天皇陛下が親拝できる環境のために
- 昭和天皇以来、なぜ天皇は御親拝されなくなったのか
- 内閣法制局説:憲法20条3項の政教分離規定の問題?
- A級戦犯合祀に対する昭和天皇の反応を記したとされる「富田メモ」
- 「合祀によって昭和天皇がお怒りになった」に対する解釈の可能性
- 中曽根康弘総理の「公式参拝」の中身:資格が公的であれば公式参拝
- まとめ:国内における政治問題化が天皇の靖国神社御親拝を妨げる原因
昭和天皇以来、なぜ天皇は御親拝されなくなったのか
昭和天皇が昭和50年11月21日に靖国神社に御親拝されて以来、なぜ天皇は御親拝されなくなったのか?これについては以下の説があります。*1
※昭和天皇は毎年御親拝されていたのではなく、数年置きに御親拝されていた
- 内閣法制局説:憲法20条3項の政教分離規定の問題とされたことが原因とする説
- A級戦犯の合祀が原因とする説
- 中韓が騒いだことによって外交問題化したからとする説
ただし、外交問題説は時系列的にも発端として理解することには無理がありますので、ここでは捨象します。
ここに月刊正論平成15年8月臨時増刊号において掲載された安倍晋三議員の靖国参拝に関するインタビューが再録されてます。
— Nathan(ねーさん) (@Nathankirinoha) 2021年5月3日
何て言ってたと思います❓
安倍「議論は大体2つに集約、一つは憲法20条の政教分離違反ではないか…中略…もう一つはいわゆるA級戦犯の合祀の問題」
外国関係ないんですよ。 pic.twitter.com/ox1ZoCc6Sb
内閣法制局説:憲法20条3項の政教分離規定の問題?
前段として、昭和50年8月15日に三木武夫首相が靖国神社を参拝しました。
歴代首相で靖国神社に参拝する者は居ましたが、8日15日の参拝をした総理大臣はこれが初めてでした。その際、記者から「私人か公人か」を問われ「私的参拝だ」と返答しました。
【三木武夫秘書回顧録 三角大福中時代を語る / 岩野美代治 】では、参拝の際に内閣法制局に法的な見解を問うたことが書かれています。これにより、続く11月20日の国会で天皇による参拝に関する憲法上の位置づけが問われるようになったと解すことができると思われます。
政府は「公用車を使用しない・玉ぐし料を国費から支出しない・記帳は公職の肩書きを使用しない・閣僚など公職者が同行しない」の4条件を満たせば私的参拝であるとの解釈を示しました。昭和53年4月25日の国会議事録でも同様の見解の答弁が見つかります。*2
さて、天皇の「公式参拝」について問われた際の答弁は以下になります。
76回 参議院 内閣委員会 4号 昭和50年11月20日
○矢田部理君 先ほどから天皇の靖国参拝は私的行為だと説明をされておりますが、どうしても納得できないわけであります。その前提として幾つかの問題点を伺いたいと思うのでありますが、天皇が公式に靖国神社を参拝すれば、まず憲法に抵触するというお考えに立つのかどうか、その点を第一点にお伺いしたいと思います。
○政府委員(吉國一郎君) これは御承知のように、憲法第二十条第三項に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」という規定がございますが、この宗教的活動は何であるかということについては学者間にもいろいろ議論があるところでございます。非常に広い説を唱える人もあれば、全く布教活動等のような限定的な解釈をする人もございまするけれども、またその中間において、宗教的な施設、神社であろうと寺院であろうと、そういうものに単に表敬をするということについてはこの宗教的活動にならないという説もございますし、また単に表敬をすることは、ならないという議論、つまり、そこで宗教的な儀式を伴って表敬をする、神道の場合でございまするならば神官が出てきておはらいをして、奏楽をして玉ぐしを奉賛する。また寺院であれば、この場合でも仏教の寺院であれば奏楽がございましょう、読経もございましょう、香をたき、あるいは線香を燃やすということもございましょう。そういうような宗教的儀式を伴わない限りは宗教的活動にならないという議論をする学者もございます。ただ、政府といたしましては、その点については、これはまさに国民感情からして割り切って考えなければならない問題でございますので、従来はあくまで私人としての立場でお参りをするということで貫いておるわけでございます。
