朝日新聞記者の鮫島浩、退職届を提出、Twitterで報告
退職届を出しました。50歳を迎える本年、#新聞記者やめます。27年間、多くの方にお世話になりました。多謝いたします。退社は5月末。その後は白紙です。ジャーナリストとして発信を続けつつ、それ以外にも活動を広げたいと思います。皆様のお声に耳を傾けながら進路を決めます。まずはご報告まで。
— 鮫島浩✒️ジャーナリスト 政治・メディア (@SamejimaH) 2021年2月25日
朝日新聞記者の鮫島浩 氏が、退職届を提出したことをTwitterで報告しました。
彼の「輝かしい」経歴を振り返ってみましょう。
吉田調書誤報時の朝日新聞特別報道部次長だった鮫島浩
数多の記事をデスクに出し数多の記事をデスクとして見たが、多くの手が入り輝きを増す記事は滅多にない。大概は初稿の勢いが失われ凡庸になる。
— 鮫島浩✒️ジャーナリスト 政治・メディア (@SamejimaH) 2020年12月20日
新聞しかない時代は抑制が必要だった。情報が溢れる今は凡庸な記事を量産しても埋没するだけ。個人が絞り出す言葉の輝きをいかすのが新聞再建の第一歩だ。 https://t.co/QbkarZhXbo
鮫島浩「個人が絞り出す言葉の輝きをいかすのが新聞再建の第一歩」:吉田調書誤報時の朝日新聞特別報道部次長(デスク)が言うと違う意味に聞こえる - 事実を整える
吉田調書誤報時の朝日新聞特別報道部次長の鮫島浩 氏が言うと味わい深いものです。
なお、鮫島氏は「2013年度新聞協会賞 編集部門 「手抜き除染」一連のスクープ」を朝日新聞社特別報道部取材班(代表)東京本社報道局特別報道部次長として受賞。
除染については、それにより追加被曝線量を年間1mSvまで下げることを目標としつつも、これは安全性の基準ではないということは細野豪志ら当時の政権から公表されていましたが、伝わっていませんでした。
(2ページ目)東日本大震災「検証や教訓の共有は進んでいるのか」 『いちえふ』作者が細野豪志に聞く“政府の決断” | 文春オンライン
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