「元宮」と「鎮霊社」をご存じでしょうか?
- 靖国神社本殿とは異なる方を祀る場所
- 靖国神社の『元宮』とは
- 靖国神社の『鎮霊社』とは
- 元宮と鎮霊社の場所
- 元宮と鎮霊社の設置・参拝と封鎖の前後の経緯
- 鎮霊社や元宮は現在は参拝できないのか?
- 結語: 元宮や鎮霊社に近寄れると思った方へ
靖国神社本殿とは異なる方を祀る場所
靖国神社には本殿に祀られている方とは異なる方を祀る場所があるということをご存じでしょうか?
それが「元宮」と「鎮霊社」です。
この二つの靖国神社における扱いについては変遷があり、情報の発信年度によって説明にずれがあるため、ここで整理していきます。
※確認方法:現地調査+靖国神社社務所担当者への質問+参拝者からの情報提供
靖国神社の『元宮』とは
国学者の福羽美静らを筆頭とする津和野藩の藩士が幕末(1863年)に、倒幕の戦いで命を落とした朝廷方志士の霊を慰めようと、京都東山の霊明社と祇園社で招魂の祠を建てた。これを1931年に東京の靖国神社の地に奉納したものが、「元宮」と呼ばれるようになったというものです。
※靖国神社事務所に確認済み
http://www.yasukuni.or.jp/precincts/motomiya.html
「元宮」と呼ばれている理由は、靖国神社の前身だから、という説明がなされています。が、靖国神社と京都の各社は全く関係がありません。
それでも「前身」と呼ばれているのは、幕末という国難の時期にあたり朝廷方で命を落とした者を慰霊するという意味において「思想的源流」とみなしているのだろうという分析がしっくりくる。
この認識は、以下の方のブログでの指摘が元です。とても説得力がある。
靖国神社社務所も、両社は共に朝廷方の志士を祀ったものとして共通性があると指摘していますから、上記分析は正当だと思います。
靖国神社の『鎮霊社』とは
由緒は「明治維新以来の戦争・事変に起因して死没し、靖国神社に合祀されぬ人々の霊を慰める為、万邦諸国の戦没者も共に鎮齋する」ためのものです。
つまり、靖国神社本殿・元宮に祀られることのない、すべての国の戦争に起因する死者の霊を慰めるものです。こちらには鳥居が建っていません。
靖国神社本殿の御祭神は「奉慰顕彰」の対象ということですが、鎮霊社の御祭神は「奉慰」の対象とのことです。
「奉慰」とは、「霊を慰めること」、「顕彰」とは、「個人の著名でない功績や善行を称えて広く世間に知らしめること」という意味です。
鎮霊社の御祭神の扱いについては、靖国神社の設立経緯など歴史的な議論があり、問題が錯綜しているため、ここでは立ち入りません。
元宮と鎮霊社の場所
関係個所だけ赤枠で囲ってあります。
本来の参拝経路は、拝殿の左側に通用口があるためそこから行くのですが
ご覧のように閉ざされています。かつては「警備の為現在閉鎖しております」という掲示がされていましたが、それすら現在はありません。
そして、ここからは元宮も鎮魂社も全く見えません。別の場所からは一応見えます。
別の場所とは、靖国神社の全体図からは分かりにくいのですが境内の案内板で説明すると以下の場所です。
拝殿の南側には参道があります。そこから☆星の位置まで進むと鎮霊社が見えます。
ただし、鉄の柵で阻まれており、看板が見える位置にすら行けません。
詳しい位置関係は以下の動画(「
」様撮影)を参照ください。元宮と鎮霊社の設置・参拝と封鎖の前後の経緯
※靖国神社事務所に確認済み
- 1931年に京都に建てられた祠を靖国神社に奉納。「元宮」と呼ばれるように。
※一般参拝可能な状態ではなかった - 1965年7月、筑波宮司により鎮霊社建立
※一般参拝可能な状態ではなかった - 2006年10月12日に元宮・鎮霊社が一般参拝可能に
※公開後、元宮と鎮霊社の位置が人目につかない位置であることから警備上の懸念が一般的に示されており、公開を制限すべきではという意見が神社内にあった。 - 2013年9月22日、韓国人の男が靖国神社拝殿にペットボトルに入った引火性のトルエンとみられる液体を投げかけようとした(放火未遂)
