慰安婦性奴隷説の破綻
- 戦前の国際法上の奴隷の定義:所有権の客体
- 慰安婦は当時の国際法上の奴隷には該当しない
- 慰安婦の実態:契約関係を解説したラムザイヤー論文
- 「恰も軍当局の了解があるかの如き言辞を弄する者」への取締り
- クマラスワミ報告マクドゥーガル報告書の欺瞞:戦後の法を遡及適用
- 吉見義明の性奴隷説「4要件:居住・外出・廃業・接客拒否の自由」の大欠陥
- 歴史学上の一定年代における奴隷の要素の話は別問題:実社会とは乖離した分析
- まとめ:政府オフィシャル・外交上は国際法に基づき議論しているので民間も倣え
戦前の国際法上の奴隷の定義:所有権の客体
国家の振舞いに関する国際的な見地から見た際の立場や行為の正当性について語るとき、【国際法】の観点は無視できません。外交におけるオフィシャルの見解も戦争や紛争の処理についても、国際法上どのように評価されるのか(評価されるべきなのか)?が重要になってきます。
近現代史に関する言及において国際法の観点が欠如した言説や検証が横行していますが、それにより特に悪影響が出ているのは、日本軍慰安婦(いわゆる従軍慰安婦)に関してです。
「慰安婦は性奴隷だ」という主張がありますが、実態としても国際法上としても破綻した主張です。本稿では、関連する条約・法令・規則等を参照していきます。
では、戦前の国際法上は奴隷についてどう扱っていたか?
国際聯盟規約には奴隷売買の禁止が謳われています。
第ニニ条〔委任統治〕
~省略~
五 他ノ人民殊ニ中央アフリカノ人民ハ、受任国ニ於テ其ノ地域ノ施政ノ責ニ任スヘキ程度ニ在リ。尤モ受任国ハ、公ノ秩序及善良ノ風俗ニ反セサル限リ良心及信教ノ自由ヲ許与シ、奴隷ノ売買又ハ武器若ハ火酒類ノ取引ノ如キ弊習ヲ禁止シ ~以下略~
次に、1926年奴隷条約では奴隷制度の定義が明記され翌年から発効しています。*1*2*3
No. 1414. SLAVERY CONVEN1JON 1*. SIGNED AT GENEVA, SEPTEMBER 25, 1926.*4
Slavery is the status or condition of a person over whom any or all of the powers attaching to the right of ownership are exercised.
奴隷制とは、その者に対して所有権に伴う一部又は全部の権能が行使される個人の地位又は状態をいう
このような地位又は状態の者、つまりは所有権の客体となっていた者を奴隷と呼ぶと言えるでしょう。
奴隷貿易の定義もあります。
The slave trade includes all acts involved in the capture, acquisition or disposal of a person with intent to reduce him to slavery ; all acts involved in the acquisition of a slave with a view to selling or exchanging him ; all acts of disposal by sale or exchange of a slave acquired with a view to being sold or exchanged, and, in general, every act of trade or transport in slaves.
