平成17年に【皇室典範に関する有識者会議】が開催され、女系天皇・女性天皇を容認すべきだとする報告書が出されました。
結局、この報告書はデタラメと論理矛盾に満ちた悪質なものであることが分かりましたので、この通りの方針は政府は採っていません。ただ、現在議論されている事柄の多くはここで表れています。
報告書のどの部分がどうデタラメなのか指摘します。
- 皇室典範に関する有識者会議の報告書が出た背景
- 女系天皇・女性天皇を認めるべき根拠:合計特殊出生率というデタラメ
- 「旧皇族の皇籍復帰は異例」として無視
- 女系天皇・女性天皇の法的ハードルに関する議論
- 検討の基本的な視点として「制度としての安定性」を無条件に据える愚
- 「男性優位の観念と結びついていたと思われる」という傲慢
- 女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」
- 総まとめ:形を変えた女系天皇論=女性宮家創設論
皇室典範に関する有識者会議の報告書が出た背景
当時、皇室に男系男子の世継ぎがお生まれになっていませんでした。
秋篠宮悠仁親王殿下は、平成18年9月6日にお生まれになりました。
それまでは、皇統の断絶の危機が差し迫っているとして深刻な問題になっていました。
そこで有識者に対してヒアリングを行ったのですが、その期間はわずか1年でした。
有識者といってもたった8名の一部の限られた人物に対してのみ行われたに過ぎず、およそ十分な議論が尽くされたとは言えないものでした。
その中で女系天皇・女性天皇の容認論が結論になりました
(「女性宮家」については検討の跡が無いが、それに繋がる議論はなされている)
このような議論の進め方はあまりに拙速であるという反省のもと、その後の政府は動いています。
そして、次項以降に指摘するように、結論を導く過程でデタラメな根拠が持ち出されているという問題もあったのです。
女系天皇・女性天皇を認めるべき根拠:合計特殊出生率というデタラメ
平成17年の皇室典範に関する有識者会議報告書では、男系男子による皇位の安定的継承が困難であることの根拠として、『合計特殊出生率1.29』という指標を持ち出しています。
皇室典範に関する有識者会議が用いた合計特殊出生率とは
合計特殊出生率とは、「15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもの」です。
2種類ありますが、有識者会議報告書が使ったのは「期間」合計特殊出生率です。
これは、ある期間(1年間)の出生状況に着目したもので、その年における各年齢(15~49歳)の女性の出生率を合計したものです。女性人口の年齢構成の違いを除いた「その年の出生率」であり、年次比較、国際比較、地域比較に用いられています。
厚生労働省:平成16年人口動態統計月報年計(概数)の概況では1.29となっています。
合計特殊出生率は、未婚の女性も母数に含まれている
お気づきでしょうが、この指標は「未婚の女性」「子を産んでない女性」も母数に含まれています。
ですから、「婚姻している夫婦の間にどのくらい子供が生まれているのか?」という疑問に対する答えとしては不適切です。
そのための指標は平成16年当時もありました。
完結出生児数とは
完結出生児数とは「結婚持続期間が15~19年の初婚同士の夫婦の平均出生子供数」です。
平成27年の完結出生児数は1.94と過去最低ですが、子を持たない夫婦や経済状況から子供を1人にとどめた夫婦なども含まれています。
したがって、皇室の夫婦の出生率について語る場合には、合計特殊出生率は不適切であり、完結出生児数を参考にするべきなのです。
平成17年(2005年)の数値は2.09と出ていますし、それ以前の数値も2.20以上ですから、平成17年の有識者会議がなぜこの指標を用いなかったのか、首をかしげてしまいます。
もちろん、だからといってお世継ぎ問題が安泰であるというわけではありませんが。
小まとめ:平成17年の報告書はトンデモ論
このようにして、平成17年の有識者会議の結論を導いた根拠の一つは、トンデモ論とでも言えるものに過ぎなかったのです。
これは皇室に関する知識がまったく無くとも気づけるものです。
次項以降は、論理的な誤魔化しについても言及します。
「旧皇族の皇籍復帰は異例」として無視
旧皇族の皇籍復帰については「異例だから」 ということで無視しています。
でも先例としてはあることはあります。
また、これは現在も多くの女系天皇・女性宮家推進論者が言うことですが、「何十年も民間の垢にまみれた、どこの馬の骨とも分からないような連中が皇族になるなんて…」という物言いがあります。
しかし、彼らは125代遡っても神武天皇に行きつくことの無い民間の男性を婿に取ることは、「どこぞの馬の骨」とは言わないんですよね。本当に不思議です。
女系天皇・女性宮家は、歴史上の例がゼロの制度です。
それと比べて、旧皇族の皇籍復帰や旧皇族の養子縁組などは、細かい条件を見れば確かに歴史上を見ても「異例」ですが、枠組みとしては先例があるわけです。
それを無視して一足飛びに女系天皇・女性宮家しかないと結論づけているのは、単に論理的な思考ができていないということ以上に、思惑を感じざるを得ません。
女系天皇・女性天皇の法的ハードルに関する議論
最初に、先例の無い女系天皇と8つの例外事例がある女性天皇を同列に論じている点で、非常に悪質です。
その上で、安定的な皇位継承についての他の方法との扱いの違いが際立っています。
女系天皇や女性天皇は憲法上は可能であるという謎理論
前項の図にあるように、平成17年の報告書は
「憲法において規定されている皇位の世襲の原則は、天皇の血統に属する者が皇位を継承することを定めたもので、男子や男系であることまでを求めるものではなく、女子や女系の皇族が皇位を継承することは憲法
