以下は最初にこの問題についてコメントしたバージョンです。
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【新学習指導要領案の再考を求めます】
【新学習指導要領案の再考を求めます】
第一 報道されている内容
新聞等で報道されている新学習指導要領案には、「「聖徳太子」は小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、中学校は「厩戸王(聖徳太子)」に変更。小学校では人物に親しみ、中学校では史実を重視する観点から表記を入れ替えている。聖徳太子は死後につけられた称号で、近年の研究では厩戸王に当たる可能性が高いとされている。」
とある一方、「「日華事変」はより一般的に使われている「日中戦争」に表記を変えた。」
という内容であると報道されています。
第二 私の認識している事実
1:「厩戸皇子」の表記は、日本書紀に存在しています。一方、「厩戸王」の表記をお目にかかることはありませんが、ここでは、そのような表記が存在していているものとして論じます。
2:「事変」という表記には、「国対国の宣戦布告のある大規模戦争ではない」という意味があります。なお、以下では歴史的事実を指す語としては、日華事変=日中戦争=支那事変という語を用います。
第三 表記変更に対する評価
1:他の表記変更と異質な変更を含むことについて
新学習指導要領案には他にも表記変更がなされる項目がありますが、いずれも正式な歴史的事実の教育に資する観点から行われています。しかし、日華事変を日中戦争に変えるというのは、上記に示した通り、なぜかこの部分だけが「一般的な呼称」に合わせた変更であり、不可解です。
2:「事変」と「戦争」の違いを明確にする意義
(1)学問上の意義
支那事変を戦争とみるべきか否かについては、歴史学説上、種々の議論があることは承知しており、実質的な戦争とみることもできるという説があることは認識しています。しかし、正式な歴史的事実の教育に資する観点からは、当時の支那大陸における政体の混乱をも伝えるべきということになります。「日中戦争」という表記では、まるで「中国」という国家が確固たる地位を国際社会から認められ、統治機構を持ち、全国を統制していたという誤った認識を生徒に与えることになります。実態は国民党=中華民国=台湾と、共産党が争っていたのであり、国家としての体をなしていない状態だった、というのが正式な歴史的事実です。また、第二にて示した事変という語が持つ上記意味をも無視したものとなってしまいます。このようにして、「日中戦争」という表記を国家が教科書に求めるというのは、正式な歴史的事実の教育に資する観点から不適切です。
(2)政治的干渉の存在についての疑義
支那共産党政府にくみする者による、使用する言葉の強制による認識の変更の可能性を指摘します。「日中戦争」は、まるで今の中華人民共和国と日本が戦争をしていた、という認識を与えます。これは、正式な歴史的事実の教育に資する観点からも不適切ですし、支那共産党政府の国家戦略にくみするものです。そのような事実は不存在です。
3:「厩戸皇子」ではなく、「厩戸王」という表記を使い、かつ、聖徳太子を指す第一呼称とすることについて
まず、これまでの用語法は聖徳太子(厩戸王)ということでしたが、この点からすでにして疑問です。このような表記とするための、ありうる正統な理由としては、「聖徳太子」として認識されている人物が、学問上「厩戸皇子」と同一ではなく、「厩戸王」とのみ人格の同一性が認められる、というものです。このような理由が存在しているのでしょうか?仮にそうではないとするならば、次のような後ろ暗い思惑を指摘します。すなわち、「皇子」ではなく「王」とするのは、格下げを意味するものであり、聖徳太子に対する日本国民の敬意を低下させる意図を含むものであるというものです。
既述の通り、今回の表記法の変更については支那共産党政府の影響の可能性が疑われる以上、このような意図の存在を推認することも無理なことではありません。
4 結論
「厩戸王」を改め、「聖徳太子(厩戸皇子)」と表記すること、「日中戦争」という表記を国家が定めてはならず、定めるとすれば「日華事変」「日支事変」「支那事変」とすべき。
以上
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さて、上記では「厩戸王」についてのコメントは不十分であると感じましたので、改めて情報収集した結果、この点に特化したコメントも必要だと思うに至りました。これについては別日記で書きましたのでそちらを参照ください。
※追記:その後、学習指導要領に「聖徳太子」は残る
その後、学習指導要領に「聖徳太子」は残りました。
また、パブリックコメントの多さが取り上げられ、相当数の国民が反対していたことも挙げられています。本件にまつわる社会状況も含めたまとめを後年に作成したので以下リンクを貼り付けます。