反社会的組織の存在がまた明らかになりました。
- JCJ日本ジャーナリスト会議が道新記者逮捕に抗議声明
- 「行き過ぎた大学の取材規制・取材者への脅迫・市民社会の自由の束縛」
- 記者の取材を僭称すれば刑事法を免れることが可能になる論理
- 警察官に記者の身柄を引き渡す前に所属が明らかになった?
- 任意捜査を「異様」と指摘する異常なJCJ
- 説明や警察権力に頼らない対応を強要するJCJ
- 「報道規制をかいくぐってでも取材するのが記者の仕事」という驕り
JCJ日本ジャーナリスト会議が道新記者逮捕に抗議声明
JCJ日本ジャーナリスト会議が【北海道新聞記者の逮捕に抗議する 建造物侵入罪の濫用は取材行為への脅しに直結】とする抗議声明を公表。
内容が相変わらずなので指摘します。
「行き過ぎた大学の取材規制・取材者への脅迫・市民社会の自由の束縛」
予め言っておくが、これは「逮捕」自体をも問題視しており、現在身柄を解放して行われている捜査や、今後行われるかもしれない起訴に限定して言及されたものではない。
JCJ「行き過ぎた大学の取材規制」
⇒記者は所属を隠していたので大学側は取材と認識不可能
JCJ「取材者への一種の脅迫」
⇒記者は所属を隠していたので大学側は取材と認識不可能
JCJ「市民社会の自由の束縛」
⇒変質者でも記者を名乗れば正当化できる主張。度し難い。
事実関係と法的扱いについては以下で整理済み。
記者の取材を僭称すれば刑事法を免れることが可能になる論理
今回の逮捕は建造物侵入罪の濫用の疑いが濃厚だ。今後、建物内の取材規制に同罪が悪用されれば、報道の自由は大きく揺らぐ。現に、取材のためにカルト教団の公開施設に入ったフリーランスの記者が建造物侵入罪で有罪判決を受けるという問題が起きている。新型コロナウイルスの感染防止を理由にすれば、どこでも取材記者を立入禁止にできるという悪しき例にもなる。
JCJはこう言うが、むしろJCJの方が「記者の取材を僭称すれば刑事法を免れることが可能になる論理」と振りかざしている。
このJCJとかいう反社会的組織、「カルト教団だから人権は無い」とでも言うのだろうか?(法人の人権享有主体性はその性質上可能な範囲で認められている)。
警察官に記者の身柄を引き渡す前に所属が明らかになった?
道新関係者によると、記者は警察官に身柄を引き渡される前に姓名と身分を明かしていたという。それが事実なら、大学は新聞記者と認識した上で警察に引き渡したことになる。
北海道新聞では以下書いています。
記者が北海道新聞の名刺と腕章を示したのは警察官が駆けつけた後でした。
旭川医大側が警察官に身柄を引き渡した時点では新聞記者と認識していたというのはそうなんでしょう。
だから何なんだろう???
任意捜査を「異様」と指摘する異常なJCJ
その後の警察の対応も明らかに異様である。48時間の留置後、任意捜査に切り替え、記者を釈放したが、捜査は継続中とのことである。記者の行動への指示命令系統を解明するための捜査らしい。いったい何が目的なのか、深い疑問を禁じ得ない。報道機関への過剰な「一罰百戒」の意図が透けて見える。
勾留をせずに任意捜査をしている道警について「異様」と口走るJCJ。
「指示命令系統の捜査をする」目的に「何が目的なのか」とは、何を言ってるのか?
ちょっと文章からは正常な思考を感じられない。
教唆犯・間接正犯の成立を考えて捜査するのは当たり前。
説明や警察権力に頼らない対応を強要するJCJ
新記者は立入禁止区域に無断で立ち入り、非公開の会議をドアの隙間から無断録音していたという。大学側がこの人物を取材中の記者だと認識したとすれば、記者に抗議して退去を求める、北海道新聞に抗議する、取材手法の是非を社会に問う、など警察権力に頼らない対応ができる状況ではなかったのか。現行犯で逮捕する必要があるほどの実害も、大学側の説明からは見当たらない。
なぜ、「警察権力に頼らない対応」を強要されなければならないのか。
現行犯逮捕の必要を大学が説明しなければならないなどというのは論外。
現行犯はその性質上、一般に逮捕の必要性が推定され、個々の逮捕の際に具体的に判断される必要は無い。
例外的に必要性にかける場合があるが、建造物侵入の場合は肯定。
私人逮捕時にその判断を得てからでないとダメだというなら、犯人取り逃しの危険の方が高くなる。
なぜ、犯人の側が被害者に「説明しろ!」と罵るのか?
理解に苦しむ。
旭川医大は、報道機関側からの取材は「差し控える」と回答しているようだが、当然でしょう。
なぜ質問に対する応答を曲解する常習犯である【犯人側】たる報道機関に対して、被害者が質問に答えなければならないのか?
「報道規制をかいくぐってでも取材するのが記者の仕事」という驕り
報道規制をかいくぐってでも事実に肉薄し、何が起きているかを取材し、伝えるのが記者の本来の役割であり、仕事である。
「報道規制をかいくぐってでも取材するのが記者の仕事」という驕りが見える。
それは違法と評価されるリスクを背負うという覚悟の下に行われるべき。
「報道規制をかいくぐった記者」が、過去に何をしたのか?
過熱報道で「市民を殺した」悔やむ元記者 雲仙・普賢岳噴火から30年
— Nathan(ねーさん) (@Nathankirinoha) 2021年6月2日
>犠牲になった消防団員たちは一度は退避したが…報道関係者が無人の民家の電源を無断使用する事件があり、見回りのために戻っていた
>報道各社が市の要請に従っていれば、犠牲になることはなかったhttps://t.co/T0rHxDIS7y
雲仙・普賢岳火砕流事件における報道関係者らの犯罪行為の隠蔽について|Nathan(ねーさん)|note
雲仙・普賢岳火砕流事件では、非難勧告区域の民家内に記者が立ち入り、電気窃盗をするという犯罪が起こり、その対処のために消防団員(消防士ではなく一般の地域住民)がそこに戻らざるを得なくなったという事態が、被害を引き起こしました。
「報道規制をかいくぐった記者」とは、こういう危険性を有するわけです。
しかも、この事実はほとんど報道されていません。
「隠蔽」をしているのは、いったいどちらの側だろうか?
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