○矢田部理君 私が伺っているのは、時間がないから端的に答えてください。
天皇が公式行事として 靖国神社を参拝すれば憲法二十条の第三項に抵触することになると考えているのか。イエスかノーかだけ答えてください。
○政府委員(吉國一郎君) 先ほど申し上げましたように、第二十条第三項に直ちに違反するというところまでは徹底して考えることはできないと思います。ただ、第二十条第三項の重大な問題になるという考え方でございます。
ただし、この答弁の翌日に昭和天皇が靖国神社に御親拝したことは周知の事実です。これが現在までの天皇による直近の御親拝となります。
これはスケジュールが既に決まっていたので前日の答弁の影響が無かっただけなのでしょうか?それとも、従来通り「私人としての立場だから」問題ないとされただけなのでしょうか?
いずれにしても、内閣法制局長官の答弁によって憲法上の疑義が生じてしまったために昭和天皇が親拝されなくなったのではないか、というのが内閣法制局説です。
そして、昭和五十年十一月二十八日付けの【衆議院議員吉田法晴君提出天皇の靖国神社参拝に関する質問に対する答弁書】では、天皇が純粋に私人としての立場から参拝しているので問題ないとする答弁書が出ています。
一について
このたびの天皇の御参拝は、本年春、靖国神社から口頭で終戦三十年につき御参拝願いたい旨の申出があり、昭和四十年十月には終戦二十年につき御参拝になつておられる経緯もあつて行われたものである。
御参拝は、天皇の純粋に私人としてのお立場からなされたものであつて、全く政治的な目的を有していない。
二について
天皇が私的なお立場で靖国神社に御参拝になることが日本国憲法の破壊に通じるものとは認められないので、内閣としては、御参拝を中止されるよう助言する考えはない。
右答弁する。
なお、「公式参拝」について、戦前の執り行われ方は以下のような形式であり、「公式参拝」の中身については要注意です。*3*4*5
- 御祭神の遺族は全部国の費用で御招待され
- 合祀祭と称し四日間乃至五日間行われ
- 第一日目には必ず勅使が御参向
- 第二日目か第三日目には、天皇、皇后両陛下が御親拝になり、各皇族方を始め、内閣総理大臣、各国務大臣、又外国の使臣等も御参拝
A級戦犯合祀に対する昭和天皇の反応を記したとされる「富田メモ」
富田メモとは、2006年(平成18年)7月20日の日本経済新聞朝刊により、その存在が報道された元宮内庁長官・富田朝彦がつけていたとされるメモで、「富田長官が残したメモから、昭和天皇がA級戦犯を合祀した靖国神社に強い不快感を示し、『だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ』と長官に語っていたことが判明」と報じられました。
日本経済新聞社は社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」を設置し、2007年4月30日(紙面では5月1日と2日の朝刊)において「最終報告」を掲載、委員会は昭和天皇の発言であるという認識を示しました。
しかし、未だに解釈に疑義が呈されている、という状況です。
以下のような考え方の指針があると考えられます。
- 当該発言は昭和天皇のものなのか?
- そうだとして、A級戦犯合祀をしたことそのものへの憤りなのか?
- 上記解釈が定まっていない状況下で、それを理由に合祀や分祀の正統性を論じるのは、天皇に仮託して自己の主張を補強することになるので不遜ではないか?
- 日経新聞記事の分析が事実だとして、平成以降の天皇が親拝をしていないことの理由にはならないのではないか?