この事件の前からか後からかは不明であるが、この頃には完全公開とはせずに申し出た者のみが参拝可能になるような制限がかかっていたとされる。
※青山繁晴氏(現参議院議員)が同年10月23日放送の関西TVニュースアンカーのコーナーにて、「申し出れば入れる」と言及していたことからも、この頃の参拝制限は確実と言える。 - 2013年12月26日、安倍総理が鎮霊社に参拝(元宮は不明)
- 2014年12月31日、男性により鎮霊社に対する放火
※正確な経緯は「靖国神社事務所も把握していない」と8月1日に架電した際に回答をもらう。この頃には元宮・鎮霊社へ近寄ることが完全禁止となっていたと思われる。 - 2017年7月28日、ブログ主拝殿参拝。元宮・鎮霊社への近寄りは完全禁止。
このように、元宮・鎮霊社の参拝については
- 当初は一般参拝を想定せず
- 途中で一般参拝が解禁され、
- 段階的に制限がかけられてきた
以上のような経緯があります。
ネット等で近くまで立ち寄っている動画が上がっているものは2014年以前のものがほとんどであり、「制限されているが参拝は可能」「完全に参拝不可能」という情報が錯そうしているのはこのような経緯が原因であることが明確になりました。
鎮霊社や元宮は現在は参拝できないのか?
靖国神社による元宮と鎮霊社の扱いについて
こちらについて靖国神社事務所に確認しました。
- 鎮霊社は7月13日の例祭のときに参拝可能と説明だが、一般人も簡単にお参りできる状態なのか?
⇒現在は一般人も「立ち寄れる」状態ではない - 修学旅行のために団体ということであれば上記以外の日でも参拝可能か
⇒団体だとより警備を厳戒にする必要が高まるため「立ち寄る」のは不可能 - 元宮の参拝も例祭(4月1日)のときに限定されるのか?
⇒これも現在は一般人が近くに「立ち寄れる」状態ではない
ということですが、どうも「参拝ができない」という表現が避けられているようです。
遥拝という参拝手段
おはようございます。
— 伊達JKN@神社&史跡世界の片隅に (@Jinja_Kikou_Net) 2017年8月1日
靖國神社鎮霊社の例祭は毎年みたままつり前夜祭(7月13日の夜)に行われております。
結論から先に書きます。
例祭は、もちろん鎮霊社にて斎行されます。
しかし現在は鎮霊社近くには一般参拝者は近寄ることが出来ず遙拝という型式での参拝となります。 https://t.co/3fa9qfmdJa
この説明は社務所とも合致しております。
「遥拝」(ようはい)とは、遠く離れたところから神仏などを拝むことを意味します。
靖国神社の神主等は、元宮や鎮霊社の近くに行き、お祭りするが、一般人は遠巻きに見るということになります。
ですので、『一般人が近寄れるわけではないが、「遥拝」という方法で「お参りはできる」』という説明になります。これは例祭だけでなく、通常の日であっても可能、ということになります。
ただ、「遥拝」という参拝方法には馴染みが薄いため、この事を聞いたときには最初は驚きました。やはり、お近くに寄ってお参りするのが本来ですよね。
結語: 元宮や鎮霊社に近寄れると思った方へ
残念ながら2017年8月4日時点では元宮や鎮霊社には立ち寄ることはできません。
ネットでは過去の情報があり、それを元に立ち寄ろうとする方が多いと予想されるため、その場合には折角の労力が台無しになってしまいます。靖国神社のHPでは、さも「普通に」参拝可能なように記載されているため、誤解を招く情況になっています。
無駄足になってしまった場合、靖国神社や他の情報発信者のせいにして欲しくはありません。
こうなった原因は、世の中に報じられた事件の影響が大きいと言えると思いますが、それ以外にも多くの嫌がらせがあったと聞いています。こうした状況は、とても悲しいことです。
『現在の姿は、本来の姿なのか?それはそうではない』という点で、社務所も私たちも志を一つにしています。
将来の一般開放を祈念して、この記事を締めくくりたいと思います。
以上