臨時国会10月7日の衆院本会議の代表質問において、立憲民主党の枝野幸男議員が「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった上に、表現の不自由展が属する「国際現代美術展」への補助金約7800万円全額を交付しないと文化庁が発表したことについて取り上げました。
- 枝野「文化庁の補助金不交付は事実上の事前検閲」
- 安倍総理「ありもしない危機を煽るのは芸術家に対しても失礼」
- 文化庁のトリエンナーレ補助金は愛知県が事業者
- 単なる公的場所の使用・公金支出ではない
- 憲法上の表現の自由の問題では無く契約関係・政府言論
- 本当に「萎縮している報道機関など存在しない」のか
枝野「文化庁の補助金不交付は事実上の事前検閲」
安倍首相が“事実上の事前検閲”との指摘に反論「ありもしない危機を煽るのは芸術家の皆さんに失礼」【あいちトリエンナーレ】 | ハフポスト
枝野代表は「必要な情報が事前に申告されなかった」という理由で文化庁が補助金の不交付決定したことについて「表現に対する抗議を事前に予想するのは困難」とした上で、「多くの人は結局、展示の中身が気にくわないから金を出さないのだと受け止めています」と指摘した。
その上で「こんなことが前例とされるなら、今後は『議論を起こすような展示は公的補助を受けることが難しくなるのではないか?』と萎縮効果が働いて、お上に迎合した当たり障りのない表現だけに徹しようという『事実上の事前検閲』につながってしまいます。不交付決定を違法不当として撤回し、当初の決定通り補助金を交付すべきと考えますが、総理の見解を伺います」と、安倍首相に質問した。
「事実上の事前検閲」
などと大層なワードを使ってますが、まったく的外れです。
安倍総理「ありもしない危機を煽るのは芸術家に対しても失礼」
衆議院インターネット審議中継:2019年10月7日 (月) 本会議 (2時間05分)
2時間40分以降に言及があります。
より直接的には2時間40分55秒以降の発言です。
安倍政権に対する連日の報道を見れば、おわかりいただけると思いますが(会場笑い声)、萎縮している報道機関など存在しないと考えています。それにも関わらず、ありもしない危機をいたずらに煽るのは我が国の隆々たる各言論機関、才能あふれる芸術家のみなさんに対して大変失礼であるのみならず、外国からの誤解を生みかねないものであります。報道の自由、表現の自由はまさに民主主義を担保するものであり、当然尊重されるべきものであることは言うまでもなく、 日本国憲法に基づいてしっかり保障されていることは、立憲を党名に掲げる枝野議員であれば、ご理解いただけるものと考えています。
ありもしない危機をいたずらに煽る
文化庁の補助金不交付についてはメディアが事実関係をぼかして報道してるので、どういう構図なのかが伝わっていないと思います。
文化庁のトリエンナーレ補助金は愛知県が事業者
あいちトリエンナーレの国際現代美術展は、日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)の補助金の採択を受けましたが、事業者は「愛知県」となっています。
表現の不自由展やその他作品の出品者に対して補助金が出ているのではありません。
文化事業の補助金が自治体に交付されるということは、受益者は広く国民であるということを意味します。
補助金が出なくとも、展示をするかしないかを決めるのはトリエンナーレ実行委員会であり、国は関係ありません。
単なる公的場所の使用・公金支出ではない
そして、トリエンナーレは実行委員会方式で民間企業・団体も構成員になっていますが、会長が愛知県知事であり、ドメインが愛知県のもので、電話窓口の対応が愛知県の職員であるなど、実態は愛知県という公的機関が事業主体であるという「公的事業」です。
単に公共施設を民間企業が使ったり、民間事業に対して補助金が支出されているという事案とは一線を画すべき事案なのです。
憲法上の表現の自由の問題では無く契約関係・政府言論
政府の言論と人権理論 (3) 金澤, 誠 北大法学論集, 61(5), 144[65]-81[128]
"Summun判決"というアメリカの判例では、表現の自由の問題ではないとされました。
要するに公的事業は「政府自身の行為=政府言論」なので政府の裁量が強く働くべきであるから、表現の自由条項は適用されないと言い切っています。
そして、トリエンナーレ検証委員会の委員である憲法学の曽我部教授も、本件は基本的に契約関係であり、憲法上の表現の自由の問題には成り難い、と結論づけています。
その上で、素朴な意味での表現の自由、については守られるべきであるという主張であり、そこは筋が通っていると思います。
「憲法上の検閲」というのは表現の自由について定めた憲法21条の話ですから、そもそも表現の自由の枠組みに入らないというのであれば「検閲」の定義がどうであれ、検閲には成りえないということです。
検閲の代表例とは、本来、自由に出版できるものであるはずなのに、出版前に行政機関が内容をチェックして出版禁止にすることです。
今回の作品の著作者らは、自分らで作品を展示することは何ら禁止されていません。
したがって、ありもしない危機をいたずらに煽るというのはまったくその通りですし、まるで憲法上の検閲があったかのように報じるメディアや一部の憲法学者らは本当にミスリーディングであり、有害だと思います。
本当に「萎縮している報道機関など存在しない」のか
さて、本当に安倍総理が言うように「萎縮している報道機関など存在しない」のかは疑問です。
関西電力の金品受領問題では、元高浜町助役の森山栄治氏のパーソナリティーの問題とされ、後は「原子力事業の闇」という論点に終始した報道がなされています。
しかし、なぜ単なる助役が犯罪行為をしながら刑事告発もされずに関西電力という巨大企業が恐れていたのかという力の背景について、大手メディアはまったく触れようとしませんし、明らかに避けています。
ですから、「萎縮している報道機関など存在しない」はフェイクでしょう。
野党はこの点を突っ込むべきなのに、なぜしないのでしょうか?
部落解放同盟と懇意な立憲民主党では無理でしょうかね。
以上