事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

訴状陳述前に被告が公開で著作権法違反の裁判例:東京地方裁判所 令和3年7月16日判決 令和3年(ワ)第4491号

おかしいと思う。

東京地方裁判所 令和3年7月16日判決言渡 令和3年(ワ)第4491号

東京地方裁判所 令和3年7月16日判決言渡 令和3年(ワ)第4491号

公開法廷での陳述をする前の訴状を被告が公開したことが、訴状を書いた代理人弁護士である福永活也 氏(ある意味で有名な弁護士です)の公衆送信権と公表権の侵害だと主張され認容された裁判例。

本件のまとめとしては以下がもっとも良さそうです。

陳述前の訴状を被告がブログ等で公表する行為が原告代理人弁護士の公表権及び公衆送信権の侵害を構成するとした東京地裁判決について – イノベンティア

ここでは実際にどういう公開のされ方だったのか、この裁判例の判断の仕方は適切なのか?について論じていきます。

「トイアンナのぐだぐだ」における訴状公開の仕方と魚拓

これは「トイアンナ」の名で活動している実業家・ライターが被告となった事例です。

被告は,令和2年9月24日,原告に無断で,自らのブログ「Aのぐだぐだ」内の「Bさんから2020年8月11日に発送された訴状に対する見解」と題する記事(以下「本件ブログ記事」という。)において,

はあちゅうさんから2020年8月11日に発送された訴状に対する見解 - トイアンナのぐだぐだ

判決文(WEB公開版は個人に関する記述を伏せている)でこのように書いているのですが、こんなの容易に特定可能ですよね。いちいち記号化する意味がわかりません。

「はあちゅう」から訴えられたためその訴状を自身のブログに掲載したという経緯。

現在のブログ上でUPされているのは以下の画像のみですが…

当時の魚拓見ると、より詳細にUPしています。ただ、個人情報は伏せられています。

訴状は裁判手続における公開の陳述が予定されているものだが

著作権法

(政治上の演説等の利用)
第四十条 公開して行われた政治上の演説又は陳述及び裁判手続(行政庁の行う審判その他裁判に準ずる手続を含む。第四十二条第一項において同じ。)における公開の陳述は、同一の著作者のものを編集して利用する場合を除き、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。

「裁判手続における公開の陳述」は利用できると著作権法で書かれていますが、本件ではこれの類推適用乃至準用の主張も排斥されました。

東京地方裁判所 令和3年7月16日判決言渡 令和3年(ワ)第4491号

 被告は,裁判の公開の原則(憲法82条)や訴訟記録の閲覧等制限手続(民訴法92条)があることを理由として,訴状を非公表とすることに対する原告の期待を保護する必要性は低いと主張するが,裁判の公開の原則や閲覧等制限手続が存在することは,被告の行為が著作権(公衆送信権)及び著作者人格権(公表権)侵害を構成するとの上記結論を左右しない。

これは公衆送信権と公表権侵害の有無の項で論じられた裁判所の判示ですが、訴状というものは後に公開が予定されているものです。

判決文を見ていると、裁判所は「訴訟手続の中での書面のやりとりをしろ、場外乱闘するな」と言っているかのようです。

私は、この点は仕方がないと思います。

ただ、「第三者ではなく相手方当事者が公開するのは受忍限度の範囲内である」という主張はあってもよいかもしれません。
(本件では主張されてたのだろうか?判決文からは読み取れない)

問題は、次項以降のロジックだと思っています。

時事の事件の報道のための利用は不適用:「当事者は口なし」?

東京地方裁判所 令和3年7月16日判決言渡 令和3年(ワ)第4491号

3 争点3(著作権法41条(時事の事件の報道のための利用)の適用の有無)
について

著作権法41条は,「時事の事件を報道する場合には,当該事件を構成…(す)る著作物は,報道の目的上正当な範囲内において,…利用することができる。」と規定するところ,被告は,別件訴状の公表は「時事の事件を報道する場合」に当たると主張する。

しかし,本件ブログ記事には,前記前提事実(4)のとおり,「改めて訴状をいただいたことは大変遺憾です。」,「仮にBさんの感情を害するものがあっても受忍限度内であると考えます。」,「『デマを意図的に拡散した』かのごとく記載されたことについては,業界の大御所であるBさんからパワハラを受けたと感じています。」などと記載されており,その趣旨は,紛争状態にある別件訴訟原告から訴えを提起されたことについて,遺憾の意を表明し,あるいは訴状の内容の不当性を訴えるものであって,公衆に対し,当該訴訟や別件訴状の内容を社会的な意義のある時事の事件として客観的かつ正確に伝えようとするものであると解することはできない。

「当事者は口なし」なのか?

