事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

桐生悠々「コオロギは鳴き続けたり嵐の夜」は対案を出さない言い訳に使えるのか?

「コオロギは 鳴き続けたり 嵐の夜」

これを「ジャーナリストは対案を出さない」ことの言い訳として口走った人が居ましたが、果たしてその用法は正しいのでしょうか? 

「ジャーナリストは対案を出さない」に「コオロギは鳴き続けたり嵐の夜」は使えるのか

2018年の1月1日にBS朝日の新春討論という番組の最終盤において、ジャーナリストの青木理が「安倍政権は史上最悪の政権だ」と主張したことに対し、小松靖アナが「そのような事を言うのであれば対案を出すべきではないか?」と質問をしました。

それに対して青木氏は「ジャーナリストには対案を出すのは必要ないこと」とし、「コオロギは鳴き続けたり嵐の夜」というジャーナリストの桐生悠々(きりゅう ゆうゆう)の句を引用しました。

さて、この句は「対案を出さない」ことの主張に正当性を与えるのでしょうか?

それを探るために、桐生の執筆した中でも最重要の論説を取り上げます。

桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」

関東防空大演習を嗤う 桐生悠々 信濃毎日新聞 昭和8年8月11日

 防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、またあらしめてはならないことを痛感したであろう。と同時に、私たちは、将来かかる実戦のあり得ないこと、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである。

 将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ人心阻喪の結果、我は或は、敵に対して和を求むるべく余儀なくされないだろうか。何ぜなら、此時に当り我機の総動員によって、敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落すこと能わず、その中の二、三のものは、自然に、我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろうからである。そしてこの討ち漏らされた敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に、焼土たらしめるだろうからである。如何に冷静なれ、沈着なれと言い聞かせても、また平生如何に訓練されていても、まさかの時には、恐怖の本能は如何ともすること能わず、逃げ惑う市民の狼狽目に見るが如く、投下された爆弾が火災を起す以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだろうとも、想像されるからである。しかも、こうした空撃は幾たびも繰返えされる可能性がある。

 だから、敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである。この危険以前に於て、我機は、途中これを迎え撃って、これを射落すか、またはこれを撃退しなければならない。戦時通信の、そして無電の、しかく発達したる今日、敵機の襲来は、早くも我軍の探知し得るところだろう。これを探知し得れば、その機を逸せず、我機は途中に、或は日本海岸に、或は太平洋沿岸に、これを迎え撃って、断じて敵を我領土の上空に出現せしめてはならない。与えられた敵国の機の航路は、既に定まっている。従ってこれに対する防禦も、また既に定められていなければならない。この場合、たとい幾つかの航路があるにしても、その航路も略予定されているから、これに対して水を漏らさぬ防禦方法を講じ、敵機をして、断じて我領土に入らしめてはならない。

 こうした作戦計画の下に行われるべき防空演習でなければ、如何にそれが大規模のものであり、また如何に屡しばしばそれが行われても、実戦には、何等の役にも立たないだろう。帝都の上空に於て、敵機を迎え撃つが如き、作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない。壮観は壮観なりと雖も、要するにそれは一のパッペット・ショーに過ぎない。特にそれが夜襲であるならば、消灯しこれに備うるが如きは、却って、人をして狼狽せしむるのみである。科学の進歩は、これを滑稽化せねばやまないだろう。何ぜなら、今日の科学は、機の翔空速度と風向と風速とを計算し、如何なる方向に向って出発すれば、幾時間にして、如何なる緯度の上空に達し得るかを精知し得るが故に、ロボットがこれを操縦していても、予定の空点に於て寧ろ精確に爆弾を投下し得るだろうからである。この場合、徒らに消灯して、却って市民の狼狽を増大するが如きは、滑稽でなくて何であろう。

 特に、曾ても私たちが、本紙「夢の国」欄に於て紹介したるが如く、近代的科学の驚異は、赤外線をも戦争に利用しなければやまないだろう。この赤外線を利用すれば、如何に暗きところに、また如何なるところに隠れていようとも、明に敵軍隊の所在地を知り得るが故に、これを撃破することは容易であるだろう。こうした観点からも、市民の、市街の消灯は、完全に一の滑稽である。要するに、航空戦は、ヨーロッパ戦争に於て、ツェペリンのロンドン空撃が示した如く、空撃したものの勝であり空撃されたものの敗である。だから、この空撃に先だって、これを撃退すること、これが防空戦の第一義でなくてはならない。

