事実を整える

Nathan(ねーさん) ほぼオープンソースをベースに法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

木村真人「死者のプライバシーを守ることにどれほどの意味があるのか」:京アニ犠牲者の実名公表とメディア

 

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在英ジャーナリストの木村真人氏がYahooニュース上で「死者のプライバシーを守ることにどれほどの意味があるのか」と気炎を吐いています。

反論します。

警察の不祥事が絡んだ場合…は関係がない

京アニ犠牲者全員の実名公表「とにかくメディアが最悪だった」英テロ報告書があぶり出した報道の良心とは(木村正人) - 個人 - Yahoo!ニュース魚拓はこちら

米コラムニスト、ウォルター・リップマンも「出版の自由は特権ではなく、偉大な社会における必要不可欠な要件である」という言葉を残しています。それなのに日本では2005年の犯罪被害者等基本計画で犯罪被害者に関するプライバシー保護を図るため、 被害者を実名・匿名どちらで発表するかの判断を事実上、警察に委ねてしまいました。

メディアの自主規制では報道の二次被害やメディアスクラムは防げないと批判されたからです。筆者は1984年から16年間、神戸や大阪で事件報道に携わり、最後は大阪府警のキャップまで務めました。性犯罪などのケースにとどまらず、被害者の実名・匿名発表の判断をすべて警察に任せるのは「報道管制」につながりかねず、非常にまずいと思います。

組織防衛に走った時の警察がどれほど怖いかは、体を張って取材した経験がないと分からないでしょう。桶川ストーカー殺人事件のように警察の不祥事が絡んだ事件の場合、被害者の実名は永遠に闇に葬り去られるでしょう。

事案の異なるものを敷衍する悪い例。

「実名報道をするべきではない」と我々が言っているのは、本件においては遺族の多くが実名公表を拒否する意向を示していたからです。

何もすべての事件報道において一般的に匿名報道の原則にするべきだと言っているのではありません。

ここを勘違いしているので、「組織防衛に走った警察…」の所はまったく関係がない。

その上で、本件で被害者の実名公表をしないことで事件の真相が分かるとか、 犯人の動機が明確になるとか、そういうことはほとんど考えられないため、実名公表する必要性がまったく感じられないから、我々一般人は被害者の遺族の意向を優先して尊重しようとしているのです。

京アニ犠牲者の実名公表されないと遺族らが連絡を取り合えない?

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京アニの代理人を務める桶田弁護士が実名非公開を唱えるのもおかしな話です。第1スタジオの建物が構造上、安全だったのかどうか将来、会社と遺族の間で民事上の争いが生じた場合、どうなるのでしょう。実名が公開されていないと遺族同士が連絡を取って協力するのも難しくなってしまいます。

  • 「第1スタジオの建物が構造上、安全だったのかどうか」については既に間取り図や勤務中の映像などが残っており、報道もなされている。仮に民事上の争いが会社と遺族の間で起こったとしても、これ以上遺族が別個の事実を証明する必要があるのかは疑問
  • 実名公表で建物内部の状況がよりハッキリと分かるという展開があり得るのか疑問
  • 消防法上の点検で問題ないとされていた建物の構造を京都アニメーション側の責任として民事で問えるのかが疑問で訴訟提起の可能性は限りなく低いのでは
  • 遺族が会社と争うとしても他の遺族と連携するメリットがあるとは限らない
  • 複数の遺族らが会社に訴訟提起した場合、裁判所の方で事件の審理を併合する事もあり得るのであって、ある事項の証明問題が生じた際の遺族間の情報格差があったとしても、それが埋められる機会は存在する
  • 以上の状況もあり、本件において会社と遺族の争いという将来の仮定的な状況が生じる可能性は、メディアによる遺族への取材被害が起こる蓋然性よりも遥かに低く、優先して考慮されるべきものではない

私はこう考えますが、どうでしょうか?

木村真人「死者のプライバシーを守ることにどれほどの意味があるのか」

京アニ犠牲者全員の実名公表「とにかくメディアが最悪だった」英テロ報告書があぶり出した報道の良心とは(木村正人) - 個人 - Yahoo!ニュース魚拓はこちら

アルジェリア人質事件でも実名報道の是非が大きな論争を呼びました。人間の「生き死に」は社会の記憶であり、歴史の記録です。死者のプライバシーを守ることにどれほどの意味があるのでしょう。それより被害者が最後の瞬間までどのように生きたのか、その不条理な死は避けることができなかったのかを伝えてほしいと思う遺族もいらっしゃるはずです。

報道の二次被害、メディアスクラムを放置してきたメディアの責任は重く、対応は不可欠ですが、匿名報道が当たり前だという風潮が広がると、日本社会はもっと大切なものを失うことになるでしょう。匿名より実名を公開した方が社会のトランスパレンシーはずっと高まるはずです。

まず、「匿名報道が当たり前になるべき」と言っている人など聞いたことがない。

何度も言うように、本件は「遺族の多くが実名公表を拒否している」から、匿名にするべきだと言っているに過ぎません。匿名報道が原則になるべきなどとは誰も言っていない。

次に「死者のプライバシー」ですが、木村氏は死者の名誉毀損が罪になるということは知っているはず。それは司法レベルで死者の尊厳を一定程度保護するという考えの現れでしょう。

死者の名誉はいわゆる「プライバシー」とは異なり、現時点ではそれを侵しても法的な非難を浴びるものではありませんが、配慮されるべきものであるという認識を持っている人が多いでしょう。

「被害者の実名公表」と「遺族に対する報道被害」は分けて考えるべきだという見解があることは百も承知ですが、両者の事実上の繋がりは否定できるものではないでしょう。

被害者の実名公表は、「遺族のプライバシー」の問題でもあるということが見えていないのだろうか?被害者の生い立ちを探るということは、その家族のプライバシーに一定程度踏み込まざるを得ない場合が多いでしょう。

この指摘に応えない限り、木村氏の文章は無責任です。

まとめ:基本的に意味不明な文章

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私たちは匿名報道よりも、被害者の側に立ったマンチェスター・イブニング・ニューズのような報道を目指すべきではないのでしょうか。

「マンチェスター・イブニング・ニューズのような報道」の具体例がこの記事では書かれていないので、意味不明です。

この記事がパッチワークのように「だれだれが言っていた」というものを貼り付けただけになっているのは、著者自身が何を言っているのか、何を言いたいのかが分かっていないのでしょう。

以上