小説家の松井計 氏が自白したツイートが削除されました。
松井計「私の周辺ではリベラルでないと人間扱いされません」
松井計 氏のツイッターでは稲垣吾郎氏に関する記事を引用しつつ「私の周辺ではリベラルでないと人間扱いされませんが…」などとツイートしていました。
これに対して「自白した」「単なる排他主義者」などといった批判ツイートが相次いでおり、日本時間の10時~12時の間に削除された模様です。
リベラルの意味とは
リベラルにあらずんば人にあらず、を公言するひとがリベラルを自称している不思議 https://t.co/ufAa70jrQB
— 夢見るスナフキソ (@SnufkinOnDream) 2020年1月16日
リベラルじゃないと人間扱いしないとかリベラルの意味もう一回考え直してきてくださいって言いたくなるような地獄だな… https://t.co/LCUi630Uyh
— ミヤトトロ@サラダバーおじさん (@miyatotoro1) 2020年1月16日
リベラルという言葉には「個人の自由や多様性を尊重する 」という含意があります。
松井氏はその言動から自身もリベラル側であると考えていると思われ、彼の周辺ということはその人たちもリベラルな人だということを意味すると思われます。
最近、私に「松井さんはレフトですよね」という人が多いんで吃驚する。私がレフトに見えるようじゃ世も末、社会が極端に右傾化してる証拠ですよ。私はライトではないがレフトとは言えない。ただのリベラル。経済理論なんかケインズで止まってるし(笑)
— 松井計 (@matsuikei) 2010年12月10日
私の場合ですと、特にリベラルであることに価値を見いだし、そうしているというわけではなく、自分の価値観に従って生活したり、発言したりしてると、どうやらそれがリベラルに分類されるようだ、という感じですね。 https://t.co/rbnZEEUAEG
— 松井計 (@matsuikei) 2019年8月30日
今回の都知事選で1つ驚いた事がある。事後、私の周辺の人に色々と訊いてみたところ、普段はリベラル勢に投票してる人の中にも、今回、小池さんに投票した人がかなりいた事。これにはちょっと驚きました。全体的に、彼女に対して、そういう印象を持った人が一定数あった、ということになりそうですよ。
— 松井計 (@matsuikei) 2016年8月2日
なので、彼の発言はリベラルという言葉に真っ向から矛盾するものであり、削除したのは当然だと思います。彼の用語法だとリベラルであるならば周辺の人間がリベラルでないと人間扱いしないということで個人の自由や多様性を尊重しないことになります。
リベラルの意味をもっぺん、考え直したほうがいいんじゃないのか?
— 松井計 (@matsuikei) 2019年9月29日
松井計 氏はリベラルに関するツイートが膨大
松井計氏のツイートで「リベラル」と発言しているものは膨大な数に上ります。
だって、リベラルな人のほうが話してて楽じゃありません? ムチャで乱暴なことは仰らないし、歴史や政治についてもきちんと理解なさってて、おかしげな歴史観に、ええと、それはどこで学ばれましたか?と魂消ることもないし……。穏やかに時を過ごせますよね。
— 松井計 (@matsuikei) 2020年1月15日
「リベラルな人のほうが話してて楽」
さっきの朝日の事を書いてたネットニュースで、リベラルは上から目線だから嫌われた、てのがあったでしょう?そうかしら?ツイッターで上から目線で罵ってくるのは大抵、右派だよね。お前だとか、どうせ~だろう、だとか、wwだとか。私はリベラルの人と話してて上から目線だと感じたことは皆無だね。
— 松井計 (@matsuikei) 2014年11月9日
「私はリベラルの人と話してて上から目線だと感じたことは皆無だね」
しかし、これは2年後に覆ることに
そういえば前に、リベラルの活動家として知られる若い男から、〈あなたがいつもウルトラマンの事ばかり考えてるということはよく分かりました〉なんぞという侮蔑を受けたこともあったな。それと今回の事とを合わせて考えると、ネット国士の皆さんと、1部のリベラルは極めて似た心性なのかもしらんね。
— 松井計 (@matsuikei) 2016年6月9日
保守とリベラルは対立する概念ではない。リベラルと対立する概念は、国家主義であり全体主義であり独裁主義です。
— 松井計 (@matsuikei) 2017年9月29日
「リベラルと対立する概念は、国家主義であり全体主義であり独裁主義です。」
まったくその通りで、リベラルを自称する・或いは周囲が勝手にリベラル認定をしている者にリベラルの要素がまったくないということはあり得るので、不毛な分類でしょう。
以上