事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します

日本国紀の評価・評判、問題点と読み方のすすめと「隠しテーマ」

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何かと話題の百田尚樹の日本国紀。

形式面での批判が相次いでいることは承知していますが、作者の評価から離れた本書の「価値」と「攻撃力」について感想を述べていきます。

百田尚樹の日本国紀の目的:通説への異論を積極的に示す

本書はいきなり継体天皇の皇位簒奪説の見解を示します。
私は皇位簒奪説は違うと思っていますが「そういう推論がなされているのだな」と勉強になりました。

これには面喰った者も多かったようで、アレルギー反応を示す者が多発しました。

ただ、SNSを概観すると、それは本書が「保守の立場に貫かれて書かれているハズだ」という期待の元に読み進めた結果のように見受けられます。

本書は「一般に流通している見解に臆することなく疑問を呈する書」です。

通説と異なる学説の紹介、通説と異なる自説の見解を述べる箇所が所々に存在します。

たとえば関東大震災時の朝鮮人殺傷人数として司法省の「刑事事犯調査書」における233人という数字を示して6000人説に疑義を呈しているように、一般の歴史本・歴史教科書の記述に対しても積極的に否定している箇所があります。

多くの歴史本では、233人というベースとなる数字が示されていません。
※ただ、最近の中高の歴史教科書では「多くの人が殺された」という表現になっているものもある

その見解自体の信憑性はともかく、一般人が当たり前だと思っているであろうことや確定的事実であると思いこまれていた事柄に対して、百田尚樹が突っ込みを入れていく。

それを受けて調べる読者が出てくるという効果も期待しているのだろうと思います。
なお、皇室に対して如何なる批評も許さないという態度はこちらの記事のような建設的な主張をも封殺することになり、むしろ弊害が大きいと言えます。

歴史学界隈への攻撃:日本人の歴史を取り戻す

日本国紀には参考文献が無いから信用できない!

こう噴き上がる者が居ますが、歴史教科書には参考文献の記載は無いですし、一般の歴史本でも記載が無いか、主要参考文献の提示にとどまるものがそれなりにあります。

百田尚樹の新刊「日本国紀」に参考文献が載っていない件について - 事実を整える

通史の「正当な」歴史書ですら「事実のみを記載している」 ということはありません。

事実のみでは中学校の教科書のように「〇〇年、△△がありました」という出来事の羅列になってしまいます(それでも教科書には推論や評価は含まれている)。

参考文献が膨大に示されている通史の「正当な」歴史書においても、参考文献が示されていない文章中で、なぜそのような推論になるのか不明な箇所はいくらでもあります。

特に、朝鮮関係の記述においては日本が「悪者」であるかのような記述ぶりになっているなどその傾向が顕著です。

上記の関東大震災について言えば、数千人説を肯定する者は朝鮮人被殺者数においては証言を絶対的な根拠にし、朝鮮人による犯罪者数においてはただちに証言は信用できないとするダブルスタンダードがあります。 

そのような非合理的な推論が通説となっているということは多いのです。

歴史学界の問題点

「 韓国の徴用工問題の背後に広がる深い闇 ネット媒体も駆使して実態を伝えたい 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト

西岡氏は語る。
「60年代に日本の朝鮮統治は犯罪だったという研究が始まっているのです。その典型が『朝鮮人強制連行の記録』という朝鮮大学校の教員だった朴慶植氏が書いた本です。彼の弟子だった人が、いま東京大学の先生になったりしています」

歴史学界には、明らかに日本国の立場に立たない者が跋扈しており、世の歴史本にはそのような者による視点が多分に取り入れられているという現実があります。

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東京書籍 小学校社会科教科書 参照:http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7302.html

「朝鮮の人々のほこりが深く傷つけられました」

こんな評価はいったい誰の視点なのでしょうか?

