事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

【旧皇族・旧宮家】皇籍離脱者の皇籍復帰の先例・前例:歴史上の臣籍降下と復帰の事例

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旧皇族の皇籍復帰に関連して歴史上の先例との関係がどうなのかについてまとめます。

旧皇族の皇籍離脱と歴史上の臣籍降下から皇籍復帰の先例

臣籍降下(皇籍離脱)と皇籍復帰についてはウィキペディアソースですがこちらがコンパクトにまとまっています。

臣籍降下から皇籍復帰した過去の先例

臣籍降下してから皇籍復帰した先例は15例はあるようです。

その多くは天皇の近親者ですが、中には世襲親王家の者など遠縁の者も居ます。

代表的な例を挙げていきます。

源朝⾂定省から復帰した宇多天皇

宇多天皇は光孝天皇の第七皇子でしたが、884 年に源姓を賜って⾂籍降下しました。

その後887 年復帰して同年に即位しています。

出生時から臣籍:源朝⾂維城から復帰した宇多天皇の子の醍醐天皇

醍醐天皇は宇多天皇が臣籍降下時に生まれた子であり、源朝⾂維城を名乗りました。

⽗の皇籍復帰に伴い⾃⾝も皇族となり、後に践祚することとなりました。

源忠房:忠房親王の例

弘安8年(1285年)の生まれと言われる源忠房は順徳天皇の曾孫でありながら⾂籍として⽣まれましたが、文保3年(1319年)に後宇多上皇 の猶⼦となって親王宣下を受けることで皇籍復帰しています。

父親の源彦仁(彦仁王)は永仁2年(1294年)に源朝臣の姓を賜与され臣籍降下し、皇籍復帰はしていません。

伏⾒宮邦家親王の子、藤原家教

藤原朝⾂家教は、世襲親王家の伏⾒宮邦家親王の第15王⼦。

崇光天皇からの世数の隔たりは15世です。

1872 年降下・1888 年復帰後、同年に再降下しています。

旧宮家の皇籍復帰に対する皇室典範に関する有識者会議の報告書

旧宮家の皇籍復帰に対しては、平成17年の皇室典範に関する有識者会議においても検討がされました。

しかし、報告書では以下の理屈で拒絶しています。

(補論)旧皇族の皇籍復帰等の方策〔参考16〕
 男系男子という要件を維持しようとする観点から、そのための当面の方法として、昭和22年に皇籍を離れたいわゆる旧皇族やその男系男子子孫を皇族とする方策を主張する見解があるが、これについては、上に述べた、男系男子による安定的な皇位継承自体が困難になっているという問題に加え、以下のように、国民の理解と支持、安定性、伝統のいずれの視点から見ても問題点があり、採用することは極めて困難である。

・ 旧皇族は、既に60年近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される。皇族として親しまれていることが過去のどの時代よりも重要な意味を持つ象徴天皇の制度の下では、このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる。

・ 皇籍への復帰・編入を行う場合、当事者の意思を尊重する必要があるため、この方策によって実際に皇位継承資格者の存在が確保されるのか、また、確保されるとしてそれが何人程度になるのか、といった問題は、最終的には個々の当事者の意思に依存することとなり、不安定さを内包するものである。このことは、見方を変えれば、制度の運用如何によっては、皇族となることを当事者に事実上強制したり、当事者以外の第三者が影響を及ぼしたりすることになりかねないことを意味するものである。

・いったん皇族の身分を離れた者が再度皇族となったり、もともと皇族でなかった者が皇族になったりすることは、これまでの歴史の中で極めて異例なことであり、さらにそのような者が皇位に即いたのは平安時代の二例しかない(この二例は、短期間の皇籍離脱であり、また、天皇の近親者(皇子)であった点などで、いわゆる旧皇族の事例とは異なる。)。これは、皇族と国民の身分を厳格に峻別することにより、皇族の身分等をめぐる各種の混乱が生じることを避けるという実質的な意味を持つ伝統であり、この点には現在でも十分な配慮が必要である。〔参考17〕

有識者会議報告書の記述に対していくつか指摘していきます。

60年・70年近く一般国民として過ごしていることは理由にならない

おそらくこれは皇籍離脱当時に御存命であった旧皇族の方を指して言っているのだと思いますが、「民間の垢にまみれた」が問題なら、まったくの民間人が嫁ぐことはどうして受け入れられるのでしょうか?

現実的には昭和22年の皇籍離脱当時の方ではなく、その子孫たる旧皇族の方が皇籍復帰の対象になると思われますが、臣籍として生まれて復帰した例があるので無視できます。

もっとも、皇族としての教育を受けていないことが、復帰後の公務に対する不安要素として挙げられることがありますが、それが問題なら幼年者を皇族の養子・猶子という形で復帰させればよい。養子は現行典範では禁止されているが改正すればよろしい。

