事実を整える

Nathan(ねーさん) ほぼオープンソースをベースに法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

報道特注:津村啓介議員の愛子天皇論についてのツッコみ1

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報道特注での津村啓介議員の愛子天皇論について。

旧皇族・旧宮家の皇籍復帰の是非が一番議論が深まるところだと思います。

ツイッターで津村議員が発信してきた内容も含めてツッコみを入れていきます。

旧皇族の皇籍復帰は君臣の別に反するのか

♯246 報道特注【生田×足立×津村】国民民主党津村議員参戦!【最終回】 - YouTube

津村「男系男子に拘るのであれば、旧宮家よりも(血が)近い人たちが居る。江戸時代に宮家を作るお金がないから近衛家・鷹司家・一条家など特別な五摂家に皇室から養子に出していた。」

足立「男系男子の子孫の存在は精査すべきで名簿を作らなければならない。宮内庁はそれをやってない」

津村「そこが肝で、皇統譜に載っているのが皇族で、載っていないのは平民というか基本的には下々の者。一旦下々の者になったら宇多天皇とか極短期間での復帰の例外はあるが、基本的には誰の子か分からない世界になっていた。なぜなら戸籍が無いから。宮内庁などは昔は無かったから。皇統譜の管理外は誰が誰というのは自己申告でしかなかった。例えば徳川家は神武天皇の男系男子と、もともと清和源氏の嫡流or傍流と説明しているので。織田信長も桓武平氏の子孫だとか、ルーツを辿れば神武天皇につながるとなっている。しかし、それは自分たちの家系を守るための誇りを維持するための話であって、皇統譜は別。血筋だけ見て神武天皇と近いからといって皇位継承権者とはならない。」

これは旧宮家の皇籍復帰について話題がふられた際の会話です。

ここで津村議員がいわんとしていることはいろいろあるような気がします。

一連の発言を見ると、どうも【旧皇族は下々の者「なので」安易に皇籍復帰するのはルールに抵触する】のようなニュアンスに聞こえます。

それは「皇籍復帰は基本的に君臣の別」に反すると言っているように聞こえます。

が、反しません。

君臣の別は、天皇・皇族と臣下を明確に分けましょうというルールです。

区別しているからこそ、その身分を明確に皇族として扱うための皇籍復帰という手続が採られています。

皇籍復帰はむしろ君臣の別のルールに沿った手続です。 

報道特注での津村議員:臣籍降下(皇籍離脱)したら「自己申告でしかない」のか?

♯246 報道特注【生田×足立×津村】国民民主党津村議員参戦!【最終回】 - YouTube

津村「皇統譜に載っているのが皇族で、載っていないのは平民というか基本的には下々の者。一旦下々の者になったら宇多天皇とか極短期間での復帰の例外はあるが、基本的には誰の子か分からない世界になっていた。なぜなら戸籍が無いから。宮内庁などは昔は無かったから。皇統譜の管理外は誰が誰というのは自己申告でしかなかった

当然そうではないですよね。

臣籍降下しても、それまでの顔見知りは居るじゃないですか。

関係性が文書として残っていなくとも、宮廷内外の人間関係によって証明可能だった。

現在の旧皇族も菊栄親睦会で定期的に皇居に集い、陛下らに謁見しています。

また、「皇族の身分を離れた者及び皇族となった者の戸籍に関する法律」という法律があり、現在は身分管理はしっかりしています。

伏見宮貞致親王の出自に疑義があることを言いたいのか?

伏見宮貞致親王は旧皇族の祖先ですが、父は伏見宮第10代当主の貞清親王と言われますが、一説には邦尚親王とも伝えられています。

養子に出されていたときの名を安藤長九郎と言い、伏見宮家断絶の危機に際して京都所司代の吟味によって伏見宮家の落胤であると判断されました。

この事が津村議員の脳裏にあったのかもしれません。

「DNA検査や戸籍制度が無い時代に選ばれた者に、現代のDNA検査をすれば、血がつながっていないと判断される可能性があるのではないか?」

こういう「文書等が残ってないと偽物だ」というような観念を持つ人は、たとえば自分が病院で取り違えられた可能性についてどう思うのでしょうか?是非とも取り違えられていないことを証明して欲しいと思います。

伏見宮貞致親王の出自に諸説あるのはそうですが、いずれにしても親王が父親なわけです。そして、その系統が続いているのですから、正統な落胤であるという承認がなされているのが現状です。

