朝鮮騒擾(三・一運動)に於ける「堤岩里事件」について。
日本政府による事件隠蔽工作が行われていたと言われています。
しかし、少なくとも日本国内においては、有田中尉の軍法会議において事件の詳細が認定され、それに基づいて宣告が為されています。
有田中尉の軍法会議宣告に書かれている内容を見ていきます。
- 宇都宮太郎日記と堤岩里事件
- 有田俊夫中尉の軍法会議宣告文
- 朝鮮人も危険を感じて避難せざるを得ない無警察状態
- 「事実を隠ぺい」は裁判では行われず
- 有田中尉に対しては無罪判決
- 現場の官憲の主観的には掃討作戦に近い情況だった
宇都宮太郎日記と堤岩里事件
4月15日の堤岩里事件について、18日に重役と協議をして「虐殺・放火は認めず、やむを得ない殺害と失火であるということにする」旨を決定したという日記の部分があります。
ただ、これは「新事実」ということでもなく、既に「現代史資料」において、4月22日の長谷川提督の報告書の中に同様の内容が記載されていました。
堤岩里事件については幾度となく宇都宮太郎の日記で触れられており、政府内で事の重大性が認識されていたということが推察されます。
六月二十九日 日 晴
此夜、児島中将の申込により、大野参謀長、浄法寺師団長と官邸に会合、発安場事件の善後に就き協議す。此席にて有田中尉の裸々たる真相の報告書(本月28日付)及最近調査の警務総監部報告書を一読す。
7月14日には有田中尉を軍法会議に付す決定をしています。
軍法会議は8月21日に行われました。
九月三日 水 雨
ー省略ー
曩(さき)に水原郡提(※堤)岩里事件に関し軍法会議にて審理中なりし有田中尉も、数日前無罪と為りしを以て、本日師団長以下諸官の進退伺を返却し、其旨大臣に電報す。午后に居たり、八月三十日付にて左の達に接す。
進退伺の件達
ー省略ー
有田中尉の軍法会議宣告が行われたあとは全く触れられなくなりました。
有田中尉の軍法会議における宣告文は、アジア歴史資料センターで見る事ができます。
有田俊夫中尉の軍法会議宣告文
宣告文の文章を一部省略し、用語の読み仮名や意味を()内に書きつつ、現代の文章に近い形に変形して箇条書きにします。
- 有田俊夫中尉は暴動鎮圧の命を受けて13日下士以下11名を引率して赴任。
- 3月初旬以来、京城を中心として朝鮮独立を唱えて暴動を起こす者がおり、警察官が穏和な手段をもって鎮定しようとしたが目的を果たさず、かえって良民を煽動し又はこれを脅迫し、大集団をなして示威運動をなすのみならず、面事務所(役所)又は内地人の家屋を襲い、殺傷・放火・破壊等の暴戻(ぼうれい)に及び官憲に反抗して内地人を迫害していたので兵力を頼むしかない状況に至っていた。
- 有田は尋常の手段では対抗できないため、首謀者を殲滅し、その巣窟を覆すことでその非望を根絶しなければ到底鎮定の効を奏すことはできない状況だと認識していた。
- 朝鮮軍司令官による暴動鎮圧に関する訓示は、有田の解したような趣旨ではなかったが、有田は土匪(集団をなして、掠奪・暴行などを行う賊)討伐に類することをなす趣旨であると誤解していたところ、有田はいよいよ事態の容易ならざるを察しつつある際に、たまたま発安里への出動を命ぜられた。
- 有田が発安里に到着する前後に見聞したところに拠れば、付近は他の地方に比べて状況が一層険悪にして、上流社会、特に耶蘇教、天道教は津念に暴動の中心となって京城その他に居る首魁と連絡して、3月中旬以降は行政の長その他一般人民を煽動していた。
- 3月28日には水原郡沙江里において数百の群衆が蜂起して万歳呼号し、警察官駐在所を破壊し、巡査を惨殺し、29日には同郡烏山において約800名の群衆が警察官駐在所を襲って逮捕している暴徒の首謀者を奪還し、駐在所、役所、郵便所及び内地人の家屋を破壊しさらに同地停車場を襲わんとする途中、守備兵と警察官が協力して解散させるなどがあった。
- 3月31日は発安里の市場に約3000人の群衆が独立万歳を呼号して守備隊の兵器使用によって漸く解散した。
- 4月1日夜には同地の小学校の校舎が放火され、付近の山上にある群衆がこれに応じて万歳呼号し、翌日2日の夜は山上80箇所に箒火を焚きて盛んに暴威を示した。
- 4月3日は同郡長安面等の役所を破壊し、続いて花樹警察官駐在所を襲って巡査を殺害し、歯を抜き、耳鼻を切り、関節を折り、同所を破壊・放火するなど残虐暴戻を尽くし、付近七か所の面の群衆が発安里の市場を襲って内地人を殺戮した。
ここまでで、3.1運動と呼ばれるものの性質が理解できると思います。
独立を訴える平和的なデモのはずが、結局は暴徒らによる暴動の機会として利用されていたということ、それも一時的なものではなく、朝鮮半島全土に渡って長期的に犯罪行為が行われていたということです。中でも耶蘇教徒、天道教徒が暴動における主犯的立場にあったということが分かります。
