福岡県で行われた全日本実業団対抗女子駅伝(プリンセス駅伝)の予選会で選手が脛骨を骨折するという重大な傷害を受傷しながらも200mの距離を四つん這いで進み、襷(タスキ)を渡したことが賞賛されると同時に物議を醸しています。
選手の精神と行動は素直に素晴らしいと思いますし、今後の復帰活躍を祈念します。
その上で、「選手生命が潰える可能性があるから早く棄権させるべきだった!だから運営はおかしい!」という論調があります。
私はそういうものに与しませんし、どうも、そういう意見はこの駅伝に関わる人たちをバカにしているなと思ったので一筆書いていきます。
- 事実関係:監督は棄権要請をしていた
- 岩谷産業の指摘はもっとも
- ルール:監督の要請を審判が聞いたらどうするべきか?
- 審判員の判断:選手の容態は危険ではない
- 総合判断:選手の競技継続の意思と容態などの諸状況
- 「選手生命ガー!」「美談にするな!」⇒何にすればいいの?
- まとめ:ルールの見直しか連絡手段の改善か
事実関係:監督は棄権要請をしていた
事実関係についてはNHKの記事にまとまっています。
女子駅伝 けがをした選手が四つんばいでレース 棄権の連絡遅れ | NHKニュース
岩谷産業の廣瀬永和監督から棄権の申し出がありましたが、現場での連絡を円滑に行うことができず、チームの意向が伝わった時には中継所まで20メートルほどに近づいていて、飯田選手もレースを続ける強い意思を示したことから、止められなかった
また、岩谷産業広報部の声明によれば、「監督車による伴走が認められておらず、廣瀬監督は、選手から離れた監督控室でテレビ中継モニターを見ながら指揮を執って」いたということです。
私も主催した日本実業団陸上競技連合に確認しましたが、岩谷産業の監督は棄権要請を大会運営側に伝えていたが、現場審判員との連絡がスムーズにいかなかったためにこのような状況になっていたということです。
監督⇒(1)⇒大会運営⇒(2)⇒現場審判
このうち、(2)の連絡に課題があったということです。
駅伝は42.195キロを分割して行われますから、監督・運営と現場審判に距離があったという要素があります。
なので、監督が大会運営に棄権要請をすればその瞬間に審判が監督の棄権要請を認識したということではありません。
岩谷産業の指摘はもっとも
岩谷産業は、今回の大会運営を「遺憾」と表現しています。
たしかに、現場審判にトランシーバーを持たせる等をしており、適切に対応していれば即座に棄権要請が伝わったハズですから、少なくとも中継所まで20mの地点になって初めて気づいたという事態は改善しないといけません。
岩谷産業は選手を社員として雇用してもいるので、選手の身体の安否を憂う姿勢はまったくその通りだと思います。
少なくとも、選手が中継所に向かっている間に審判員⇒大会運営⇒監督の連絡はあって欲しかったというのは当然でしょう。
ルール:監督の要請を審判が聞いたらどうするべきか?
では、仮に監督の棄権要請が即座に現場審判員に伝わった場合、監督の意向が全てなのでしょうか?
選手と監督の意思が相反する場合には、どうするべきなのでしょうか?
プリンセス駅伝は日本陸上競技連盟駅伝競走規準に基づいて運営されており、第5条2項では以下の定めがあります。
2.競技者が走行不能となった場合、即ち、歩いたり、立ち止まったり、倒れた状態になったときは、役員、チーム関係者等によって、道路の左端に移動させなければならない。その後、続行させるかどうかは審判長、医師(医務員)の判断による。
つまり、最終的に選手の棄権を決めるのは審判員(と医師)の裁量に基づく総合判断によるということです。
日本実業団陸上競技連合には監督からの要請があったとしても最終的な判断は審判員が行うということでした。
審判員が最終判断をする。
これは、どのようなスポーツにおいても共通したルールです。
監督の要請は、一つの考慮要素として扱うということになります。
同時に「選手の競技継続の意思」も考慮することになります。
現状はこのようなルールですが、このようなルールで良いのか?ということは議論の余地があると思います。
審判員の判断:選手の容態は危険ではない
「監督の意向はこうだった、だから棄権させなかった大会運営はダメだ!」という意見は、ルールを知らないということ以前に、審判員の判断というものについて全く無知だと思います。
仮に以下のような状況だったらどうでしょう?
- 選手:競技継続したい
- 監督:指示なし(或いは選手の意向を尊重)
- 審判:競技継続は危険なため、棄権にしよう
客観的に危険だという前提なら、この場合は審判の判断が100%正しいというのは明らかです。
審判員という第三者の判断を優先すべきなのは、中立な立場で物事を見ることができる状況にあるからです。
審判員が最終判断するというルール・運用が間違いであるとは言えません。
今回の「骨折事例」では、審判員が選手の容態を確認した上で、「選手の意思通りにしても危険は小さい」と判断したということでしょう。
総合判断:選手の競技継続の意思と容態などの諸状況
本来であれば、監督の棄権要請を聞いた上で(選手にも監督の意向を伝えた上で)選手の競技継続の意思を確認するのが適切です。
今回の場合、果たしてそれでも選手は棄権していただろうか?
