「令月」は漢籍にこのような典故があります。今回の万葉集の梅の歌は、後漢の詩人張衡の「田に帰る賦」にある「仲春令月、時和し気清し(仲春のよき月に、時は調和し気は清らかに澄んでいる)」に近いよう。 pic.twitter.com/JDMidS5lzN
— Noriko Ikehira (@chipingjizi) April 1, 2019
令和の典拠は万葉集であるという発表がありました。
ただ、 同様の文面のものが中国古典から見つかっているようです。
この件はどう考え方を整理すれば良いでしょうか?
令和の典故は中国古典?
令和の出典となった『万葉集』ですが、該当部分は漢文で書かれています。この序は東晋の書家として知られる王羲之の「蘭亭序」を意識して書かれており、それは「梅花歌序」忘言一室之裏(中略)快然自足、「蘭亭序」悟言一室之内、(中略)快然自足といった語の類似からも伺えます。 #新元号 #令和
— 金木犀@おもしろ同人誌バザール30 (@kin_mokusei) April 1, 2019
出典については蘭亭序を上げましたが、張衡「帰田賦」の指摘も上がっています。この辺は、該当しそうな漢籍と論文を調べて見なければ確定はできません。ざっくりとこの辺、で掴んでいただければ。 #新元号 #令和
— 金木犀@おもしろ同人誌バザール30 (@kin_mokusei) April 1, 2019
令和の出典、より古いのは多分こちら。あらまぁ。
— 東方キリスト教圏研究会 (@eoas_info) April 1, 2019
画像: 張衡「帰田賦」『文選』v.3, f.35b
所蔵: 国立国会図書館 特70-512
info:ndljp/pid/901414https://t.co/KZOrdlweTG pic.twitter.com/depT1pFgqZ
令和の典拠は本当に万葉集だけなのか? 中国古典まで遡れる新元号の由来 - Togetter
万葉集にあらわれている「令和」の記述部分は、「蘭亭序」や「帰田賦」が原典ではないか?という指摘があります。
万葉集が典拠だと言うのは誤魔化し?
情報社会の一徳。「令和」出典の遡源『万葉集』←『蘭亭序』『文選』←『礼記』とあり『礼記』なら最高格の漢籍として申し分ない。それを言わず、『万葉集』梅花詠を言揚げするのは選定者のこだわり。梅は奥州合戦の敗者・安倍氏にとってルサンチマンの籠もった特別の花であることを忘れてはならない。
— 村上湛 (@PontmrcyMarius) April 1, 2019
識者から流れてくる万葉集の出典たる漢籍の出典これなのか。
— ハルカ (@SMR_da4ze2you1) April 1, 2019
今の政権は何でこれだと言えないかな。元々失望してたけど更に失望する。 pic.twitter.com/4YkishYInx
新元号が令和に決定。官房長官は万葉集が典拠と説明しましたが、該当部分は漢籍から引かれたことが指摘されております。問題は、考案者も懇談会メンバーもそのことに気づけなかったこと。日本の教養レベルが下がっているというより、重大事案に対し丁寧さを欠くいつもの安部政権の粗雑な対応が原因かと https://t.co/0tpfeZGj7c
— 吉田 良(名取市議会議員) (@ryoyoshida1771) April 1, 2019
私は、こういう物言いには違和感があります。
漢籍を知っておくことは損はしないし、より奥深い知見を得られるので、令和の元となった表現に漢籍があるという指摘それ自体は良いことだと思います。
しかし、「典故は漢籍であり、本来はそう言うべきである」という見解を押しつけるのは違うと思います。
令和が張衡の帰田賦の一節の中に見られようが、万葉集の梅の花についての文脈において使用されているものなので、込められた意味には違いがあります。
漢籍に繋がるのは「元号選定の伝統」破壊の回避?
直接には万葉集から取りながら、更に漢籍に起源を辿ることができるようだ。学者が知恵を絞っただけのことはある。これまでの元号の伝統を壊した事にもならない仕掛けが用意されていた。https://t.co/Wj8Q1ec8dB
— 木星3 (@tetsulovebird) April 1, 2019
これまでの元号選定のルールは、中国古典からというものがありました。
今回は新しい選定方法となりましたが伝統からの乖離が懸念されてました。
「令月」の原典は漢文です。「初春令月気淑風和」。読み下し文は「初春の令月(れいげつ)にして、気(き)淑(よ)く風(かぜ)和(やはら)ぐ」となります。意味は「初春のよい月で気は良く風は穏やかである」。
— 竹田恒泰 (@takenoma) April 1, 2019
しかし、原典が漢文表記となっているし、漢籍にルーツを辿ることも可能であるというのは、前例踏襲の流れを突如として不自然に断ち切ることに対する配慮があったのではないでしょうか?
※追記:期せずしてロバートキャンベル氏も同趣旨のことを述べてますね。
上流社会のルールから一般国民のルールへ?
上流貴族・知識人は、中国の文人に倣って梅を鑑賞したり、詩に詠んだりしたという事です。平安時代の頃から国風文化が盛んになるにつれ桜が詠われるれることの方が多くなりましたが、梅、桜どちらも実際には古事記、日本書紀の頃から愛でられていたが、文学上の流行として、梅→桜の変遷があったと。
— 木星3 (@tetsulovebird) April 1, 2019
本気で、中国の古典を基に元号を決めるのを止めるのであれば、やはり、平安時代の国風文化以降の詩歌などを基にする必要があると思います。
— 木星3 (@tetsulovebird) April 1, 2019
万葉集の時代の詩歌だと、音に漢字をあてただけの万葉仮名になってしまいますし。だから、令和も漢文調の序文から。https://t.co/vT6vh150Kn
これは一つの見方ですが、これまでの元号選定の方法は、チャイナリスペクトをするのが「粋」なものであるというハイコンテクストがあった上流階級のお作法だったんだろうと思います。
それに対して今回の元号選定は、そういった影響から離れたところに意味があるのではないでしょうか?
万葉集は一般の庶民も詩を寄せたものもありますし、特に「梅の花」の文脈は、官から民までの様々な立場の方の詩が載っているものであると思います。
「令和の典拠は万葉集」以上!
検索してみたら、新元号をくさしているツイートが結構あって「和さしむ」と訓める、とか噴飯ものだ。
— consigliere (@HanShotFirst_jp) April 1, 2019
漢文クラスタがネタで言っているのならともかく、典拠が「令月」「風和」だって言っているのにコンテクストを無視して読むの?それで文学研究とか歴史研究できるの?へー。
新元号に対する最も悪質な行いは、漢籍との繋がりを示すにとどまるのではなく、漢籍が典故であるとする見解が絶対的に正しいとする考えを押し付けることだと思います。
それは単に知識をひけらかしているだけでしょう。
「令和の典拠は万葉集」
これで良いじゃないですか。
漢籍との繋がりがあるということが今回の選定の意義を貶める性質のものであるという指摘は、まったく当たりません。なにも、漢籍との繋がりがあること自体は否定する必要はありません。
「令和は万葉集のみを参考にしている!」「いや、漢籍だ!」
このような二者択一脳は平成の世に置いていきましょう。
梅の木は、剪定すればこそ花開くのですから。
以上