富田メモが真正に作成されたものなのか?という点は措くとして、極一部のメディア人だけが確認しただけの怪文書に過ぎず、再伝聞証拠でしかない。新聞記事であり「報告書」の形で公表されていないし、検証方法をどう行ったのかも不明。
このような「報告」は信ずるに値するものではありません。
「A級戦犯合祀そのものに憤ったために参拝しなくなった」に対する反証として
- その後も天皇の勅使が靖国神社に派遣されている
こうした事実が指摘できます。
約250万柱の慰霊を行う所にA級戦犯とされた者(そのような認定は東京裁判で為されたもの)が合祀されたからといって全体を否定することにはなり得ない。
「合祀によって昭和天皇がお怒りになった」に対する解釈の可能性
仮に、「合祀によって昭和天皇がお怒りになった」としても、それは「合祀の手続について靖国神社側≒松平宮司が強行した事に対する怒り」という解釈の可能性も残る。
さらに、「合祀によって天皇が御親拝されなくなった」と言えるとしても、それは「合祀によっていろいろな論争が起こり政治問題化した、そのため、天皇が論争に巻き込まれることを避けた、或いはそれを避けようとする各所の深慮により御親拝が執り行われなくなった」という理解もあり得る所です。この理解からは、「怒り」が事実だとしてもそれは「親拝をさらに難しくする社会的状況を引き起こしたこと」に対してのことではないか?という疑問も出てきます。
そして、「A級戦犯合祀それ自体を昭和天皇が問題視した」と解しても、昭和天皇の意思を絶対視するべきではなく、今後の天皇の御親拝の可能性開かれているのではないか?という事も言えるはずです。「大御心」は、天皇個人の意思ではないからです。*6
なお、毎日新聞が2014年に「昭和天皇実録…富田メモを追認」などとタイトルに書いてますが、実際の記事には以下書かれています。
昭和天皇実録:靖国神社不参拝の経緯…「富田メモ」を追認
毎日新聞 2014年09月09日 05時03分(最終更新 09月09日 08時09分)新聞報道を記載したことに対して、同庁は実録の説明の中で「社会的な反響、影響が大きかったことから報道があったという事実を掲載した」と述べ、「メモの解釈はさまざまで、A級戦犯合祀と昭和天皇の靖国神社不参拝をとらえた富田メモや報道内容を是認したわけではない」としている。
中曽根康弘総理の「公式参拝」の中身:資格が公的であれば公式参拝
久野潤氏によれば、先代の筑波藤麿宮司が「宮司願い」で陛下に御親拝を御所望していたのを「中曽根公式参拝」で政治問題化させたので松平永芳宮司は陛下を守るために要望しなくなった、と指摘しています。
天皇の御親拝がなくなったのはこのタイミング以降であるという解釈も可能なように思われます。
昭和60年=1985年の中曽根「公式参拝」に先立ち*7、中曽根総理は「公式参拝」への意欲を見せており、昭和58年時点でそれに対する反発があったことが分かります。
また、識者を集めた「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会報告書靖国懇談会」をつくり「公式参拝は合憲」とする答申を得ています。
ただ、そこでの「公式参拝」の中身は異質なものでした。
その際、参拝の形式については、いわゆる正式参拝(靖国神社の定めた方式に従った参拝であり、昇殿を伴う。)又は社頭参拝等の形式に左右されるものではなく、さらに、神道の形式にも限定されない。すなわち、閣僚が自らの思うところの方式に従って拝礼するとしても、その資格が公的であればやはり公式参拝であると考える。また、靖国神社で行われる儀式・行事(例えば、多数の遺族によって行われる追悼のための儀式・行事も含む。)に公的資格で参列して拝礼するような場合も公式参拝と言うべきであろう。
中曽根総理の実際の参拝の態様は、「二拝二拍手一拝」の神道形式ではなく、本殿で一礼のみ、公費から供花料(※玉串料ではない)を支出し、手水は使わず、宮司の祓いも受けませんでした。*8
まとめ:国内における政治問題化が天皇の靖国神社御親拝を妨げる原因
内閣法制局説・A級戦犯合祀説を見てきましたが、より大きな枠組みとして、そうした状況を含めた「国内における政治問題化」が天皇の靖国神社御親拝を妨げている原因であると言えるのではないでしょうか?