奴隷貿易には、奴隷にする目的で人を捕獲、取得または処分するすべての行為、奴隷を売却または交換する目的で奴隷を取得するすべての行為、売却または交換する目的で取得した奴隷を売却または交換により処分するすべての行為、および一般的に、奴隷の貿易または輸送に関わるすべての行為が含まれる。
なお、この条約はさらに1956年に補足条約が出ており、1926年の奴隷条約上の奴隷制の定義はそのままに、それに該当するか否かを問わず債務奴隷・農奴制・女性に関する各種の行為を行う制度または慣行が追加的に禁止対象とされました。また、「隷属的地位にある者」が「奴隷」とは異なるものとして定義されています⇒「奴隷制、奴隷貿易並びに奴隷制に類似する制度及び慣行の廃止に関する補足条約」Supplementary Convention on the Abolition of Slavery
慰安婦は当時の国際法上の奴隷には該当しない
東京高等裁判所判決平成12年11月30日平成11年(ネ)第5333号
しかしながら、奴隷条約に関する国際慣習法の適用に際しては、そこでいう奴隷の定義を無視することはできず、前記認定のとおり、従軍慰安婦が当時成立していたと認められる奴隷条約に関する国際慣習法上の奴隷に当たるとは認められず、仮にこれに該当するとしても、これに対する禁止措置、処罰義務等の国際慣習法の国家義務を怠ったことになる被控訴人に対して、従軍慰安婦個人が直接国内法手続で損害賠償請求権を行使することができるという国際慣習法が成立していたとまでは認めることができない。
慰安婦は当時の国際法上の奴隷ではないことについては裁判所も認めています。*5
近代的所有権概念からすれば、所有権の客体でしかないなら所有権者によって傷害を負わせられても自分の物なので違法でも犯罪でもないし、他人から危害を加えられたら持ち主から所有権に基づく請求をするはずですが、そういう扱いではありませんでした。
(大審院大正7年10月12日判決「損害賠償請求ノ件」は、抱主が芸妓を誘拐した第三者に対して、債権侵害を理由として損害賠償を請求したケース)*6
慰安婦は対価を受け取っていましたし、しかも同時代の他の軍人などの職種よりも遥かに高給でした。慰安所規則が掲示され、利用客には避妊具が支給されて装着が義務付けられました。医師による定期的な診察を受け、衛生環境を維持されるものとして運営され、そうするように当局から指導されていました。
一部に悲惨な境遇の者が居たとしても、それは慰安婦の募集取締規定や慰安所運用規則に反する違法な扱いであり*7、一般的にそのような扱いが為されていたとは言えません。
慰安婦の実態:契約関係を解説したラムザイヤー論文
いわゆるラムザイヤー論文⇒Contracting for sex in the Pacific War - ScienceDirect
この2020年12月に掲載された論文は、日本軍の慰安婦を法経済学の観点からどのような契約関係にあったのかを明らかにしています。
この論文にある事実関係・契約の中身を見ていけば、慰安婦は実態としても法的にも「性奴隷」などと呼べるものではないということわ分かります。
この論文の全和訳については、論文掲載後に多数の学者らから難癖を付けられたがその主張の悉くが破綻していることを援護的に主張した【「慰安婦」はみな合意契約していた 有馬 哲夫】に掲載されています。ここではその要旨を紹介します。
要旨
慰安所と呼ばれる戦時売春所を巡る韓国と日本の間の論争は、そこに含まれる契約の力学が曖昧にされている。この力学はゲームの理論の基礎である「信用できるコミットメント」のロジックをはっきり反映している。売春宿の側と娼婦死亡者は、ある問題に直面した。売春宿は契約の枠組みに信用が得られるようにコミットしなければならない。(ⅰ)その枠組みは、その仕事をしることで娼婦が被る悪評を埋め合わせるだけのもので、(ⅱ)監視がない状況で過酷な仕事をしながらも、一生懸命になれるインセンティヴを与えるものでなければならない。売春宿経営者が娼婦に対して、将来得られる収入を誇張しがちなのを知っているので、かなりの額の前渡し金を要求した。抱主はこの要求を呑む。前線に向かうことを知っているので、彼女たちは最長の勤務時間を望む。その代わり、彼女たちが仕事を怠ける動機を持っていることを知っているので、経営者は女性が一生懸命働くような契約の枠組みを必要とした。女性と売春宿経営者は、表面的には相反する要求を満たすため、(ⅰ)かなりの額の前渡し金と(ⅱ)充分な収入をあげた場合の年季の短縮を組み合わせた年季契約を結んだ。