社会的な意義のある時事の事件」ではないのではないかと疑問が残るメディアの記事がいくらでもある中で、トイアンナ氏のこの訴訟が「社会的意義無し」なのだろうか?

原告は「はあちゅう」という名称で活動しているライターであり(本名:伊藤 春香)、Twitterでは20万を超えるフォロワーを有し、二桁の単著を執筆している有名人です。

しかも、トイアンナ氏が上掲ブログで触れている内容=訴状が送られる原因となった内容は、はあちゅう氏が妊活の本を売るためにブログの妊活編を更新していたかのような投稿をしていたと主張する内容で、著名なライターの生業である著述業の実態に関する話です。

そうなると著作の内容にも疑義が出てきかねないわけで、妊活という出産を左右するテーマは、少子高齢社会の日本においては重要な問題と言える余地があるのでは?

客観的かつ正確に伝えようとする」ためというのは、訴状の記載内容そのまま、以上に何が適切なんだろうか?

その記事に他に個人的な評価文言があれば客観的ではない、となるのであれば、訴状だけUPし、それに対する応答は別URLでUPすればよいのか?

「訴状をいただいたことは大変遺憾」という記述も、被告の立場というのは好き好んで訴訟をするのではないという一般的標準的な心情であって、その旨の感情を書いたところで「報道」の実質を損なうとは思えない。

大手メディアも、訴訟提起した事実と被告の「訴状をみていないのでコメントできない」「遺憾である」という旨を書くことがあるのですが、メディアだと許されて当事者が発信すると途端に「客観的かつ正確ではない」になるのは違和感があります。

訴状閲覧者の発言で慰謝料の損害を認定?相当因果関係は?

裁判所は「公衆送信権の侵害」は財産権侵害だから慰謝料は特段の事情がないと認められず、本件ではそれが無いとして認めませんでした。

他方で「公表権侵害」による慰謝料請求については認めましたが、その理由が…

別件訴状を閲覧した者から「訴状理由が酷すぎてわろた」(甲27)などの批判等を受けるなどして,精神的苦痛を受けたものと認められる。

こんなものでした。

原告の主張では「別件訴状を閲覧した多数の第三者から好奇の目を向けられて好き勝手に名指しで批評,批判され」として23の証拠が提示されていましたが。

これはおかしいのではないでしょうか?

トイアンナ氏の主張による苦痛ではなく、閲覧した第三者からの批評が苦痛というのは、相当因果関係はあるのでしょうか?

これはたとえば、ブログで他人の文章を紹介したとして、それに対して第三者が名誉毀損をした場合に、紹介した者が名誉毀損だとしてその責任を被るようなものです。

「公表権侵害」というのであれば、「公表しないことの利益」或いは「公表されたことそれ自体によって被った損害」を論じなければならないはずです。

たとえば、訴状を陳述前に公表されることで訴訟実務や普段の弁護士活動に支障が出たといった具体的な事情があるとか、公表されないことを前提に依頼人と訴訟戦略を練っていてしかもそのような戦略が保護に値するものであったとか。

まとめ:時事の事件の報道を否定する理屈と損害認定がおかしい

私見をまとめると

  • 公衆送信権と公表権の侵害があると評価せざるを得ない
    ※第三者ではなく相手方当事者が公開する限りで受忍限度の範囲内、という主張で回避できないか?
  • 訴状は公開が予定されているからというだけで著作権法40条1項の類推適用・準用が認められるという主張も排斥されて仕方がない
  • が、時事の事件の報道ではないとする理屈には疑問
  • さらに損害認定の仕方が、公表しない利益や公表それ自体による損害ではなく、第三者の批評による苦痛という相当因果関係が無いと思われるものであり、不当

本件は地裁判決ではあるものの、最高裁HPが裁判例として公表しているということは一定の先例性がある判決として扱っていると思われます。

ただ、この判断がすべて絶対、ということになるのはおかしいと思っています。

以下の事例に繋がってくる話です。

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