ちょうど今(2019年3月)はフランスで暴動が起き、家屋の破壊や放火が発生していますが、これも当初は「デモ」と報道されていました。しかし、もはや「テロ」と報道しなければフェイクになるほどに事態が悪化しています。
朝鮮人も危険を感じて避難せざるを得ない無警察状態
そんな状況なので、以下の宣告文の続きにあるように、内地人=日本列島出身者だけではなく、朝鮮人の民間人や官憲も大変迷惑を被っていました。
- さらに同市場を壊滅に帰せしめんとする旨をしきりに提言した為に、内地人・朝鮮人共に戦慄し、内地人の老幼婦女40余名はことごとく避難してわずかに壮者9名が機銃又は日本刀を携えて残留して守備兵及び警察官らと共に日夜警戒に従事せざるを得ないこととなっていた。
- 付近一般の朝鮮人もまた大抵が業を廃するに至り、且つ、発安里以西の地にあっては巡査惨殺以来、朝鮮人巡査補が暴徒に内通しているという嫌疑で引致せられたり、辞職を出願したりするなど、ほとんど無警察の状態に陥っていた。そのため、暴徒が横行し、交通も極めて危険であり、いつ一大暴動が勃発するかもわからない状況のため人心は不安の極みに達していた。
- それに加えて、有田が発安里に来てみると、現に内地人が日夜警戒のために披露困憊し、顔色が憔悴している状態を目撃したので、益々事態が重大であると察し、ここまで事態が推移したのなら、事が起こってから之を鎮圧しようとするのは彼らの術中に陥っていると考えた。
- 有田は、むしろ、すすんで首謀者たる耶蘇教徒及び天道教徒を殲滅し、且つその巣窟を覆して禍根を絶たんとするのが自己の任務遂行上当然執るべき最善の処置であり、受けたる訓示命令の本旨に適うものと確信した。この見解を同地の警察官に告げると、警察官も同意見であると応えたことにより、有田はいよいよその所信を固くした。
民間人までもが官憲と行動をともにして警戒に当たらないといけないという状況。
朝鮮人警察官が内通の嫌疑をかけられたり辞職したりと無警察状態になっていたこと。
住民はもはやまともに仕事ができず、通常の生活が送れなくなっていたこと。
そのような状況が長期間続いていたため、住民の辛抱も限界に達していたこと。
これはもはや通常の治安状態ではありませんね。
戒厳令が敷かれてもおかしくないのではないでしょうか?
有田中尉だけでなく、同地の警察官も同様の状況把握をしていたということが宣告文に書かれていますが、 朝鮮軍司令官の認識とはかなりズレがあったようです。
「事実を隠ぺい」は裁判では行われず
宣告文では、耶蘇・天道教徒のうち、年齢を絞って集めたとありますから、名簿を持っていたのでしょう。そして、27名を射殺又は刺殺し、教徒の妻が罵声を浴びせてきたため有田中尉が斬り捨て、教徒の教会と教徒が住んでいる民家に放火したと認定されています。
このように、宇都宮太郎日記の4月18日の記述が「隠蔽行為」と言われるものの、実際には裁判で事実が明らかにされています。
有田中尉に対しては無罪判決
被告の行為は訓示命令を誤解したるに出でて正当に暴動鎮圧の任務に服したるものと言うを得ざるが故に有罪たることを免れざるが如きも、被告は任務遂行上必要の手段にして当然為すべきこととの確信を以てついに及びたるが故に被告の行為は要するにこれを犯意なきものとせざるべからず又これを以て過失による犯罪を構成したるものと認めるを得ざるのみならず他にかかる行為を罰すべき特別の規定存せざるを以て結局被告に対しては無罪の言渡しを為すべきものとす乃ち主文の如く判決す
「任務遂行上必要だと確信していたから殺人・放火は無罪」という判断は通常は行いません。これは通常の裁判所ではなく「軍法会議」で裁かれているということが重要なのでしょう。
そもそも警察では取り締まれずに軍隊が派遣されている時点で、通常の治安維持行動とは異なる性質のものです。宣告文を読むとそのような状況であったということを子細に論じて、有田中尉のような認識になったのは命令の範囲を越えているとしてもやむを得ないという判断に至ったのが分かります。
現場の官憲の主観的には掃討作戦に近い情況だった
命令違反ではあるが、その責任を有田中尉個人に課すことはあまりにも酷な状況があったとされたのでしょう。現場の官憲にとっては、いわばテロリストの掃討作戦のようなものを求められていると認識するほかなかったのでしょう。
長谷川総督の報告書では、現地の部落民から教徒らを掃討してくれという懇願がなされたということも書かれています。
刑法の枠組みでは、正当防衛や緊急避難は、「急迫な侵害」が存在する状況でなければなりません。そのような状況と時間的間隔が開いてしまった場合は、たとえ相手が過去に兇悪犯罪行為をしていても、正当防衛・緊急避難の状況は成立しません。本人が間近に体験してない過去の状況は、正当化根拠にはなり得ません。
ただ、それは「平時」の司法の判断枠組みです。
正式に戒厳令が敷かれてはいないとはいえ、もはや「平時」と呼べない状況に対する歴史評価においては、戦場に類する行為評価がなされるべきでしょう。
以上