なお、マーク・ラムザイヤー教授は1993年にも日本の性産業に関する論文を書いています⇒芸娼妓契約 -性産業における「信じられるコミットメント (credible commitments)
ただし、いつの世もルールを逸脱する者は出てくるものです。そのような事態に対して日本政府・軍は何もしなかったのかというと、決してそうではありませんでした。
「恰も軍当局の了解があるかの如き言辞を弄する者」への取締り
【内務省発警第5号 昭和13年2月23日 支那渡航婦女の取締に関する件】では、「恰も軍当局の了解があるかの如き言辞を弄する者も最近各地に頻出しつつある」と書かれており、無関係の女衒・業者が政府・軍関係者を騙る例があったことが分かります。
婦女売買に関する国際条約(【婦人及児童の売買禁止に関する国際条約】とその一部修正をした【醜業を行わしむる為の婦女売買禁止に関する国際条約】)に反することの無いよう、当時の日本政府が政治リスクを考慮していたことが分かります。
日本政府は既に性産業に従事していた女性だけを選ぶようにし、年齢制限や身元確認をするなどの規則を作っています。
さらに、慰安所には軍が定めた運営守則がありました。
反日種族主義/李榮薫慰安所には多様な形態がありました。軍が直接設置して運営したものもありますが、ほとんどは民間の業所を軍専用の慰安所に指定し、管理する形態でした。
~中略~
慰安所内では飲酒や放歌などは禁じられていました。慰安婦に対する乱暴な行動は取り締りの対象でした。慰安所の入り口で許可証を見せて花代を支払うと、店主が避妊器具のサックを支給しました。サックの着用は義務事項でした。慰安婦たちは定期的に性病検診を受けなければならず、月二回の休日以外は、むやみに外出することはできませんでした。店主は、毎月定期的に所定の様式に従って、業所の営業状況を軍に報告しなければなりませんでした。その際、慰安婦別収支まで詳しく報告されました。
日本軍慰安婦は日本や朝鮮の私娼・公娼制が背景にあり、また、戦後の朝鮮半島においても同様の制度が韓国軍慰安婦・米軍慰安婦などの形で存続していました。*8
朝鮮人慰安婦の方が相対的に安い賃金でしたが、それは日本兵が日本人慰安婦を好むという需要の関係や、内地と朝鮮半島の物価の関係からでした。*9
公娼や私娼に多かった芸娼妓契約は民法上は民法90条の公序良俗違反で無効という扱いですが*10*11*12*13、契約自体が無かった事にはなりません。酌婦稼働契約の当事者として意思ある人間として扱われていました。
日本軍慰安婦が標準として芸娼妓契約ということではありません。基本的には酌婦と管理者のニ者間の契約ですが、他の公娼や私娼のように、中には親から売られた者も居るということ。軍として芸娼妓契約を推奨したのではなく、ブローカーがやった例があると考えられるというだけで、制度としてそういう形態だったわけではありません。そのブローカーには内地の人間も朝鮮半島の人間も居ました。
日本軍将校が私設の慰安所を上官に隠して勝手に設置した事が露見した例として「スマラン慰安所事件」がありますが、同慰安所は閉鎖を命じられており、将校の個人的犯罪であるとして扱われています。*14
さて、ここまで戦前の当時のルールと実態を照らし合わせてきましたが、戦後のルールや独自のルールを押し付けるという工作、日本に対する差別的取扱いが種々の主体から為されて来ました。
クマラスワミ報告マクドゥーガル報告書の欺瞞:戦後の法を遡及適用
その代表例が1996年に出された【女性のためのアジア平和国民基金編「クマラスワミ報告書付属文書Ⅰ」:女性に対する暴力ー戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書ー】*15です。
日本政府はクマラスワミ報告*16*17に対して反論しています*18
自由権規約委員会の総括所見(CCPR/C/JPN/CO/6)に対する日本政府コメント
委員会勧告パラ14に対する回答-慰安婦問題
~省略~
30.最後に,そもそも,自由権規約は,日本が同規約を締結(1979年)する以前に生じた問題に対して遡って適用されないため,慰安婦問題を同規約の実施状況の報告において取り上げることは適切でないというのが日本政府の基本的な考え方である。また,同規約委員会の総括所見にある「性的奴隷」との表現については,日本政府として,1926年の奴隷条約の奴隷の定義について検討したが,当時の国際法上,奴隷条約第一条に規定された「奴隷制度」の定義に鑑みても,慰安婦制度を「奴隷制度」とすることは不適切であると考える。
