事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

辺野古埋立て県民投票「7割反対」「6割賛成」?政府は沖縄の民意を尊重せよ

県民投票、沖縄

 

辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票が行われました。

「反対派が7割」というメディアの報道があります。

しかし、「積極的に反対しなかった者が6割」という側面を無視してはいけません。

なぜ棄権者をそのように考えることになるのか?という理論的根拠をまとめます。

棄権者は多数意思に白紙委任をしたと解釈する通常選挙

魚拓:http://archive.is/AqZP0

私たちは選挙の際には棄権者=投票しなかった者の意向を考慮することはありません。

棄権者は多数意思に白紙委任した(=選挙結果に委ねる)と解釈するのです。

さて、そのように解釈するのはなぜでしょうか?

それは選挙結果が現実を動かす法的効果を発生させるからです。

棄権者の意思を県民投票条例自身が考慮している

前提として、日本の選挙・投票制度は「投票した者のうち、多数の得票を得た選択肢を採用する」ことになっていることがほとんどです。

この場合、投票率がいくらであっても、投票した多数派の選択肢が結果に反映されます。この場合に「棄権者が多数派だから」と言って選挙結果が無効になることはありません。それは「投票した者のうち、多数派の選択肢を採用する」ことが法定されているからです。

選挙結果が法的な根拠を伴うからこそ投票しなかった者の民意は捨象されます。

今回の沖縄県民投票はどうでしょうか?

沖縄県民投票は通常の選挙とは異なる

まず「選挙」と一部で言われたりしますが今回のイベントの名称は「県民投票」です。

公職選挙法の適用もありません。

通常の選挙とは異なるということは沖縄県の県民投票推進課も言っています。

次に、有権者の4分の1以上の得票数を超えれば沖縄県知事が多数意見を尊重すべきと条例に書いてあります。

辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例

第10条 
2 県民投票において、本件埋立てに対する賛成の投票の数又は反対の投票のいずれか多い数が投票資格者の総数の4分の1に達したときは、知事はその結果を尊重しなければならない。

単純に埋め立て反対派が賛成派を上回っても、有権者数の4分の1に達しなければ「結果の尊重」すらできないということになります。

ここには【反対派vs賛成派】という比較以外に、【投票者vs無投票者】という比較があります。

つまり、沖縄県民投票それ自体に、棄権者=無投票者の影響があることが内在しているということになります。

総議員の3分の2以上の賛成がなければ憲法改正の発議ができないのと同様、棄権であっても意味のある行動となるのです。

辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票は全国的な法的拘束力がない

さらに、今回の沖縄県民投票は、全国的な法的拘束力がありません

上述の通り、結果を「尊重」すべきなのは沖縄県知事であり、日本政府には何らの義務も発生しません。

辺野古の埋め立てに反対する者が多数派になったところで、埋め立て工事を中止させるための何等の根拠を持ちません。県の埋め立て承認を撤回させるための理由にもなりません。

沖縄県知事が棄権者の行為を考慮することは条例上できませんが、日本政府には棄権者の行為を考慮してはいけない理由はありません。なぜなら、日本政府が投票者のうちの多数派の意見を尊重すべき法的根拠がないからです。

しかも、県民投票条例の成立にあたっては「誠実な協議」を欠いた違法があります。

法的には弱い県民投票だからこそ、「反対派がどれだけ積極的に反対票を投じるか」が問題になるのです。法的な正統性とは別個に、「政治的な正統性」が付与されるかが争点だったのです。

投票結果に対しての法的拘束力が及ばない政府が、このような瑕疵のある投票についてどう判断するか。その際に棄権者の「民意」を考慮してはいけない理由はないでしょう。

同様のことはFNNの平井文夫さんも指摘してます。

「辺野古反対が民意」はトリックだ 我々はまた悪夢を見なければいけないのか - FNN.jpプライムオンライン

ちなみに投票に行かない事は多数意見への白紙委任だと主張する人がいるが、 それは国政選挙など法的拘束力のある投票の場合だ。 今回の投票には拘束力はなく、あくまで 世論の傾向を知事や議会が把握するためのものなのだ。

「投票をするイベント」だからといって、私たちが通常、「選挙」と理解している事象と同じように考えなければならないと言う人は、事の本質が見えていないということになります。

ただし

棄権者の意見を考慮すべきと言うなら、反対派も棄権者に含まれるのでは?