内閣法制局が憲法20条3項の重大な問題になり得る答弁したのも「公式行事」に対してであり、「従来はあくまで私人としての立場で」と、天皇の参拝そのものが憲法上禁止されていると解しているようには見えません。
ただ、「その答弁により憲法上の懸念があるという論争状況が生じた」という【起点としての意味】は薄れないと言えます。
A級戦犯合祀説も、軽々な結論の導き方には注意すべきとは言え、「国内における政治問題化」の一端を担ったものと捉えられる可能性は残っているように思えます。
参拝形式が従前の昭和天皇のようなものであれば憲法問題はクリアできるのではないか?靖国神社側から「宮司願い」で陛下に御親拝を所望した場合には更にハードルが下がるのではないか?あとは騒がしい状況がある程度静まるタイミング次第なのではないか?*11
以上:はてなブックマークをお願いします。
*1:「参拝」ではなく「御親拝」としていることの意味について:遥拝という手段の可能性⇒【元宮・鎮霊社】靖国神社の末社、一般参拝は可能?遥拝という手段。 - 事実を整える/対馬の和多都美神社:韓国人・外国人の「参拝禁止」は誤り - 事実を整える
*2:第84回国会 参議院 内閣委員会 第9号 昭和53年4月25日
○政府委員(真田秀夫君) 去る四月二十一日に総理が靖国神社にお参りになりましたが、それが公的であるか私的であるかを、だれがどうして決めるかという端的な御質問でございますけれども、考えてみまするに、そういう神社なり仏閣なり、そういうところにお参りするというような行為は、これは原則としてまず私人としての宗教心のあらわれでございますので、特別な事由がない限り、これは私的な行為であるというのが素直な見方でございまして、特別に、たとえば国の公費をもって玉ぐし料を差し上げるとか、そういうような特別な外形的事情が伴わない限りはまず私的な行為であるというふうに言って差し支えないだろうと思います。
*3:岩手靖国訴訟で違憲とされた「公式参拝」が「単に公人の肩書を付した参拝」ではないことについて|Nathan(ねーさん)
*4:岩手靖国訴訟の「公式参拝」が全く別物だという話|Nathan(ねーさん)
*5:岩手靖国訴訟仙台高裁判決の補足|Nathan(ねーさん)
*7:この参拝に関して違憲訴訟が為されたが、2つの高裁で「違憲の疑い」と判示されたが請求は棄却されている。特に大阪高判平成4年7月30日判決は「昭和六〇年当時におけるわが国の一般社会の状況の下においては」という判示がある⇒https://www.jstage.jst.go.jp/article/houseiken/1/0/1_KJ00003600821/_pdf
*8:この際に「玉串料」を支出したと書かれているものが多いが誤りで、供花料であることが答弁されている⇒衆議院議員井坂信彦君提出内閣総理大臣が行う靖国神社参拝に関する質問に対する答弁書
*9:内閣総理大臣その他の国務大臣による靖国神社公式参拝に関する後藤田内閣官房長官談話
*10:内閣総理大臣その他の国務大臣による靖国神社公式参拝についての藤波内閣官房長官談話
*11:中曽根「公式参拝」について違憲疑いと判示した前掲大阪高裁は「本件公式参拝の行われた昭和六〇年当時は勿論のこと、現在においても、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、国の機関として、宗教団体である靖国神社に、公式に参拝することに対しては、強く反対する者があり、未だ、右公式参拝を是認する圧倒的多数の国民的合意は、得られていないこと」を挙げる。