要するに、遡及適用できないものを遡及適用するという不適切な手法で過去を断罪しているということです。ここで書かれていることと同趣旨の反論文が別途、国連に提出されていますが、WEB公開はされていません。*19*20*21
いわゆるクマラスワミ報告に対する日本政府反論書に関する質問に対する答弁書:答弁本文:参議院平成二十八年六月二日
一について
国際連合人権委員会が任命したクマラスワミ特別報告者による報告書(以下「クマラスワミ報告書」という。)が、平成八年二月に、国際連合に提出されたことを受け、我が国は、同年三月に、クマラスワミ報告書に対する日本政府の見解等(以下「反論文書」という。)を取りまとめ、同委員会の構成国を中心とした各国(以下単に「各国」という。)に対して働きかけを行うとともに、国際連合に提出したものである。なお、同委員会において「女性に対する暴力撤廃」と題する決議が、同年四月に採択されたが、その過程において、当該決議の案文がクマラスワミ報告書に言及していることから、我が国の立場についてできるだけ多数の国の理解を得ることを目指し、我が国が、同年三月に、各国から詳細すぎると指摘のあった反論文書に替わるものとして「女性に対する暴力及びいわゆる「従軍慰安婦」問題に関する日本政府の施策」と題する文書を改めて作成し、各国に対して働きかけを行うとともに、当該文書を国際連合に提出した結果、当該文書が国際連合の文書として配布されたところである。
二について
反論文書の公開の是非については、引き続き慎重に検討しているところであり、お答えすることは差し控えたい。
続く1998年に国連人権委員会差別防止と少数者保護小委員会から出されたマクドゥーガル報告書と言われている【現代的形態の奴隷制:武力紛争下の計画的レイプ、奴隷制、奴隷に近い状況 特別報告者ゲイ・J・マクドウーガル氏による最終報告書 付属文書 第二次大戦中に設けられた「慰安所」に関する日本政府の法的責任の分析】*22*23については、さらに数々の事実誤認に基づき荒唐無稽な主張が繰り出されました。
日本軍の兵士が慰安所を利用することをレイプを読み替え、これをハーグ条約*24に反する戦争犯罪であるという主張です。
この主張については財団法人女性のためのアジア平和国民基金も批判しており、*25「慰安所をひとしく「レイプ・センター」と呼ぶことも当を得ません」「あげられた数字はすべて荒船氏が勝手にならべた数字*26なのです。国連機関の委嘱を受けた責任ある特別報告者マクドゥーガル氏がこのような信頼できない資料に依拠したのは、はなはだ残念なことです」と、事実の面でも評価の面でも誤りであると指摘しています。
日本政府もサンフランシスコ平和条約でこの問題は解決しているという認識で、マクドゥーガル報告は歯牙にもかけていません。*27
慰安婦問題について、現在では外務省も「強制連行・性奴隷・慰安婦数十万人は史実に反する」という主張をHP上に掲載するなどしています。
吉見義明の性奴隷説「4要件:居住・外出・廃業・接客拒否の自由」の大欠陥
吉見義明氏が【「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実】において「広義の強制性」という造語を持ち出して慰安婦制度を悪としようと試み、それが失敗すると後に「慰安婦は居住・外出・廃業・接客拒否の自由が無い性奴隷である」、という珍説を提唱し始めました。
しかし、軍慰安婦とは「戦地に付いて行っている」状況です。ここから考えると、居住については自由が無いのは当然だし(宿舎を出るメリットが無い)、外出もそのような状況に付帯した制約下にあるのは必然、廃業もいつでもどこでもという訳にもいかず、接客拒否の自由も売春だから限定的なのは職業内在的と言え、客の規則違反行為については拒否できていたと考えられます。戦況によって不可抗力的にこれらが行えない状況になることだってあり得ます。
そうした状況を考慮した上で、「居住」以外の自由は存在していたと評価できることが【米国戦争情報局の心理戦作戦班日本人捕虜尋問報告書】から見て取れます。
秦郁彦によれば、吉見はさらに4要件の内の1つでも自由が無ければ奴隷だとでも言わんばかりの態度であったようですが、そもそも、「居住・外出・廃業・接客拒否の自由」のいずれかまたは複数が無い職種などいくらでもあり、このような判定方法では世界中が奴隷だらけになってしまいます。マグロ漁船従事者などどうなるんでしょうか?
