事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

なぜ「テロの原因を究明して報道で再発防止」が欺瞞なのか:荒らしはスルーしろ=テロリストに名前を与えるなAppendix

我々はいったい何のためにネットを利用しているのか

なぜ「テロの原因を究明して報道で再発防止」が詭弁なのか

以下の記事がそれなりに読まれました。

◆テロリズムの定義上、一定の動機・目的の特定は必要
◆「テロの原因を究明して報道」は、不必要。最初から原因を社会の側に求めてる態度なのでテロ犯を免責する方向の言説が出て来る。深堀りは専門機関に
◆報道界隈では、解明済みの事実すら「更なる研究が必要だ」となる懸念と実際の例
◆都合の良い言論状況を生みたいがための「原因究明を」の懸念と具体例
◆「テロの原因を究明したらメディアが原因」の可能性とその素地
◆「〇〇の原因を究明したらメディアが原因」という事実は徹底的に無視されがちであるということ

こういうことを具体例を示しながら書いています。

あさま山荘、オウム真理教、神奈川津久井やまゆり園殺傷事件…etc

「犯人らに責任転嫁できる余地は無く、彼らの内にのみ責任がある」という論調が、「原因を究明」した上で出てきただろうか?

むしろ犯人の外側にある外部要因に原因の一端を見出して社会・政権批判に繋げてきたのが放送界隈の実績であって、彼らに「真相究明」を語る資格は無い。

本稿はnote記事で書ききれなかった要素を書き散らしたAppendixです。

なぜテレビがテロリストの動機目的背景を放送するのが欺瞞なのか

なぜテレビがテロリストの動機目的背景を放送するのが欺瞞なのか。

いわゆるワイドショーエンタメとして消費することしか考えていないから。

テロリンQの「人物像」を探って「生い立ち」を遡る。親との関係や職場付き合い、異性関係など。小学校~大学時代~職場での言動をねっちょりと調べ上げるわけです。

しかし、それが判明したところで第三者が勝手に質の低いプロファイリングエンタメをして終わるだけで、動機や目的の形成過程の分析などという偉そうなことは行えない。

結局、視聴率やアクセス稼ぎに利用することしか考えてないんですよ。

で、放送予定を把握してるテレビ界隈の人間がトレンドブログを作って小金稼ぎなど。

人命にかかわる大きな事件、性犯罪関係、性的関係のいざこざ、といった種類の事件は、ネタになります。「犯人」が居るような事件は、かならず犯人の属性=名前、出身校や顔などについて、「いかがだったでしょうかブログ」が乱立するでしょ。

人間の興味関心が普遍的にそういうものに集中するという点もありますが、大きな要因は「放送されるから」です。テレビが話題にしてればパイの奪い合いが発生します。

ブログのアクセス数を見つめていると、やはり「テレビで放送されるかどうか」は大きく影響するのが分かります。スーパーの品物でテレビで紹介された食材が売り切れるというのは実感している人もいるでしょう。それと似たようなものです。

特に重大な刑事事件を引き起こした犯人は「パブリックエネミー」として扱われ、ネット上では何を書いても許される雰囲気が醸成されます。より過激な意見、非難を浴びせる主張に拍手喝采が集まります。

もう5年も前の話ですが、未だに「院長」を覚えてる人も多いでしょう。

この時の「熱狂ぶり」をSNS等で観察していましたが、凄まじいものがありました。

他の重要な政策課題・有益な主張が覆い隠されることに

「政治家を狙ったテロ」でそういう事が起こるとどうなるか?

他の重要な話題が覆い隠されてしまう」ということが起こります。

今回の爆弾犯の事件を受けて、岸田総理は誰の応援演説で来ていたか?和歌山の選挙区で出馬していた人は誰か、調べましたか?吉田真次という候補者の名前を見た事がありますか?

爆発後の岸田総理の演説内容を聞いた人はどれくらいいますか?

もちろん選挙演説なので、メディアは放送法上の政治的公平の観点から、全部を報じるわけにはいかないという事情はあります。

タダでさえ「犯人」側の事情に興味関心が集中させられるのが常なのに、政治家がターゲットになると、その主張すら掻き消されることになりかねない。

最底辺の主張をいちいちサルベージして叩くエンタメがテレビでもネットでも横行していますが、さらにそれが加速することに。

被害者側である政治家を支持する立場の人間が、今回の件でネット上で何を話題にしているか、見てみればよい。「犯人叩き」に邁進し、政策の話は知らんぷり、という傾向が無いだろうか?

立候補者に広めたい主張がないのであれば、恒常的に広まるべきと考える政策的主張でもいいでしょう。たとえば「税金下げろ、規制をなくせ」といったものなど。

テロリストに名前を与えるな:ニュージーランドアーダーン首相が絶賛されるわけ

この人がどういう人かについてもはや説明は不要でしょう。

早急に」という言葉があるように、話題性がある内にテレビで放送させてあーだこーだ語ってその話題で埋め尽くしたいんでしょう。

そういう意味で、テロ犯自身の主義主張とは離れたところで、それを利用する者たちに対する意味でも、ニュージーランドのアーダーン首相の姿勢は有効でしょう。

荒らしはスルーしろ=テロリストに名前を与えるな

テロリストに名前を与えるな」というのは標語であって、そのままの意味ではない。

冒頭のnote記事でも書いたように、テロリズムの定義がある以上、動機・目的について触れないわけにはいかない。犯人の氏名も、どうせ刑事裁判で明らかになるのだから完全に伏せるというのは不自然でしょう。

必要以上のレベルで顔・動機・目的・人物像・背景事情についての言及が為される事が忌避されなければならないという話。

残念ながら、今の日本では警備体制の不備の問題を論じなければならない。それにあたって、やはり犯行の態様には触れざるを得ない。

そうした現実の要素を抜きにすれば、【荒らしはスルーしろ】と同じでしょう。

逮捕された当該テロ犯があなたたちを襲い掛かってくるわけではないんですから。

襲い掛かってくるのは筐体を通してあなたの脳内に侵蝕してくる映像音声です。

掲示板の書き込みに留まらず、Twitterでの絡みや動画配信でのコメント欄の扱いなど、幅広く通用するネットのお作法の根幹でもある「荒らしはスルー」というルール。

我々の生活、認知領域を侵蝕してくる「テロリストの主張の再生産・認識隠蔽となるテレビ電波放送」から身を守るために、そしてそれをネット利用者が更に強化しないようにする、というのは意識されるべきではないでしょうか。

事件直後の岸田総理のこのツイートが称賛されているのは、必要な認識に目を向けさせることが念頭にあると感ぜられるからでしょう。

逆方向の勘違いが生まれているので苦言を呈しておきます

他方で、逆方向の勘違いが生まれているので苦言を呈しておきます。

なにやら「テロリンQが主張していた話だから話題に出すな」という態度が生まれています。

が、例えばテロリストが従前、減税を主張していたとして、今減税を主張するのがテロリストの望む世の中を実現することだからやめろ、ということになるんでしょうか?

今回で言えば、現時点では犯行の動機・目的と紐づけられるという事情は判明してませんが、テロリンQが「被選挙年齢の引き下げ」と「選挙立候補時の供託金制度の廃止」を訴訟で訴えていたという事情があります。

しかし、それについて語ることが「テロリストの主張に耳を傾けている」ということを直ちには意味しません。

我々はいったい何のためにネットを利用しているのか、立ち止まって考えるべき人は、多数いるだろう、というのがSNSを観察して感じたことです。

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