「立后」という言葉と制度について誤解があるので概念を整理します。
立后とは:正式に皇后を冊立する儀式
立后とは、歴史的には皇后を冊立することを意味します。
冊立とは、詔書を以って皇后であることを定め立てることです。
天皇との婚姻とは概念上一致するものではありません。
ようするに正式に皇后になることを意味します。
ただ、この言葉の意味内容については変遷があります。
江戸以前の皇后立后は婚姻を意味しない
皇室制度史料 (后妃 2) 68頁
皇后冊立の儀制の大綱は、貞観儀式の立皇后儀等に成文化されているが、立皇后の儀が比較的明らかになるのは、大宝令の施行後、最初の立后である聖武天皇の皇后藤原の安宿媛のとき以降である。続日本紀に拠ると、安宿媛を皇后となすとの詔が下され、其の十数日後、内裏に於いて、宣命体の詔書を以って立后の旨が宣布せられ、親王以下五位以上の官人に禄を賜った。ついで光仁天皇の皇后井上内親王の冊立…さらに桓武天皇の皇后藤原の乙牟漏、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子、淳和天皇の皇后正子内親王…
これらの儀はいずれも其の全貌を伝えていないが、内裏に於いて宣命体の詔書が下され、終って賜宴或いは賜禄があり、附属職司の官人が補任されるなど、貞観儀式の立皇后儀等に通じるものであったと思われる。
古来の制度においては、後に天皇となる皇族と婚姻していた者について、夫が天皇になった際には改めて立后の儀式が行われていました。
その儀式の内容についても時代によって変化があります。
ただ、南北朝から江戸時代前期まで、立后の儀式が中断していました。
後冷泉天皇の皇后藤原歡子は宣命宣制のことがなく、ただ宣旨を以て立后せられたのは「異例」であるとされています。
また、明治天皇の皇后の藤原美子の立后の儀においては明治維新後の国事が多数詰まっていた時期であったため、簡略化されていました。即日の立后の儀が行われましたが、詔書が下されていませんでした。それ以外は概ね旧来の儀礼が遵守されています。
「立后」とは、現在では天皇との婚姻の意味
帝国議会 91回 衆議院 皇室典範案委員会 4号 昭和21年12月11日
○金森國務大臣 御説のように、日本の古い時代の考え方といたしましては、立后と婚姻ということは別のものであつた事例もあるように存じます、例えば既に皇族、まだ皇位におつきにならない前に、御婚姻になつておつた場合におきまして、皇位におつきになつた後に改めて立后ということが行われたということもあるわけであります、しかし今囘の典範において豫想しておりまする立后と申しまするのは、そういう特殊な古代の用例によつたのではなくて、近ごろの考え方を本としておりまするが故に、ここに立后という言葉は、天皇の御婚姻ということと同じ意味に了解をしております
明治以降は皇室諸制度が変更されたため、立后の儀は大婚の礼に吸収されました。
旧皇室典範16条や皇室婚嫁令、皇室親族令などで、大婚の礼当日に立后の詔書が公布されることが規定されました。
そして、皇嗣の践祚(天皇の位に就くこと)によって皇嗣妃がそのまま皇后になることになったのですが、現在までは皇太子との婚姻をしてそのまま皇后になっているので、それ以来冊立の詔書が公布された実例はありません。
「正田美智子・小和田雅子は立后会議が行われてないから正統性が無い」はデマ
皇室典範
第十条 立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する
立后する際の皇室会議を「立后会議」と呼ぶことがあるようです。
しかし、先述の通り、現在では皇太子(皇嗣)の妃から皇后になる場合ではなく、いきなり天皇の后になる(婚姻する)のが立后という意味となっています。
ですから、立后会議というものが起った例がないのです。
既に皇太子との婚姻の際に皇室会議にかけているので、皇太子践祚に際して皇后におなりになる場合に、改めて皇室会議にかけるということが無い、というだけの話です。
したがって、「正田美智子・小和田雅子は立后会議が行われてないから正統性が無い」というのは、明確にデマです。週刊誌やネット上の妄言は、このような制度になっていることを知ってか知らずか、嘘を書き連ねているのです。
まとめ
- 立后は詔書を公布することをもって正式に皇后を立てること、という意味が公約数的
- 立后の意味内容や必要な行事は時代によって変遷がある
- 立后の際には種々の儀式が行われてきた
- 現在では立后は天皇との婚姻を意味するだけ
- 立后会議は皇室会議を経て皇太子(皇嗣)と婚姻をした皇太子妃(皇嗣妃)には改めて行われない
立后という言葉に変遷があるということと、制度が変わったということで理解に混乱が生じる人も居るようなので、ここはしっかりと整理して欲しいと思います。
以上