悠々の信濃毎日での絶筆「評論子一週間の謹慎」

「関東防空大演習を嗤ふ」は批判の的どころか激烈な攻撃対象となったようです。

同年9月8日に桐生がそのコラム「評論子」において事情を記述しています。

「関東防空大演習を嗤ふ」の一文が、偶々一部世人の間に物議をかもしたのは、私たちの実に意外とするところであると共に恐縮に堪えざるところである。なぜ恐縮に堪えないかといえば、これより先、陛下には畏もこの大演習の関係者に対して御沙汰書を賜り、この挙の「重要」なる旨を宣せられたのであった。それをわが評論子が評論したからである。したがって私たち一般国民が不幸にしてこれを見落としたとしても、新聞当局者として、既にこれを紙上に掲載した以上、その責任を免れることができない。その意味において、この意味に重きを措く限り、評論子は謹慎の意を表するため、ここ一週間は、しばらく筆を絶つ。

「御沙汰書」とは天皇の指示・命令であることを示す公文書であり、関東防空大演習については「その意義極めて重大にして」と言及されていました。

そのため、郷軍同志会が強硬な態度で桐生悠々を処分しろと信濃毎日新聞の経営陣に迫り(新聞紙法の「秩序紊乱」に該当する、という主張がなされた。明らかに該当しなかった。)、結局、桐生は「評論子一週間の謹慎」を絶筆として信濃毎日新聞社を退社することとなりました。

このように、「関東防空大演習を嗤ふ」は、その中身の話とは別にして、天皇の意向に反するばかりか、それを「嗤う」と表現したことで、桐生本人も一定の失敗であるということを認めている雰囲気があります。

ただ、少なくとも主張の中身は正当である、という考えは捨てていませんでした。それは彼の自伝の「言いたい事と言わねばならない事と」という項において、「真正なる愛国者の一人として、同時に人類として、言わねばならないことを言っているのだ」「言いたいことと言うべきことは違う」「言うべきことというのは、権利ではなく義務として書かなければならないもの」であるとし、さらに以下主張しているからです。

しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少くとも、損害を招く。現に私は防空演習について言わねばならないことを言って、軍部のために、私の生活権を奪われた。

私が防空演習について、言わねばならないことを言ったという証拠は、海軍々人がこれを裏書きしている。海軍々人は、その当時においてすら、地方の講演会、現に長野県の或地方の講演会において、私と同様の意見を発表している。何ぜなら、陸軍の防空演習は、海軍の飛行機を無視しているからだ。敵の飛行機をして帝都の上空に出現せしむるのは、海軍の飛行機が無力なることを示唆するものだからである。

これが桐生の主張の正しさを裏付けるものなのかはさておき、彼の考えがこのようなものであったというのは分かるでしょう。

蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜

蟋蟀は 鳴き続けたり 嵐の夜

これは桐生が信濃毎日新聞退社後、昭和9年に発行した個人雑誌「他山の石」の昭和10年2月5日号において書いた句です。

「鳴き続ける」

その代表的なものが「関東防空演習を嗤う」であろうことは否定できないでしょう。

「関東防空大演習を嗤う」は、確かに軍事的には誤りの部分も見られますし、ロンドン空撃が行われた戦闘は最終的にイギリスの勝利に終わっていますから、歴史的に見ても要検証の部分があり(「木造家屋の多い東京市」はこの点を意識しているのか)、手放しで肯定できるものではありません。

しかし、このコラムでは東京上空よりも前に、洋上において敵機を迎え撃つべきだ、ということを主張しているのです。

これは厳密に言うと「対案」の提示と言えるかは判然としませんが、「提言」はしていると言えるのではないでしょうか?(もっとも、軍部もそんなものは大前提で防空演習をしたと思うのだが)。

対案を出さない言い訳に桐生悠々は使えないのでは

桐生は「真正なる愛国者の一人として、同時に人類として、言わねばならないことを言っているのだ」と書いていたことは先述の通りです。

これは、明らかに「事実を伝える」だけに留まらない使命感に基づいて行われている主張です。「対案を出す必要は無い」などという態度では決してないでしょう。少なくとも「場合によっては対案も出す」という気概で物書きをしていたことが自伝等からは伺えます。

したがって、ジャーナリストの青木理が「ジャーナリストは対案を出す必要は無い」と主張するのは勝手ですが、その言い訳のために桐生悠々を持ち出すことは失当ではないでしょうか。

以上