当時の朝鮮は清の属国状態だったものを日清戦争の結果独立し、その後併合せざるを得ない状況になったのです。

そりゃあ朝鮮人の視点からすれば自主独立ができなくなったのですから悔しいだろうし、反骨心を持っていたとしても自然でしょう。

しかし、日本としてはそれが最善だと思って韓国を併合したのであって、そこに人道的不道徳があったかのような記述があるのは異常です。

歴史的「事実」についての説がどうであるか、ということ以外にも、このように「冷静な視点」を装いながら意味不明かつ歴史教育に不必要な「評価」があるのが歴史学界、歴史教育の現状です。

日本国紀自体では紙幅の関係で詳細な検討はできません。

しかし、本書によって初めて通説以外の考え方を知ることができた者が、通説に疑問を持ち、別の見解を調べ、自分で調査するということもあるかもしれません。

歴史学界の体たらくによって日本人の手から離れた日本の歴史を取り戻す。

日本国紀にはそのような行動を喚起する攻撃力があります。

歴史教科書、歴史学界の問題点の具体例

『最近「元寇」「蒙古襲来」という言葉は否定的なニュアンスがあるからモンゴルや中国に配慮して使わない流れになっている』という旨が日本国紀で触れられています。

「蒙古」については近代以降、日本国がモンゴルに配慮して公的には使用しないという選択を行ってきた経緯がありますが、文永・弘安の役当時の呼称はそうであったのであって、歴史用語として使用する分には正当です。
参考:百田尚樹『日本国紀』に書かれた「蒙古」 : モンゴル情報クローズアップ!

それを言うなら「倭寇」「倭国」という言葉も侮蔑の意味合いが含まれているので使用するべきではない、という話になるはずなのですが、そういう動きはありません。

こうした歴史用語に関するダブルスタンダードも日本国紀には書いてあります。 

日本通史をとにかく読ませる

日本国紀の記述ぶりは意外にもあっさりしています。

本書の構成は、日本通史を最初から最後まで「読ませる」ためにこのような書きぶりになっているのではないかと思います。

1ページあたりの文字数は学術的な書籍に比べれば少ないです。

文字を大きくしているためですが、「文量に圧倒される」ということがありません。

読者がどんどん読み進めようと思うことを企図していると感じました。

学校の教科書以外で日本通史を概観する機会を持っている人は希少でしょう。

書店での日本通史を扱っている書籍を探しても岩波・山川など多くは自虐的な視点での評価が入り混じっているものしかありませんから、こういう構成の本は貴重なのです。

また、世の「通史本」は通説や編著者の自説を軸に書かれているものがほとんどです。

通説に対して異論を唱えるためには本来、それなりの文量を割く必要がありますが、そうすると特定の主題を扱う書籍や限定された時代を扱う書籍にならざるを得ません。

教科書のように無味乾燥且つ日本ではない視点に立った記述があることによって、読み進めることや繰り返し読むことが苦痛なものではなく、一種の爽やかさを覚えながら読み進めることができます。

「自分に都合のよい見解しか知りたくない者が読むんだろう」

という声が聞こえてきますが、既に述べているように日本国が嫌いな者の見解が跋扈している状況下において、評価の違いでしかないもので嫌な気分になる書籍とそうでない書籍とどっちが読みたいですか?という話です。

また「内容が薄っぺらい」という評価をする者も居ますが、歴史書籍の価値を「情報量の多さ」でのみ測ろうとする狭量な視点に過ぎません。

通史を見渡すことで感得するものを伝える

SNSを見ると「歴史通」の人たちが細かい記述について「この記述が無い」「この説明は間違っている」とあげつらっていますが、その多くは『ぼくがかんがえたさいきょうのれきしほん」と違う!』という態度に過ぎません。 

