事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します

山下貴司の保守思想とエドマンド・バーク

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内閣改造で法務大臣になった山下貴司氏。

彼の保守思想と憲法改正についての見解について「正論」平成29年3月号の寄稿を参考にまとめました。

山下貴司の保守の精神

保守とは「国として保つべきものをしっかり守る。一方、守るためには改革を厭わない」という姿勢だと思います。日本という国、そこに暮らす日本人が大切にしてきたふるさと、家族、地域との絆。それらをしっかりと守っていく。

ここで、保守すべき対象はNationとしての日本国という側面に留まらず、ふるさと、家族や地域社会でもあると言っています。

私は、「海岸線で形作られた日本国」に対して真に愛国心があるかと問われれば、怪しいと答えざるを得ません。しかし、生まれ育った故郷に対して言えば、間違いなくそういった心情はあります。

さらに言えば、山下氏は「日本人が大切にしてきた」と歴史の連続性を前提にしています。私たちが行っている何気ない行動や習慣は、先祖が行い良いものであると認識されたからこそ続いてきたのであり、そうしたものはまず第一に大切にしましょうということです。

エドマンド・バークの保守のための改革

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正論2017年3月号

では、それらは変える必要は無いのか?続いて以下のように主張します。

しかし、社会情勢や国際情勢の変化に対応しなければ国を保てないこともある。そのための改革は逃げずに実行する。その意味でエドマンド・バークの「保守のための改革」論に共感を覚えます。「変えるために変える」とか、逆に「何が何でも変えない」では国として大切なものを失います。私が議員立法に熱心なのもそのためです。

エドマンド・バークは「保守主義の父」と呼ばれます(本人は「保守主義」という語を使ったわけではない)。彼が主張した「保守のための改革」とは何でしょうか?バークの代表作である「フランス革命の省察」の全編を通してその精神を感じることができますが、敢えて該当部分を示すとすれば以下でしょう。

フランス革命の省察 エドマンド・バーク 半澤孝麿訳 みすず書房

29頁
何らかの変更の手段を持たない国家には、自らを保守する手段がありません。そうした手段を欠いては、その国家が最も大切に維持したいと欲している憲法上の部分を喪失する危険すら冒すことになり兼ねません。

313頁

私は変更をもまた排する者ではありません。しかしたとえ変更を加えるとしても、それは保守するためでなければなりません。大きな苦痛があれば、私は何か対策を講じなければなりませんが、いざ実行の段には、我々の祖先の実例に倣わねばなりません。私は、修繕をする場合にはできる限り建物の場合のような方法を取る積りです。賢明な注意、綿密周到さ、気質的というよりはむしろ善悪判断を弁えた小心さ、これらが、最も断固たる行為をする際に我々の祖先が則った指導原理の中にはありました。彼らはあの光ーーつまり、フランス人の紳士諸君が自分たちはそれに大いに与っていると我々に吹聴するあの光ーーに照らされてはいなかったために、人間とは無知で誤り易いものである、という強い印象の下に行動した者でした。そして、彼らをそのように可謬の存在として作り給うた神は、彼らがその行為において自らの性質に従順であったことを嘉し給うたのです。もしも我々が彼らの運命に価したいと欲し、また彼らの遺産を維持したいと欲するならば、彼らの注意深さを模倣しようではありませんか。

ここで、「祖先の実例に倣う」とは、「先例と全く同じように踏襲する」という意味では無いということに気づくでしょう。

人間は誤り易い存在である。だからこそ、完璧に作られたものはありえず、常に変更の必要が生じるということは在り得る。ただし、何らかの変更の際に第一に大切にするべきものは、「先達が守り、残そうとしてきたものは何か?」を認識するということ。それを踏まえた上で変更をするべきであり、祖先も行ってきた「そのような態度」を持って行動していこう。

エドマンド・バークの主張した「保守のための改革」は、このような精神であり、山下貴司氏もまた、そのような精神を発見したバークの思想に共感を覚えているということです。

 