「600年遡ること」は関係ない

後桃園天皇崩御の際、伏見宮家の者が次代の候補に上がり、議論紛糾しました。

結局は閑院宮家の光格天皇が即位しましたが、数百年遡ることが問題なら議論するまでもなかったハズです。

天皇が1000年続いた頃の継体天皇が200年以上遡って即位したのなら、天皇の御代が2680年続いた現在において600年以上遡ることは何ら差し障りが無いでしょう。

「皇族として親しまれていることが過去のどの時代よりも重要な意味を持つ象徴天皇の制度」という妄想

現在の天皇・皇室が、過去のどの時代よりも一般国民から親しまれているということは事実でしょう。

しかし、天皇・皇室の価値は、国民から親しまれている事とは歴史上、無関係です。

憲法上も、象徴天皇の制度という建前を採っているから国民に親しまれることが求められている、というわけではありません。

それは一部の憲法学者が勝手に作り出したファンタジー学説でしかありません。

日本国憲法施行後の歴代天皇が国民に親しまれるように努めて来られた結果であり、憲法上の要請ではありません。

「旧皇族の当事者の意思がないとダメだ」という謎理論

「旧皇族の方が復帰の意思を示さないと意味がない」と言われますが、少なくとも復帰の意思を生じさせることへの障害を除去する義務が日本政府にはあるでしょう。

それをやらないで、何らの制度保障もしていない段階で「復帰する意思があるか?」と問うても全く無意味です。

実際は旧皇族が一致団結して、マスメディア等に対しては皇籍復帰の意思については「回答しない」という方針が採られていました。

「旧皇族(旧宮家)は復帰の意思は無いと回答」「旧皇族復帰は竹田恒泰が皇族になる」という話の実際 

過去の皇籍復帰の事例で、「自分から復帰を願い出て復帰させてもらった」のような事ってあるのでしょうか?仮にあったとしても超例外事例ではないでしょうか?

「歴史上の皇籍復帰の事例は旧宮家の事例とは異なる」として無視して良いのか

報告書はなぜか天皇になった二例だけを持ち出していますが、既述の通り皇籍復帰した事例は15例以上あります。

その中で宇多天皇と醍醐天皇が即位したというだけの話であり、「皇籍復帰+即位」という限定をかけて「先例か否か」を判定する意味が分かりません。

  • 皇籍復帰した例⇒あり
  • 臣籍に生まれた者が皇籍復帰した例⇒あり
  • 天皇の近親者でなくとも皇籍復帰した例⇒あり
  • 親が皇籍復帰せずとも皇籍復帰した例⇒あり
  • 皇族が天皇になった例⇒当たり前にしてあり

条件を混在させると訳がわからなくなりますが、このように整理すれば、先例とまったく抵触しないと言えるでしょう。

たしかに旧皇族は先例よりも特殊な状況にあると言うことはできます。

ただ、それは皇籍復帰を何が何でも拒まなければならない理由になるのでしょうか?

男系継承を「維持」するための方策を議論しているのに、なぜ「男系継承側」が積極的に理由を示さなければいけない、ということになっているのでしょうか?

現状変更を求める者に理由を示す義務があります。

なぜそれを逆転させているのか理解に苦しみます。

「先例としては厳密には当てはまらない」 のが悪いことであるならば、まったく先例のない女系天皇や女性宮家がどうして優先的に選択されるのでしょうか?

皇室制度に関する有識者ヒアリング「戦前に臣籍降下した旧皇族との区別はどうする?」は可能

平成24年に「皇室制度に関する有識者ヒアリング」が設定され、この際も平成17年の場合と同様の指摘がありました。

一例として「血筋を重視する考え方に立つならば、戦前に臣籍降下した旧皇族(例
えば昭和 18 年の久邇宮多嘉王の三男)との区別をどうするのか。」というものがありました。

そんなものは「一緒に考える必要はない」で終わりです。

おそらくこの懸念を示した論者は「11宮家すべてを復帰」させることを念頭に置いているようですが、その場合であっても、戦前に降下した者はそのまま臣籍に置くとしても何が差し障りがあるのか、まったく分かりません。

安倍総理は「11宮家全部の復帰」を考えていないだけ

【新元号】安定的な皇位継承の確保を検討 男系継承を慎重に模索(1/2ページ) - 産経ニュース

(旧11宮家の皇籍離脱は)70年以上前の出来事で、皇籍を離脱された方々は民間人として生活を営んでいる。私自身が(連合国軍総司令部=GHQの)決定を覆していくことは全く考えていない

 安倍晋三首相は、3月20日の参院財政金融委員会でこう述べた。これが首相が旧宮家の皇族復帰に否定的な見解を示したと報じられたが、首相は周囲に本意をこう漏らす。

 「それは違う。私が言ったのは『旧宮家全部の復帰はない』ということだ

 また、首相が女性宮家創設に傾いたのではないかとの見方に関しても「意味がない」と否定している。

 一時期、安倍総理が「旧宮家の皇籍復帰はない」と言ったと騒がれましたが、産経新聞によれば、実際には「11宮家すべての復帰」は考えていないという意味のようです。

現状、この発言よりも3月20日の「全く考えていない」という言葉が検索上位に来ていますし、多くのメディアは「旧宮家全部の復帰はない」については無視しています。

まとめ:臣籍降下後に皇籍復帰した前例はある

  1. 臣籍降下した者の皇籍復帰の事例は存在する
  2. 旧皇族の事例に当てはまらないとは決して言えない
  3. 先例が「ゼロ」の女系天皇や女性宮家を優先的に検討する根拠がない
  4. 安倍総理はすべての旧皇族の復帰を否定しただけで完全否定したわけではない

なんとな~く「旧皇族の復帰は先例がなさそうだな」「政府の偉い人が否定的だな」と思わせるような情報が拡散されています。それで国民の気分を誘導しようとしているのがミエミエですので、反対言論が必要でしょう。

以上