自由法曹団という弁護士集団が、安倍総理演説妨害の男性排除で北海道警を非難しました。声明の中身を見ていきましょう。
- 自由法曹団が「ヤジ」男性排除した北海道警を非難
- 「安倍総理の演説は中断されなかった」⇒判例読め
- 「選挙は選挙権を行使する場」⇒連呼行為をする場ではない
- 自由法曹団はオウム真理教への破防法適用に反対していた
自由法曹団が「ヤジ」男性排除した北海道警を非難
主張を要約すると以下です。
- 警察は声掛けをしていない
- 排除された男性の行為は選挙の自由妨害罪にはあたらない
- 選挙は国民が選挙権を行使して意見を表明する場
さて、おかしなところがいくつかあります。
「安倍総理の演説は中断されなかった」⇒判例読め
また、選挙の自由妨害罪を定める公職選挙法225条には演説妨害の罰則規定があるが、最高裁判決は、演説の妨害とは「事実上、演説をすることが不可能な状態に陥らしめること」であり、演説の継続を不可能にしたり、演説を聴取することを不可能にする行為であるとしている(最高裁判決1948年6月29日)。上記動画では、男性は、選挙カーの上で演説する安倍首相に対して、離れた場所から何度か「安倍やめろ」と声を発したに過ぎず、演説が中断されることなど一切なかったのであり、「公職選挙法の『選挙の自由妨害』違反になるおそれ」という北海道警の説明にも無理がある。
まず、この人たちは最高裁判例を踏まえて主張しなさい、と思います。
上記の最高裁判例の後に、演説が中止されなかった場合の判例があります。
最高裁判所第3小法廷 昭和23年(れ)第1324号 昭和23年12月24日
しかし原判決がその挙示の証拠によつて認定したところによれば、被告人は、市長候補者の政見発表演説会の会場入口に於て、応援弁士林常治及び望月勘胤の演説に対し大声に反駁怒号し、弁士の論旨の徹底を妨げ、さらに被告人を制止しようとして出て來た応援弁士馬淵嘉六と口論の末、罵声を浴せ、同人を引倒し、手挙を以てその前額部を殴打し、全聴衆の耳目を一時被告人に集中させたというのであるから、原判決がこれを以て、衆議院議員選擧法第一一五条第二号(原判決文に「第一号」とあるのは、「第二号」の誤記であることが明らかである)に規定する、選挙に関し演説を妨害したものに該当するものと判斷したのは相当であつて、所論のような誤りはない。仮に所論のように演説自体が継続せられたとしても、挙示の証拠によつて明かなように、聴衆がこれを聴取ることを不可能又は困難ならしめるような所爲があつた以上、これはやはり演説の妨害である。
「聴衆が演説を聴き取り不可能又は困難な状況にしたら演説妨害である」
最高裁はハッキリと言っています。
なぜ、裁判所HPでも公開されているこの判例を無視するのか?
法曹としてあるまじき失態でしょう。
この点については以下で詳述していますが、本件の男性の行為は野次ではなく連呼行為であって要保護性が低く、選挙演説は投票判断を左右する民主主義の根幹をなす重要なものであり、それを聴衆が聞き取ることで初めて意味のあるものになるのだから、連呼行為は聴衆の選挙演説を聴く権利の侵害であり、選挙演説を聴く権利の方が、より厚く保護されるべきです。
安倍首相の街頭演説中のヤジを朝日新聞が擁護⇒民主党時代はプラカードだけで排除
「選挙は選挙権を行使する場」⇒連呼行為をする場ではない
そもそも、警察法2条は、警察の活動について「不偏不党且つ公正中立」を旨とし、「いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない」としており、警察は、公平・中立・適正にその職務を行使しなければならない。特に、選挙は国民が選挙権を行使して意見を表明する大切な場であり、選挙期間中はとりわけ慎重な対応を要するべきである。
「選挙権の行使」とありますが、被選挙権として立候補をしている者であるならばともかく、選挙権とは正当な手続きによる投票行為によって行使・実現されるものです。
決して道路使用許可を取って応援演説をしている者に対して罵声を浴びせ、それを連呼する行為ではありません。そんなものは選挙権の行使とは言いません。
選挙とは、立候補もしていないどこの誰とも知らない者が「意見を表明する場」ではありません。そんな者の意見など私たち国民は聞きたくありません。
こんな支離滅裂な主張が弁護士集団から為されているという事に恐ろしさを感じます。
まぁ、オウム真理教への破防法適用に反対していた輩ですから、当然かもしれません。
自由法曹団はオウム真理教への破防法適用に反対していた
本日、公安審査委員会は、オウム真理教に対する破防法・解散指定の適用 を棄却する旨の決定を発表した。
二 自由法曹団は、今回の破防法の適用を認めるか否かは、わが国の自由と民 主主義の将来に対し、きわめて重大な影響を持つものであるとの認識に立って、 反対運動を行ってきた。
こういう連中が選挙妨害行為を「野次に過ぎない」と擁護し、聴衆の選挙演説を聴く権利の侵害状況を是認しているということは、象徴的だと思います。
以上