マラソン(駅伝)の競技特性
サッカーなどの競技場内のスポーツであれば、チーム関係者が近くに居て直接ケガの状況を判断できます。怪我でまともにプレイ出来ないのに出場するのはチームに取っても有害でしかないから選手もストップしやすいという競技特性があります。
他方、マラソン(駅伝)の場合は選手間に距離がある場合が多いため、今回のようにチーム関係者が直接ケガの状況を判断しにくい情況があります。競技特性上「動ければ」続けられるという側面もあります。また、体力の限界近辺で運動し続けるということも無視できません。
選手の容態
大前提ですが、当該選手については熱中症等の他の体調異常は無かったのでしょう。
ケガの状態ですが、脛骨骨折という重大な傷害ではあるものの、「生命の危険」は生じていません。「選手生命の危険」も、200mという距離を移動することで失われる危険が高いかと言われれば、そのように判断し難いでしょう。
たとえば「熱中症」の例は選手生命どころか【生命そのもの】の問題なので早めに棄権させるべきであると言えますが、「骨折して四つん這い」の例は選手生命に支障が出る可能性はそこまで高くありません。
熱中症の事例と骨折事例をいっしょくたに語っている論調は、まったく信用できません。選手、監督、審判員がそれぞれ熟慮したであろう結果について、机上からこき下ろすかのようないい加減な主張には辟易します。
競技継続の意思
自分がタスキを渡せなければ後の走者も失格になるという競技上のルールがありますから、選手の競技継続意思は一般的に強いと言えます。
※競技特性もあり、選手の意向を重視することは問題である場合があります。
200mは駅伝ペースで40秒弱、少し早歩きで2分ほど、当該選手の状態を見ると4、5分でしょう。駅伝としては致命的な時間差とは言い切れませんから、競技継続が無意味であるとも言い切れません。
脛骨骨折しながらも四つん這いで進むことを決意している選手の意思がどれほど強固なものであるか、想像以上のものがあると思います。
「選手生命ガー!」「美談にするな!」⇒何にすればいいの?
「棄権となってしまったことでチームが失格になったことの精神的ダメージ」
これは審判員が考慮するようなことではないでしょうが、この側面が無視されていることに違和感があります。
監督はこの点も熟慮の上での苦渋の決断だったでしょうが、後から見た我々一般人がこの点を無視して何でもかんでも「選手生命ガー!」と身体的なダメージのみを語って偉そうに言うのは何なんだろう?と思います。
私もアスリートの端くれですが、もし私があの立場なら絶対に止めてほしくないですねぇ。余計なことすんな!って逆に怒るかもw
— 300zx🇯🇵 (@300zx_) October 22, 2018
あの場に立つまでの苦しい練習と、次に繋げるという責任を考えたらリタイアなんて無理です。
意識失ってぶっ倒れたら助けてほしいですけどw
今回、大会の運営には不十分な点があったというのは事実です。
しかし、「選手生命を蔑ろにしている」という評価が妥当であるとは到底思えません。
また、「美談にするな!」というのも、「じゃあ何にすればいいの?」と思います。
誰かを叩き、話を単純化して語ることは、駅伝関係者・ひいてはスポーツに携わる人たちを冒涜していると思いますね。
身体・精神の限界付近までパフォーマンスをする事もある競技スポーツの世界において、どうすればケガをせずに良い成績を出すか?そのギリギリの努力があるからこそ他分野においても技術発展がしてきたという事実があります。
スポーツウェア、靴などはその典型例でしょう。
競技スポーツの流れで発生したある種「通常の」状況を取り上げて「選手の命が!」っていうのは違いますよ。
学校体育等の事案や天災があるのに競技させた、などの事案とは違うんですよ。
まとめ:ルールの見直しか連絡手段の改善か
マラソン(駅伝)は競技特性上、選手の競技継続意思が強い一方、体力の限界付近まで高い運動強度を継続するので、選手が自分の身体の危険についての正常な判断が行えない状況が多々発生していると思います。その一例が熱中症です。
そのような中で選手の意思を重視するべきではなく、監督からの要請があった場合に監督の意思に「より重みをつけて考慮する」べきではないか?という主張があっても良いとは思います。
そうした事には手を加える必要は無く、監督の意思が審判員(そして選手に)に伝わらなかったという今回の状況を改善していくべきなのか。
選手を想うのであれば、この辺りの議論が行われて欲しいと思います。
以上