の上では可能であると解されている」
という謎理論を展開して正当化に走っています。
「憲法上は可能」は旧皇族の皇籍復帰や養子も同じ
日本国憲法
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
確かに、憲法上は、「皇位は世襲」 としか書いておらず、文言上は女系天皇や女性天皇を排除していないように見えます(「世襲」は男系のみであるという指摘もあるが、ひとまず置いておく)
しかし、それを言うのであれば、旧皇族の皇籍復帰や養子縁組も憲法上は可能である、と言うことができます。
ただ、皇室典範の定めは次の通りです。関連規定だけ抽出。
皇室典範
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。
第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。
第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない。
現行の皇室典範では男系男子にしか認めていません。
ですから、女系天皇も、女性宮家も、現行皇室典範では認められていません。
また、旧皇族の皇籍復帰(皇族になること)と養子縁組も認められていません。
これを改正するかどうか、という話であるのに、なぜか女系天皇・女性天皇に対してだけは「憲法上は可能」などという意味のない言辞を弄しているのです。
検討の基本的な視点として「制度としての安定性」を無条件に据える愚
「制度としての安定性」「裁量的な判断や恣意の入る余地がない」
これは一見するともっともなことを書いているかと思いきや、とんでもない罠です。
本来は「安定性を重視するか否か」も議論の対象であるハズです。
そもそも、皇室は125代もの間、男系継承という(比較的)「不安定な」方法で皇統を継いできたのです。
不安定な制度だからこそ、断絶の危機は何度かありました。
光格天皇の皇位継承
230年以上前の話ですが、明治天皇の3代前の天皇である光格(こうかく)天皇は、後桃園(ごももぞの)天皇の崩御の直前に、後桃園天皇の養子になることで皇位を継承しました。
両者は面識もなく、光格天皇は齢8歳でした。
このとき、伏見宮貞敬(さだゆき)親王も候補に挙がっていました。天皇となった祖先は、1348年~1351年(南北朝時代)の北朝の崇光(すこう)天皇か、北朝を認めないなら1298年~1301年(鎌倉時代)の後伏見天皇まで遡ることになります。世数にして20数代はあるでしょう。(即位していない者で考えると崇光天皇の孫であり102代後花園天皇の父である貞成(さだふさ)親王が最も直近)
後桃園天皇には欣子(よしこ)内親王という子女が居ましたが、当時生後七か月であり、ピンチヒッターとしても不適切でした。そこで直系優先であるとして自動的に彼女に皇位継承せず、裁量によって傍系の光格天皇に決定されたという先例があります。
「安定的な皇位継承」の意味
このような「不安定な」皇位継承を行ってきた皇室が、「安定性のある」皇位継承をしてきたなら、ここまで「ありがたみ」を感じているでしょうか?
「安定的な皇位継承制度」というのは、男系継承という根本原理に倣った上で、可能な限り先例を踏襲するという意味において検討されるべき事柄でしょう。
現在の、将来的に皇位継承者が悠仁殿下のみになる状況よりは安定的な状況を求めることと、最初から安定性をお題目にして制度設計をすることとは、まったく質が異なります。
「男性優位の観念と結びついていたと思われる」という傲慢
男系継承が男性優位、女性蔑視であると主張する者が居ますがとんでもない。
男系継承とは、男性を締め出す制度です。
近代以降でも明治天皇・大正天皇・上皇陛下の后はいずれも民間出身です。
皇室が民間の男性を皇族にしたことは一度例もありません。
民間男性が皇室に入ることができるというなら、野心溢れる男が皇族女子を狙い、籠絡しようとしていたでしょう。道鏡のように。
それを何らの検証もなく「思われる」で済ます報告書には、誠意を微塵も感じません。
女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」
藤原道長と言えば、三条天皇をいじめ殺すなど横暴の限りを尽くした。道長のような横暴を行った権力者は何人もいる。しかし、その誰もが「皇族の女性と結婚して自分の子供を皇族にする」などとは考えなかった。自分が皇族と結婚して子供を天皇にしてよいなら、「天皇をいじめ殺す」などという回りくどいやり方をする必要はない。
倉山満氏が女性宮家の創設をすることはどういう意味なのかということを、歴史上の事例を踏まえて解説しています。
総まとめ:形を変えた女系天皇論=女性宮家創設論
- 平成17年の報告書は合計特殊出生率などという未婚女性も含む指標を使って男系継承が困難であるというデタラメを言っている
- 旧皇族復帰や養子も同様なのに「女性天皇・女系天皇は憲法上は妨げられていない」という無意味な内容が書かれている。
- 検討の基本的な視点として「制度としての安定性」を無条件に据えている
- 男系継承は「男性優位の観念と結びついていると思われる」と、何らの前置きもなく認定する傲慢な内容
平成17年の報告書が提出されたあと、女系天皇・女性天皇の容認論は悠仁殿下のご誕生により下火になりました。
その代わり、形を変えた女系天皇容認論として、女性宮家創設論がじわじわと展開されるようになります。皇位継承の問題だったものを、それと切り離した「女性皇族の減少」の問題であるとして誤魔化しています。
今のところ、政府・菅官房長官などもこの術中にはまっているようです。
皇位継承については今後、政府内で議論が進みます。
平成17年の報告書のようないいかげんな手続き・議論が行われないように監視しなければなりませんね。
以上