守るための改革:憲法改正に向けた議論をするべき

憲法改正についても触れています。

戦後70年を経て、国内外の諸情勢が激変する中で、ほとんどの主要国は憲法改正を経験しています。それは「守るための改革」をしたのではないでしょうか。

間違えてはならないのは、憲法を変えるかどうかを最終的に決めるのは国民投票だり、国会は憲法改正を発議する場に過ぎない。内閣には提案権すらありません。国民の正しい判断を仰ぐためにも、国会が「この国を保つために、今の憲法に何が足りないのか」を率直に語り合うべきです。議論すらしないとか、ましてや野党が「安倍内閣の下では話し合わない」と主張することは法理論的に間違っている。

2017年5月に安倍総理が改憲の議論を呼び掛けた際、信じられないことに「安倍晋三の改憲議論の呼びかけは憲法違反だ」という主張が共産党界隈を中心に為されました。

彼らは「憲法99条の憲法尊重擁護義務違反だ」「憲法は権力を縛るものであるから権力者からの改憲議論は許されない」と叫び喚いていました。

山下氏は、こうした見解にも真っ向から反論します

憲法とは「この国のかたち」を憲法制定者たる国民が世代を超えて引き継ぐために創るものだと考えています。「憲法は権力者を縛るためにある」とだけ考える議論は一面的に過ぎますし、ましてや、一方的にレッテルを貼る議論や、論拠も検討せずに「憲法学者が言っているから正しいのだ」という、ある意味「権威主義」的な議論には賛成できない。その点は憲法審査会でもしっかり反論しています。

安倍総理の改憲議論に対する否定論は、私も反論しています。

憲法審査会における山下貴司:押し付け憲法なのか?

上記の憲法審査会でも反論している、という部分は、もちろんあります。

192 衆議院 憲法審査会 2号 平成28年11月17日

○山下委員 ー省略ー
 私は、この憲法制定経緯、本日議論するわけでございますが、無用な、かつ不毛なレッテル張りにくみするつもりはございません。ただし、その制定経過、事実に関して目を背けることは、やはり国民の憲法論議に対して不誠実ではなかろうかというふうに考えております。
 その憲法の制定経緯、これは本日お配りされております資料の二十三ページ、憲法制定の経過に関する小委員会の報告書の下線部にまとめられているところであろうかと思います。
 すなわち、「原案が英文で日本政府に交付されたという否定しえない事実、さらにたとえ日本の意思で受諾されたとはいえ、手足を縛られたに等しいポツダム宣言受諾に引き続く占領下においてこの憲法が制定されたということは、明らかなのである」。一方、「全部が全部押しつけられ、強制されたといい切ることができるかといえば、当時の広範な国際環境ないし日本国内における世論なども十分分析、評価する必要もあり、さらに制定の段階において、いわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれたうえで、制定された憲法であるということも否定することはできないであろう。
 我々は、こういった事実も踏まえてやはり議論していく必要があるのであろう。こういった制定経緯を正しく国民と共有することは、七十年の歳月を経た憲法の改正の要否、解釈の要否、変更の要否を考えるに当たっても重要でありますし、無用なレッテル張りを避けるという意味でも重要であるというふうに私は考えております。 

現行の日本国憲法は「押し付けられたものである」という意見があります。

それは一面においては厳然たる事実であるというのは間違いではありません。

しかし、そのように言い切ってしまえるものなのだろうか?GHQ草案に抵抗した当時の日本政府の艱難辛苦を想えば、とてもそうは言えないであろう、というのは、私も同様です。 

竹田恒泰氏も、「押し付け憲法」という用語には反対しています。 

山下貴司氏の説明能力

あらためて言及する必要はないですが、彼の話の分かりやすさがわかる一例として、テロ等準備罪についての解説を紹介します。

山下貴司が尊敬する保守政治家、そして注目する仲間

締めくくりに、彼が尊敬する人物について触れます。

尊敬する保守政治家は、郷土の大先輩である犬養毅元首相、保守合同を成し遂げた三木武吉、ウィンストン・チャーチルです。いずれも国にとって大切なものは何かを見据え、それを守るためには身命を賭してでも闘った政治家です。

注目する保守のホープは自民党の三人。大学の同級生で政府の中枢を担った古川禎久さんと柴山昌彦さん、そして…

古川禎久氏は法務大臣政務官、環境大臣政務官、財務副大臣を歴任しています。柴山昌彦氏は今回の内閣改造で文部科学大臣になりました。

そして…の後には誰が続くか?あなたのその目で確かめてみてください。

以上