事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。リンク切れに備えて魚拓を活用しています。

沖縄辺野古移設の県民投票事務の拒否をする5市の政治的正義

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沖縄県の県民投票条例(辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例)による投票事務を5つの市が拒否している問題。

この件の政治的妥当性について書いていきます。

県民投票に限定した法的な側面からの分析は以下参照

法的妥当性と政治的妥当性、県民投票と辺野古移設の次元

私はこの問題を法的妥当性政治的妥当性という2つの観点に加え、県民投票と辺野古移設そのものの次元を分けて見ています。

法的妥当性とは、法に照らして違法か、或いは適切か否かという話です。

他方、ここでの政治的妥当性はダブルスタンダードではないことであったり、発言の一貫性という観点からの価値判断です。

法的妥当性

県民投票の実施に関して言えば、地方自治法177条2項の解釈や252条の17の2第2項の「協議」の有無に争いがあるものの、私は沖縄県側=県民投票賛成派に理があると考えています。県民投票は全県に跨る事務であり、予算は県が用意してるので市町村が「捻出」するようなものではないから、「できる」という文言になっていることだけで市長村長に拒否する裁量があるとは思えないからです。

県民投票事務に関する立法課題

南部氏が指摘するように、県民投票の事務が地方自治法上の第二号法定受託事務として規定されるようになれば、将来の解釈問題はなくなります。市町村は投開票事務を拒否することができなくなります。

この場合、地方自治法252条の17の2を介するのではなくなるので「協議」の有無は問題にならなくなるでしょう。ただ、仮に改正されたとしても今般の沖縄の事案は旧法に則って行われるとすれば、「協議」の不存在という法的瑕疵が、市町村が選挙事務を行う義務の不発生という効果を生むかどうかという問題は残ります

辺野古移設の賛否の次元での法的妥当性

しかし、これは元々は辺野古移設に賛成するか否かの話です。

県民投票の結果に日本政府が従うべき法的拘束力はありませんし、沖縄県が埋め立て工事の承認を撤回したことに法的な合理性は無いでしょう(だからこそ県民投票で誤魔化そうとしている)。

したがって、県民投票レベルの話では県側(デニー側)に法的妥当性があるが、辺野古移設(埋め立て)の是非というレベルでは、県側(デニー側)に法的妥当性はありません。

県民投票の政治的妥当性「少数者の意見」を盾にする玉城知事

結論から言えば、県民投票の次元で言えば、政治的妥当性は市側=県民投票拒否派にあると考えています。

玉城デニー(康裕)知事は、日本国とアメリカが合意した辺野古移設について「沖縄の民意を聞け」と言ってきました。

「沖縄県の自主性を尊重しろ」「少数派の声にも耳を傾けろ」と言ってきました。

この主張自体がおかしいのですが、仮にその理屈が正当だとします。

であるならば、辺野古の地元である名護市の声を沖縄県は聞くべきであり、普天間基地のある宜野湾市の声を沖縄県は聞くべきである、ということになります。

これは玉城デニー側が勝手に持ち出してきた、法的な問題とは別個の話なので、たとえ市側が県民投票を拒否することが違法だとしても、それは政治的には「少数者の意見」「地元の自主性」を蔑ろにしたということで、玉城デニー側に理が無いということは明らかでしょう。

地方自治法と県民投票条例違反の玉城デニー知事

県側は地方自治法252条の17の2第二項の「協議」を行ってません。 

さらに、玉城デニー知事自身が、辺野古移設反対派の元に行って活動していました。

これは県民投票条例11条違反です。

11条 知事は、県民が賛否を判断するために必要な広報活動を行うとともに、情報の提供に努めなければならない。
2 前項の広報活動及び情報の提供は、客観的かつ中立的に行うものとする。

これらの違反が直ちに県民投票条例の成立を法的に無効にしたり、投票実施の違法性を構成するとは思えませんが、少なくとも価値判断において「正統性」は失われていると言ってしまえるでしょう。

したがって、5市が投票事務の負担を反対していることについては、政治的な正当性があると言えます。「法に基づいた政治」を持ち出したところで、県民投票実施側の玉城デニー知事の側が法に基づいていないのです。

憲法改正の国民投票をにらんだ場合の問題

ところで、憲法改正の国民投票の事務は「第一号法定受託事務」として都道府県や市長村は拒否できません。予算も国が出すことになっています(項目ごとの基準が議員選挙みたいに定められていないという問題はありますが)。

この場合に投票事務を担う自治体が事務の負担を拒絶するということは、法的にはありえません。今現在沖縄で発生している議論は、一応は地方自治法の解釈が問題になっていますが、憲法改正の国民投票の場合は解釈の余地がありません。

ただ、政治的な牽制、揺さぶりとしては、今回の沖縄の5市の動きが引き合いに出されて利用される危険は拭えません。

憲法改正の国民投票について、改正反対派が多い都市の議会議員が「投票事務の予算に反対する」と表明するという事態を誘発しかねません。いや、実際に議員が議会で否決することは無いでしょうが、思わせぶりな発言をしたりすることは考えられます。

また、議員でなくともTVのコメンテーターが今回の沖縄の5市を引き合いに出して「あのときも地方自治を根拠に反対したのだから憲法改正の国民投票事務も同じだ」とか言い出しそうな気がしてなりません。

「そんなバカなことを言うはずがない」と思うなかれ、法的にありえない主張をするというのは、「あちら側」の常套手段でしょう。

改憲議論の呼びかけが「憲法尊重擁護義務に反する」と主張されたくらいですからね。

追記:裁判所が5市を敗訴させた場合

訴訟になって裁判所が5市を敗訴させた場合はどうでしょう?

上記の懸念は『裏返って』国民投票事務を拒否することは益々考えられなくなります。

では、5市は「それ」を狙っているのか?

そんなことはないでしょう。

今回の件で裁判所が5市を敗訴させ、投票事務の拒否はできないような雰囲気が出ようが、反日勢力はそんなことでは怯まないでしょう。関係ない事柄です。

現実に憲法改正の国民投票の時が来れば、いつにも増して発狂ぶりを見せてくると考えた方がいいでしょう。

県民投票で意思表示をするということ

私は、沖縄県の県民投票はやればいいと思います。

「法的拘束力の無いものについて財政が不健全であるなか余計な経費を使ってまでやる必要は無い」と言う主張も分かりますが、「他に予算を回せ」という主張は憲法改正の国民投票でも同じこと言われますよ。

「いや、国民投票は結果に法的拘束力があるから意味があるんだ、沖縄の県民投票とは異なる」という主張はその通り、ぐうの音も出ない反論です。

しかし、大多数の一般国民はそういう違いを理解できないでしょう。

主体性の発揮、意思表示をしたいという欲求は根源的なものです。それを「法的拘束力がないから」と言っても意味がなくて、意思表示の機会があるのであればやれば良い。

その意味がどれだけあったのか?ということは後で沖縄県政の評価をする際に考慮すればいいのではないかと思います。

まとめ:普天間の危険性除去というそもそも論

県民投票で必ず辺野古移設反対派が勝つとは決まってません。

移設反対派が多数でも、埋め立てには法的な意味はありません。

普天間基地の危険性除去という辺野古移設の目的の正統性は、いかなる結果になろうとも失われません。

たとえ県民投票の次元では法的正当性があるとしても、普天間の危険性を固定化・長期化する玉城デニー県政の判断には、法的にも政治的にも正当性はありません。

以上