在しません。
「本人の承諾」に言う「本人」は、委託者のみならずそれ以外の秘密の利益を有する者も含まれると解されています。後述の「依頼者の承諾」と併せて論じます。
押収の拒絶が被告人のためのみにする権利の濫用と認められる場合
この規定は、被告人以外の者が、自己が押収拒絶をする利益が無いのに押収拒絶をする場合を捕捉しています。明文で被告人が本人の場合を除くと書かれるようになりました。今回は被告人ゴーンが秘密の利益主体であるため、権利濫用とはなりません。
被告人が秘密の利益の主体である場合というのは、被告人の犯罪の証拠がある場合が考えられますが、「秘密の主体としての秘密保持義務の利益と被告人としての有罪とされないことの利益とは必ずしも截然とは区別されえない関係であるから、被告人が秘密の主体である場合に押収拒絶をすることが一概に濫用とは言えない」*1と考えられています。また、この場合には被告人に罪証隠滅をしないことについての「期待可能性が無い」と考えられるため(刑法104条の証拠隠滅等罪は「他人の刑事事件に関する証拠」を隠滅等した者を名宛人にしている)、被告人は除かれている。
正当な理由
弁護士職務基本規程上の「正当な理由」としては以下の場合が考えられています。
- 依頼者の承諾がある場合
- 弁護士の自己防衛の必要がある場合
- 公共の利益のために必要がある場合
弁護団もゴーンと連絡が取れていないと言っていますので、承諾は明示的にはない。
「推定的承諾」は相当限られてくる話であるため本件では取りあえず考えません。
弁護士の自己防衛の必要とは依頼事件に関連して弁護人自身が刑事訴追を受けそうになっているなどの事情が必要ですから、現時点ではそのような事情は存在しません。
目下、弘中弁護士の名誉の問題が生じていますが、自己の名誉を守るために秘密保持義務が解除=PCの提出が許されるかというと、かなり怪しいんじゃないでしょうか?
カルロスゴーンの事案で公益性が認められるか?
解説弁護士職務基本規程では、生命身体への危害防止や、財産への危害防止の場合、マネロン・テロ資金規制の免脱行為などが検討されています。
ゴーンの事案でここの意味での公益性があるかはかなり厳しいと思いますが、仮に公益性があるとして「正当な理由」が存在するとしても、それは弁護人が押収拒絶権を行使しない理由として機能するだけで、必ず押収できるということにはなりません。
「検証」によるデータ入手はあり得るか?
ところで、刑事訴訟法には押収拒絶(差押え・提出命令・領置の拒絶)権は明文でありますが、「検証」拒絶は明文上は存在していません。
パソコンの内部のデータを入手することは「検証」
なるほど、拒絶権の明文がない検証をかけるという手があるのか。
— 弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会) (@kyoshimine) 2020年1月8日
デジタル・フォレンジックスの保全作業(要するにHDD全コピー)をやってしまえば、押収したのと結果は同じだしな。
かなり難しい法律問題になるな……。
ゴーンが使っていたパソコン(弘中弁護士が提供し、通信ログを毎月裁判所に提出することとなっていた)それ自体を押収するのではなく、デジタルフォレンジックの保全作業=要するにHDDコピーでデータだけ手に入れる場合にはどうでしょうか?
現在はこのような場合は「検証」の処分によることとなっています。
参考:逮捕に伴う電子機器の内容確認と法的規律 : Riley判決を契機として 緑大輔
刑事訴訟法上の「検証」と検証拒絶権
刑事訴訟法上の「検証」とは 場所・物・人の身体につき、五官の作用により、その存在・内容・形状・性質等を認識する強制処分です。
刑事訴訟法が成立したときはPCのデータコピーなどという処分は想定されていなかったでしょうから拒絶権との関係がどうなるのか?という未知の領域の問題があります。
押収拒絶権の趣旨
押収拒絶権の趣旨は捜査による真実発見よりも訴訟外の利益を優先させること、換言すれば秘密を扱う職務・職業の社会的信頼を保護することで、もって広く公益を図るためであると言えます。証言拒絶権も同様です。
PCのデータコピーは秘密保持の観点からはPCそれ自体の押収と同じ効果があります。処分の形式的な名前が違うだけです。すると、押収拒絶権があるのに押収類似行為を拒めないとするのはこの趣旨に反するのではないでしょうか?
そして、検証を拒絶しないことは、弁護士の秘密保持義務違反とみる他は無いのではないでしょうか?
弘中弁護士の事務所に押収令状を示したが簡単に引き払った検察もそのように考えているのではないでしょうか?「検証」を起点とした理屈だと、どうしてもそう考えざるをえないと思います。
まとめ:保釈条件を起点とした解釈はあり得るか?
検証に対し、解釈上拒絶権があると弘中弁護士が主張した場合、その存否はどのような手続で判断されるのか。
— 弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会) (@kyoshimine) 2020年1月8日
捜査機関は拒絶権はないと判断して検証に着手し、それに対する準抗告?
ただ、PCの中身を検証できないことは、保釈条件の趣旨からは問題含みで、さりとてこれを捜査機関が取得する手段もなく、やや困ったことになったという感じ。
— 弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会) (@kyoshimine) 2020年1月8日
弘中弁護士としては、罪証隠滅になるようなPCのデータ消去・廃棄はしないだろうが、PCは永遠に宙に浮いた状態になるのだろうか。
※上記2つ目のツイートの「検証」は日常用語の意味。時系列は逆です。
ゴーンの保釈条件の中には「PCのインターネットのログ記録を裁判所に提出すること」があります。
PCが無ければ提出記録が正しいことのチェックはどうやって行うのでしょうか?
保釈条件はPCの最終的な処遇について何も触れていません。
この保釈条件の趣旨からPCの押収拒絶は認められないとするのか、それともそのような保釈条件を設定・承諾した裁判所の責任であるため押収拒絶は認められるべきなのか。
以上
*1:条解刑事訴訟法