このような指摘があるでしょう。

しかし、それは成り立ちません。

「棄権者に反対派も含まれる」の誤解

今回の県民投票は【既に行われている埋め立てに反対するという目的で条例制定され、反対票を示すために県民投票が行われた】という事実があります。

反対派が反対するために設定した県民投票です。

なので、現状のままで良いと考える者=賛成派は、わざわざ投票機会を設けることの意義を見出せません。

よって、「反対派がどれだけ積極的に反対票を投じるか」が問題になる投票なのです。

ただ、これだけだと「憲法改正の国民投票も同じだ!」という指摘があり得ます。

憲法改正は現状を変えたい者が行うものであって、現状維持を希望する者はわざわざ投票する意義が見いだせないというなら国民投票も同じだ

この問いにどう応えれば良いでしょうか?

むしろ国民投票と対比して論じた方が分かりやすいということもあるので述べていきます。

憲法改正の国民投票を例に、その違い

まず、ある法規についてはおよそ改正の可能性があります

改正についての規定を設けるのが当然であり、それは特定の目的を目指したものではありません。

対して沖縄県民投票条例は、ある行為について反対という特定目的のためだけに制定されました。

言葉の上っ面では「普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋立てに対し、県民の意思を示すことを目的」としていますが、事実経過からはそんなことは言えません。

次に、沖縄県の県民投票は、辺野古基地移設のための埋め立ては既に適法に行われています。

移設のための埋め立て工事を始めるか否か」と「移設のために行っている埋め立て工事を止めるか否か」はまったく違います。今回の県民投票は後者であり、「蒸し返し」の類の話になります。

憲法改正の例にたとえるならば、「既に国民投票を経て改正された憲法に対して反対している」のが今回の沖縄県民投票なのです。

「憲法改正に反対」ではなく「改正された憲法に反対」なのです。

蒸し返しの必要性・妥当性を議論していない県民投票

現実には「改正された憲法に反対」は、「新たな憲法改正」という手続を経ることになります。ただ、その際は、なぜ改正するのかという議論(憲法審査会や衆参議院での質疑)を通して立法事実についての検討が必要になります。

ところが、字義通りの「改正された憲法に反対」はそういった議論を経ませんし、立法事実は存在しません。単に「元に戻す」ということですからね。

沖縄県民投票の話に戻せば、今回はなぜ普天間の固定化をするのか・なぜ辺野古に移設するのか、という議論だけしても意味はありません。そういう議論は既に行っており、それだけをしても「蒸し返し」に過ぎません。

本来は【なぜ蒸し返しをしないといけないのか?】という議論が必要なはずですが、この点について実質的な議論をしているものは見当たりません。沖縄県議会で県民投票条例の制定に際して審議がありましたが、この観点はほぼありませんでした。

やはり法定されている国民投票の結果の効果

さらに、憲法改正の国民投票は、「投票において過半数の賛成」によって決するということが憲法96条に書いてあります。

これを『「投票において」とは棄権者も含む』と屁理屈を言おうとしても、日本国憲法の改正手続きに関する法律において「投票総数の二分の一」と明記されていますので無理です。

このように、国民投票は国民が「投票数の多数派の結果」に服するべきことが法定されているのです。

したがって、憲法改正の国民投票と、今回の沖縄県民投票はパラレルに論じることができない性質のものになっているのです。

まとめ:積極的に反対票を投じなかったのが有権者数の6割

  1. 棄権者の「民意」をも考慮するべき理由
  2. 考慮された棄権者の「民意」を「積極的に反対しなかった」と理解すべき理由

1番は、「政府にとっては法的拘束力がないため、投票多数派の意見のみを考慮すべき必然性がない」と言えます。

2番は、「蒸し返しであり、法的正統性の無い結果を導くと同時に政治的正統性を獲得するために、辺野古埋め立てに反対の目的で制定された条例に基づいて、反対派が反対の意思を示すことが目指された県民投票だから」と言えます。

法的拘束力を持たない蒸し返しの話を、「民意」だからといって強引に方針変更を迫るためには、それこそ「圧倒的な反対票」がなければ政治的な正統性すら無いでしょう。

「投票者の中で反対が7割」は民意ですが、もう一つの側面としての「積極的に反対票を投じなかったのが有権者数の6割」も民意です。

政府は沖縄県の「民意」を尊重すべきだと思います。

以上