「法」を扱う組織であるはずの東京弁護士会の議事運営がこれでよいのでしょうか?
北村晴男弁護士と東京弁護士会での死刑廃止決議
死刑廃止に向けた決議がギリギリ成立。滅茶苦茶悔しい!12時30分に始まった総会は、18時26分現在の出席者233名、有効委任状2194通(計2427)で決議。決議賛成1199と発表された瞬間に勝ったと思った。出席者一人が行使できる委任状が10枚に限るという滅茶苦茶なルールにやられた。270枚の委任状が死票に。 https://t.co/cRSsJczg7O
— 北村晴男 (@kitamuraharuo) 2020年9月24日
東京弁護士会において、死刑廃止決議が為される動きがあったため、北村晴男弁護士が反対の票を委任状を利用して集めましたが、特殊なルールによって有効な委任状が票に反映されない(死票)こととなったため、死刑廃止決議が可決されました。
このような決議は定期的に各弁護士会で行われています(たとえば:大阪弁護士会 : 会長声明等 : 死刑制度の廃止に関する決議)が、「死刑制度の廃止」に関しては東京弁護士会は今回が初めての決議と思われます(会長声明としては特定の死刑執行の停止を求める声明は出ていた)。
ただ、このような運営方法に疑問・不満を持っている弁護士は多く、一般人には弁護士の総意であると思われたくないと考えているようです。
弁護士会の決議は所属弁護士の多数派の意思ではない
もっとも、弁護士会で何らかの決議がなされても、それは所属する弁護士も同じ意思決定をしたことにはなりません。
このような認識が広まれば何ら問題ないように思います。
しかし、このような決議がなされたことがマスメディアなどを通じて一般人が認識できるようになった場合には、メディアの報じ方も相まって、一般人からは所属する弁護士の多数派が決議に賛成であるという【外観】が生まれることは確かです。
死刑制度廃止の決議に反対の弁護士らが懸念しているのは、まさにこの点であるということが、日弁連という病【電子書籍】[ 北村晴男 ケント・ギルバート ]においても指摘されています。
「法」ではなく恣意的なルールでの運営
執行部が動員した人が17時を過ぎて続々参加。これに対し、時間の経過と共に、委任状10枚を背負いながら止む無く退席した人が27名。いつ頃採決するかコントロール出来る執行部にやられた!負け犬の遠吠え。応援してくれた皆さん、本当に申し訳ありません。 https://t.co/6AZx97gipz
— 北村晴男 (@kitamuraharuo) 2020年9月24日
さらに、今回の東京弁護士会での採決においては、有効委任状の行使が数的に制限されたルールだけでなく、決議時間の操作によって有効委任状の行使が物理的にできなくなったという議事運営の問題も浮き彫りになりました(本質的には委任状の枚数制限がなくなればこのような「戦術」は無意味になるので副次的な話であるが)。
これは「いつ頃採決できるかは執行部が決定できるというルール」があるので、そのルールの上では仕方がないということになります。
しかし、このような片方にとって有利に利用できるルールは「公平」の観念とは真逆のものでしょう。
これは我々の一般社会において普遍的に是認されてきたルール=「法」とは異なる恣意的なルールに基づく弁護士会・議事運営と言えるでしょう。
設計主義的合理主義者の巣窟なので当然か
東京弁護士会執行部のこうした態度は、設計主義的合理主義者の巣窟である以上、当然だろうなとしか思いません。
憲法学上の八月革命説に依拠した思考方法は、立法についてもそれは伝統から切り離された現代人による「理論」でしかなく、「歴史的普遍性」というものに対する観察を無視するものとなっていますから、何らかのルールはだれかの手によって恣意的に決められたものであり、法律等のルールは道具に過ぎず、そのようなルールを使いこなすことが正しいと考える者が相当数存在しているというのだろうと予想されます。
ハイエクはすべての社会制度は意図的な設計の産物でありそうあるべきだとする概念=設計主義的合理主義を批判し、「人間的行為の結果ではあるが人間的設計の結果ではない現象」への意識を向けさせるよう提唱してきましたが、東京弁護士会の上記ルールは執行部の者という一部の人間の設計の産物であり、「法」の観点から見直されるべきだと思います。
以上