事実を整える

Nathan(ねーさん) ほぼオープンソースをベースに法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

京都府警、京アニ事件被害者の実名公表:遺族の了承得てなかった

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京都アニメーション放火事件の被害者の氏名が公表されました。

京都府警の説明を見ると、本当に酷い話だと思ったので思いの丈をまとめました。

京都府警の説明:過剰な取材を抑制するため?

京都府警の説明については、メディアで内容がバラバラに伝えられている印象です。

なので、見聞きしている媒体によっては異なった印象になる人もいるかもしれません。

私が見た記事での京都府警の説明は以下のようなものでした。

京アニ放火事件で残る25人の犠牲者氏名、京都府警が明らかに : 京都新聞

府警は27日の公表について「最後の葬儀を終えたタイミング。事件の重大性、公益性、報道機関による過剰な取材を抑制する意味からも実名を提供することとした。警察から公表したのではなく、従前通り、報道機関への情報提供だ」としている。

「報道機関による過剰な取材を抑制」って、被害者の実名を公表したら、取材・報道はもっと多く行われるでしょ?「京都アニメーション」への負担を抑制することには決してならないでしょう。

ですから、ここでの「過剰な取材」は京都府警や警察関係者への取材を指すとしか思えません。警察への取材がウザいからってその負担を遺族に押し付けたということです。

また、「警察から公表したのではない」とも言っているようです。

たしかに京都府警察/ホームを見るとこのページで公表しているわけではありません。

批判をかわそうとするためにこんな理屈を持ち出しているとしか思えず、それ自体が非難の対象だという事すら分からないのでしょうか?

 

遺族の了承を得ていなかった:メディアとの関係を優先?

今回の25名は遺族の多くが実名公表に反対している中、了承を得ないで行われたようです。過去に報道した10名は了承を得たから公表されたのであって、今回のものとは異なります。

被害者の実名公表をしなければならない法令は存在しません。

また、実質的にも、今回の事件で被害者の実名を公表することで「事件の真相がわかる」などということは考えられないので、必要性がないことでしょう。

なお、被害者25名の実名を記載しているNHKの記事では以下書かれています。

京都府警の西山亮二捜査1課長は事件発生から40日がたって25人の名前を公表したことについて、「大変凄惨(せいさん)な事件で、関係者の精神的なショックも極めて大きいことから、ご遺族や会社の意向を丁寧に聞き取りつつ、葬儀の実施状況を配慮して慎重に検討を進めてきた。社会的な関心が高く、事件の重大性や公益性などからも情報提供をすることがよいと判断した」

単にメディアの攻勢に負けただけでしょ?

メディアとの関係を崩したくなかったんでしょ?

警察はメディアと組んで情報を一定程度コントロールしています。

そのすべてが悪いことなのか、正直私には分かりません。

しかし、本件のような事案において警察がメディアとの関係に配慮したというなら、それは完全に間違いだと思います。

メディア「匿名だと充実した記事が書けない」

少し前にはメディアは「匿名だと充実した記事が書けない」 という趣旨の主張をしていました。これが本当なら、記者や編集の能力不足としか言いようがない。

嘘を付くのもいい加減にしてほしい。

犯人が「匿名」「氏名非公表」の報道を、今まで散々してきたじゃないですか?

京都アニメーション事件と他の事件との不均衡さ

 

被害者は「社会的に注目を集めた事件だから」などと言って実名報道をするが、一部の事件ではそういう場合であっても「加害者」の名前を公表したり、被害者が居ない事件でも「犯人」の氏名を(公表はされているだろうが)報道しない例は山ほどありますよね?

この不均衡はどう説明するのでしょうか?

 

メディアはエンターテインメントとして消費しようとしてる

甲子園のある試合の中継で、京都府代表のチームのブラスバンドにインタビューしている場面がありました。

そこで、なぜか関係の無い京都アニメーションの事件を持ち出して「あのような事件がありましたが、その分も…というお気持でしょうか?」などと質問していたのです。

生徒は聞かれたのでそうですね、その分も…と言っていましたが、明らかに場違いな質問でしょう。

こんな感じでメディアはエンターテインメントの要素として消費しようとしてるのがありありとみてとれたので、今回の実名公表によってまたエンタメとして時間を使って報道するでしょう。

「実名公表と遺族への取材の話は別々に考えるべきだ」

こういう指摘はありますが、どう考えても遺族への取材の負担が増えることになるでしょうから、両者は切り離せない問題です。

警察庁が京都府警に要請するまでは、京都府警は葬式が終わる前に実名公表する予定でしたからね。

まとめ

今回の公表によって、先に実名公表されていた被害者の遺族の方への取材の負担は減るかもしれません。ただ、それはメディア側の都合として人的資源が別の遺族の方へ向けられることによって起きるであろう副次的な効果であって、決して遺族の意思に反した公表を正当化できるものではありません。

これまでは自動的に事件の被害者の氏名が公表されるものだという運用がなされてきており、メディアとの関係もその前提で成り立っているのだとすれば、まさにそういう慣習を変えるべきなんじゃないでしょうか?

被害者遺族が非公表を求めていて、公表することが事件の解決に影響を与えない場合には、公表は違法かつ不当な行為として扱われるべきではないでしょうか?

以上