枝葉末節に引っかかって読み進められないという人は読み方を変えるべきです。

ここで「通読すると何が見えるのか?」を明言することは本来控えるべきものですが、私が感得したものの一部は実は既に述べています。

歴史学界の闇の部分。

なぜそうなのかを示唆する記述が日本国紀の中に存在します。

それは12章「敗戦と占領」以降で明示的に言及されていますが、実は全編に渡ってちりばめられて書かれていることでもあります。

12章以降を読めば、それまでの内容がどうしてそうなっていたのかが氷解する。

そのあたりに本書の「一貫性」や「軸」「筋」を感じ取ることができるのです。

安能務韓非子との比較にみる日本国紀の評価

日本国紀の記述と歴史的事実との整合性について多くの者が検証をしています。

一部は正当な行為も含まれますが、多くは「作品の愉しみ方」を一面でしか捉えていないものが見受けられます。

たとえば、『百田の魏志倭人伝解説は「日本人は盗みをしない」と書いているが、原文は「日本人は盗みが少ない」という意味だ!間違っている!』というものです。

確かにその通りなんですがそういう読み方しかできないのって不幸じゃないですかね?

ここで、韓非子〈上〉 (文春文庫) 安能務を例にとります。

韓非子とは古代中国の思想家であり、彼の著作が「韓非子」とそのまま呼ばれています。これまでに夥しい数の韓非子本が出版されてきました。

ただ、安能氏の韓非子は、通常の韓非子本とは異なります。

原文+書き下し文+現代語訳+注釈のオーソドックスな構成ではなく、安能氏のストーリーに合わせて原文の一部の記述を抜き出し、独自の解釈を加えていくものです。

普通「本書はこういう意図で書かれており…」ということがまえがき等で触れられるハズですが、そういうものは一切なく、いきなり安能ワールドに引きずり込まれます。

一例を上げるとすると、下巻の最終節には、以下のように書かれています。

抱法処勢治
法を抱いて体制に処すれば、国は治まる
王も法を守らなければならない。法は王の上にある。

「抱法処勢治」の現代日本語訳が「法を抱いて体制に処すれば、国は治まる」ですが、「法は王の上にある」という部分は「膨らませて」いるというのが分かります。

こんな文章は通常の韓非子本にはありません。

「法は王の上にある」という思想は、韓非子の原文の理解からはかなり外れています。

さて、これを「そんなことは原文に書いていない!、安能はホラ吹きだ!」という読者が居るでしょうか?(笑)

百田尚樹氏の日本国紀に対しても、そのような性質の論評を加えている者が居ます。

「いや、百田自身が事実しか書いてないと言っていた!宣伝文句も日本通史の決定版と言っているのだからそういう読み方はしない!」と言う人が居るでしょうが、きっと真面目な人なんでしょう、と思う事にします。
ある程度は百田氏自身が撒いた種ですが

「隠しテーマ」

ここで言う隠しテーマは要は「ある外国・民族との付き合い方」です。

歴史上の失敗から示唆される日本国のあるべき方針が黙示的に示されています。

特にある国や地域、民族について言及しているという事は一読すれば分かるでしょう。

私は、この「隠しテーマ」はこれまで述べたものほど重要ではないと思いますが。

まとめ:評判に惑わされない日本国紀の読み方のすすめ

  1. 日本国紀は議論紛糾する話題に異論を示すことを厭わない
  2. 歴史学界の態度に対して分かりやすい形で問題点を指摘している
  3. とかく退屈になりがちな日本通史を読ませる事に力点がある
  4. 通史を見渡すことで感得できるものを伝えたい
  5. 日本国紀は12章以降からが本番(ただしそれまでの記述が重要)
  6. 書籍の愉しみ方は複数存在する
  7. 隠しテーマはとある外国・民族との付き合い方だがそんなに重要ではない

逐条的に一つ一つの記述の正確性や妥当性を検討する読み方も「アリ」です。

ただ、せっかく日本の歴史を古代から現代まで貫いて書かれた書籍なのですから、全体を俯瞰した読み込み方をすることをおすすめします。

これまで、歴史教科書等では退屈でそうした読み方ができなかった方も、日本国紀であればその「読ませる」記述ぶりによって俯瞰した読み方を体験できるでしょう。

そういう意味でも本書の価値は素晴らしいものがあると、私は思います。

以上