事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

令和の典拠は万葉集ではなく中国古典と言うべきなのか?

令和の典拠は万葉集であるという発表がありました。

ただ、 同様の文面のものが中国古典から見つかっているようです。

この件はどう考え方を整理すれば良いでしょうか? 

令和の典故は中国古典?

令和の典拠は本当に万葉集だけなのか? 中国古典まで遡れる新元号の由来 - Togetter

万葉集にあらわれている「令和」の記述部分は、「蘭亭序」や「帰田賦」が原典ではないか?という指摘があります。

万葉集が典拠だと言うのは誤魔化し?

 

 

私は、こういう物言いには違和感があります。

漢籍を知っておくことは損はしないし、より奥深い知見を得られるので、令和の元となった表現に漢籍があるという指摘それ自体は良いことだと思います。

しかし、「典故は漢籍であり、本来はそう言うべきである」という見解を押しつけるのは違うと思います

令和が張衡の帰田賦の一節の中に見られようが、万葉集の梅の花についての文脈において使用されているものなので、込められた意味には違いがあります

漢籍に繋がるのは「元号選定の伝統」破壊の回避?

これまでの元号選定のルールは、中国古典からというものがありました。

今回は新しい選定方法となりましたが伝統からの乖離が懸念されてました。

しかし、原典が漢文表記となっているし、漢籍にルーツを辿ることも可能であるというのは、前例踏襲の流れを突如として不自然に断ち切ることに対する配慮があったのではないでしょうか?

※追記:期せずしてロバートキャンベル氏も同趣旨のことを述べてますね。

上流社会のルールから一般国民のルールへ?

これは一つの見方ですが、これまでの元号選定の方法は、チャイナリスペクトをするのが「粋」なものであるというハイコンテクストがあった上流階級のお作法だったんだろうと思います。

それに対して今回の元号選定は、そういった影響から離れたところに意味があるのではないでしょうか?

万葉集は一般の庶民も詩を寄せたものもありますし、特に「梅の花」の文脈は、官から民までの様々な立場の方の詩が載っているものであると思います。

「令和の典拠は万葉集」以上!

新元号に対する最も悪質な行いは、漢籍との繋がりを示すにとどまるのではなく、漢籍が典故であるとする見解が絶対的に正しいとする考えを押し付けることだと思います。

それは単に知識をひけらかしているだけでしょう。

「令和の典拠は万葉集」

これで良いじゃないですか。

漢籍との繋がりがあるということが今回の選定の意義を貶める性質のものであるという指摘は、まったく当たりません。なにも、漢籍との繋がりがあること自体は否定する必要はありません。

「令和は万葉集のみを参考にしている!」「いや、漢籍だ!」

このような二者択一脳は平成の世に置いていきましょう。

梅の木は、剪定すればこそ花開くのですから。

以上