歴史学上の一定年代における奴隷の要素の話は別問題:実社会とは乖離した分析
例えば歴史学者の岡美穂子氏のブログでこのような記述があります。
ここで言及されている裁判では「慰安婦は性奴隷か否か」は判断していませんが、歴史史料上で奴隷と叙述されていた者の境遇を分析すると、一般に想像されているようなものよりもかなり幅広いものである、という指摘はその通りです。
16~17世紀の歴史の研究者である岡氏が「歴史学上の奴隷の概念」とやらに照らして裁判所の判決について怒りを示すことは、それ自体はどうでもいい。そのような考え方は実社会とは隔離されたものである、という常識が重要なだけです。近代的な人権概念に基づいた国家運営が為されていなかった17世紀までの認識を20世紀に当てはめるというのもおかしな話です。
現実世界では本稿の序盤に示したような国際法に照らして国家主体は動き、外交におけるオフィシャルの見解を構成しますし、現代の日常の国語とも乖離した実態を想起させる表現をすべき理由はありません。
まとめ:政府オフィシャル・外交上は国際法に基づき議論しているので民間も倣え
日本軍慰安婦は出身が内地であれ朝鮮半島や台湾であれ、ほとんどが当時の日本国民でした。*28*29慰安婦問題を語るとき、この視点は忘れてはなりません。*30
本稿で示したように、政府オフィシャル・外交上は国際法に基づき議論しています。
民間もこれに倣えば良いと思いますし、具体的な慰安婦の状況を示した史料もWEB公開されているもので多数あるのだから、それを用いて理論武装していけば良いのではないでしょうか。
以上:はてなブックマークをお願いします
*2:1953年に改正され1955年7月7日の議定書によって発効⇒Protocol amending the Slavery Convention New York, 7 December 1953
*3:1926年の奴隷条約の改正条約 Slavery Convention, signed at Geneva on 25 September 1926 and amended by the Protocol | 人権に関するデータベース | 人権ライブラリー
*4:https://treaties.un.org/doc/Publication/UNTS/LON/Volume%2060/v60.pdf
*5:慰安婦の境遇の標準として「強制連行」は無かったというのは大前提。そのような被害を被った者が居たのは事実だが、日本軍が制度としてそのような行為をしていた事実は無い。
*6:http://jscfh.org/wp-content/uploads/2020/03/%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AE%B6%E6%97%8F%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6_06-01%E5%B1%B1%E4%B8%AD.pdf
*7:内地出身日本人女性も意思に反して連れ去られる例があり社会問題化していた⇒共同通信ヘイト問題取材班 「歴史改ざん主義者に対する抵抗」「慰安婦文書を掘り起こした」 - 事実を整える
*8:反日種族主義 李栄薫233頁「日本軍慰安婦制度は、一八七〇年代に日本が施行した公娼制を土台にして生まれたものです。その公娼制が、一九一六年に挑戦に移植されました…朝鮮王朝時代に女性に強要された貞操律は、あくまでも両班身分の女性が対象でした…賤民身分の女性たちは、両班身分の男性たちから至るところで性暴力を受けていました。日本から移植された公娼制は、このような性支配の歴史を土台にして根づき、発展したのです…さらに、日本軍慰安婦制度は一九四五年の日帝の敗亡と共に跡形もなく消え去ったのではありません。慰安婦制度は一九六〇年代まで、韓国軍慰安婦、民間慰安婦、米軍慰安婦の形で建材であり、むしろ発展しました。」
*9:反日種族主義 李栄薫262頁「朝鮮人慰安婦の総数は、おおよそ三六〇〇人でした。一九四一年、国内で活動した娼妓、酌婦は九五〇〇人でした。満州、台湾、日本、中国で活動した娼妓などもその程度で、全て合わせて一万九〇〇〇人でした。そのうちの三六〇〇人が日本軍慰安婦でした。…多くの研究者が指摘しているように、慰安婦制は、公娼制を後方部隊とし、その一部を前方に配置したのと同様なものでした。」
*10:『①女性と雇用主の「酌婦稼働契約」+②親と雇用主の前借金=「金銭消費貸借契約」を親と雇用主とで取り決めていた。』
*11:大審院大正10年9月29日判決:ただし、①と②は独立関係という建付けだった。
*12:最高裁第二小法廷昭和30年10月7日判決で①と②は対価関係、密接不可分であるから、①が無効なら全体が無効になる、とされた。
*13:芸娼妓契約の法的効力 山中至 http://jscfh.org/wp-content/uploads/2020/03/%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AE%B6%E6%97%8F%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6_06-01%E5%B1%B1%E4%B8%AD.pdf
*14:慰安所の設置は要請されていたが、ガイドラインを無視したものだったため公的なものではないということ
*15:REPORT OF THE SPECIAL RAPPORTEUR ON VIOLENCE AGAINST WOMEN, ITS CAUSES AND CONSEQUENCES, RADHIKA COOMARASWAMY, SUBMITTED IN ACCORDANCE WITH COMMISSION ON HUMAN RIGHTS RESOLUTION 1995/85.
