事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

津田大介「行政が口を出すのは検閲に当たる」は的外れ:トリエンナーレ表現の不自由展

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あいちトリエンナーレにおける国際現代美術展内の「表現の不自由展」ブースの一部作品が不適切であると指摘が相次いでいる問題で、実行委員会の芸術監督である津田大介が会見を行いました。

その中で「行政が口を出すのは検閲の問題が出てくる」と言っていたので、それが如何におかしいかということを指摘します。

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」

関連記事を置いておきます。

問題とされる作品は現在のところ2つあります。

一つは韓国が世界中で虚偽の歴史認識を拡散する目的で用いられている慰安婦像と呼ばれる像が、平和の少女像であると偽られて展示されていること。

もう一つは、昭和天皇の御真影が焼却されるような映像表現があること。

これらの展示が不適切だということで抗議の電話が殺到したことから津田大介が記者会見を開いていたと言う経緯です。

津田大介「行政が口を出すのは検閲に当たる」

「少女像」展示、どうなる? 実行委で検討へ。芸術監督・津田大介氏が会見(声明全文) | ハフポスト魚拓

その上で、あいちトリエンナーレの企画をどのようなかたちにするかということですが、それは芸術監督に一任されています。そして県の事業として、またたくさんの作家が関わる展覧会として、その過程で事務局とは様々な確認や承認を経て、それぞれの企画が実現しています。

行政の責任というところですが、行政はトリエンナーレの一参加作家である「表現の不自由展」実行委員会が定めた「表現の自由。これの現在的状況を問う」という展示会のコンセプト、趣旨を認めているのであって、この展覧会内で展示されたすべての、あるいは個別の作品への「賛意」として認めているわけではないということ。ここをまず踏まえていただきたいと思います。

なぜかと言えば、その前提に則ってお答えすると行政がこの展覧会の内容について「どんな内容なんだ」「実際できあがったものを見せろ」みたいな話になって、隅から隅まで口を出して、かつ行政としてこの表現は認められないというかたちで仕組みにようになってしまうと、それは憲法21条の「検閲」に当たるという、まったく別の問題が生じてしまうと僕は考えています。

※原文ママ

「行政が口をだして仕組み化」すると検閲になるというトンデモ論を展開しています。

当然、これは成り立ちません。

憲法21条の検閲の定義と意義

最高裁判所大法廷判決 昭和59年12月12日 昭和57(行ツ)156  税関検査事件

憲法二一条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。

行政権が主体となって行うものだということが明記されています。

ではそうすると、公立美術館で作品の展示が禁止されたり、撤去されたりするのは「検閲」なのでしょうか?

たとえば、今回展示された慰安婦像は、2012年8月に東京都美術館で開催された「第18回JAALA国際交流展-2012」に出品中だったものの、美術館が「東京都美術館 公募団体展募集要項」の「特定の政党・宗教を支持し、又はこれに反対する等、政治・宗教活動をするもの」に抵触する可能性があることから展覧会主催者側が自主規制をしたという経緯があります。

参考:東京都美術館の検閲に対する抗議行動

これが検閲に当たるわけがありません。

「検閲」を持ち出せる場面とは異なります。

公の施設としての美術館

地方自治法 第十章 公の施設
公の施設
第二百四十四条 普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。

第二百四十四条の二 普通地方公共団体は、法律又はこれに基づく政令に特別の定めがあるものを除くほか、公の施設の設置及びその管理に関する事項は、条例でこれを定めなければならない

「公の施設」として美術館が設置されています。

愛知県の場合には「愛知芸術文化センター条例」が設置根拠となります。

愛知芸術文化センター条例

第一条 芸術文化の振興及び普及を図るため、愛知芸術文化センター(以下「センター」という。)を設置する。
2 センターは、次に掲げる施設をもって構成する。
一 愛知県美術館
二 愛知県芸術劇場
三 愛知県文化情報センター
四 愛知県図書館

今回問題視されている展示物も、愛知芸術文化センター8階の愛知県美術館ギャラリーにおいて展示されています。

行政なくしては成り立たない「表現の不自由展」

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文化庁の2019年度「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」採択一覧では、補助事業者名が「愛知県」になっています。

あいちトリエンナーレはあいちトリエンナーレ実行委員会が主催していますが、問い合わせ先は「愛知県県民文化局部文化部文化芸術課トリエンナーレ推進室内」となっていて、場所も愛知芸術文化センター内。行政の組織という前提があります。

電話で応対している方も基本的には愛知県の職員の方、公務員です。

要するに、「表現の不自由展」は行政の努力によってはじめて展示可能になっているものであって、行政が自分らで運営している事業についてどの作品を展示するかを決めるのは法令に抵触しない限りは基本的に裁量の範囲内なのです。

ある作品を採用しなかったからといってもそれは検閲ではないわけです。

公立美術館は公の施設という場所を提供しているのであって、その場所以外で表現物を展示することまで妨げているわけではないのです。作品展示は、その場所での「集会」が意味を持つような場合とは異なります。

津田大介は、こういった違いを無視して、まるで「本来なら民間が出版等を自由にできるはずなのに行政が圧力をかけてきた」というような場面と混同させているのです。

まとめ

仮に愛知県が基準を定めてそれに抵触するから展示しないとか、作品を撤去するなどをしていたとしても、その作品は別の場所で展示することは可能なわけです。

公の施設では展示できなくとも、Youtube動画で撮って流すとか、民間のギャラリーに展示するなど、発表の機会は確保されているのです。

表現の不自由展は既に発表されているものを扱っているので「発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止する」ものでもありません。

そういった場面にまで口を出してきたのなら、そこではじめて検閲になります。

あいちトリエンナーレの運営構造を理解しないでいいかげんな事を言ってる者が居ますが、いろいろと分かってしまう事例であります。

以上