事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

加計学園に愛媛県が求める「説明責任」は本来の説明責任とは別種類である

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加計学園は説明責任を果たせ」

このような報道がなされており、マスメディアの読者・視聴者もそう思っている者が居ます。

だがちょっと待ってほしい。

その「説明責任」、意味分かって使っていますか?

国民主権に由来する国家の説明責任

上記で詳しく書いてますが、元々の「説明責任」は国家・政府の側に対する国民の要求に対応する言葉です。

政府の説明責任は、憲法が国民主権の立場であることから導かれる政府の責任であると言われます。

まず、国家は国民に対して情報を公開する「必要」があります。

なぜなら、国民は国家統治のために選挙で国会議員を選びますが、このときに行政が行ってきた諸活動や内閣の政策を判断できる情報が公開されなければ、候補者の誰が国会議員としてふさわしいのかの判断ができないからです。

国民の信を得て職にあたっている国会議員によって構成される「議院」(議員ではない)の国政調査権(憲法62条)も、この国民主権を確保・行使するためにあると言う事ができます。

では、政府が国民に情報を開示する必要があるとしてもその「根拠」はどこから導かれるのか?

現在の通説と政府見解は、国民と政府の関係を信託関係と捉え、国民から主権行使の信託を受けた政府が信託上の義務として説明責任を負うと考えられています。

これはアメリカの政治信託理論を参考にしているとも言われます。

行政法学者の塩野宏氏の見解(第136回国会内閣委員会第7号平成八年五月十六日)が参考になります。

これが一般的な見解であることの傍証として、「説明責任 国民主権」で国会議事録で検索をかけるとそれなりにヒットします。
ちなみに、内閣の国会に対する政治責任を定めた憲法66条3項が説明責任の根拠になるという説もあるようですが、「説明責任 憲法66条」で国会議事録に検索をかけてもヒットは0でした。文言上も、説明責任を導くにはほど遠いと思います。間違いと言い切るのはやや危険だと思いますが、おそらくあまり受け入れられていない説か、議論の途中で淘汰された見解かと思われます。

情報公開法に規定される説明責任の根拠

こうした議論を踏まえて制定されたのが情報公開法1条の目的規定です。

第一条 この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。

このように「政府の有するその諸活動」が対象となっています。

注意すべきは、国会での追及の際に必ずしも情報公開法が適用されるのではないということ。議院の国政調査権に基づく証人喚問等の発動は議決で可能というだけであり、それ以外に法的な要件があるというものではありません。
※資料提出要求等では簡便な手続きで行われている慣習がある点につき、参議院委員会先例録281を参照。

そして、「国民の的確な理解と批判の下」とありますが、これは目的でもあり、「前提」でもあると考えるべきでしょう。前提とはすなわち、いいかげんな根拠や必要性の説明だけで、何でもかんでも情報を公開しなければならないということにはならないということです。

情報公開請求は国民主権の根幹をなす選挙・投票に資するのであるから、それ自体「国民の政治参加」の一環であると考えられます。情報公開請求の根拠を導いたのが政治信託理論であったとすれば、一度は信託によって国民主権の行使を政府に投げたものを一部自己の側に引き戻すのが情報公開請求と捉えることが可能です。そのような「国民の政治参加」である以上、その行為もまた(一定程度は)的確でなければならないとするのは法理論上も肯定できると思われます。

地方自治の本旨に由来する地方自治体の説明責任

法体系上、地方自治体は政府・国家とは別個の主体として規定されています。

地方自治体の説明責任についても各自治体の情報公開条例に規定があります。

宮城県情報公開条例

(目的)
第1条 この条例は,地方自治の本旨にのっとり,県民の知る権利を尊重し,行政文書の開示を請求する権利及び県の保有する情報の公開の総合的な推進に関して必要な事項を定めることにより,県政運営の透明性の一層の向上を図り,もって県の有するその諸活動を説明する責務が全うされるようにするとともに,県民による県政の監視と参加の充実を推進し,及び県政に対する県民の理解と信頼を確保し,公正で開かれた県政の発展に寄与することを目的とする。

地方自治体に説明を求める場合、それは「地方自治の本旨」が根拠となります。

条文の書きぶりも、なんとなく情報公開法と似ているというのが分かると思います。

政府の説明責任の「地方自治体バージョン」と言えるでしょう。

こちらも「県民による県政の監視と参加の充実」とあるように、県民が「監視」「参加」をすることに資するために情報公開条例があるということです。

この「監視」「参加」がいいかげんなものであっていいはずがありません。

なお、宮城県は注釈も公開しています。

岡山理科大学獣医学部を運営する加計学園の「説明責任」

加計学園は政府や国家機関ではありません。

単なる「一私人」(民間法人)です。

したがって、上述で指摘したような意味での説明責任を負うハズがありません。

ただし、「説明責任」と表現することが間違いであるわけではありません。

加計学園が愛媛県との関係で言われている説明責任とは、『加計学園は国家戦略特区申請にあたって愛媛県に協力してもらった関係にある。そのような関係の中で、渡辺常務が愛媛県の担当者に話した内容が誤解を招くものだったので、なぜそういう事を言ったのか動機を明確にしてよ』という素朴な意味での説明責任に過ぎないのです。

基本的には赤の他人にお金の使い方を説明する必要も根拠も無いですが(税の申告等の場合には別の話)、配偶者に対しては使途を説明する責任はある、といったような日常的な感覚で言うところの説明責任とほぼ一緒と言えるでしょう。

税金が投入されているから直ちに説明責任があるのか?