*16:厳密には「クマラスワミ報告書」は「付属文書」とは別個の本体のものか、両者を含めた全体を指す。日本にとっては「付属文書Ⅰ」がクマラスワミ報告書と呼ばれることが多い。この切り分けは外交的には重要な意味を持つ。
*17:REPORT OF THE SPECIAL RAPPORTEUR ON VIOLENCE AGAINST WOMEN, ITS CAUSES AND CONSEQUENCES, RADHIKA COOMARASWAMY, IN ACCORDANCE WITH COMMISSION ON HUMAN RIGHTS RESOLUTION 1994/45.
*18:クマラスワミ報告の主張が取り入れられた自由権規約委員会の総括所見(CCPR/C/JPN/CO/6)に対する日本政府コメント⇒https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000101437.pdf
*19:第187回国会 衆議院 外務委員会 第2号 平成26年10月15日
○岸田国務大臣 まず、御質問のクマラスワミ報告書ですが、一九九六年二月に国連に提出をされました。そして、我が国は、翌三月、一九九六年三月に、日本政府の見解等を取りまとめた文書を作成し、国連に提出をしました。
そして、その後に、同報告書に言及する、女性に対する暴力撤廃と題する決議が国連人権委員会において採択されることになりました。この採択に当たっては、このクマラスワミ報告書を歓迎するという肯定的に捉える決議になるか、あるいは単にこの報告書に留意するというふうにとどまる決議になるか、これが問われた次第であります。
そして、我が国としましては、各国に説明する際に、我が国が提出した、先ほど申し上げました一九九六年三月に提出した文書が詳細過ぎるという指摘を受けて、我が国の立場についてできるだけ多数の国の理解を得ることを目指して、簡潔な文書を改めて作成し、国連に提出をしました。
結果としまして、各国の理解を得て、同報告書に留意するという表現にとどまる決議におさまったというのがいきさつでありました。
こういったことから、先ほど申し上げました前者の文書、詳細過ぎるという指摘をされた文書については、非公開にという扱いにとどまったというのが経緯でありました。
そして、その判断は誰が行ったのかということでありますが、当時の状況を外務省として総合的に判断し、決定をしたものであると認識をしております。
*20:再提出された口上書⇒https://www.awf.or.jp/pdf/h0002.pdf
*21:それを受けた後の決議⇒https://documents.un.org/doc/undoc/gen/g96/132/30/pdf/g9613230.pdf?OpenElement
*22:Systematic rape, sexual slavery and slavery-like practices during armed conflict Final report submitted by Ms. Gay J. McDougall, Special Rapporteur
*23:日本に関してはやはり「付属文書」とされる部分の問題だが、文書は分かれておらず上掲文書のAppendixに書かれている内容。
*24:裁判所は「ヘ―グ陸戦条約」と呼ぶこともある:平成14年3月29日判決言渡平成8年(ワ)第3316号⇒https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/842/005842_hanrei.pdf
*25:https://www.awf.or.jp/pdf/0169.pdf
*26:ラムザイヤー論文非難「慰安婦75%死亡」主張の根拠ページに「数字はデタラメ」と明記 - 事実を整える
*27:第155回国会 参議院 内閣委員会 第2号 平成14年11月5日○政府参考人(渥美千尋君)128 渥美千尋
*28:日本政府の調査では他に中国人、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人が居た。