現状変更をする者が貞致親王が皇胤ではない証拠を是非とも提示して欲しいものです。

臣籍からの皇籍復帰の先例

【旧皇族・旧宮家】皇籍離脱した者の皇籍復帰の先例:歴史上の臣籍降下と復帰の事例

臣籍として生まれた身分で皇籍復帰した人物は醍醐天皇と忠房親王が挙げられます。

今の皇室を遡れば醍醐天皇に行きつきます。忠房親王は親が皇籍復帰していません。

これを「先例として扱うべきではない」と言う人が居ます。

「あくまで例外だ」ということで、平成17年の報告書の見解です。

しかし、今の状況は例外を安易に適用することには当たらないでしょうし、これを例外と言ってしまうなら8方10代の女性天皇も例外としてみとめられないでしょう。皇籍復帰は15例あるのですから。

津村啓介議員は皇籍復帰を「論外」「非現実的」と主張

津村議員はさらに一歩進んで「論外」「非現実的」とまで言っています。

最後のツイートでは、津村議員は「旧皇族」を皇籍離脱当時の皇族と理解してます。 

なぜ子孫を含めないのか、よくわかりません。

津村式の「旧皇族」の定義に含まれるか否かは定義問題なのでどうでもいいですが、少なくとも先例に反するということは言っていないようです。

宇多天皇と忠房親王は「皇籍取得」?

宇多天皇と忠房親王の事例は皇籍復帰ではなく「皇籍取得」と言う人が居ます。

曰く「かつて皇籍に在ったから「復帰」。宇多天皇らは皇籍復帰とは言わない」と。

言葉の定義に過ぎませんが、そうやって「例外感」を出そうとしているのでしょう。

もう一度言いますが、安易に皇籍復帰を認めるべきだと言ってるのではありません。

皇統断絶の危機が迫っている中での皇籍復帰(皇籍取得)を妨げる理由はあるのでしょうか?皇籍復帰ができるための厳格なルールがあったわけではありません。

「宇多天皇は父親が短期間で皇籍復帰したのと同時に皇籍に入ったが、旧皇族は70年以上も離れているので先例にはできない」と言う人も居ます。津村議員もそうです。

しかし、同じ津村議員の口からは、女性天皇・愛子天皇に民間人の夫が作られることを予定した制度設計が説明されています。

女性天皇が民間人と婚姻した例は、ただの一度もありません。

どちらが「先例から遠いか」というのは、いわずもがなです。

憲法2条の「世襲」:「30親等は世襲じゃない」???

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♯246 報道特注【生田×足立×津村】国民民主党津村議員参戦!【最終回】 - YouTube

津村議員 憲法には「皇位は世襲」と書いてある私は現天皇からの世襲であると言っている。みんなは神武天皇からの世襲だというが、出発点は現天皇だと思う。30親等は「世襲」じゃないよねと。上皇陛下からすると、愛子さまも悠仁さまも直系の2親等。しかし、天皇陛下からすると愛子さまは直系の1親等だけれども悠仁様は傍系の3親等。男系というワールドで言うなら愛子殿下と悠仁殿下では圧倒的にこっち(愛子殿下)が世襲なわけです。

「世襲」の起点は今上天皇だと言います。

私はツイッターで「常陸宮殿下はどうなるのか?」と質問してました。

津村議員は、今上陛下からの「親等」が多いか少ないかで「世襲」 かどうかが決まる、という考えの様です。

これは「世襲」の日本語の意味とは全く異なる用法です。

「専ら血統に基づいて一定の血縁関係の者が何らかの地位の就くこと」が世襲の意味。

商人の屋号のように「外部の者」が突然やってきて引き継ぐということとは異なり、血族内で継承していく、ということを意味しているに過ぎません。

「世襲」についての詳細は以下で整理してあります。「世襲」の憲法解釈論は、そこに女系が含まれているかどうか、という文脈で展開されてきました。

憲法2条「皇位は世襲のもの」と大日本帝国憲法の「万世一系」の定義・意味とは

まとめ:ツッコみ所満載な愛子天皇論

津村議員の愛子天皇論にはツッコみ所があります。

一見、まともに見えるような理由づけについても、ここで示したように反論可能です。

旧皇族の皇籍復帰の否定論については、最終的に

  1. 五世孫のルールとの抵触
  2. 皇籍復帰の先例との抵触
  3. 貞致親王の出自の疑義
  4. 国民感情

これらが「争点」として提示されるでしょう。

「五世孫」については以下で詳細に論じています。

五世の孫の原則・五世の孫の幻想|Nathan(ねーさん)|note

以上