「獣医学部の設置認可は省庁、つまり国民の税金によって行われるし、国家戦略特区認定は国民の代表たる内閣総理大臣が決定する事項だから、国民主権の話だ!」

⇒『加計学園は省庁でもなければ内閣総理大臣でもありません、以上』

「岡山理科大学獣医学部には愛媛県の協力があって設立した支那、今治市から補助金が出ている、つまり住民の税金が投入されているから、地方自治の話だ!」

⇒「加計学園は愛媛県でもなければ今治市でもありません、以上」

これで終わる話です。

『「省庁や内閣総理大臣、自治体が関係して受益を受けたある主体」という属性を持つ者であれば私人であっても国民主権や地方自治に基づく説明責任があるはずだ』

こんなことを言うと、おそらくおよそ世の中の私人全員が記者会見を開いて国民全体との関係で説明する責任があるということになりますね。

たとえば、「子ども手当」によって得たお金の使い道や、その金額の子ども手当を得る根拠となっている情報を赤の他人が「地方自治の話だから俺にも説明しろ!」などと言うのはおかしな話です。

これは自治体からその家庭に対して「あなたが申告した子ども手当の基本情報に疑義があるので説明してください」と言うのは正当です。これは地方自治の話でもなんでもありません。素朴な意味での説明責任です。

同じように、愛媛県から加計学園に対して要求されている「説明責任」は、そのような二者間の関係で成立している説明責任に過ぎません。

それを国会議員や全国民が殊更に取り上げて問題視することはまったく理解不能です。

そして、先にも書きましたが、いいかげんな根拠で説明を求めるというのは、日常的な感覚からしてもおかしいということは常識でしょう。

加計学園の説明責任は「安倍総理との面会」ではない

少し前の報道状況では「首相案件」という言葉がクローズアップされていましたが、「なぜ愛媛県の担当者が首相案件という言葉を使ったメモが残っているのか?」という疑問が6月の加計学園の記者会見で明らかになりました。

それは「渡辺常務が安倍総理の名前を出したから」になります。

だからこそ加計学園に説明責任が生じています。

加計学園が愛媛県に果たすべき説明責任とは何か?

これをしっかりと枠づけているメディアはあったでしょうか?

【加計学園の渡辺常務が、安倍総理の名前を持ち出して総理の意向が背後にあると匂わせることで国家戦略特区認可申請、獣医学部設置認可申請を通すことを有利に進めようとしたことの動機・理由は何なのか?】

これが加計学園が愛媛県に負っている説明責任です。

決して「安倍総理との面会について」ではありません。

そもそも面会の事実があったとしても認可過程の違法事実ではありません。

文科省の違法行政が「総理の意向」の原因か

大学、短期大学、高等専門学校等の設置の際の入学定員の取扱い等に係る基準】 
魚拓:http://archive.is/9DVVo

この【文科省告示45号1条2号】が獣医学部設置認可申請を阻んできた違法行政です。※最新のものでは1条4号がこれに該当。


医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成に係る大学等の設置又は収容定員増でないこと。

これは要するに、獣医学部の設置認可申請は、その中身を審査するまでもなく門前払いするという規定です。

長年に渡って設置認可が拒まれてきており、更に平成15年にこの告示が作られ、告示に沿って行政が動いていたため、愛媛県側も腰が重かったという現実があります。個人的な推測になりますが、渡辺常務が安倍総理の意向を匂わせた背景には、「そうまでしないと行政が動かない」現実があったのだろうと思われます。※これは告示45号による認可行政という事実に基づく推測です。

文科省告示45号と国家戦略特区の挙証責任

国家戦略特区があることによって、申請を受け付けることが可能になり、さらに認可の可否判断にあたっては挙証責任が省庁側に転換されました。

「挙証責任が省庁側に転換された」 というとなんだか分かりませんが

要するに省庁の側が合理的な理由を示さなければ、申請を認可することになるのがデフォルトの対応になるということです。

もちろん、申請者側も要件を満たすことを説明しますが、それは挙証責任が最初から申請者に課されているという意味ではありません。
参考

まとめ:「説明責任」を混同して告示45号を誤魔化すな

「説明責任」 には国家主権に基づくもの、地方自治に基づくもの、素朴な意味でのものがあることを示しました。

これらを混同させて、さも加計学園に法的な義務があるかのように言及している者はまったく信用できません。

そして、「加計学園問題」といわれているものの元凶は文部科学省告示45号とそれを放置してきた歴代行政にあるのであって、決して「安倍政権」のみの問題ではありません。

石破茂も、「石破4条件」と言われていましたが、まったく「ラスボス」でもなんでもありません。

国会には岩盤規制と既得権益の問題に焦点を当てた質疑を求めたいですね。

以上